山本正徳の発言 (行政監視委員会)
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○参考人(山本正徳君) 岩手県宮古市の山本正徳でございます。
今日は、震災における行政の役割につきましてこのような機会を与えていただきまして、本当にありがとうございます。
座らせていただきます。
昨年の東日本大震災におきます我々行政の役割あるいは働きというものを、どのようなことだったかということを御説明して、この参議院におけるその考え方の参考にしていただければというふうに思っております。
資料に基づきまして説明をさせていただきたいと思います。
岩手県宮古市は、平成十七年と二十二年に二度合併をした一市一町二村の合併した町であります。旧宮古市、旧田老町、旧新里村、そして旧川井村でございます。今回被災しましたのが旧宮古市の沿岸部、そして旧田老町の全域でございます。それを発災後から支えたのが旧新里村、そして旧川井村の地域でございます。宮古市は本庁舎が宮古市沿岸部にあり、そして旧田老町、そして旧新里村、そして旧川井村の役場がそのまま総合事務所となっております。
面積は千二百六十平方キロメートル、岩手県では一番広い市でございます。全国では八番目というふうになっております。六十五歳以上の高齢者の割合がもう既に三〇%を超えております。新幹線の最寄り駅であります盛岡駅からは車で二時間、それから花巻空港からは車で二時間三十分でございます。人口五万人以上の都市で東京からの時間距離が最も遠いところというふうになっております。
この度の被災状況でございますが、死者は五百十五人、それから家屋倒壊数、全壊、半壊のみではございますが、四千六百七十五棟は岩手県で一番多い棟数となっております。この中で、死者のうち、消防職員が四人、消防団員が十六人、警察官二人が殉職をいたしております。これらに対する対応が今後の課題というふうに思っております。
震災前後の人口の推移でございますが、震災前は六万人あった人口が、今現在は五万八千人というふうにやや、千人ほど流出しておる状況でございます。
避難の状況でございますが、市が設定しました避難所の数は十九か所でございますが、実際は被災した市民が避難所とした場所は八十五か所あります。行政が決めたところに必ずしも避難するということではないことがお分かりかというふうに思っております。
発災初期でございますが、大体これは発災から三日ぐらいでございます。この時期、最も行政的に対応をしなきゃならないのは、基礎自治体がしっかり責任を持ってやるということだと思いますが、役所が被災した場合はなかなかこれができないわけでございます。今回の場合、宮古市におきましては、本庁舎二階まで浸水をいたしておりまして初動が次の日ということになりましたので、その間は、昼でございましたので、学校等は教職員の対応、それから地域の住民が対応したというふうなことでございます。
公用車七十台は、全て被災して流失しております。また、停電等によりまして通信等が全て断絶いたしまして、情報収集、伝達が次の日まで行えないということになります。次の日から数日間は、なかなか通信が戻りませんので、徒歩等での情報の収集が行われております。これから、日常からのコミュニティーというのが非常に大事ではないかなというふうに思っております。
発災から次の段階に移りまして、いろんな国あるいは県からの機関の活動が始まります。特にもうライフラインが寸断しておりますので、その面におきましては道路の啓開というものが非常に大事だというふうに思いました。その面におきましては、国土交通省の東北整備局あるいは三陸事務所、そして県の沿岸振興局土木センター、それから我々都市整備部、これら三つの箇所が連携をいたしまして、国道、県道、そして市道にわたって道路を啓開し、その後に水道を通し、そして電気を通していったということでございます。
と同時に、自衛隊が次の日より入りまして、その活動の後方部隊となったり、それから不明者の捜索等に当たられております。また、数日後には避難しました市民の方々への支援等も行っております。
海におきましては、海上保安庁あるいは国土交通省の港湾等が港を再開いたしまして、そして港からも支援物資を運び込むようなことをいたしております。
また、警察あるいは消防、それから医療チーム等々入ってきまして、その後の対応は国を挙げての対応というふうになっております。
仮設住宅の建設が始まりまして、全て仮設住宅に入りましたのが八月でございます。仮設住宅の戸数は二千十戸でございます。この沿岸地区は特にもう被災しておりますので、平地が少なくて建てる場所がなかなかなかったということで、六十三か所の箇所にこの二千十戸を建設をいたしております。
災害廃棄物についてでございますが、災害廃棄物は被災後すぐに国土交通省で全て一次仮置場に搬出をしております。道路啓開と同時に災害廃棄物の運搬も始まりまして、国土交通省、そして県、そして我々市と三者が廃棄物を一次仮置場に搬出をしております。
現在は、災害廃棄物の量は五十七万四千九百トンでございます。広域処理をお願いをいたしておりますが、なかなか進みませんので、一昨年より地元にも最終処分場の建設をお願いしているところであります。なかなかこれが進みません。災害廃棄物の発生量が余りにも大きいために、県が委託を受けて、今は現在、県管理というふうになっております。
それから、被災箇所数でございますが、一万五千二百三十一か所の被災箇所で、被害の総額が約二千億円というふうになっております。その中でも多いのが水産関係でございます、二百十億円。それから、住宅が一千億円というふうになっております。沿岸地区が被災しますと水産業が一番ダメージが大きいので、水産業を中心とした産業形態を取っておりますので、水産業が復活しなければほかの産業も復活してこないというような状況にございます。
次です。
この東日本大震災の復興計画でございますが、国あるいは県との整合性を取りながら基本計画あるいは推進計画、そして被災した地区まちづくり計画を行っております。宮古市の特徴といたしましては、この地区復興まちづくり計画の中に、住民による地区復興まちづくり検討会というのを被災戸数が百戸以上の箇所に設立して行いました。小さいところは市と直接話合いをして決めていくという方針を取りました。検討会を立ち上げ型が十か所、それから全体協議型が二十三か所、三十三か所が被災地区でございます。
復興に向けた宮古市の取組でございますが、三つの柱を中心に行っております。すまいと暮らしの再建、産業・経済復興、安全な地域づくりでございます。現在、すまいと暮らしの再建と、それから産業の復興を同時進行で行っております。
住まいは今ある程度仮設住宅で安定した生活を送っておりますが、仕事がなくている方々がまだまだたくさんございます。やはり、仕事をして、そして自立をして生活をしていくということをしていかなければ復興に向かっての皆さんの気持ちが前向きにならないということで、そのような形を取らせていただいております。これに関しましては、国の四分の三グループ補助、それから県の二分の一補助等、行政の補助メニューの中でしっかり産業が回復するようにしております。今現在、宮古市におきましては、大体七〇%から八〇%被災前の状況に戻っている状況でございます。
それからもう一つは、これから、防潮堤等が破壊されておりますので、今危険な状況でございます。この危険な状況の中で、もしそれが建設、復旧される前に津波がもう一度来た場合にはどのような対応を取るかも、国あるいは県そして我々市とともに協議しながら、その防潮堤なりハードの面で整備が行われる前の段階でも次の災害に備えるということはやらなければならないということで、これは行政中心に今行っているところでございます。
最後になりますが、大規模災害における地域主権の改革の視点ということでまとめさせていただきました。
大規模災害が発生した場合は、初期の段階は、やはり我々基礎自治体が中心となって支援体制を取らなければならないと。次に、各行政機関がいち早く現場の実態を把握できるような組織体制を明確化しなきゃならないと。そういう面におきまして、我々の近いところに大きな力がある組織を持つ必要があろうかというふうに感じました。そういう面におきましては、国の出先機関が我々の近いところにあったというのは非常に私は機能したのではないかなというふうに思っております。それから、各行政の機関が一体となりまして連携をよく取るということが非常に大事なことだと。役割をしっかり明確にして、そして事に当たるということが大事なのではないだろうかというふうに思っております。
それから、これからの復興に関しましてですが、やはり中心は基礎自治体が、そしてそこに住む住民の方々が自分たちでどんな町をつくるかということが非常に大事なことではないかなというふうに思っております。それを、国がきちんとそれに対する財政措置等を担保していただくということが大事なことではないかなというふうに思っております。復興計画がもうほとんどの地域立っておりますので、これにつきまして十分な支援体制を、基礎自治体も、そして県も、そして国も一体となって連携しながら、自分のその役割分担をしっかり決めて対応していくというのが大事だというふうに思っております。
以上、報告を終わらせていただきます。
ありがとうございました。