山下栄一の発言 (厚生労働委員会)
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○山下栄一君 公明党の山下でございます。
大変大きな責任の決断を迫られる状況になっておるわけでございます。私は、平成九年の現行法、いろんな経過を経て成立した法律でございました。これは国会の最高機関としての見識を精いっぱい表現した法律であったのではないかと、こういう考え方でございます。更にそれを一歩進めて、更に立法府としての見識をきちっと示せるかということが今迫られるのではないかと、非常に意見が多様に分かれているわけでございます。
人の死を法律では明記しないというのが現行法の考え方ではないかと。また、附帯決議でも、当時のですね、臓器を提供する意思表示可能年齢、これについては更に検討を加えていくということが書いてございました。もう一点、この判定基準。これは厚生省令、法的拘束力のある位置付けだと思いますが、この厚生省令で定める判定基準の範囲についても、医学の進歩に応じて常時検討するんだということを附帯決議に書いてございました。大事な附帯決議であったなと思っております。
今もお話ございましたように、臓器を提供する側と受ける側の両方の命の尊厳を可能にする道を探るということだというふうに思います。また、これは後から確認しますけれども、人の尊厳というのは、やっぱり自己の意思に反して、自己の意思に反して自らの命は奪われないと、自己の意思に反して自らの命は奪われないと、奪われてきた例が歴史上いっぱいあったわけでございますけれども、それが人間の尊厳のやっぱり基本でなければならないと。心臓移植は提供者の死が前提であるという、そこで大きな問題になっておるわけであると思います。
二つの懸念があるんですが、一つは、先ほどからもありましたけれども、人の死の定義というか、これを法制化する、法定化するということにつながる、ちょっと非常に難しい議論になっていてその辺がよく分かりませんけれども、さっきの話聞いていても。それを法律に書いてあるのか書いてないのかよく分かりませんけれども、A案ですけどね。そういう、人の死の定義を、例えば脳死は人の死だという、そういうことを法制化するに当たっては、先ほど平成四年の臨調はおおむねという話でしたけど、ここに疑問があるからいろんな意見が出てきているという、おおむねってどういうことですかということじゃないかなというふうに思います。やっぱり違和感があって、今も私はすとんと落ちておりません。
それで、ちょっと話が変わってしまって申し訳ないんですけど、人の死というのは人の終わりだと、人の始まりはどうだと。人の始まりのことについてはどんなふうになっているのかということを私なりに勉強さしていただきました。
まず、法務省にお聞きいたします。
殺人罪は人を殺したときに成立すると。その人というのは、いつから人になるんだと。いわゆる人の始期、始めの時期はいつなのかと。民法、刑法に明記されているかと。また、民法には胎児についての規定がございます。権利主体は出生をもって権利主体とするんだと。出生っていつからですかというのははっきりしない。胎児はいつから胎児になるのかと。つまり、民法、刑法に明記されているかと、人のスタート、胎児のスタートですね。確認さしてください。