福井照の発言 (環境委員会)
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○福井委員 市町村は住民と一番近いところにいるので、特にごみなんというのは、市町村の固有の事務、自然人と同じように、自然の市町村に与えられた義務だというのはよくわかるんですね。大量であるから財政支援しろというのも、今までの経緯から見てわかるんです。
しかし、もっと根源的に政治の思想として、さっきからうなずいて聞いていただいているので、通告しておりませんけれども、もしコメントがありましたら大臣からぜひ聞いてみたいんですけれども、新しい黄金律というのがありますね。今までの黄金律は、なんじの欲せざるところ人に施すことなかれというので、人と人との関係、自分のやってもらいたいこと、してもらいたくないことをそのまま相手に対してもというのでは不足だということで、新しい黄金律というのは、自分がもらいたいと思う尊厳とかリスペクトと同じように、自分が存在している、属している社会に対して、コミュニティーに対して尊厳を与えなさい、自分が欲しいものをそのまま社会に対しても与えなさい、それは尊厳であるということで、コミュニタリアンというので、最近、サンデルの白熱教室というので、ハイエクの新自由主義からだんだん変わってきまして、まだ日本は新自由主義かもしれませんけれども、そのコミュニタリアンという政治思想というのが出てきて、徐々にふえているという、もちろんマジョリティーじゃないんですけれども、という状況です。
だけれども、個人個人には理性の限界があって、私自身も完全にでは本当に分別しているかと言われると、燃えないものも燃えるところへ入れたり、それは少しはしたということを告白せざるを得ないんですね。
理性と徳においてやはり個人個人は限界があるということについて、まさにそれが集団となって存在するときに、一人一人の個人のその限界をカバーするのは国しかないんだ、市町村でもできない、県でもできない、国という大きな権力でしか個人個人の限界を超えることはできない、だからあの東北のごみの法律、放射能の法律、そして今回の財政支援があるんだということを、政治思想として大臣在任中にぜひ明らかにしていただきたいと思うんです。
そういうふうに、政治思想として伊藤部長なり環境省全体をぜひ主導していただきたいなと。次の総理大臣として期待をしておりますので、そういう意味で、少なくとも環境省はそういうガバナンスがきいているということでリーダーシップを発揮していただきたいのと、それから、もうちょっと言うと、二つあって、一つはその政治思想の問題と、それからもう一つは、ガバナンスの問題がありまして、御存じでしょうけれども、昭和二十二年にGHQが日本をして廃止せしめたものが代表的に三つあって、一つは財閥、一つは内務省、一つは町内会なんですよね。
もともと町内会というのは、個人個人のインターフェースとして、完全に国の機関としてグリップしていたわけですね。戦争遂行ということは除いて積極的評価すると、こんないい仕組みはないわけ。こんないい仕組みがないから、GHQが日本をしてわざわざ命令書を出して廃止させたわけですね。
町内会、それから、都市でないところはそれぞれの集落ごとの会をつくったわけですけれども、そのガバナンス、特に、内務省も解体、町内会も解体ということで、それは原子力村がいいかどうかというのは別として、村社会、村落共同体というのが日本人の美徳であり、そこでお互いにチェックし合って、アイコンタクトがあって、だから、ここでぽいとごみを不法に捨てるということができないような仕組みが、内務省としてもあったし、町内会としてもあったわけですね。
内務省の呪縛というのがあって、それが解体されて厚生省になり、環境省になり、建設省になり、運輸省になりということになって、それぞれ、これは県のことです、それは市町村のことですということで、後ろを振り返れば誰かが答えるということで、直接の行政というのをやってこなかった。
ガバナンスとして言いたいことは、さっき言いましたように、国が直接やるんだ、税務署という国の組織が直接税金を取らせていただくように、国が直接直轄で、環境事務所でいいんです、環境事務所が発注をしてごみの処理をするという事案だと思うんですよ、この豊島とか、今抱えている大量の廃棄物というのは。環境省が直轄で業者に発注をして処分をするんだというぐらいの事案だと思うんです。
そこまでいっていなかったから十年前にこの法律ができて、とにかく少なくとも財政支援はしましょうということでやってきて、十年間これから続けます、それはそれでいいんですけれども、同じようなことが起こった場合、あるいはそれ以上の場合、東北と同じような場合、あるいは東北以上の場合、放射性物質であろうがなかろうが、人々の個人の理性を超えて処理しなければならない、国が直接出ていかなければならないということに対して、今後考えていく、いやいや、そんなものは全然必要ない、地域主権だからという御答弁もあり得るんですけれども、いや、だからこそなんですよ。
だからこそ、国の機関が果たすべき役割というのが逆にふえていて、そして、社会全体が複雑化して、多階層、多段階になってきて多価値化になってくると、まさに国が本当にいかないと、密着している組織じゃできないんですよね。
ということを含めて、先ほどから伊藤部長にもお答えいただいたことも含めて、御感想があったらぜひちょっとお聞かせをいただきたいと思う。