有田芳生の発言 (北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会)
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○有田芳生君 民主党の有田芳生です。
一九七七年、昭和五十二年、日本では福田赳夫内閣でした。日本の世相でいえば、巨人軍の王貞治選手がホームランの世界記録を打ち立てて、そしてちまたではピンクレディーが物すごく人気を誇っておりました。
その一九七七年の十一月十四日、横田滋さんが四十五歳の誕生日をお迎えになりました。新潟で日銀のお仕事をなさっていた横田さんは、朝お勤めに行き、そして夜早めに御自宅に戻ってまいりまして、早紀江さんそして横田めぐみさんなどと誕生会を開かれました。そのとき、横田めぐみさん当時十三歳は、お父さん、おしゃれにもっと気を付けてねということを伝えながら、ソフトケースに入った茶色のくしをプレゼントいたしました。
その翌日が十一月十五日、いつものように寄居中学校に通った横田めぐみさん、授業が終わった後にバドミントン部で友達たちと練習をして、夜の六時を過ぎたころに二人の友達とともに自宅に戻っていきました。そして、一人目と別れ、二人目と別れ、そして自宅まで角を曲がってあと数百メートルというところで姿を消してしまった。それが北朝鮮による拉致事件でした。
その十一月十五日、横田めぐみさんが拉致をされてからあしたでちょうど三十四年になります。その前日に、私たちがこのように拉致の特別委員会で超党派で党派を超えて拉致問題を解決しようと前向きに議論をすることはとても意義のあることだと私は考えております。
その十一月十五日、皆さん御承知のように、平壌では、ワールドカップ・ブラジル大会アジア三次予選が一九八九年六月二十五日から何と二十二年ぶりに開かれます。日本からは、オフィシャルツアーで七十名、その他のツアーで八十名、合計百五十名が平壌に向かいますが、この邦人保護についてまずお聞きをしたいと思いますが、外務省、どのような体制で邦人の保護に努められるのか、御説明をいただきます。