田中滋の発言 (国民生活・経済・社会保障に関する調査会)

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○参考人(田中滋君) 慶應義塾大学、田中滋でございます。
 本日は、参議院国民生活・経済・社会保障に関する調査会にて見解を述べる機会をいただき、深く感謝申し上げます。私はパワーポイントを使いませんので、お手元のとじてある資料を御覧ください。
 本日のテーマは、地域からみた社会保障と雇用の課題であります。この課題は三つのキーワード、地域、社会保障、雇用から成り立っています。この組合せを考えると、次の三つの種類は本日の議題ではないと考えました。それらは、一、地域との結び付きの弱い社会保障、それから、二、雇用と結び付かない社会保障、三番目、社会保障と関係しない単なる地域雇用、これらは重要な課題ではありますが本日のテーマではないととらえました。
 社会保障分野の中で、まず当然ながら公的年金には特定の地域との関係はありません。国民年金は住む地域が違っても同じ保険料が課されます。厚生年金、共済年金は、住む地域が違っていても同じ標準報酬額であれば保険料額は同一です。また、どの年金についても、住む場所を移っても支給額は変動しません。
 一方、医療の世界における地域とは、大体のところ、人口サイズでいうと数十万人から二百万人に上る二次医療圏を指します。これが医療における地域です。医療提供体制はこの単位で地域完結が目指されています。ただし、そこと社会保障制度とのリンクは薄いと言っても間違いではありません。
 これら年金、医療に比べますと、介護保険の地域とのつながりは大変強いものがあります。介護保険の保険者は御存じのように市町村です。地元のサービス提供体制、ひいては雇用、就業にも大きな影響を持っています。また、介護の世界における地域の単位は非常に小さいです。後述する地域包括ケアシステムがいう地域とは日常生活圏域を意味し、これはおよそのところ人口一万人の中学校区に当たります。つまり、多くの様々な産業、自動車を筆頭とする日本のいろいろな産業とは違い、介護分野は小さい単位での地元の雇用と就業を支える機能を持っています。
 なお、社会保障についても一言触れておきます。
 社会保障の役割、期待は、私どものこの分野の学者からすると決して弱者保護のためにあるものではありません。社会福祉は確かに経済的、社会的弱者の方のために存在しますが、社会保障は、根源的には社会の安心、安全を守る社会的な装置としてつくられてきました。
 一般に、国家、社会の安全は二つの次元で考えることができます。一つは、対外安全保障と対内安全保障です。対外安全保障は外交と国防、対内安全保障はまさに防災ですね。治山治水そして治安、この二つであります。二番目が生活保障ですね。これが国家、社会の安心、安全の基です。
 近代社会におきます生活保障は、ヨーロッパ、アメリカ、日本あるいはアジア、オセアニアの先進国を見ると、就業保障と社会保障によって成り立っています。まさに本日のテーマは的確だと感じます。
 就業保障の方法は、雇用でもいいし自営業でも構いません。よって、就業という言葉を私はわざわざ雇用の後ろに付けて書きました。両者は共に働く保障ですね。雇われるだけが働き方ではないですから、雇用・就業です。
 雇用・就業には二つの視点が可能です。一つは、社会保障分野における雇用と就業の意味があります。もう一つは、社会保障によって支えられた本人あるいは家族が労働市場に参加できることになるという意味の雇用との関係で、二つそれぞれ役割があります。
 続いて、二のところです。
 介護分野の中でも、なぜ特に地域包括ケアシステムを取り上げるかを説明申し上げます。
 それを説明するために、主な社会保障制度の上位の目的を比べてみました。
 年金保険制度は、高齢期及び障害を負ったなどの理由により就業機会が減ったときの所得保障です。したがって、雇用を増やすための装置ではありません。雇用されなくなったときのための安全保障装置です。
 一方、医療保険制度は、病気やけがという不幸に加えて、そのための治療費負担ゆえに家計が不幸に、貧困に陥る事態を防止することが目標です。二重の不幸です。病気やけがはそれ自体うれしくないことですが、プラス治療費負担への貧困という二重の不幸を避けることが目的です。
 十九世紀後半に先進資本主義国で医療費保障が始まった理由は、まさに貧困化防止、貧困化防止による社会の安定、ひいては資本主義経済の発展でありました。たまに誤解している人がいて、社会保障は社会主義の一部だと思っていらっしゃる方がいますが、むしろ社会保障は、資本主義経済あるいは市場経済と言ってもいいですが、その発展のベースとなるものとしてつくられてきました。社会保障は市場経済の阻害要因と説く市場経済原理主義の経済学者がいないわけではありませんが、彼らは歴史を知らないと言わざるを得ません。
 現代は、それに加えて、医療の進歩を受けて、医療サービス提供費用を補填する機能、つまり病院や診療所への支払が重視されるようになりました。この機能の一部はまさに従事者の人件費を支えるとの意味で雇用と就業に深く関係しています。
 介護保険制度の上位目的は、何より要介護者の放置状態を防止することでした。一九九〇年代まで要介護者は放置されている例が珍しくありませんでした。初めから提供体制とセットにしてつくられてきましたから、保険発足時から介護サービス提供費用の補填機能が意識されていました。こちらは医療と違って、その多くが従事者の人件費に充てられています。もう一つ、要介護者の家族が労働市場から退く事態を削減してきました。また、本人が勤労世代であれば、就業できるように支援する側面も介護では重要です。最後に、介護は、生活を支える以上、基盤には地域のコミュニティーづくりという視点を伴っています。これが年金や医療との違いですね。
 したがって、本日のテーマ、地域からみた社会保障と雇用の課題に最も合致した対象は地域包括ケアシステムと考えた次第であります。
 次のページに参ります。一枚おめくりください。
 地域包括ケアシステム、これは閣議決定までされた日本の二〇二五年の地域社会の在り方です。この定義は進化し続けていますが、現時点で私は次のようにまとめております。ここに書かれているとおりです。
 一、ニーズと需要を反映した住宅の提供がベースです。二番目、三十分以内の日常生活圏域、先ほど言いました中学校区が大体の標準です。目的。安心、安全に生活していく上で必要なこと、中身は医療、介護、予防、それから加えて、生活支援、福祉などの多様なサービスが、六番はとても大切で、英語で言えばコンプリヘンシブでコンティニュアスでシームレスに適切に利用できる体制、これが地域包括ケアシステムの理想像ですね。
 目標年は二〇二五年であります。具体的には、団塊の世代が全員七十五歳を超える年です。その後十年間、我が国は未曽有の多死社会、たくさんの亡くなる方が出る十五年間を迎えます。その入口のところまでにこれをつくっておく必要があります。
 単に実務的な制度ではなくて理念がありまして、理念は自立支援です。要介護者の尊厳ある自立を重層的に支援するという理念があります。背景にある原則は、利用者、要介護者の自己能力の活用、御本人による選択、そして住み慣れた地域、住宅における生活の継続であります。
 これを動かしていく動力は社会保障制度だけではありません。地域包括ケアシステムの動力、動かす力は、自助、互助、共助、公助という四つのモーター、四つの支援です。この順番は大切です。これを我々の専門用語では補完性原理と呼びます。何か問題が起こったときに、医療ではしばしば見られますが、対症療法タイプに何かばんそうこうを張る政策は長続きしません。やはり原理から組み上げている政策の方がはるかに頑健であることは経験からも確かだと思います。
 自助とは、生活面では自分が主体となっていくことですし、金銭面では年金などの収入によって自らを支えることであります。自助のない社会は長続きしません。これはどの国でも同じであります。自助は基本に位置します。ただし、裸の自助、自助だけですと社会は分断され、長続きしません。そこで、様々な先ほど言いました重層的なヘルプが必要です。
 互助はインフォーマルな助け合いを指します。誰もが参加できます。日本でも昔から近隣の助け合いがありました。現代では、ボランティアやNPO法人、若者たちが積極的に加わっていますし、東北の現在の姿でも、被災者の方の間でも強い互助が働いている様子はかいま見ることができます。また、アメリカで特に行われる多額の寄附なども互助に含まれます。
 この分野ですと、要介護者であっても地域に貢献することは可能です。介護分野に対して、独居高齢者を見守る、楽しみのための外出支援、近隣住民による昼食会、保険給付外の家事援助などが要介護者に対する互助ですし、要介護者であっても、認知症の方であっても、子供の世話を手伝うとか、子供たちと放課後のスクールで一緒に歌を歌う、小学生を放課後に預かって勉強を教えるなどはまさに互助に当たります。
 三番目の共助、これはフォーマルに定められた、正式に定められた相互扶助制度です。具体的には社会保障制度です。
 共助は、互助によってできることとは規模が全く異なります。今回の東北大震災で集まっている募金が幾らになるかという予想を昨日見ましたが、大体一兆円に達するのではないかと言われています。でも一兆円です。年金制度は年間に五十兆円に及ぶ金を毎年出しています。医療保険は三十兆円台の前半、介護保険でいうと八兆円近く、この金額は互助では不可能です。強制徴収権を伴う、しかし別会計ではっきりとした共助の仕組みが必要です。こういうときに国家が直接勧誘を行うのではなく、保険料納入の見返りとしての強い権利性を持った別建ての会計をつくっておくことが意味があります。
 最後は公助でありまして、公助は自助、互助、共助の三つでは対応し切れない困窮した独り暮らしの重度要介護者などに対して言わば社会福祉的に助けることですし、それから行政が地域ニーズを把握することですし、最後は行政が、行政というのは自治体ですが、自治体が地域経営を果たす、これらは公助に当たります。
 地域包括ケアシステムの要素が二ページ目の下から書いてあります。地域包括ケアで大切な点は、地域包括ケアではなく地域包括ケアシステムである点です。個別のサービスの整備だけでは地域包括ケアシステムはできません。ある製品を作るのに部品がたくさんあればいいとは言えませんね。部品の合計が製品になるわけではないからです。部品を組み合わせたり、調整したり、連動したり、連携したりするようにします。その工夫がなければ製品とは言えません。組み合わせたり、調整したり、連動させたりするところにはコストも掛かります。時間も掛かります。組合せ方を間違えるリスクもあります。だから、連動させていくところのマネジメント力、コーディネート力が必要です。また、それをパッケージ化したり、モジュール化する視点が重要です。地域包括ケアシステムとは、現場のサービスが幾つではなくて、それを組み合わせる力のところも重視しています。
 次のページにお移りください。次のページは、地域包括ケアの代表的な要素が書かれています。
 なお、最後の方に参考資料というところがありまして、これは現在何が足りないかが一ページ半ぐらいにわたって書いてありますが、今日は触れません。
 地域包括ケアシステムの主要な要素を書きましたが、全部を触れている時間はございませんので、大切な点だけ触れていきます。
 まず第一に、介護の意味の軽度者、中度者のQOLを高めるサービスはリハビリテーションです。介護保険をつくっている努力をしていた九〇年代には、リハビリを先に置くリハビリ前置主義、前に置くと書いて前置主義が介護保険の思想だと言っていたんですが、始まったときに、寝たきりの方々にともかくサービスを提供することが先であったためか、リハビリは今、表から消えています。しかし、これからは、軽中度者のQOLのためには何といってもリハビリが第一であります。
 もう一つ、中軽度者のために大切なサービスとして小規模多機能施設があります。
 重度者が自宅にいたい気持ちを可能にする方法が必要です。これを専門語では在宅限界を高めるというちょっと難しい言い方をします。在宅限界を高めるためのツールは、もちろんいろいろとありますが、切り札は真ん中辺にあります星印の付いている定期短時間巡回・随時対応、訪問介護看護とひどい名前なんですけれども、法律にはそう書いてあります。要するに、長時間滞在してお世話をするのではなく、ピンポイントで一日何回か行くサービスです。そして、必要ならば随時対応する。事前に入念に組まれたケアプランでこの形を行うと、サービスはずっと安定することが北欧などの実験で分かっております。これは重度者の在宅限界を支える重要なサービスです。
 もう一つは、日本で余り発達しなかった訪問看護サービスであります。この二つが重度者を支えます。
 そして三つ目、一番下の方に書いてありますターミナルケアを指摘します。
 これは介護の重さとはちょっと違いますが、軽度者、中度者、重度者とはまた別な軸で、末期のところの人々を急性期医療を使わずにきちんとみとるサービス、これがかなりの数必要です。年間百六十万人亡くなる時代に、もちろん急性期医療で亡くなる方、心臓発作とか脳卒中の治療の途中で亡くなる方はおられますが、がんで亡くなる方が半数ぐらいになってくるでしょうから、そのうちのまた半分、例えば四十万人は何も急性期医療を使って亡くなる必要はないわけですね。在宅、施設あるいは居住系サービスなどで家族にみとられながら最期の時を過ごす。これをケアできるサービスを今から組み上げていく必要があります。それがこの下に書いてあります介護分野の将来の意味であります。
 介護分野は、遡って見るに、九〇年代は寝たきり老人をなくすということを目標としてきました。そして、その始まりが二〇〇〇年でした。介護保険が始まってみると、介護になる状態は防ぐことができる人たちがいる、全員ではないが防ぐことができるということをうたったのが二〇〇三年の報告書です。これを基に二〇一五年の介護というシステムづくりが行われました。
 次に、二〇二五年、先ほど言いました団塊の世代が七十五になるときを見極めて、二〇〇九年、一〇年の二年間を使って地域包括ケアシステムの設計図を書きました。
 次は、最後が、エンド・オブ・ライフ・ケアあるいはクオリティー・オブ・デスという言い方をしますが、尊厳ある死をみとるための。急性期医療で闘えば助かるかもしれない医療の場合にはもちろん闘うべきですが、闘わないタイプのターミナルケアもあり得るので、その方たちの仕組み。これらはいずれも地域で支えていくことになります。
 では、話をまとめます。
 今日の課題である雇用ですね、雇用を先ほど言いました地域という言葉でつなげて考えると、介護分野は大変強いものがあります。被災地でも、まず介護は必要です。次に医療も必要、次にというか医療も同時に必要です。これらは、大きな産業が大きな町にできるとか、あるいは人里離れたところで工場で何百人が働くのと違って、普通に町の中で、町の家に伺うサービスであり、家にいる方々が歩いて通ってくるサービスです。
 つまり、地元に雇用、あるいは自営業を含めた就業をこれからも、高齢社会になっても、よほどのへき地でない限りかなりの過疎地でも維持することができます。それを単に個別のサービスを並べるだけではなく、地域包括ケアシステムというしっかりとした哲学の下に、また、その推進エンジンとしての介護保険制度を活用しつつつくっていくことは我が国の社会の広い意味の安全保障にとって大変重要であると考えて、本日お話しさせていただきました。
 以上でございます。ありがとうございました。

発言情報

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発言者: 田中滋

speaker_id: 19404

日付: 2011-04-27

院: 参議院

会議名: 国民生活・経済・社会保障に関する調査会