丸川珠代の発言 (厚生労働委員会)
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○丸川珠代君 前提であるけれども法的効果とは別に議論する、御説明はいただきましたけれども、私は、この六月五日から七月七日の間の説明を伺っていても、なかなかそれを実態として理解することができない。これは私の理解力の不足かもしれませんけれども、私は、A案が一般的な人の死までも決めてしまおうとしているのではないかという疑念を抱く人の思いももっともであろうかと思います。私は、臓器移植医療について定める法律においては、脳死が、一般的な人の死はどういうものかということを法が定めるものではないということを明示的にするべきではないだろうかという意見を持っております。
次に、私たちは七月七日の参考人質疑で森岡参考人の意見を伺いました。その中で、こういう言葉がございました。多くの人々は臓器移植について迷っているのです。この迷っていることを尊重するべきだと思います。我々には、脳死が人の死かどうか、臓器を摘出すべきかどうかについて迷う自由があります。この迷う自由を人々から奪ってはなりません。
まだ、臓器の移植について、六割の人は賛成というけれども、それ以外に分からないという人が非常に多い。これは、まさに私は、迷っている人たちがたくさんいるんだろうというふうに思います。恐らく、人は迷うものであると思います。脳死判定を受けてからも迷うかもしれない。迷ったまま命を終えてしまう人もいるかもしれない。
私は、その迷うということが臓器移植の提供意思表示カードには選択肢として書かれておりません。いつこの臓器を提供します、あるいは臓器を提供しませんということしか書かれておりません。しかし、もし迷っているという意思表示ができれば、そこから、じゃ、もっと臓器移植のことを知ってください、臓器移植とはこういうものです、こういうきっかけをつくることができるのではないかと思います。
さらに、もう一点言わせていただくならば、私たちの社会は、臓器提供をする、しない、この自己決定をそれぞれの自己決定として尊重するような環境が果たして整っているのであろうか。臓器提供をしないという選択をしたときにだれかが、あの人は冷たい人だと私の見えないところで言っているのではないか、そういう気持ちを抱かずにはいられない、そのような環境にまだ私たちの社会はあるのではないか、こういう懸念を私は抱いております。
臓器提供の移植医療を進めることは、私は待ったなしであろうと思います。今、失われていく命を何とか助けたいと私も思います。しかし、提供する、しない、その意思がどちらもがだれにも非難をされることもなく、責められることもなく、自己決定として尊重される、そういう社会の環境が整うまでは迷うという選択肢を私たちは残しておいた方がいいのではないか、そのような思いを持っております。
この迷うという選択肢が今のところこの意思表示の方法としてないことについて、A案の皆様がどのようにお考えになるか、お聞かせいただけますでしょうか。