高鳥修一の発言 (厚生労働委員会)

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○高鳥委員 ありがとうございます。
 今お聞きしてみて、確かによって立つ前提は微妙であるけれどもやはり明白に違うのかなという感じがいたしました。しかし、その効果はどうなんでしょうか。
 そこで、D案に対して、主にA案の支持者からですが、こういう批判的な意見があるんですね。それは、脳死と判定された子供が臓器提供する場合のみ死亡することになる、つまり、親が臓器提供を承認することによって子供を殺すことになる、こういう批判がございます。
 私の過去の理解では、今となってはこれは正しくなかったのかなと思っていますが、ちょっと聞いていただきたいんですが、A案は、脳死は人の死と認めるということは、脳死状態にある方は一応お亡くなりになっているんだという前提に立つのかな。それは、考えを拒否する方、また、受け入れないという方の立場も認めるけれども、前提は死亡していると。だから、法的脳死判定を受けることは死亡を確認する作業である、だから、親が法的脳死判定を受ける判断をしても、親が子供を殺したことにはならないんです、このA案の前提が。もし私の言っていることが正しければですが。
 ところが、D案は脳死を人の死とする前提に立ちません。臓器移植をする場合にのみ認めるから、脳死状態では死亡していない、生きているということになると思うんですね。だから、法的脳死判定を受け、臓器を提供するという判断を親が下すことで子供を殺すことになるという批判が成り立つし、実際にされているんだと思っておりました。
 しかし、これは結論的には、先ほどの効果のことを申し上げますが、結局、親の判断で子供の死が決まるという意味においては、A案もD案も実は同じなんじゃないかと思うんですね。つまり、同様の批判がA案にも当てはまるのではないかと思います。
 ちなみに、河野先生がこういう答弁をされておられます。脳死を一律に人の死としない、強制しないし、拒否できる、ここで定めている脳死は、法的脳死判定を受けて脳死と判定された場合には脳死となるということを定めているのであって、一般の病院で行われている臨床的脳死判定、脳死診断ということについては何ら規定をしておりませんと。続けて、A案の御両親に求められているのは、医学的、科学的な脳死判定を受けるかどうかということ。
 つまり、両親の法的脳死判定を受けるという判断で子供の死亡が決まるというのは、やはりD案と同じではないかと私は思うんですが、これについてはA案の提出者はどのように考えられますか。
    〔委員長退席、西川(京)委員長代理着席〕

発言情報

speech_id: 117104260X01620090605_024

発言者: 高鳥修一

speaker_id: 26144

日付: 2009-06-05

院: 衆議院

会議名: 厚生労働委員会