石田省三郎の発言 (法務委員会)
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○石田参考人 弁護士の石田でございます。
現在問われている検察のあり方をめぐる問題は、突き詰めて言いますと検察による取り調べのあり方をめぐる問題であり、さらに言えば検察官調書のあり方をめぐる問題であると私は考えております。そして、改革されるべき目標を一言で言えば、検察権の行使に対するリアルタイムの外部検証のシステムの確立をすべきであるというのが私の基本的な見解であります。
今般のいわゆる厚労省事件は、証拠改ざん問題に目を奪われがちです。しかし、それとともに重要な点は、多くの検察官調書と客観的証拠との間に重要なそごがあった点であります。この事件では、当初検察が描いていた見立てに沿う検察官調書が強引に作成されております。問題となった検事だけではなく、他の取り調べ検事によっても見立てに符合させる誘導的取り調べが行われております。
裁判所の証拠決定によると、多くの主要調書について、任意性、特信性が否定されるなどしてその取り調べ請求は却下されているのであります。任意性、特信性が否定される取り調べが複数の検察官によって行われていることにこそ問題の本質があります。
現在の事態は、特捜事件に限らず刑事事件全般にわたって、捜査機関が取り調べに頼り、あるいは供述調書を過度に重要視する現状に由来をしております。最近の再審事件を例にとるまでもなく、このような取り調べは今に始まったことではないことは改めて指摘するまでもありません。とりわけ、構成要件に当てはまる一定のストーリーをつくり上げて、それに沿う供述調書を強引に作成する捜査手法が問題とされなければなりません。
それに加えて、刑事訴訟法三百二十一条一項二号を拡大解釈して、任意性や特信性要件を緩和していること、その上で、検察官調書を有罪立証のための証拠として採用することによって、これを無批判的に容認してきた裁判のあり方が問われているのです。
不当、不法な取り調べによる冤罪事件が後を絶たないのは、さまざまな要因が考えられます。長期勾留、起訴前保釈が認められない法制度や刑事訴訟法三百二十一条一項二号の拡大解釈などにも問題がありますが、最大の問題は、取り調べやこれに基づく起訴がリアルタイムに検証されていないところにあると考えます。
もちろん、これまでにも調書の任意性、信用性が否定された事案が多くあります。しかし、従来は、公判における事後的検証であるため、それが明らかになるまでにおびただしい時間と労力を要したことは先例が示しているとおりであります。
私は、一九七三年に弁護士登録をして以来、土田・日石・ピース缶爆弾事件や松戸OL殺人事件などの冤罪事件など、あるいはロッキード事件やリクルート事件などの特捜事件の弁護に携わってまいりました。その経験から学んだことは、調書裁判の弊害と、これを解決するためには、弁護、特に捜査段階での弁護を実質的に充実させるべきであるということでありました。私の意見の根底にあるものは、検察権は基本的に国民の負託に由来するものであるということです。言葉をかえて言えば、検察権は検察官によって国民を代理ないし代表して行使されるものであるということです。
検察庁法が、検察官を公益の代表者としているのは、検察官に国民の負託にこたえて正義を行うべき義務を負わせていることを意味しております。つまり、検察権を行使する検察官と、その相手方である被疑者、被告人は、対等な当事者として扱われなければなりません。それは、捜査、公判等すべての刑事手続の過程において、被疑者、被告人を検察権行使の客体でなく一方当事者として認めるということです。
検察権が適正に行使されているかどうかは、常に国民のコントロール下に置かれなくてはなりません。そして、そのための仕組みが考えられなくてはなりません。訴訟手続の中で、その具体的、実質的役割を果たすのは、弁護権にほかなりません。
これらのことから、現在抱えているさまざまな問題について一定の結論を導き出すことができます。
これまでは、自白の信用性の判断をいかに厳密に行うかという、事実認定の適正化による裁判所のチェックに重点が置かれてまいりました。これが精密司法というものであります。裁判官が御苦労されたところであり、これが一定の役割を果たしてきたことは事実であります。しかし、このようなことにとどまっている限り、供述調書依存型の検察権の行使から脱却することはできません。
調書中心の検察捜査の根本的改革のためには、第一に、捜査過程における弁護権による検証システムを構築すること、第二に、供述調書の任意性、特信性立証を客観化することなどが図られるべきであると考えます。
問題の病根は、前近代的な密室での取り調べをしていること、そして検察官調書を特別扱いしている刑事訴訟法三百二十一条一項二号にあると考えます。これを基本的に見直さない限り、抜本的な検察改革はあり得ないと考えております。
既に、さまざまの冤罪事件を通じて、我が国では、供述調書に依存した捜査、公判からの脱却が必要であるとのコンセンサスができ上がっていると思います。そのもとで、当面の方策としては、調書裁判の過程のうち、その作成段階と任意性、特信性の立証段階の制度改革を行うこと、これが検察による捜査のあり方を改革する上での最低限の方策であると考えます。
まず、調書作成過程については、適正手続を確保するためには、被疑者取り調べに際しての弁護人立ち会い権を認めることにより、問題は基本的に解決をいたします。そして、取り調べの全過程の録音、録画はこれを補完するものとして機能します。
次に、任意性、特信性の挙証問題です。
言うまでもなく、検察官調書には任意性がなくては証拠能力が認められません。そして、三百十九条一項の任意性、三百二十一条一項二号の特信性の挙証責任は検察官にあります。
現在では、取り調べ検察官などが取り調べ状況を法廷で証言させることにより、この立証が行われております。このため、法廷では常に被告人などと検察官双方の法廷証言、法廷供述は水かけ論になります。これによって余計な労力と時間がかかり、裁判所の負担となっております。検察官にとっても、虚偽供述リスクを抱えるなど大きな負担となっております。
私が弁護に携わった、土田・日石・ピース缶爆弾事件は約九年、リクルート事件は約十四年間のほとんどの法廷がこのような作業に費やされていたわけであります。その原因は言うまでもなく、密室の中で取り調べが行われていることに起因しております。
しかし、このような証拠調べで任意性、特信性を判断することは極めて非効率です。また、検察官調書の証拠能力を認めた上で、その信用性判断をするという傾向に傾いており、調書裁判を一層助長しております。しかも、検察官にも二重の過ちを犯させることになっております。
アメリカの有名な裁判官であったジェローム・フランクがその著作の中で、この点について次のように述べています。「拷問は、拷問者を偽証者たらしめる。つまり強制された自白に対する証人として召喚される場合、彼は、強制がなかったと偽証することを余儀なくされるのである。」と言っていますが、その見解は万国共通のものであると思います。
我が国で任意性を否定した裁判例は、基本的に取り調べ官の法廷証言を排斥しているのです。
被告人の自白調書や検察官調書が伝聞法則の例外として特別扱いされるのは、任意性あるいは特信性が明確に認められる場合です。
したがって、検察官の法廷での虚偽供述を排除する唯一の方法は、検察官調書の証言によらない任意性、特信性の立証システムをつくることです。つまり、その立証方法を、弁護人の立ち会いの事実あるいは録音、録画などの客観的証拠に限ることによって初めて刑事訴訟法の規定が適正に運用されることになると考えます。弁護人の立ち会いと証拠方法の制限によって、これらの問題は一挙に解決するものと考えられます。とりわけ、弁護人の立ち会いは、直接的には何の予算措置も必要がないわけですから、いつでも実施をすることができます。
現在、主として録音、録画が議論されてきましたが、究極の可視化が弁護人の立ち会いであることは疑う余地がありません。韓国や台湾においても、録音、録画と同時に弁護人立ち会い権が法制化されたのも、このことを示しております。そして、このことが同時に、調書裁判の弊害からの脱却、つまり供述調書に過度に依存した捜査、公判からの脱却のための最も有効な方策となります。
検察の在り方検討会議の提言では、これらの議論は法制審議会の場に移ることとされております。しかし、本日私が述べさせていただいた問題は、理論的にも実務的にも既に議論が出尽くしております。検討会議での提言は、「広く国民の声を反映するとともに、関係機関を含めた専門家による立ち入った検討」の必要性を言っております。しかし、国会こそ幅広い国民の意見を集約する場であります。しかも、立法の専門家の方々の集まりであります。いまだ始まらない審議会での議論に丸投げ的にゆだねることなく、国会の皆さんがこの問題に主体的に取り組んでいただきたいと思います。
昭和二十三年に新たな刑事訴訟法が制定されて六十三年がたちました。それ以来の最重要懸案事項の一つであるこの問題を解決すべき歴史的な役割を担われることを切に望んで、私の意見といたします。
ありがとうございました。(拍手)