有田芳生の発言 (北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会)
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○有田芳生君 有田芳生です。私は、民主党政権に入ってからの拉致問題、そして脱北者問題などについてお尋ねしたいというふうに思います。
昨年の三月に拉致被害者家族連絡会の代表である飯塚繁雄さんが韓国を訪れました。そのとき、大韓航空機事件の実行犯である金賢姫元工作員と会いました。そのとき飯塚さんは一枚の女性の写真を元工作員に見せました。この人を知っていますか、そう聞いたところ元工作員は、見たことがあるというふうに答えました。それ以上なかなか話が進まなかったというのは、飯塚さんにお話を伺いますと、周りにいろんな方々がいらっしゃって、なかなかそれ以上進めることができなかったというふうにおっしゃっておりました。
それから一年四か月、今年の七月二十日から二十三日まで、金賢姫元工作員が日本を訪れました。そのとき、大きなマスコミでも話題になりましたけれども、ある政府関係者がやはり一枚の写真を金元工作員に見せました。そうすると金工作員は、この人は私が見た人に間違いないというように証言をしたというふうに私は確認をしております。
金元工作員は、皆さん御承知のように、工作員に養成されるときに、まずは平壌外国語大学で日本語を学びました。その後に金正日政治軍事大学で日本語を学びました。これまた、もう既に御承知のように、二回目の金正日政治軍事大学での日本語の教師は、後に分かりますように李恩恵、すなわち田口八重子さんということが明らかになっております。
じゃ、一番初め平壌外国語大学で習った人はだれなのか。そのことを金元工作員は崔順という日本人女性だという証言をしております。チェ・スン、崔順と書くんですよね、崔順さん。この方に日本語を教わったということを証言しております。日本にやってきたときにもそういう証言をしたということを私は調査を経て確認をしておりますけれども。
一方で、実は、青森県出身で秋田県で看護学生をしていた木村かほるさんという方がいらっしゃいます。木村かほるさんは一九六〇年の二月二十七日、日赤秋田高等看護学校三年生のときに、卒業式を十日後に控えて、ちょっと出てくると寮を出まして、そしてそのまま姿を消してしまいました。その彼女、木村さんが出かけていくときには、看護学生の教則本である看護必携を持って出ていった。以前も遅くなったときに、寮に帰ってきて、どこに行っていたのという質問を受けたときに、いや、海で夕日を見ていてきれいだったよというような証言もなさっていらっしゃるんですが、この木村さんが一九六〇年の二月二十七日の夕刻ぷっつりと姿を消してしまって、当時捜査をされた人たちによると、まるで神隠しに遭ったというようなことをおっしゃっておりました。
この木村かほるさんが、一九六〇年秋田から消えたんですが、先ほど申しましたように、去年の三月、飯塚家族会の代表、そして今年、金工作員が日本にやってきたときに政府関係者が写真を見せた、その女性というのはこの木村かほるさん、一九六〇年当時は二十一歳なんですよね。そのことについて、柳田大臣、承知されていますでしょうか。