義家弘介の発言 (少子高齢化・共生社会に関する調査会)

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○義家弘介君 自由民主党の義家弘介です。
 この調査会に三年間属しながら、様々な角度からこの少子高齢化・共生社会に関して、コミュニティーに関してのこと、議論が行われてきたわけですけれども、私自身思うのは、まず、ならばこの国がどういう方向性に向かっていくのかというしっかりとした旗がないと、各論を議論していてもその方向に進んでいかないような気がします。
 例えば、少子化の問題、私も幼い子供を持つ一人の親ですけれども、じゃ、少子化対策って具体的にはどうすればいいのかという中で、子供の保護者たちとも話しますけれども、例えば、これも一つの意見で、そうじゃない意見ももちろんありますけれども、子ども手当が配られたからといって少子化対策にはならないよねという話も当然出てくるわけです。
 つまり、月々一万円、二万円渡されたから、じゃ、もう一人子供をつくろうと考えても、大学に行ったら大体、首都圏の子は自分の自宅から通えるという者もいるかもしれませんが、田舎の方から東京の大学に出ていくとなると、一人頭どのぐらい掛かっていくのと。そういうふうに二十年後、三十年後のことを考えるとなかなかつくろうと踏ん切れないと。一方で、さあ余裕ができてつくろうと思ったら前の子との年齢差が物すごく空き過ぎちゃって、このまま子育てしたら定年後になってしまうからやっぱりやめておこうかというような状態にもなっている。
 例えば、少子化対策で出生率を上げるというならば、じゃ、具体的には第二子に対してどのぐらいの手当てをするのか、あるいは第三子に対してどのぐらいの手当てをするのか。そういう目標、目的そして具体的ビジョン、効果を持って政策というのは進めていかなければならないだろうなと私自身は感じております。
 そしてまた、高齢化の問題もそうですけれども、先ほど水岡先生が団塊の世代のお話をしましたが、間もなく団塊の世代が年金受給年齢になるわけです。そして、それをお支えする現役世代の数が、ある意味では二人の現役世代で一人の高齢者をお支えするという社会がもう目前にやってきているわけですね。
 そうすると、私は大学でも今教鞭を執っていますが、学生はこう言うわけです。一人の高齢者が安心して暮らすためにはやっぱり二十万円ぐらいは必要だと思いますと。つまり、二人で一人の高齢者をお支えするには、僕らは十万円負担しなければなりませんよねと。しかし、僕らの初任給は二十万弱ですと。そこから十万円出ていったら僕ら自身が生活ができないし、結婚もできないしというような状態になるわけですね。
 つまり、高齢化、高齢者の方々と会えば会うほど思うんですが、本当に見識のあるばりばりの六十代、七十代という人がたくさんあふれているわけですね。つまり、高齢化、高齢者と言わずに、この人がどういう役割を担えるのか、そしてこの人たちを、あるいは助けを必要としている人をどういうふうに支えられるのか、このすみ分けの議論もしっかりした上で、その頑張れる人、自助の上で生きていける人が尊敬されるような地域づくり、これは一番必要であろうと思います。
 いずれにしても、子供が減って団塊の世代等が年金受給年齢、高齢化していく中で、この社会を抜本的に未来、二十年先、三十年先のビジョンを持って変えていかなければならない過渡期にあると思いますので、一つ一つの議論は非常に重要であったなと思います。
 その上で、共生社会、これも同様でして、どういう日本という国をつくっていくのか、どういうふうにきずなを再生していくのか。
 私はよく、日本は得意なんですけれども、何でも横文字でコミュニティーなんて言うわけですけれども、じゃ、コミュニティーとは何ぞやという話なんですね。私自身は、これをやっぱり突き詰めたら、きずなだろうと。一人と一人、近所と近所のきずなというものを大切にする。じゃ、きずなって何だろうといったら、突き詰めたら、私は最後は感謝だと思うんですね。
 そういう感覚でいくと、ありがとうが言えない子供が多いですね、子供ともよく接していますけれども。ありがとうという言葉が日常的に出てくる教育現場をしっかりとつくっていくこと、これも非常に重要なことであろうなというふうに考えます。
 さらには、都市なのか郡部なのか。それぞれの地域地域でやっぱりこれは各論として結論を出していかなければならない重要なものだということを新たにしました。
 そして、最後に私自身の信念を言わせていただけば、私はある意味では自助というものに非常に失敗した少年時代を過ごしてきたわけですけれども、その上で学んだのは、自分がしっかりしていなかったらだれかを支えることなんかできないということをすごく学んだような気がしました。だれかに何かを頼る前にまず己がしっかりとしなければ、だれも大切なものを守れないということを人生を通して学んだような気がします。
 つまり、やはり自助は尊いことであり、誇らしいことである。自助、まずこれをしっかりと進めていく。すると、必ずそれが尊敬されれば助け合いの精神、共助の精神というものが生まれ、そしてそれでも足りないという部分が明確に地域や社会の中でなって、そこには集中的に温かい公助の手を差し伸べていくと。この前提に立った上でもう一回社会全体で考え直すべきなのではないかなと思います。
 ちなみに、私は子ども手当は受け取りません。
 以上です。

発言情報

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発言者: 義家弘介

speaker_id: 21608

日付: 2010-04-21

院: 参議院

会議名: 少子高齢化・共生社会に関する調査会