富岡芳忠の発言 (財務金融委員会)
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○富岡委員 おはようございます。民主党の富岡芳忠でございます。
本日、初めて質問をさせていただきます。こうした機会をちょうだいしまして、玄葉委員長を初め理事の皆さん、本当にありがとうございます。また、亀井大臣、大塚副大臣におかれましては、私の兄も参議院の財政金融委員会の方でお世話になっておりまして、兄弟ともども御指導のほどよろしくお願いいたします。
きのう国会議員便覧でちょっと調べてみましたところ、兄弟の議員が私も含めて三組ございまして、一組が鳩山御兄弟、もう一組が亀井大臣の御兄弟でございます。鳩山兄弟、亀井兄弟ともども、どうも弟さんの方が非常に自由奔放というか、みずからの信念に基づいて行動されておられるな、このように感じておるところでございますが、私も、亀井大臣のそうしたいいところだけはしっかりと見習って、信念を貫ける政治家になりたいな、このように思っております。
さて、亀井大臣と大塚副大臣におかれましては、今日の大変かじ取りの難しい金融行政を極めて見事にこなしておられるな、こういうふうに常々感じておりまして、特に、金融庁は監督指針としてプリンシプルベースとルールベースという言葉をよく使っておられますが、お二人の役割分担もまさにそんな感じかなと。中小企業の円滑化法案を見ても、大臣がずばっとプリンシプルをお述べになられて、関係者は皆どぎもを抜かれたと思うんですが、大塚副大臣がそうしたものにうまくのっとっているかのような巧みなルールをおつくりになられて見事に法律に仕上げていただいた。こういうことで、極めていい組み合わせじゃないか、こう思っております。
きょうの私の質問も、プリンシプル的なところは大臣にお伺いして、ルール的なところは大塚副大臣にお伺いさせていただこう、こう思っておりますので、よろしくお願いします。
まず初めに、少し中長期的な目線で、これまでの我が国の金融を取り巻く動きというものを振り返ってみたいと思うんです。
一九八〇年代は、まさに邦銀が世界の中でも全盛の時代にありました。融資残高でも、ピークでは三割近く、世界の融資のうちの割合を占めていた。こういう状況で、私は平成元年に富士銀行に入行したんですが、ちょうど私が入ったころは、邦銀の全盛の最終局面ぐらいだったわけでございます。
今でも思い出すんですが、当時いろいろ就職活動をして、富士銀行の門をたたいて、最後に人事担当役員の方が、ぜひうちの銀行に来てくれ、うちの銀行は、悪い言い方かもしれないけれども、寄らば大樹の陰じゃないが、大樹だ、全部の行員が百年働かなくても食っていけるだけのそういう資本のストックがあるんだと。人事の担当の役員が学生を口説く言葉として適切かどうかわかりませんが、そんなことを言っていたのを記憶しておりまして、私は当時、邦銀のそういう勢力というのは永遠に続くんじゃないかというぐらいに思ったようなことを記憶しておりますが、それもまさに夢幻と崩れて、まさに転落の一途をたどって、今日においても、せっかく、リーマン・ショックで欧米の金融機関があれだけ傷んでも、なかなか邦銀の相対的な地位が上がらない、こういう状況にあるのかなというふうにも思っております。
返す返すも悔やまれるのは、邦銀が全盛を誇っていたときに、なぜもっと日本の金融市場を、例えば世界の中核の市場に育てておかなかったとか、それから、来るべきデリバティブ全盛のこういう時代を先取りしたビジネスモデルに転換しなかったとか、そういうことを怠ってきた結果、今日の状況に結びついている一因にもなっているんじゃないか、私はこう思うんです。
そこで、亀井大臣にお伺いしたいんですが、九〇年代以降のこういう金融行政を振り返っていただいて、どこかに問題があったのではないか、もっとこうすべきだったのではないか、こういう点について御所見があれば、ぜひお伺いしたいと思います。