古川俊治の発言 (厚生労働委員会)
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○古川俊治君 今の点、引き続き質問を行わせていただきたいと思うんですが、私は高原参考人とそれから米本先生にお聞きします。
高原先生、ありがとうございました。
先生今ドナーの家族のことをおっしゃいまして、抽象論としては理解できるんですが、実を申し上げますと、六条二項を戻すことになっても、これは移植に限定されている場合だけですということを明確にするだけになるんですね。ですから、御家族が何かを選ぶというよりは、まさに移植の場合には人が死んでいるという前提で入るものですから、もう人は亡くなっていると。それは、御家族が確認の手段を選ぶか選ばないかを選択されるということになる。実際そうなるんですけれども、それを逆に言うと、今の臓器移植法で言っているのも、臓器移植という場面、本来は臓器移植法ですから臓器移植を超えた議論というのはできないはずなんですよね。ですから、あくまでも臓器移植の場合だけというのは六条二項で、私自身は、正確に申し上げますと、六条二項の文言というのはあってもなくても同じというのが実際なんですね。現場で、逆に言うと、インフォームド・コンセントで説明の仕方あるいはドナーの感じ方が違うとすれば、それは法の誤った適用が実務で行われてしまっているということなんです。それで、その点から、先生がなぜやはり変わるとおっしゃるのかをもう一度明確にしていただきたい。
それから、米本先生、ありがとうございました。前から先生の、私も医者でございますので、やはり御著書をたくさん拝見しております。
先生の御結論としてよく分かるんですけれども、同じことを申し上げさせていただきまして、現在、臓器移植法で問題としているのは臓器移植という中のスコープなんです。六条二項を私がなぜ削ったかというふうに理解しているのは、あの中の法律であそこを削って臓器移植の中だけの一応定義をつくると、その方が法文上整ったものに見えるからだろうという理解なんですが、それは今までのA案の中の答弁でもそういう点は繰り返されているんですけれども。
その中で先生が、例えば臓器移植法の中でこの点は削除しない方がいいと、一つの御提案は御提案として承って、かつ、今度は、じゃ臓器移植以外の場面で恐らくこの脳死というものをどう扱うかという、またその死の定義をしないという前提でいろいろな議論が出てくると。そうすると、言ってみれば死の相対性というのがすごく制度内で広がっていくということになりますね。
それから、強いて、別の観点から申し上げますと、先生、先ほどこの比較表を示されましたけれども、私の理解では、スイスでは二〇〇八年に改正法ができまして、ようやく統一の法律ができたという話を聞いたことがあります。それで、何か州がばらばらだったのが、いろんな州でいろんな考え方を共有していたというんですね。それを統一していくような考え方ができてきたというふうに伺っております。
それから、一方では、先生おっしゃったように、ほかの国で、例えばアメリカですけれども、まさに宗教的な死の多様性というのをずっと残したまま来ているということですよね。そうすると、やはり日本においても、制度内、各制度の中のあるいは外の死の多様性、あるいは倫理的な死の多様性というのは、ずっとそれを法的に位置付けないということですね。それは永遠にやっていった方がいいのかと、どこかでやはりある程度の区切りをつくって合理的な範囲をつくっていくべきなのか、この点について政策論的にお話を伺いたいと思っています。