友近聡朗の発言 (少子高齢化・共生社会に関する調査会)
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○友近聡朗君 ありがとうございます。
中山先生のすごいいいお話を聞かせていただきまして、ありがとうございました。
民主党、多分私が最後になると思いますが、私も一児を育てる父親として、私は子ども手当をもう早速申請してまいりましたので子ども手当はもらえると思いますけれども、子育てに、これから第二子もつくってまいりたいなというふうに思っております。(発言する者あり)三子も頑張れということなので、三子も頑張れればいいなというふうに思っています。
少子高齢化とコミュニティの役割ということで、いろんな皆さんのお考えを聞かせていただいて大変参考になりました。
私自身、コミュニティーというのはいわゆる人と人のつながりだというふうに思っています。先ほど義家先生からきずなということも言われましたけれども、きずなという字は糸に半分の半と書きます。糸はどっちかが力強く引っ張ってしまうと切れてしまうと思います。その意味では、お互いに相手の力加減を考えながらきずなをつくっていかなければいけないのかなと。それは国と地方でも一緒ですし、人と人との関係も同じではないのかなと思っています。
そして、尊敬する田名部先生そして荻原先生、オリンピアン二人を交えまして、私も、スポーツを通してコミュニティーのお話、今日はちゃんとした、ちゃんとしたというか、堅い文章を持ってきたんですけれども、スポーツのお話を体験談を交えてお話しさせていただければなというふうに思います。
先ほど荻原先生から総合型スポーツクラブのお話がありました。皆さんにも少し考えてもらえたらと思うんですが、総合型スポーツチームというのは余り聞いたことないんだと思います。
何でクラブかということなんですが、ここに明確な答えはないと思うんですが、スポーツジャーナリストの二宮清純さん、私と同じ愛媛の、ふるさとが同じでよく話するんですが、チームというのは目的を達成すると解散してしまう、いわゆる何かの大会に向けて、終わると解散してしまう。日本のオリンピックチームもそうかもしれませんけれども。
クラブというのは家族で、家庭であり、これは解散しないと。たまに解散する家庭もありますけれども、基本的にはまず解散しないのがクラブだということで、私も所属していましたJリーグというのはクラブという名前を使います。当初、発足したとき十クラブでしたけれども、今は三十七クラブまで増えました。
分かりやすく言えば、総合型スポーツクラブというのはデパートと同じだと思います。私も幼少のころ、出かけるときに親に手を引かれて連れられて、わくわくしながらデパートに行ったのを覚えています。そして、それぞれの身の丈に合ったお店があって、それぞれが楽しめると。そして、また手を引いて帰っていくという意味で、チームとはまた少し違うのかなと思います。
そして、私は二十五歳くらいのときにドイツに留学していました。ある友人が遊びに来まして、友近、ブンデスリーガを見に行こう、日本でいうとJリーグですが、見に行こうと言うので、僕はまだ見に行ったことありませんでしたが、アウトバーンで車を運転しながらスタジアムに、カイザースラウテルンという人口十万人の町に向かって車を飛ばして行きました。
そうすると、だんだん町に近づくにつれて、アウエーのチームとホームのチームの車が並走しながら、マフラーを車に挟んで走っているのでどっちのサポーターかというのがすぐに分かります。そういう人たちが中指を立てたり雄たけびを上げながら、だんだんスタジアムに近づいていくんですけれども。
今は日本でも大分浸透してきましたけれども、パーク・アンド・ライドと言って少し遠くに車を止めて、バスに乗って、そこはもうホームもアウエーも入り乱れて、前節の試合などがテレビで放映されながら、フリッツ・バルタースタジアムは小高い丘の上にありましたので、ナイターの試合でしたので、そこだけがスポットライトを浴びて宙に浮いたようにスタジアムが見えていました。
そこをぐうっと上がっていって、みんなが歌を歌いながら、一人、二人だったのがだんだん集団になっていって、だんだんわくわくしながらスタジアムに行きました。
マッチ箱のような切り立ったスタジアムで、日本のスタジアムは陸上競技場があるところが多いので少し見づらいところもありますが、身を乗り出すと転げ落ちそうなスタジアムでした。サポーターの皆さん全体が手拍子と足の踏む音とあと声、太鼓とかそういうものは鳴り物は一切なしで、わあわあわあという声がスタジアム全体にこだまするんですけれども、その振動がスタジアムいっぱいに鼓動がわあっと下から込み上げてきて、僕が全身で受け止めたときに両腕を見たら、鳥肌がぶわっと立っていました。
僕がそのとき思った感情は、このクラブを、このチームを応援していけば、僕は一生幸せに生きていけるだろうと思いました。自分がプレーヤーとして点を取って鳥肌を立てたことはありましたけれども、スポーツを観戦して鳥肌を立てたというのは初めての経験でありました。
翻って、日本にはそういうのがあるのかなと考えたときに、例えば私はナイターの世代で育った世代ですけれども、祖父や父は、阪神とか巨人の試合を見て、今日ごひいきのチームが勝ったといえば美酒を飲んで、負けたといってもやけ酒を飲んで、勝っても負けてもお酒は飲むんですけれども、そういったごひいきのチームがあることによってその家庭や地域の生きがいになるというような、そういうものが野球にはあったなと。
じゃ、自分は何ができるだろうというので、まずプレーヤーとして、まだその当時地元に、ふるさとにJリーグのクラブをつくってみようというのが私の夢に、トライになりました。
そのスタジアムを見に行った後、僕は四部のチームと七部のチームに所属したんですが、ドイツで、七部のチームというと町対町の、永田町対霞が関ぐらいの対決になるんですけれども、それでも芝生のグラウンドがきちんとあって、クラブハウスがきちんとあって、毎週木曜日には市の芝生の手入れをする人たちが周りに来て、金曜日にはブンデスリーガのごひいきのチームの試合をテレビやスタジアムで見て、日曜日には午前中ミサに行って、午後にはおらが町のチームを応援に行くというライフサイクルがあったんですが、そこで、スーパーもデパートも休みで、子供たちが親に手を引かれて、みんなの憩いの場になっていました、そのクラブが。
そして、そこでパラソルを広げてデッキを広げて、ソーセージを焼いてビールを飲んで、試合はとっくに終わってもその輪は解けずにみんながいろんな話をして、夕刻になるとだんだんその輪が少しずつ解け始めて、またみんな自分の家庭に戻っていっていました。ああ、彼らは人として豊かに生きているなということをヨーロッパですごく感じました。
そして、地元に帰って、一つのキャッチフレーズを掲げました。愛媛にJリーグができればそこがディズニーランドになるという長いキャッチフレーズなんですけれども、掲げまして、友近さん、それどういう意味ですかとよく聞かれました。
田舎の愛媛に本当にディズニーランドができるわけないんですけれども、皆さんもディズニーランドに行ったことあると思いますが、いわゆる非日常的な空間で、子供たちからお年寄りの皆さんまであの非日常な空間を楽しめると。外の世界が一切見えなくなっている。
いろんな要素がありますけれども、僕にとってのディズニーランドというのは、愛媛の人がディズニーランドに行くとき、半年ぐらい前から計画立てます。お父さんの休みをいつ取るか、お母さんは家計のやりくりをして、子供たちはガイドブックを広げて日めくりカレンダーを作って、ああ、お母さん、お父さん、夏休みが来るのがわくわくするねと。
家族がそういった一つの幸せ、そういったディズニーランドへ行けるというのを目標に家族の会話が広がって、またつながっていくというようなことで、そのキャッチフレーズを掲げさせていただきました。
今では有り難いことに、本当に御年配の方、お孫さんとの会話がそのごひいきのクラブで話題が広がるとか、そのごひいきのクラブのユニホームを着て、孫とおじいちゃんとおばあちゃんが手を引いてそのクラブの試合を見に行くというような光景が私のふるさとでも見受けられるようになりました。
その意味で、すごく、先ほどアイデンティティーの話もありましたけれども、戦争を知らない僕たちの世代、僕が初めて日本というのを意識したのは二〇〇二年のワールドカップのときでした。その意味では、本当にスポーツというのにはすごい力が秘められているなというふうに思います。
そして、中山先生が先ほども言われたように、やはり家族というのが僕は一番の核、基になると思っています。この街に生まれて良かったと思えるようなふるさとづくりをしたいという意味でスポーツの方から政治の舞台にピッチを私は移したわけなんですけれども、お父さん、お母さんの子供に生まれて良かったと言ってもらえるのが家族の幸せじゃないかなというふうに思っております。
地元の歌に、この街で生まれてという歌があるんですけれども、この街で生まれて、学校に行って、恋をして、結婚して、子供ができて、おばあちゃんになりたいというような歌ですけれども、そういったことをまたスポーツを通して皆さんと一緒につくっていければいいなというふうに思っております。
まとまらない意見になりましたけれども、以上で私の意見の表明を終わらせていただきます。