下村博文の発言 (文部科学委員会)
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○下村委員 この間、大学生百人の前で講演したことがございまして、幾つかアンケートをしたんです。自分はだめな人間か、それともすぐれた人間か、どちらかに分けたらどっちに自分は入るかと手を挙げてもらった。大学生百人、自分はだめな人間だと思う、手を挙げた子が九割いるんですよ。これが日本の教育の現状です。別に特定の大学でやったわけじゃなくて、いろいろな大学生が集まった。
でもこれは、いろいろな調査でも、例えば高校生でも七割ぐらいが、どんな調査でも自分はだめな人間だと。日本においてはですよ。日本においては、ほかの国以上に自分自身に対する誇りとか自信とか持っていないんです。中学生でも五割ぐらいの子が、あるいは六割ぐらいが、自分はだめな人間だ。
これはいろいろなデータでも同じことが言えます。つまり、上の学年に上がれば上がるほど、ある意味では受験競争という世界の中で、まあ一割ぐらいは自分は優秀だと、比較されますから。そうすると、九割ぐらいはだめな人間だと。結果的に、ある意味では、これは我々の反省を含めてですけれども、日本の教育は不幸にする教育システムになっている。
これは、やはり戦後教育云々というのはありますけれども、もっと言えば、近代工業化社会の中でいかに優秀な人材を支えるか、そういうある意味では記憶、暗記中心のロボット型といいますか、そういう能力がもう日本では問われないといいますか、それだけの能力では社会の中ですぐれた人間として生きていけない。
つまり、ポスト近代工業化社会の中で教育も今までのような教育システムをそのまま続けていったら、ますます不幸感を持ってしまうような、社会に結果的に適応できなくなってしまうような、そういう人材をただ育成するだけの話になってくるから、大臣が先ほどおっしゃったように、日本における大学入試そのものを変えていかなければ、高校以下全部変わらない。
ですから、今回の高校無償化法案というのは、そういう意味で積極的にとらえれば、これは、大学入学試験まで、あるべきこれからの将来における人材像としてどうするかということを、ここまで文部科学省が同時に考えていくことが、ただの無償化ではなくて、必要であると私は思うんです。
ですから、ぜひこれは、中教審等にも審議してもらったり、文科省としても、大学入学試験のあり方そのものを抜本的に見直すという機会としてとらえて検討されたらどうでしょうか。我々もちろん協力しますけれども。