光石忠敬の発言 (厚生労働委員会臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案審査小委員会)

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○光石参考人 光石忠敬です。
 平成十八年に一度参考人として意見を述べさせていただきましたが、近ごろ、A、B、C案に、またさらに第四案のようなものが検討されているということですけれども、いずれもどうやら中心は改正A案のようでありますので、それに対する、その根本的な問題について述べたいと思います。きょうは呼んでいただいて、どうもありがとうございました。
 改正A案への動きというものは、結局、脳死臓器移植がふえない、子供の脳死移植ができない、そして臓器の提供を受けるレシピエント患者のための国際移植学会による昨年五月のイスタンブール宣言と、これを追認するWHO総会の本年五月のガイドライン見直し、こういったことで海外への渡航移植ができなくなる移植ツーリズム禁止、そういう外圧に対して改正推進議員連盟などが呼応しているんだろう、こういうふうに思われます。
 そこで、日弁連の意見を基本にしつつ、この近年の動きに基づく改正A案の誤解している点、それから無視している点を根本的な問題点として申し上げたいと思います。
 現行の臓器移植法を多くの患者さんに役立つ法律にしていきたい、こう述べる国会議員は改正A案を支持しているようです。
 レシピエント患者の臓器不足というのは世界じゅうの現実です。脳死を人の死として、本人の意思が不明でも家族の承諾のみで臓器摘出できるアメリカでも、やはり臓器不足のために生体移植がふえている、そして今世紀になって、脳死の患者を含む死体腎移植よりも生体腎移植が多くなっている、こういうことも事実であります。
 一人のドナー患者さんの臓器で多くのレシピエント患者さんの期待が可能になりますから、多くの患者さん云々というふうに述べた議員さんの頭の中には、最大多数の最大幸福という功利主義のスローガンが浮かんでいるように私は思います。
 もともと倫理学説としての功利主義を唱えたベンサムは、最大多数という言葉を削除したんですね。要するに、個人や少数者が犠牲になることを排除したんです。すなわち、個人の犠牲を伴う幸福の極大化は排除しなくてはいけない。
 ところが、日本に来たこの功利主義は、一般的に最大多数の最大幸福と理解されていて、昔、ナチス・ドイツでホロコーストの人体実験を行った医師や科学者たちが、ニュルンベルクの裁判で、みずからの行為を正当化するためにいろいろな弁護をしたんですけれども、その一番根本の弁護が、多数の利益のために少数の利益を犠牲にするのは理にかなっている、こういうことでした。
 多くのレシピエント患者さんの利益のために少数のドナー患者が犠牲になる、無視されるのはやむを得ないという考え方は、どうやらここから出発しているように思います。多数者は、少数者に同情はするけれども、少数者が自己主張して旗印を上げ出すと、少数者の排除、無視に取りかかる、これが真相ではないでしょうか。要するに、レシピエント患者とドナー患者の双方を、人間の尊厳を有する平等の存在と位置づけなければなりません。
 新聞、テレビなどのメディアは、レシピエント患者やその家族の姿を報道するのみで、ドナー患者やその家族の姿はほとんど報道しないですね。報道は難しいんでしょうけれども、その結果、市民の関心は主としてレシピエント患者や家族の苦しみに向けられてしまうんですね。
 ドナー患者とレシピエント患者の医療現場はそれぞれ違っていますから、臓器移植はレシピエント患者の臨床上の利益を目的としていますので、レシピエント患者を目の前にする移植医さんたちはレシピエント患者のことを考え、ドナー患者の症状は背景に退いてしまう。ですから厚生労働省も、中学生向けのパンフレットに、レシピエントのみ患者と表現して、ドナーは本人と言って、患者とは言っていないんですね。
 こうしてほうっておきますと、ドナー患者は、多くのレシピエント患者など、他者ないしは社会の単なる道具に格下げされてしまうんです。
 現行の臓器移植法は、今、法律に決まっているんですけれども、「死体」として「(脳死した者の身体を含む。)」それから、「脳死した者の身体」とは、「脳幹を含む全脳の機能が」云々、こういう条文があります。この条文に関してこの小委員会は、脳死の定義であるとか、あるいは人間の死の定義であるとか、あるいは脳死は人間の死かどうかの基本的検討を、特に子供について、してこなかったのじゃないでしょうか。
 死の判定というものは臓器移植と絡めるものではないということをWHOのノエル参考人が語ったけれども、日本においては、脳死とは何か、人間の死とは何か、脳死は人間の死かの問題と臓器移植を切り離すことはできないと思います。
 医学、医療の世界で、脳外科医の七〇%は脳死の概念に懐疑的だと言われていますけれども、移植学会や小児科学会を除いて、他の多くの分野の学会の医師がかかわって議論されることが少ないんじゃないでしょうか。ほとんどないように思います。
 例えば、脳神経外科の片山教授が、意識がないということと意識が不明であることとをイコールにしていること、つまり意識を反応性と評価してしまっていること、これは植物状態についても脳死についても、反応性がないことを根拠に意識がないとしていることを批判しております。つまり、今、脳死判定基準のグラスゴー・コーマ・スケールなんかを見ますと、反応性スケールなんですね。しかし、これはおかしいんじゃないか。反応性ではあらわせない意識というものがあるのに、何か今の臓器移植法に基づく脳死の判定基準は、無反応であるということが無意識である、こういうふうに科学的に間違った考え方になってしまっている。こういったことは、当然、小委員会でも検討すべき科学的課題の一つだろうと思います。
 昨年の内閣府の世論調査によりますと、脳死と判定されたら臓器提供したいと思うかという問いに対して、「どちらかといえば提供したい」は四三・五%、しかし、意思表示カードを持っている人は六・六%なんですね。それから、「どちらともいえない」とか「どちらかといえば提供したくない」、「提供したくない」というのが五二・九%、意思表示カードなどを持っていない人が九一・六%もいる。このギャップをどう理解したらいいかということを考えますと、一般論としては望ましいと思うけれども、みずからについてはどうも慎重なのではないか。この世論調査では、臓器移植に関する情報を得ていない人が八二・九%もいるということは、この慎重さの根拠の一つかもしれないと私は思います。
 これは皮肉なことに、脳死状態について、内閣府の世論調査も間違っているんですね。ここには「脳全体の機能が停止し元には戻らない」というようなことを定義として言っているんです。これは間違っているんですね。今どうなっているかといいますと、脳全体の機能じゃなくて、全脳の機能といって、これは要するに主たる機能、神経統合機能だけがなくなりゃいい、そういうふうになってしまっている。だから、例えば間脳とか、なかんずく視床下部の機能なんかは無視できるということで、全脳と脳全体とは違うことを内閣府は気がついていないように思います。
 厚労省はパンフレットに、脳死は一律に人間の死であるという趣旨の、そういう誤った説明をしています。やはり三徴候死というのが人間の死であるということが社会通念ですから、脳死を人間の死とする科学的、論理的根拠があるかどうかは十分に検討しなくちゃいけない、社会的合意をその上で得なければいけない、これが私の考えです。
 現行法は、自己決定の思想を非常にてこにしております。改正A案というのは、これも前に申し上げましたように、何人の何の決定もない状況に至るまで自己決定と言っているんですよ。これは要するに、本人が何の決定もしていなくても自己決定だと言っているんです。それは要するに、死後に臓器を提供する意思は現実に表示していなくても、人間はそういう自己決定している存在なんだというような、そういう理想的人間観に立っている。しかし、法律をつくる以上は、平均的な人間像に基づいてつくらなくちゃいけないんじゃないでしょうか。結局、自己決定法理の誤用ですから、A案は現行法の改正の限界を超えています。A案は改正案とは到底言えないですね。
 いろいろな意思決定や意思表示ができない子供とか、さまざまな病気のために意思決定や意思表示ができない人とか、どうすべきか悩んでいる人とか、関心がなくて情報を正確に理解していない人なんかは、改正A案が言う拒絶の意思表示はできません。だから、この改正A案を自己決定ということで根拠づけることは不可能なんです。これを自己決定によって正当化しようというなら、改正A案は人間の尊厳を侵すものというふうに結論しなくてはいけません。
 小児科学会会員の半数は、子供の脳死診断が医学的に可能かどうかわからないというふうに回答しています。前も申し上げましたが、脳死状態というふうに診断されてから一カ月以上生存した長期脳死の子供は多くいますし、また、慢性脳死で二十年以上も生存した方がおるというような報告もあります。
 現行法は、脳死の判定から数日で、社会通念である三徴候死につながるということを前提にしています。厚生労働省のパンフレットにも、「数日間心臓を動かし続けることができる」というような表現になっています。
 だから、子供について、現行法を自己決定の法理で根拠づけることはできないわけです。
 移植ツーリズム、渡航移植の批判についての根拠ということをちょっと考えますと、自国の貧しく弱い立場の個人が搾取されることを防止するんだ、そして、金銭的利益を出すために、自国内で使われるべき臓器が海外に売られる状況を防止するんだ、その考え方は理解できますね。
 これまで海外へ出かける日本人の中には、日本人のレシピエント候補患者、家族と、その出かける海外のレシピエント候補患者や家族との膨大な経済的格差という現実に上乗りしてきた面があるんじゃないでしょうか。渡航移植が批判されるから、そういう理由で現行法をA案に改正したいというのは、これまでの正しかった渡航移植ができなくなる、そういう誤った考え方に立っていると言わざるを得ません。その上、これまでの渡航移植におけるそういった経済的格差の問題がどうであったかは、日本では余り議論されておりません。
 そこで、あと改正B案というのもあります。十五歳から十二歳に引き下げるという案ですけれども、これはやはり、成人ですら、大人ですら、情報が極めて乏しく誤解の多い内容について、子供のサインを得て責任を生じさせて、臓器摘出を認める方向で子供の意思表明権を発動させるというのは法の趣旨に反しますね。そして、子供本人にとって非治療的介入に、親の代諾、同意の代行というんですか、代諾を許容する根拠もないんです。
 内閣府の意識調査によりますと、十五歳未満の者からも臓器提供できるようにするべきだが六九%あるんですけれども、医療従事者アンケートでは、提供できるようにというのが三二・五%、現状は仕方がないというのが四〇・四%となっている点、これは注目すべきだと思います。
 日弁連の意見は、今回出ております改正C案の基本になっていると思います。改正C案というのは、脳死の定義の適正化とか、あるいは脳死判定を開始することができる要件の明記、そういうことのほかに、日本で一番大事な、ないしは世界でも一番多い生体からの臓器の摘出及び臓器の移植、そういったことについても規定しています。それから、臓器の摘出、移植に関する検証というものも非常に大事だということ。それから、子供の臓器の摘出及び移植に関する、これは言ってみれば第二の脳死臨調のようなものをつくって検討するべきなんだ、そういうことも含まれています。
 改正C案は、日弁連の臓器の移植に関する法律の見直しに関する意見書、これは今お手元にあります。それから、そのお手元の終わりの方に、QアンドAという非常に短いものもつけ加えておりますので、ぜひそれを参考にしていただきたいと思います。
 どうもありがとうございました。(拍手)

発言情報

speech_id: 117104263X00120090421_004

発言者: 光石忠敬

speaker_id: 31890

日付: 2009-04-21

院: 衆議院

会議名: 厚生労働委員会臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案審査小委員会