行政監視委員会
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会
会議録情報#0
平成二十四年五月二十八日(月曜日)
午後一時開会
─────────────
委員の異動
四月二十三日
辞任 補欠選任
竹谷とし子君 秋野 公造君
五月二十五日
辞任 補欠選任
小見山幸治君 石橋 通宏君
山下 芳生君 井上 哲士君
五月二十八日
辞任 補欠選任
石橋 通宏君 斎藤 嘉隆君
─────────────
出席者は左のとおり。
委員長 福岡 資麿君
理 事
行田 邦子君
ツルネン マルテイ君
難波 奨二君
白 眞勲君
松村 龍二君
寺田 典城君
委 員
足立 信也君
石橋 通宏君
風間 直樹君
斎藤 嘉隆君
鈴木 寛君
徳永 エリ君
轟木 利治君
那谷屋正義君
西村まさみ君
はた ともこ君
岩井 茂樹君
宇都 隆史君
北川イッセイ君
高階恵美子君
中西 祐介君
中山 恭子君
長谷川 岳君
秋野 公造君
谷合 正明君
井上 哲士君
田村 智子君
事務局側
常任委員会専門
員 青森 昭継君
参考人
前高知県知事
早稲田大学大学
院客員教授 橋本大二郎君
宮古市長 山本 正徳君
小布施町長 市村 良三君
─────────────
本日の会議に付した案件
○参考人の出席要求に関する件
○行政監視、行政評価及び行政に対する苦情に関
する調査
(行政改革と行政の役割分担に関する件)
─────────────
この発言だけを見る →午後一時開会
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委員の異動
四月二十三日
辞任 補欠選任
竹谷とし子君 秋野 公造君
五月二十五日
辞任 補欠選任
小見山幸治君 石橋 通宏君
山下 芳生君 井上 哲士君
五月二十八日
辞任 補欠選任
石橋 通宏君 斎藤 嘉隆君
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出席者は左のとおり。
委員長 福岡 資麿君
理 事
行田 邦子君
ツルネン マルテイ君
難波 奨二君
白 眞勲君
松村 龍二君
寺田 典城君
委 員
足立 信也君
石橋 通宏君
風間 直樹君
斎藤 嘉隆君
鈴木 寛君
徳永 エリ君
轟木 利治君
那谷屋正義君
西村まさみ君
はた ともこ君
岩井 茂樹君
宇都 隆史君
北川イッセイ君
高階恵美子君
中西 祐介君
中山 恭子君
長谷川 岳君
秋野 公造君
谷合 正明君
井上 哲士君
田村 智子君
事務局側
常任委員会専門
員 青森 昭継君
参考人
前高知県知事
早稲田大学大学
院客員教授 橋本大二郎君
宮古市長 山本 正徳君
小布施町長 市村 良三君
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本日の会議に付した案件
○参考人の出席要求に関する件
○行政監視、行政評価及び行政に対する苦情に関
する調査
(行政改革と行政の役割分担に関する件)
─────────────
福
福岡資麿#1
○委員長(福岡資麿君) ただいまから行政監視委員会を開会いたします。
委員の異動について御報告いたします。
去る二十五日までに、竹谷とし子君、山下芳生君及び小見山幸治君が委員を辞任され、その補欠として秋野公造君、井上哲士君及び石橋通宏君が選任されました。
─────────────
この発言だけを見る →委員の異動について御報告いたします。
去る二十五日までに、竹谷とし子君、山下芳生君及び小見山幸治君が委員を辞任され、その補欠として秋野公造君、井上哲士君及び石橋通宏君が選任されました。
─────────────
福
福岡資麿#2
○委員長(福岡資麿君) 参考人の出席要求に関する件についてお諮りいたします。
行政監視、行政評価及び行政に対する苦情に関する調査のため、本日の委員会に参考人として前高知県知事・早稲田大学大学院客員教授橋本大二郎君、宮古市長山本正徳君及び小布施町長市村良三君の出席を求め、その意見を聴取することに御異議ございませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
この発言だけを見る →行政監視、行政評価及び行政に対する苦情に関する調査のため、本日の委員会に参考人として前高知県知事・早稲田大学大学院客員教授橋本大二郎君、宮古市長山本正徳君及び小布施町長市村良三君の出席を求め、その意見を聴取することに御異議ございませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
福
福
福岡資麿#4
○委員長(福岡資麿君) 行政監視、行政評価及び行政に対する苦情に関する調査を議題といたします。
本日は、行政改革と行政の役割分担に関する件のうち、地域活性化と行政の役割について参考人の方々から意見を聴取した後、質疑を行います。
御出席いただいております参考人は、前高知県知事・早稲田大学大学院客員教授橋本大二郎君、宮古市長山本正徳君及び小布施町長市村良三君の三名でございます。
この際、参考人の方々に一言御挨拶申し上げます。
本日は、御多忙のところ当委員会に御出席いただき、誠にありがとうございます。
参考人の皆様方から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の調査の参考にいたしたいと存じますので、よろしくお願いいたします。
議事の進め方でございますが、橋本参考人、山本参考人、市村参考人の順にお一人二十分程度御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑にお答えいただきたいと存じます。
なお、御発言は着席のままで結構でございます。
それでは、まず橋本参考人にお願いいたします。橋本参考人。
この発言だけを見る →本日は、行政改革と行政の役割分担に関する件のうち、地域活性化と行政の役割について参考人の方々から意見を聴取した後、質疑を行います。
御出席いただいております参考人は、前高知県知事・早稲田大学大学院客員教授橋本大二郎君、宮古市長山本正徳君及び小布施町長市村良三君の三名でございます。
この際、参考人の方々に一言御挨拶申し上げます。
本日は、御多忙のところ当委員会に御出席いただき、誠にありがとうございます。
参考人の皆様方から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の調査の参考にいたしたいと存じますので、よろしくお願いいたします。
議事の進め方でございますが、橋本参考人、山本参考人、市村参考人の順にお一人二十分程度御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑にお答えいただきたいと存じます。
なお、御発言は着席のままで結構でございます。
それでは、まず橋本参考人にお願いいたします。橋本参考人。
橋
橋本大二郎#5
○参考人(橋本大二郎君) どうもよろしくお願いいたします。御紹介をいただきました橋本大二郎と申します。
本日は、行政監視委員会にお招きをいただき、また、こうして陳述をする機会を与えていただきまして誠にありがとうございます。
今日のテーマは地域活性化と行政の役割ということだと、こう承っておりますが、このことを考えるに当たって、中央集権の現在の制度、枠組みを前提にして考えるのか、それとも中央集権の仕組みを改めた分権型の国というものを前提に考えるのか、二通りの考え方があろうと思いますが、私は日ごろから今の中央集権という仕組みを早く改めて国と地方が対等にお互いの役割を果たしていく分権型の国に変わっていくべきだということを申し上げておりますので、そのことを前提にした立場、立ち位置でお話をさせていただきたいと思います。
ただ、今日は宮古の山本市長もおいででございますので、まず最初に戦時と平時の違い、非常時と平時の違いということに少し触れておきたいと思います。
非常時、戦時と申しますのは、昨年の東日本大震災のような大規模で広域的な災害、また、これから起きるかもしれません大規模で広域的なテロ攻撃といったものを指しておりますが、このような非常時、戦時においては、国が瞬時に復興なり、また危機管理なりの組織を立ち上げて、中央集権の仕組みの中で広域調整をしながら復旧と復興の土台を築いていく、この必要性があることは言うまでもございません。
今回の東日本の大震災におきましても、例えば国土交通省の東北地方整備局が広域的な調整ということで大きな役割を果たされたと思いますし、また各被災された自治体は、今後においても国の役割ということに大きな期待を持たれていると思います。
ただ、だからといって、非常時にこんなにやはり中央集権の仕組みが機能するではないかということから、だから平時においてもそういう体制を続けていくべきだと、特にこれからは関東直下型の地震だ、東海、東南海、南海だというような広域的な地震災害も予想されていると、そういうときには今のままの中央集権の仕組みの方がいいのではないかというような考え方が何となくそのまま流れていってしまうと、これだけグローバル化が進み人口減少が進むという時代の中で国そのものが私は沈み込んでいってしまうのではないかということを思います。
ですから、その非常時、戦時の行政の仕組みがどうあるべきか、また、今のその中での中央集権の問題点ということは少し脇に置いて、非常時と平時ということをきちんと分けたまず議論が必要ではないかということを思います。
その上で、その平時の、日常の国の体制をどうしていくかということですが、私は、今の中央集権という仕組みを早く改めて、国と地方が対等に役割を分担をしていく、そういう分権型の国に早く変わっていくべきだということを思います。こういう話をしますと、ああ、やっぱり高知で知事を務めた人の話らしいなと、また地方分権の話かと、大変懐かしいけれどももう地方分権の話も聞き飽きたなというふうに思われる方も多分いらっしゃるのではないかと思います。
私は、もう今、地方分権という言葉は使わないようにしております。というのも、地方分権という四文字を頭に思い浮かべていただければいいんですが、そのまま見ると地方が国にお願いして権限を分けてもらう、そういう取組というふうに読み取れますし、多くの国民は、それが地方分権の取組だろう、つまり国と地方の権限の取り合いだろうというふうに理解をされています。しかし、国と地方の役割を分けて分権型の国をつくるというその意味は、何も国と地方の権限の取り合いというふうな瑣末な争いが目的なわけではありません。そうではなくて、国が地方の面倒を見ていくという荷物を一旦肩から下ろして、身軽になった国が今取り組まなきゃいけない戦略的な課題に集中的に力を注ぎ込んでいく、そのために私は分権型の国にしていくことが必要だと思っています。
今国が取り組むべき戦略的課題というのは幾つもございます。例えば、人口構造がかつてのピラミッド型から今釣鐘型になっておりますが、やがて逆ピラミッドになっていく、そういうことが予想される中で、ピラミッド型というものを前提にしてつくられている社会制度をどういうふうにつくり直していくのかというようなこと。また、グローバル化というのも、もう好き嫌い別にして更に進んでいくことは間違いありません。その中で一次、二次、三次の産業の構造をどう転換するか。具体的に言えば、それぞれの産業のどの部分を国内に残して競争力また生産性を高めていくのか、また、どの部分は海外からの輸入に、国際分業に委ねるのかというようなことをきちんと分けた産業構造の転換を図るということもあります。あわせて、昨年の原発の事故の後明らかになっていますエネルギーの制約という現状を前にして、これから二十年、三十年先の特に電力のエネルギーをどういう組合せでつくり直していくのかなどなど、国が取り組むべき戦略的な課題というのは今山積をしております。
そのようなときに、国が地方の事細かいことに、例えば特別養護老人ホームの廊下の幅が何メーター以上ないといけないとか、それから逆に幼稚園の階段の幅が何十センチ以下じゃないといけないとか、そういう事細かいことに口を出したり手を出したりしている暇はないんじゃないかと。また、地方から上がってくる補助金の申請を受けて、それを審査して補助金を交付してその使い道がどうなっているかということを審査をしていく、そんなことに膨大な時間と労力を使っていく暇はないんじゃないかと。そういう地方に任せていいことはもう地方に任せて、身軽になった国が戦略的な課題に力を集中をしていく、そういう国に変わらない限り、私は国全体が沈み込んでいってしまうと思いますし、それでは地域の活性化もそもそもあり得ないのではないかということを思います。
ただ、こういう分権型の社会をつくっていくためには、今国が担当しておられます事業のうち、どの部分を引き続き国が担っていくのか、どの部分は都道府県に任すのか、どの部分は基礎自治体にお願いをしていくのか、またどの部分は民間の企業やNPOに委ねるのかということを分けていかないといけないということになります。といいますのも、そうでないと、地方の受皿である地域主権というような仕組み、また民間の受皿である新しい公共というような仕組み、そういう受皿ができたとしても、そこにどういう仕事を担ってもらうのかという仕分がやっていけない、それが動き出さなければ、道しるべがないまま分権化も進まないということになってしまうからです。
事業仕分というのは本来今申し上げたようなことをするのが事業仕分ではないかと自分は思っておりますが、実際に十年前に構想日本からの提案で高知県も事業仕分をいたしました。具体的には、当時高知県の持っております事業が二千三十事業ございました。これを全部テーブルの上にのせて、どの部分はもう民間に任せていったらいいか、どの部分は本来国がやっていくべき仕事か、どの部分は基礎自治体にお願いをしていくか、そしてどの部分を引き続き県が担っていくかというようなことを仕分けていきました。
こういうような作業を同じ時期に八つの県と三つの市で行いましたけれども、その事業仕分の本来の目的は、国、県、市町村という形で二重三重に重なって行われている補助金行政の無駄というものを明らかにして、そして国の形を国と地方の縦の形から横の形に変えていく、そのためのその前提の作業としてこういう仕分をするんだという理念でございました。
ところが、昨今行われております事業仕分というのは、こういう分権型の国にこの国を変えていくという理念がどこかに置き去りになったまま、一つ一つの事業が無駄かどうかということを判定をし、予算を削っていく、従来我々が取り組んでいた仕事であれば事務事業の見直しという分野に当たることを事業仕分という名前で行っておられるように見受けられます。しかも、事務事業の見直しとしても非常に中途半端な、つまり決定したことを誰かが実行していく、そういう立場の人がいないという意味で中途半端なやり方になっているために、事業仕分という名前そのものが国民の意識からもだんだん薄らいできているのではないかな、これはとても私は不幸なことだと思います。
先ほども言いましたように、この国がやっぱり生き抜いていくために分権型の国に変えていくことが必要ですし、その前提条件として、どの事業をどのセクターが持つかという事業仕分は大変大切な作業ですので、是非もう一度国において、国が持っておられる事業全てを一定の基準、判断によって仕分けていくということを取り組んでいただきたいなということを思うんです。
今、一定の基準ということを申し上げましたが、私はそのときの判定基準は、どれをやっぱり国に集中すべきか、どれを地方に、民間に分散をすべきかということだろうと思っています。そのことを、乳幼児医療費の無料化ということを一つの切り口として少し考えてみたいと思うのですが、今申し上げた乳幼児医療費の無料化も、また高齢者、老人医療費の無料化も、これは一九六〇年代の初頭に、当時の岩手県の旧沢内村という小さな村が独自の施策として始めた地方発信の事業でした。
乳幼児の医療費の無料化でいいますと、一九五〇年代に、東京と比べて岩手県のゼロ歳児の乳児の死亡率が二倍以上高い、その中でも沢内村は岩手県の平均よりも高いということを非常に心を痛められた当時の村長さんが、まず保健師さんなんかと組んでお嫁さんに赤ちゃんの健康管理ということを教えていく、また当時の古い農村社会の中ですので、お嫁さんがそういうことに時間が割けるようにおしゅうとめさんに理解を求め、そういうことに協力をしてくださったおしゅうとめさんには表彰状を差し上げるというふうな、細かいソフトの施策とを組み合わせてやっておられました。
そのときに、一九五九年に国民健康保険法が施行をされて、健康保険によって五〇%の医療費が支払われるということになりましたので、残りの部分を村が負担をして乳幼児の医療費の無料化ということを一九六一年の四月から実施をされました。この結果、旧沢内村は、一九六二年一年間にゼロ歳児の赤ちゃんが一人も亡くならなかった、乳児の死亡率ゼロという全国の自治体で初めての記録を達成をされました。このために全国にこの制度が広がっていきました。
ただ、全国の自治体は財政状況も違いますし、様々な事情の違いがありますから、年齢が幾つまでなのか、また入院だけか、通院も含めるのか、所得制限はどうするのかということで、その対象の基準に大きなばらつきが出てきております。二〇一〇年の都道府県のその政策のばらつきというのをばあっと自分が拾って見てみましたら、大体十三パターンぐらいの違いがございました。これは私が個人的に拾った数字なので、何のオーソライズされたものではありませんが、都道府県単位で十三パターンのばらつきがあるということは、市町村レベルでいえば推して知るべしということになります。
このことに対して、福祉という基本的な部分、ベースになる政策が地方分権という名前の中でこれほどサービスにばらつきが出ていいのかと、分散が出ていいのかという御議論があります。結論からいうと、私は、ばらつきが出てもいいというふうに思っています。
なぜかというと、これを全国例えば一律のサービスにしていったとしても、それ以上の上乗せはいけませんという法律でも作るなら別ですけれども、そうじゃない限り、財政的にゆとりのあるところは必ず上乗せのいろんなサービスをしてきて、その財政力による格差というものはどこまでも止まらないだろうということが一つ。
もう一つは、先ほども言いましたような沢内村のような小さなところで実施するから地域の実情に合わせたソフトと組み合わせていけますが、それが大きな単位で実施をされれば単なる所得移転の政策になって、財政を圧迫をしていくことになると思うからです。
このことは老人医療費の問題で見る方がはっきりするのですが、老人医療費の無料化も、先ほど申し上げましたように一九六〇年に初めて旧沢内村が実施をした事業でございます。が、この後、東京都と秋田県が都県単位では一九六九年に初めて老人医療費の無料化ということを実施し、その後、一九七三年に田中内閣のときに福祉元年だということを言われて老人福祉法を改正して、全国レベルで老人医療費というものが無料化になりました。
その結果、一九七三年から八三年までの十年間に日本の老人医療費は七・七倍に膨れ上がりました。また、国民医療費も三・六倍に膨れ上がりました。なぜかといえば、先ほども申し上げましたような地域の実情に合わせたようなソフトの施策がなくて、大きな単位でこういうような事業をしていけば、サービスをしていけば、必ず財政の負担だけが増えていくという結果になっていくからです。
このようなことからも、一見、国に集中をした方が公平性ということからもいいなというふうに理屈的には見えることでも、実際には地方に分散をした方が、たとえサービスにばらつきが出ても、それぞれの地域の実情に合ったソフトの施策と組み合わせられるということで、非常に事業効果はその方が上がっていくという事例が私は多いと思いますし、まさにそのことが今日のテーマでもございます本当の意味での地域の活性化ということにもつながっていくのではないかと。是非そういう視点で、この集中すべきか分散すべきかという視点から、先ほども申し上げたような国の事業の事業仕分というものをもう一度やっていただきたいなということを思います。
以上申し上げましたように、今国と地方の関係の見直しということで取り組むべきことは、現状の中央集権の制度というものを前提にした上で少し規制緩和をするとか特区の制度を膨らますというような小手先のやりくりのことではなくて、やはり国と地方の形を縦から横に変えるというような根本的な組替えが今必要なときではないかと思います。
そうでなければ、先ほども申し上げましたような意味で、この国そのものがだんだんグローバル化と人口減少という波にのまれて沈み込んでいってしまうということになりますし、そういう中で、地方自治体で本当に元気を持って生き抜いていくところというのは非常に少ないのではないかということを危惧をしております。
ということで、私の陳述を終わらせていただきます。
ありがとうございました。
この発言だけを見る →本日は、行政監視委員会にお招きをいただき、また、こうして陳述をする機会を与えていただきまして誠にありがとうございます。
今日のテーマは地域活性化と行政の役割ということだと、こう承っておりますが、このことを考えるに当たって、中央集権の現在の制度、枠組みを前提にして考えるのか、それとも中央集権の仕組みを改めた分権型の国というものを前提に考えるのか、二通りの考え方があろうと思いますが、私は日ごろから今の中央集権という仕組みを早く改めて国と地方が対等にお互いの役割を果たしていく分権型の国に変わっていくべきだということを申し上げておりますので、そのことを前提にした立場、立ち位置でお話をさせていただきたいと思います。
ただ、今日は宮古の山本市長もおいででございますので、まず最初に戦時と平時の違い、非常時と平時の違いということに少し触れておきたいと思います。
非常時、戦時と申しますのは、昨年の東日本大震災のような大規模で広域的な災害、また、これから起きるかもしれません大規模で広域的なテロ攻撃といったものを指しておりますが、このような非常時、戦時においては、国が瞬時に復興なり、また危機管理なりの組織を立ち上げて、中央集権の仕組みの中で広域調整をしながら復旧と復興の土台を築いていく、この必要性があることは言うまでもございません。
今回の東日本の大震災におきましても、例えば国土交通省の東北地方整備局が広域的な調整ということで大きな役割を果たされたと思いますし、また各被災された自治体は、今後においても国の役割ということに大きな期待を持たれていると思います。
ただ、だからといって、非常時にこんなにやはり中央集権の仕組みが機能するではないかということから、だから平時においてもそういう体制を続けていくべきだと、特にこれからは関東直下型の地震だ、東海、東南海、南海だというような広域的な地震災害も予想されていると、そういうときには今のままの中央集権の仕組みの方がいいのではないかというような考え方が何となくそのまま流れていってしまうと、これだけグローバル化が進み人口減少が進むという時代の中で国そのものが私は沈み込んでいってしまうのではないかということを思います。
ですから、その非常時、戦時の行政の仕組みがどうあるべきか、また、今のその中での中央集権の問題点ということは少し脇に置いて、非常時と平時ということをきちんと分けたまず議論が必要ではないかということを思います。
その上で、その平時の、日常の国の体制をどうしていくかということですが、私は、今の中央集権という仕組みを早く改めて、国と地方が対等に役割を分担をしていく、そういう分権型の国に早く変わっていくべきだということを思います。こういう話をしますと、ああ、やっぱり高知で知事を務めた人の話らしいなと、また地方分権の話かと、大変懐かしいけれどももう地方分権の話も聞き飽きたなというふうに思われる方も多分いらっしゃるのではないかと思います。
私は、もう今、地方分権という言葉は使わないようにしております。というのも、地方分権という四文字を頭に思い浮かべていただければいいんですが、そのまま見ると地方が国にお願いして権限を分けてもらう、そういう取組というふうに読み取れますし、多くの国民は、それが地方分権の取組だろう、つまり国と地方の権限の取り合いだろうというふうに理解をされています。しかし、国と地方の役割を分けて分権型の国をつくるというその意味は、何も国と地方の権限の取り合いというふうな瑣末な争いが目的なわけではありません。そうではなくて、国が地方の面倒を見ていくという荷物を一旦肩から下ろして、身軽になった国が今取り組まなきゃいけない戦略的な課題に集中的に力を注ぎ込んでいく、そのために私は分権型の国にしていくことが必要だと思っています。
今国が取り組むべき戦略的課題というのは幾つもございます。例えば、人口構造がかつてのピラミッド型から今釣鐘型になっておりますが、やがて逆ピラミッドになっていく、そういうことが予想される中で、ピラミッド型というものを前提にしてつくられている社会制度をどういうふうにつくり直していくのかというようなこと。また、グローバル化というのも、もう好き嫌い別にして更に進んでいくことは間違いありません。その中で一次、二次、三次の産業の構造をどう転換するか。具体的に言えば、それぞれの産業のどの部分を国内に残して競争力また生産性を高めていくのか、また、どの部分は海外からの輸入に、国際分業に委ねるのかというようなことをきちんと分けた産業構造の転換を図るということもあります。あわせて、昨年の原発の事故の後明らかになっていますエネルギーの制約という現状を前にして、これから二十年、三十年先の特に電力のエネルギーをどういう組合せでつくり直していくのかなどなど、国が取り組むべき戦略的な課題というのは今山積をしております。
そのようなときに、国が地方の事細かいことに、例えば特別養護老人ホームの廊下の幅が何メーター以上ないといけないとか、それから逆に幼稚園の階段の幅が何十センチ以下じゃないといけないとか、そういう事細かいことに口を出したり手を出したりしている暇はないんじゃないかと。また、地方から上がってくる補助金の申請を受けて、それを審査して補助金を交付してその使い道がどうなっているかということを審査をしていく、そんなことに膨大な時間と労力を使っていく暇はないんじゃないかと。そういう地方に任せていいことはもう地方に任せて、身軽になった国が戦略的な課題に力を集中をしていく、そういう国に変わらない限り、私は国全体が沈み込んでいってしまうと思いますし、それでは地域の活性化もそもそもあり得ないのではないかということを思います。
ただ、こういう分権型の社会をつくっていくためには、今国が担当しておられます事業のうち、どの部分を引き続き国が担っていくのか、どの部分は都道府県に任すのか、どの部分は基礎自治体にお願いをしていくのか、またどの部分は民間の企業やNPOに委ねるのかということを分けていかないといけないということになります。といいますのも、そうでないと、地方の受皿である地域主権というような仕組み、また民間の受皿である新しい公共というような仕組み、そういう受皿ができたとしても、そこにどういう仕事を担ってもらうのかという仕分がやっていけない、それが動き出さなければ、道しるべがないまま分権化も進まないということになってしまうからです。
事業仕分というのは本来今申し上げたようなことをするのが事業仕分ではないかと自分は思っておりますが、実際に十年前に構想日本からの提案で高知県も事業仕分をいたしました。具体的には、当時高知県の持っております事業が二千三十事業ございました。これを全部テーブルの上にのせて、どの部分はもう民間に任せていったらいいか、どの部分は本来国がやっていくべき仕事か、どの部分は基礎自治体にお願いをしていくか、そしてどの部分を引き続き県が担っていくかというようなことを仕分けていきました。
こういうような作業を同じ時期に八つの県と三つの市で行いましたけれども、その事業仕分の本来の目的は、国、県、市町村という形で二重三重に重なって行われている補助金行政の無駄というものを明らかにして、そして国の形を国と地方の縦の形から横の形に変えていく、そのためのその前提の作業としてこういう仕分をするんだという理念でございました。
ところが、昨今行われております事業仕分というのは、こういう分権型の国にこの国を変えていくという理念がどこかに置き去りになったまま、一つ一つの事業が無駄かどうかということを判定をし、予算を削っていく、従来我々が取り組んでいた仕事であれば事務事業の見直しという分野に当たることを事業仕分という名前で行っておられるように見受けられます。しかも、事務事業の見直しとしても非常に中途半端な、つまり決定したことを誰かが実行していく、そういう立場の人がいないという意味で中途半端なやり方になっているために、事業仕分という名前そのものが国民の意識からもだんだん薄らいできているのではないかな、これはとても私は不幸なことだと思います。
先ほども言いましたように、この国がやっぱり生き抜いていくために分権型の国に変えていくことが必要ですし、その前提条件として、どの事業をどのセクターが持つかという事業仕分は大変大切な作業ですので、是非もう一度国において、国が持っておられる事業全てを一定の基準、判断によって仕分けていくということを取り組んでいただきたいなということを思うんです。
今、一定の基準ということを申し上げましたが、私はそのときの判定基準は、どれをやっぱり国に集中すべきか、どれを地方に、民間に分散をすべきかということだろうと思っています。そのことを、乳幼児医療費の無料化ということを一つの切り口として少し考えてみたいと思うのですが、今申し上げた乳幼児医療費の無料化も、また高齢者、老人医療費の無料化も、これは一九六〇年代の初頭に、当時の岩手県の旧沢内村という小さな村が独自の施策として始めた地方発信の事業でした。
乳幼児の医療費の無料化でいいますと、一九五〇年代に、東京と比べて岩手県のゼロ歳児の乳児の死亡率が二倍以上高い、その中でも沢内村は岩手県の平均よりも高いということを非常に心を痛められた当時の村長さんが、まず保健師さんなんかと組んでお嫁さんに赤ちゃんの健康管理ということを教えていく、また当時の古い農村社会の中ですので、お嫁さんがそういうことに時間が割けるようにおしゅうとめさんに理解を求め、そういうことに協力をしてくださったおしゅうとめさんには表彰状を差し上げるというふうな、細かいソフトの施策とを組み合わせてやっておられました。
そのときに、一九五九年に国民健康保険法が施行をされて、健康保険によって五〇%の医療費が支払われるということになりましたので、残りの部分を村が負担をして乳幼児の医療費の無料化ということを一九六一年の四月から実施をされました。この結果、旧沢内村は、一九六二年一年間にゼロ歳児の赤ちゃんが一人も亡くならなかった、乳児の死亡率ゼロという全国の自治体で初めての記録を達成をされました。このために全国にこの制度が広がっていきました。
ただ、全国の自治体は財政状況も違いますし、様々な事情の違いがありますから、年齢が幾つまでなのか、また入院だけか、通院も含めるのか、所得制限はどうするのかということで、その対象の基準に大きなばらつきが出てきております。二〇一〇年の都道府県のその政策のばらつきというのをばあっと自分が拾って見てみましたら、大体十三パターンぐらいの違いがございました。これは私が個人的に拾った数字なので、何のオーソライズされたものではありませんが、都道府県単位で十三パターンのばらつきがあるということは、市町村レベルでいえば推して知るべしということになります。
このことに対して、福祉という基本的な部分、ベースになる政策が地方分権という名前の中でこれほどサービスにばらつきが出ていいのかと、分散が出ていいのかという御議論があります。結論からいうと、私は、ばらつきが出てもいいというふうに思っています。
なぜかというと、これを全国例えば一律のサービスにしていったとしても、それ以上の上乗せはいけませんという法律でも作るなら別ですけれども、そうじゃない限り、財政的にゆとりのあるところは必ず上乗せのいろんなサービスをしてきて、その財政力による格差というものはどこまでも止まらないだろうということが一つ。
もう一つは、先ほども言いましたような沢内村のような小さなところで実施するから地域の実情に合わせたソフトと組み合わせていけますが、それが大きな単位で実施をされれば単なる所得移転の政策になって、財政を圧迫をしていくことになると思うからです。
このことは老人医療費の問題で見る方がはっきりするのですが、老人医療費の無料化も、先ほど申し上げましたように一九六〇年に初めて旧沢内村が実施をした事業でございます。が、この後、東京都と秋田県が都県単位では一九六九年に初めて老人医療費の無料化ということを実施し、その後、一九七三年に田中内閣のときに福祉元年だということを言われて老人福祉法を改正して、全国レベルで老人医療費というものが無料化になりました。
その結果、一九七三年から八三年までの十年間に日本の老人医療費は七・七倍に膨れ上がりました。また、国民医療費も三・六倍に膨れ上がりました。なぜかといえば、先ほども申し上げましたような地域の実情に合わせたようなソフトの施策がなくて、大きな単位でこういうような事業をしていけば、サービスをしていけば、必ず財政の負担だけが増えていくという結果になっていくからです。
このようなことからも、一見、国に集中をした方が公平性ということからもいいなというふうに理屈的には見えることでも、実際には地方に分散をした方が、たとえサービスにばらつきが出ても、それぞれの地域の実情に合ったソフトの施策と組み合わせられるということで、非常に事業効果はその方が上がっていくという事例が私は多いと思いますし、まさにそのことが今日のテーマでもございます本当の意味での地域の活性化ということにもつながっていくのではないかと。是非そういう視点で、この集中すべきか分散すべきかという視点から、先ほども申し上げたような国の事業の事業仕分というものをもう一度やっていただきたいなということを思います。
以上申し上げましたように、今国と地方の関係の見直しということで取り組むべきことは、現状の中央集権の制度というものを前提にした上で少し規制緩和をするとか特区の制度を膨らますというような小手先のやりくりのことではなくて、やはり国と地方の形を縦から横に変えるというような根本的な組替えが今必要なときではないかと思います。
そうでなければ、先ほども申し上げましたような意味で、この国そのものがだんだんグローバル化と人口減少という波にのまれて沈み込んでいってしまうということになりますし、そういう中で、地方自治体で本当に元気を持って生き抜いていくところというのは非常に少ないのではないかということを危惧をしております。
ということで、私の陳述を終わらせていただきます。
ありがとうございました。
福
山
山本正徳#7
○参考人(山本正徳君) 岩手県宮古市の山本正徳でございます。
今日は、震災における行政の役割につきましてこのような機会を与えていただきまして、本当にありがとうございます。
座らせていただきます。
昨年の東日本大震災におきます我々行政の役割あるいは働きというものを、どのようなことだったかということを御説明して、この参議院におけるその考え方の参考にしていただければというふうに思っております。
資料に基づきまして説明をさせていただきたいと思います。
岩手県宮古市は、平成十七年と二十二年に二度合併をした一市一町二村の合併した町であります。旧宮古市、旧田老町、旧新里村、そして旧川井村でございます。今回被災しましたのが旧宮古市の沿岸部、そして旧田老町の全域でございます。それを発災後から支えたのが旧新里村、そして旧川井村の地域でございます。宮古市は本庁舎が宮古市沿岸部にあり、そして旧田老町、そして旧新里村、そして旧川井村の役場がそのまま総合事務所となっております。
面積は千二百六十平方キロメートル、岩手県では一番広い市でございます。全国では八番目というふうになっております。六十五歳以上の高齢者の割合がもう既に三〇%を超えております。新幹線の最寄り駅であります盛岡駅からは車で二時間、それから花巻空港からは車で二時間三十分でございます。人口五万人以上の都市で東京からの時間距離が最も遠いところというふうになっております。
この度の被災状況でございますが、死者は五百十五人、それから家屋倒壊数、全壊、半壊のみではございますが、四千六百七十五棟は岩手県で一番多い棟数となっております。この中で、死者のうち、消防職員が四人、消防団員が十六人、警察官二人が殉職をいたしております。これらに対する対応が今後の課題というふうに思っております。
震災前後の人口の推移でございますが、震災前は六万人あった人口が、今現在は五万八千人というふうにやや、千人ほど流出しておる状況でございます。
避難の状況でございますが、市が設定しました避難所の数は十九か所でございますが、実際は被災した市民が避難所とした場所は八十五か所あります。行政が決めたところに必ずしも避難するということではないことがお分かりかというふうに思っております。
発災初期でございますが、大体これは発災から三日ぐらいでございます。この時期、最も行政的に対応をしなきゃならないのは、基礎自治体がしっかり責任を持ってやるということだと思いますが、役所が被災した場合はなかなかこれができないわけでございます。今回の場合、宮古市におきましては、本庁舎二階まで浸水をいたしておりまして初動が次の日ということになりましたので、その間は、昼でございましたので、学校等は教職員の対応、それから地域の住民が対応したというふうなことでございます。
公用車七十台は、全て被災して流失しております。また、停電等によりまして通信等が全て断絶いたしまして、情報収集、伝達が次の日まで行えないということになります。次の日から数日間は、なかなか通信が戻りませんので、徒歩等での情報の収集が行われております。これから、日常からのコミュニティーというのが非常に大事ではないかなというふうに思っております。
発災から次の段階に移りまして、いろんな国あるいは県からの機関の活動が始まります。特にもうライフラインが寸断しておりますので、その面におきましては道路の啓開というものが非常に大事だというふうに思いました。その面におきましては、国土交通省の東北整備局あるいは三陸事務所、そして県の沿岸振興局土木センター、それから我々都市整備部、これら三つの箇所が連携をいたしまして、国道、県道、そして市道にわたって道路を啓開し、その後に水道を通し、そして電気を通していったということでございます。
と同時に、自衛隊が次の日より入りまして、その活動の後方部隊となったり、それから不明者の捜索等に当たられております。また、数日後には避難しました市民の方々への支援等も行っております。
海におきましては、海上保安庁あるいは国土交通省の港湾等が港を再開いたしまして、そして港からも支援物資を運び込むようなことをいたしております。
また、警察あるいは消防、それから医療チーム等々入ってきまして、その後の対応は国を挙げての対応というふうになっております。
仮設住宅の建設が始まりまして、全て仮設住宅に入りましたのが八月でございます。仮設住宅の戸数は二千十戸でございます。この沿岸地区は特にもう被災しておりますので、平地が少なくて建てる場所がなかなかなかったということで、六十三か所の箇所にこの二千十戸を建設をいたしております。
災害廃棄物についてでございますが、災害廃棄物は被災後すぐに国土交通省で全て一次仮置場に搬出をしております。道路啓開と同時に災害廃棄物の運搬も始まりまして、国土交通省、そして県、そして我々市と三者が廃棄物を一次仮置場に搬出をしております。
現在は、災害廃棄物の量は五十七万四千九百トンでございます。広域処理をお願いをいたしておりますが、なかなか進みませんので、一昨年より地元にも最終処分場の建設をお願いしているところであります。なかなかこれが進みません。災害廃棄物の発生量が余りにも大きいために、県が委託を受けて、今は現在、県管理というふうになっております。
それから、被災箇所数でございますが、一万五千二百三十一か所の被災箇所で、被害の総額が約二千億円というふうになっております。その中でも多いのが水産関係でございます、二百十億円。それから、住宅が一千億円というふうになっております。沿岸地区が被災しますと水産業が一番ダメージが大きいので、水産業を中心とした産業形態を取っておりますので、水産業が復活しなければほかの産業も復活してこないというような状況にございます。
次です。
この東日本大震災の復興計画でございますが、国あるいは県との整合性を取りながら基本計画あるいは推進計画、そして被災した地区まちづくり計画を行っております。宮古市の特徴といたしましては、この地区復興まちづくり計画の中に、住民による地区復興まちづくり検討会というのを被災戸数が百戸以上の箇所に設立して行いました。小さいところは市と直接話合いをして決めていくという方針を取りました。検討会を立ち上げ型が十か所、それから全体協議型が二十三か所、三十三か所が被災地区でございます。
復興に向けた宮古市の取組でございますが、三つの柱を中心に行っております。すまいと暮らしの再建、産業・経済復興、安全な地域づくりでございます。現在、すまいと暮らしの再建と、それから産業の復興を同時進行で行っております。
住まいは今ある程度仮設住宅で安定した生活を送っておりますが、仕事がなくている方々がまだまだたくさんございます。やはり、仕事をして、そして自立をして生活をしていくということをしていかなければ復興に向かっての皆さんの気持ちが前向きにならないということで、そのような形を取らせていただいております。これに関しましては、国の四分の三グループ補助、それから県の二分の一補助等、行政の補助メニューの中でしっかり産業が回復するようにしております。今現在、宮古市におきましては、大体七〇%から八〇%被災前の状況に戻っている状況でございます。
それからもう一つは、これから、防潮堤等が破壊されておりますので、今危険な状況でございます。この危険な状況の中で、もしそれが建設、復旧される前に津波がもう一度来た場合にはどのような対応を取るかも、国あるいは県そして我々市とともに協議しながら、その防潮堤なりハードの面で整備が行われる前の段階でも次の災害に備えるということはやらなければならないということで、これは行政中心に今行っているところでございます。
最後になりますが、大規模災害における地域主権の改革の視点ということでまとめさせていただきました。
大規模災害が発生した場合は、初期の段階は、やはり我々基礎自治体が中心となって支援体制を取らなければならないと。次に、各行政機関がいち早く現場の実態を把握できるような組織体制を明確化しなきゃならないと。そういう面におきまして、我々の近いところに大きな力がある組織を持つ必要があろうかというふうに感じました。そういう面におきましては、国の出先機関が我々の近いところにあったというのは非常に私は機能したのではないかなというふうに思っております。それから、各行政の機関が一体となりまして連携をよく取るということが非常に大事なことだと。役割をしっかり明確にして、そして事に当たるということが大事なのではないだろうかというふうに思っております。
それから、これからの復興に関しましてですが、やはり中心は基礎自治体が、そしてそこに住む住民の方々が自分たちでどんな町をつくるかということが非常に大事なことではないかなというふうに思っております。それを、国がきちんとそれに対する財政措置等を担保していただくということが大事なことではないかなというふうに思っております。復興計画がもうほとんどの地域立っておりますので、これにつきまして十分な支援体制を、基礎自治体も、そして県も、そして国も一体となって連携しながら、自分のその役割分担をしっかり決めて対応していくというのが大事だというふうに思っております。
以上、報告を終わらせていただきます。
ありがとうございました。
この発言だけを見る →今日は、震災における行政の役割につきましてこのような機会を与えていただきまして、本当にありがとうございます。
座らせていただきます。
昨年の東日本大震災におきます我々行政の役割あるいは働きというものを、どのようなことだったかということを御説明して、この参議院におけるその考え方の参考にしていただければというふうに思っております。
資料に基づきまして説明をさせていただきたいと思います。
岩手県宮古市は、平成十七年と二十二年に二度合併をした一市一町二村の合併した町であります。旧宮古市、旧田老町、旧新里村、そして旧川井村でございます。今回被災しましたのが旧宮古市の沿岸部、そして旧田老町の全域でございます。それを発災後から支えたのが旧新里村、そして旧川井村の地域でございます。宮古市は本庁舎が宮古市沿岸部にあり、そして旧田老町、そして旧新里村、そして旧川井村の役場がそのまま総合事務所となっております。
面積は千二百六十平方キロメートル、岩手県では一番広い市でございます。全国では八番目というふうになっております。六十五歳以上の高齢者の割合がもう既に三〇%を超えております。新幹線の最寄り駅であります盛岡駅からは車で二時間、それから花巻空港からは車で二時間三十分でございます。人口五万人以上の都市で東京からの時間距離が最も遠いところというふうになっております。
この度の被災状況でございますが、死者は五百十五人、それから家屋倒壊数、全壊、半壊のみではございますが、四千六百七十五棟は岩手県で一番多い棟数となっております。この中で、死者のうち、消防職員が四人、消防団員が十六人、警察官二人が殉職をいたしております。これらに対する対応が今後の課題というふうに思っております。
震災前後の人口の推移でございますが、震災前は六万人あった人口が、今現在は五万八千人というふうにやや、千人ほど流出しておる状況でございます。
避難の状況でございますが、市が設定しました避難所の数は十九か所でございますが、実際は被災した市民が避難所とした場所は八十五か所あります。行政が決めたところに必ずしも避難するということではないことがお分かりかというふうに思っております。
発災初期でございますが、大体これは発災から三日ぐらいでございます。この時期、最も行政的に対応をしなきゃならないのは、基礎自治体がしっかり責任を持ってやるということだと思いますが、役所が被災した場合はなかなかこれができないわけでございます。今回の場合、宮古市におきましては、本庁舎二階まで浸水をいたしておりまして初動が次の日ということになりましたので、その間は、昼でございましたので、学校等は教職員の対応、それから地域の住民が対応したというふうなことでございます。
公用車七十台は、全て被災して流失しております。また、停電等によりまして通信等が全て断絶いたしまして、情報収集、伝達が次の日まで行えないということになります。次の日から数日間は、なかなか通信が戻りませんので、徒歩等での情報の収集が行われております。これから、日常からのコミュニティーというのが非常に大事ではないかなというふうに思っております。
発災から次の段階に移りまして、いろんな国あるいは県からの機関の活動が始まります。特にもうライフラインが寸断しておりますので、その面におきましては道路の啓開というものが非常に大事だというふうに思いました。その面におきましては、国土交通省の東北整備局あるいは三陸事務所、そして県の沿岸振興局土木センター、それから我々都市整備部、これら三つの箇所が連携をいたしまして、国道、県道、そして市道にわたって道路を啓開し、その後に水道を通し、そして電気を通していったということでございます。
と同時に、自衛隊が次の日より入りまして、その活動の後方部隊となったり、それから不明者の捜索等に当たられております。また、数日後には避難しました市民の方々への支援等も行っております。
海におきましては、海上保安庁あるいは国土交通省の港湾等が港を再開いたしまして、そして港からも支援物資を運び込むようなことをいたしております。
また、警察あるいは消防、それから医療チーム等々入ってきまして、その後の対応は国を挙げての対応というふうになっております。
仮設住宅の建設が始まりまして、全て仮設住宅に入りましたのが八月でございます。仮設住宅の戸数は二千十戸でございます。この沿岸地区は特にもう被災しておりますので、平地が少なくて建てる場所がなかなかなかったということで、六十三か所の箇所にこの二千十戸を建設をいたしております。
災害廃棄物についてでございますが、災害廃棄物は被災後すぐに国土交通省で全て一次仮置場に搬出をしております。道路啓開と同時に災害廃棄物の運搬も始まりまして、国土交通省、そして県、そして我々市と三者が廃棄物を一次仮置場に搬出をしております。
現在は、災害廃棄物の量は五十七万四千九百トンでございます。広域処理をお願いをいたしておりますが、なかなか進みませんので、一昨年より地元にも最終処分場の建設をお願いしているところであります。なかなかこれが進みません。災害廃棄物の発生量が余りにも大きいために、県が委託を受けて、今は現在、県管理というふうになっております。
それから、被災箇所数でございますが、一万五千二百三十一か所の被災箇所で、被害の総額が約二千億円というふうになっております。その中でも多いのが水産関係でございます、二百十億円。それから、住宅が一千億円というふうになっております。沿岸地区が被災しますと水産業が一番ダメージが大きいので、水産業を中心とした産業形態を取っておりますので、水産業が復活しなければほかの産業も復活してこないというような状況にございます。
次です。
この東日本大震災の復興計画でございますが、国あるいは県との整合性を取りながら基本計画あるいは推進計画、そして被災した地区まちづくり計画を行っております。宮古市の特徴といたしましては、この地区復興まちづくり計画の中に、住民による地区復興まちづくり検討会というのを被災戸数が百戸以上の箇所に設立して行いました。小さいところは市と直接話合いをして決めていくという方針を取りました。検討会を立ち上げ型が十か所、それから全体協議型が二十三か所、三十三か所が被災地区でございます。
復興に向けた宮古市の取組でございますが、三つの柱を中心に行っております。すまいと暮らしの再建、産業・経済復興、安全な地域づくりでございます。現在、すまいと暮らしの再建と、それから産業の復興を同時進行で行っております。
住まいは今ある程度仮設住宅で安定した生活を送っておりますが、仕事がなくている方々がまだまだたくさんございます。やはり、仕事をして、そして自立をして生活をしていくということをしていかなければ復興に向かっての皆さんの気持ちが前向きにならないということで、そのような形を取らせていただいております。これに関しましては、国の四分の三グループ補助、それから県の二分の一補助等、行政の補助メニューの中でしっかり産業が回復するようにしております。今現在、宮古市におきましては、大体七〇%から八〇%被災前の状況に戻っている状況でございます。
それからもう一つは、これから、防潮堤等が破壊されておりますので、今危険な状況でございます。この危険な状況の中で、もしそれが建設、復旧される前に津波がもう一度来た場合にはどのような対応を取るかも、国あるいは県そして我々市とともに協議しながら、その防潮堤なりハードの面で整備が行われる前の段階でも次の災害に備えるということはやらなければならないということで、これは行政中心に今行っているところでございます。
最後になりますが、大規模災害における地域主権の改革の視点ということでまとめさせていただきました。
大規模災害が発生した場合は、初期の段階は、やはり我々基礎自治体が中心となって支援体制を取らなければならないと。次に、各行政機関がいち早く現場の実態を把握できるような組織体制を明確化しなきゃならないと。そういう面におきまして、我々の近いところに大きな力がある組織を持つ必要があろうかというふうに感じました。そういう面におきましては、国の出先機関が我々の近いところにあったというのは非常に私は機能したのではないかなというふうに思っております。それから、各行政の機関が一体となりまして連携をよく取るということが非常に大事なことだと。役割をしっかり明確にして、そして事に当たるということが大事なのではないだろうかというふうに思っております。
それから、これからの復興に関しましてですが、やはり中心は基礎自治体が、そしてそこに住む住民の方々が自分たちでどんな町をつくるかということが非常に大事なことではないかなというふうに思っております。それを、国がきちんとそれに対する財政措置等を担保していただくということが大事なことではないかなというふうに思っております。復興計画がもうほとんどの地域立っておりますので、これにつきまして十分な支援体制を、基礎自治体も、そして県も、そして国も一体となって連携しながら、自分のその役割分担をしっかり決めて対応していくというのが大事だというふうに思っております。
以上、報告を終わらせていただきます。
ありがとうございました。
福
市
市村良三#9
○参考人(市村良三君) 御紹介をいただきました長野県小布施町町長の市村良三でございます。この度はこのような機会を与えていただきまして、誠にありがとうございます。
今日は、橋本先生、また宮古市の山本市長さん、おいでです。改めて、三月十一日以降の状況に対して被災地の皆さんにお見舞いを申し上げます。
私どもでは交流をさせていただいている市町村が多く、東北でもかなりございます。現在は、岩手県の大船渡市、宮城県の女川町、福島県の南相馬市などの皆さんと私どもあるいは町民の皆さんがそれぞれ直接交信をさせていただいておりますが、今日を機に宮古市の皆さんとも協働させていただければ大変有り難いと思います。よろしくお願いいたします。
今日は、長野県の北の外れにあります小布施町、面積十九・〇七平方キロ、長野県で一番小さい町でありますが、人口一万二千人弱の小さな町の具体的な町の活動をお話し申し上げて、地域の活性化ということを御一緒にお考えいただきたいと思います。
今現在日本人が持つ価値観の多くがこの五十年間の間に形成されたというふうに考えております。五十年前というと随分昔のような気がいたしますけれども、私はもう中学生になっておりましたのでそんなに昔でもないなというふうに思うわけでありますが、その価値というもの、積み重ねた価値、その経緯につきましては前回の堺屋太一先生のお話につまびらかなところでありますけれども、東京を始め大都市を中心に国土の均一的発展を図るという策は、日本全体を押し上げたことはもちろんあるわけであります。随分恩恵ももたらしていただきましたけれども、同時に、地方の持つ価値は相対的に弱められたという感じがしております。
三十年間、二十年前まで三十年間このことで突っ走ってきましたが、バブル崩壊後は、二十年ほどは惑いつつ、地方の時代などとも言われてきましたけれども、日本人の持つ価値観とそれに伴う仕組みが変わっていないので一向に進んでいないというふうに思っております。資料一で申し上げているところでございます。
地方の持つ価値は、全てがなくなったわけではありませんけれども、かなり見えにくくなってしまっております。都会の価値観によって多くのことが測られるようになっているそのままだというふうに思っています。例えば、公共性というようなことも行政が一方的にその大部分を担うようになり、個人は、税というものを筆頭に、その対価をお金で支払えばよいというような考え方、価値観であります。
昨年の大震災を受けて、日本人の意識、価値観は随分変わってきたと思います。というより、五十年前のある部分を思い出したという方が適切かもしれません。今こそ、国、県、市町村など行政、私どもですね、そして今日御参会いただいております先生方のような政治に携わる皆さんはそのことを強く認識をしていただいて、もう一度国全体の仕組みづくりに力をお注ぎいただきたいと思います。
さきの政権交代で鳩山総理大臣にまず就任をいただきましたけれども、新しい公共というようなことをおっしゃいました。その担い手は、個人の力、ボランティア、それからその結集であるNPOというようなところに方向付けをされましたが、もちろん私も同感ではありますけれども、私は、日本でやや粗略にされている企業の力というのをもう一度見直しをしていただきたいなというふうに思っております。企業というものは元々公共性を強く持っているものだからであります。
これが資料一の三ページ目に書いてございます。持続力が強い、高い企業というものも是非もっともっと加えていただいて、見えにくくなっている地方の価値の再編集をしていただくと。個人やNPOや企業の力を、全体を担い手とするその協働ということが大変大切だろうというふうに考えております。行政や政治に携わる人たちはそのお手伝いをする、あるいはそういう仕組みを担保することが役割であろうというふうに考えているところでございます。
小布施町でこの四十年間起こってきたこと、あるいはこれから起ころうとしていることをお話をいたします。資料二に移ります。
四十年前というと、まだまちづくりの概念というか名前もないころでありましたけれども、私どもの町は動き出しました。まず、そのころは高度経済成長の真っただ中でありますから、どの町、村も工業立町というようなことを目指したのでありますが、私どもの町は農業に絞り農業立町ということを目指しました。それから、江戸時代に残していただいた文化遺産も今に生かすということで文化立町ということを脇役として置いたわけであります。そして、その資料に書いてありますような事業や施策を官民一体となって行ってまいったわけであります。私が見る限り、この五つのポイントが小布施町のポイントだろうというふうに思っております。
一に、人口の施策であります。それから二に、文化のシンボルとしての北斎館の開設、三に、CIがきっちり行き届いている地場産業である栗菓子屋さんのそれぞれの活躍、それから四番目に、町並みの新しい価値創造である町並み修景事業、お手元の本に詳しく書いてございますけれども、町並み修景事業、そのことによって町民の中に芽生えた景観という意識を大切にした花のまちづくり。
こうしたことをタイムリーに、また複合的に行った結果、町にはかなり大勢のお客様、ざっと数えますと百三十万人ぐらいのお客様がお訪ねをくださるようになりました。これをもって世間では観光として成功した町というような御評価もいただいておりますけれども、私はもちろんですし、町の人は観光の町という認識は全くございませんし、これから先もそれを目指すということはございません。やはり、根幹の産業である農業を中心にして農業立町、それからいろんな意味での文化的な生活を楽しむ文化立町ということを目指しております。
平成十六年、自立を選択をいたしました。町はまちづくりの第二ステージに入っていると思います。そのとき私は今の立場に立たせていただきましたが、三位一体改革の中でありましたので、財政を始め弱いところだらけでした。ですけれども、町を歩き回って強みを幾つか見付けました。その強みを磨くということで戦略を立てたわけであります。その強みとは次の五つであります。
町民の皆さんの協働する力あるいは交流する力、町民力ですね、これが非常に高いこと。それから、明治二十二年の町村制のときに十六の村が合併をして二つの村になり、昭和二十九年に町制が始まったわけですが、元々の明治二十二年の十六か村の文化と歴史というものが今も生きていると。これは非常に強みだなというふうに思いました。それから、制度やら、あるいは私どもの町が果樹農業だったということもありまして、農村景観とその暮らしがきっちり守られている。それから、面積の小ささ、この辺が非常に強みだなと。それを更に言えば、お訪ねをいただける皆さんの求めですね、懐かしいとかほっとするとか安らぐとか癒やされる、これにぴたり合うではないかというふうに思ったわけであります。
で、協働と交流という戦略を立てました。交流と協働ということでありますが、これはどこでも言われることでありますが、小布施の場合はかなりこれが顕著であります。協働の中には、普通その地域の住民と我々行政の協働ということが多く言われますけれども、私は四つあるなと思っております。その辺も資料に書いてございますので、御覧をいただきたいと思います。
それから、交流ということは産業になるなと。今、日本で、いろんなものが駄目だから観光にシフトしようやというようなことが立てられておりますが、あれには私は反対であります。いかにも底が浅い。今日何人おいでいただいて幾ら落としていただいたと、最後の勝負がそこになっていると。そうではないでしょうと。お訪ねいただいた方と地域の人との信頼感とか親しみ、これが基になった産業というのが必ずあるはずだというふうに私は考えておりますし、それを町の町民の皆さんは実行をしていただいているところであります。
一方、先ほど申し上げましたけれども、国土の均衡ある発展ということを目指してきた都市計画法も、手直しをされていますが、その考え方がいささか古い概念ですし、制度になってきておると思います。
例えば、全国町村によくあることでありますけれども、町の中心を大きな幹線道路が走って、車がびゅんびゅん走っているというような情景ですね。私どももそういうものがございます。四〇三号という三桁国道でありますけれども、三桁でありますから県管理であります。これが地域住民にとっても来訪するお客様にとっても非常に車の通行が多く危ない道になっております。そこで、改良を県にお願いしたところ、国道だからとか道路構造令があるからとか、いろんなことをおっしゃって、既存の道路拡幅事業しか採用されないというのが今の日本の現状であります。ですけれども、この道路拡幅事業というものをやりますと、町は更に死んでしまいます。全国一律の道ができるだけということであります。
町内にはバイパスに面した迂回路が二本もありますので、町を迂回していただく、その付け替えを前提にして、デザインされた道を造っていただきたいということであります。昨年一年掛けて専門家、住民の皆さんによるデザイン会議を開いていただいて、五十メートルスパンで一・九キロの道を全てデザインをしていただいたということであります。六月に国、県、中部電力にお願いに参ります。町の中心部を走る道のあるいは先駆けになるような事業だというふうに思っております。
いろんな法律が昭和二十年代に整備をされて、その心の根底がまだまだそこに残っているような気がいたします。都市計画法と並んで、農地法なども相当見直す必要があります。県などの権限を市町村に移譲して、本当に実情に合ったものにしていくということが重要だろうというふうに思います。
四十年というまちづくりを振り返ったときに、原点であったことは、基幹産業である農業をどうするかということと人口の問題でありました。二つながら日本では大変難しい問題でありますけれども、この二つに挑戦をしていこうというふうに考えております。
農業の問題は、後継者、販路、生産インフラの見直しと集約、この三つを同時進行させる。日本全体の農業の再生は困難でも、まず一つの小さな町からそのモデルをつくっていきたいというふうに考えて、やりようはあるというふうに思っております。
それから、人口の問題。自分のところだけが良ければいいというような話にお聞こえになるかもしれなくて恐縮なんでありますが、おおむね三十五歳以下の方をこれから導入をしていきます。このまま十年放置しておきますと、自然減で三百人から四百人の人が減ります。これもそれぞれの分野でお若い方、三十五歳以下の方を、いろんなインセンティブやその策をつくりまして十年の間に六百人から八百人是非お招きをしたいということであります。
これは去年から始めておりますが、かなり手ごたえがあります。例えば、今年の九月でございますけれども、これも三十五歳以下の方、学生さん、社会人の方中心に全国から二百人ほどお集まりをいただいて若者会議というものを開いていただける。四十年ほど前には学生運動というようなことがございましたけれども、今お若い方はそういう発言の場所がない。これを東京でやったのでは余り見向きもされないですが、地方の寒村でやることによって、そこに強い意味が生まれてきます。例えばそういうことを連続して仕掛けていく中で、農業後継者十人、起業家五人、ベッドタウン希望の方五人、はっきり二十人と定めて十年間続けます。そうすると、志望者だけで二百人、御家族をつくっていただけるから六百人から八百人の計算であります。こういうことを行っていきたいと思っております。
ただ、国の新規就農者支援策というのが今年から始まりましたけれども、これも県などを通ずることでややこしい、ちょっと面倒なことになっております。先生方には国会で議決されたことがすんなりと市町村に下りていかない実情ということにも注視をしていただきたいというふうに考えております。
最後に、時間がなくなってまいりましたけれども、活性化と行政の役割ということでありますが、まず国の役割ですが、例えば国防、外交、通貨、通商、大きな自然災害、大規模事故などについては、文字どおり国の根幹にかかわることを国にお願いをしたいということであります。それから、地方は財政が弱いです。これはもうお願いするしかないわけでありますが、今の税制あるいは配分の仕方が今のままであるならば、地方財政計画をひも付きでなく、先ほど橋本先生もおっしゃいましたけれども、立てていただいて配分をしていただき、裁量は市町村にお任せいただきたいということであります。
次に、県とか道州とかいろいろ言われておりますけれども、中間組織は今のように曖昧なものであるならば本当は必要ないのではないかというふうに思っております。国と市町村では余りに乱暴ということであれば、県とか道州は市町村の特性を本当に引き出していただけるような調整能力、強い調整能力を持っていただきたいし、それから、ある規模以上の地域でしか具現化できない戦略性をきちんと発揮したビジョンの構想と実行をお願いをしたいと。今のままでは、言葉が悪いですけれども、伝言ゲームになっているところもあるかというふうに感じております。
最後に、市町村こそが自治の大基本だというふうに思っております。その市町村は、更に小さいコミュニティーやあるいは企業あるいは個人の公共性をいかに発揮していただくか、そのためのあらゆる方法や手段を講じていくこと、これからの日本において最も大切なことの一つというふうに考えております。
どうもありがとうございました。
この発言だけを見る →今日は、橋本先生、また宮古市の山本市長さん、おいでです。改めて、三月十一日以降の状況に対して被災地の皆さんにお見舞いを申し上げます。
私どもでは交流をさせていただいている市町村が多く、東北でもかなりございます。現在は、岩手県の大船渡市、宮城県の女川町、福島県の南相馬市などの皆さんと私どもあるいは町民の皆さんがそれぞれ直接交信をさせていただいておりますが、今日を機に宮古市の皆さんとも協働させていただければ大変有り難いと思います。よろしくお願いいたします。
今日は、長野県の北の外れにあります小布施町、面積十九・〇七平方キロ、長野県で一番小さい町でありますが、人口一万二千人弱の小さな町の具体的な町の活動をお話し申し上げて、地域の活性化ということを御一緒にお考えいただきたいと思います。
今現在日本人が持つ価値観の多くがこの五十年間の間に形成されたというふうに考えております。五十年前というと随分昔のような気がいたしますけれども、私はもう中学生になっておりましたのでそんなに昔でもないなというふうに思うわけでありますが、その価値というもの、積み重ねた価値、その経緯につきましては前回の堺屋太一先生のお話につまびらかなところでありますけれども、東京を始め大都市を中心に国土の均一的発展を図るという策は、日本全体を押し上げたことはもちろんあるわけであります。随分恩恵ももたらしていただきましたけれども、同時に、地方の持つ価値は相対的に弱められたという感じがしております。
三十年間、二十年前まで三十年間このことで突っ走ってきましたが、バブル崩壊後は、二十年ほどは惑いつつ、地方の時代などとも言われてきましたけれども、日本人の持つ価値観とそれに伴う仕組みが変わっていないので一向に進んでいないというふうに思っております。資料一で申し上げているところでございます。
地方の持つ価値は、全てがなくなったわけではありませんけれども、かなり見えにくくなってしまっております。都会の価値観によって多くのことが測られるようになっているそのままだというふうに思っています。例えば、公共性というようなことも行政が一方的にその大部分を担うようになり、個人は、税というものを筆頭に、その対価をお金で支払えばよいというような考え方、価値観であります。
昨年の大震災を受けて、日本人の意識、価値観は随分変わってきたと思います。というより、五十年前のある部分を思い出したという方が適切かもしれません。今こそ、国、県、市町村など行政、私どもですね、そして今日御参会いただいております先生方のような政治に携わる皆さんはそのことを強く認識をしていただいて、もう一度国全体の仕組みづくりに力をお注ぎいただきたいと思います。
さきの政権交代で鳩山総理大臣にまず就任をいただきましたけれども、新しい公共というようなことをおっしゃいました。その担い手は、個人の力、ボランティア、それからその結集であるNPOというようなところに方向付けをされましたが、もちろん私も同感ではありますけれども、私は、日本でやや粗略にされている企業の力というのをもう一度見直しをしていただきたいなというふうに思っております。企業というものは元々公共性を強く持っているものだからであります。
これが資料一の三ページ目に書いてございます。持続力が強い、高い企業というものも是非もっともっと加えていただいて、見えにくくなっている地方の価値の再編集をしていただくと。個人やNPOや企業の力を、全体を担い手とするその協働ということが大変大切だろうというふうに考えております。行政や政治に携わる人たちはそのお手伝いをする、あるいはそういう仕組みを担保することが役割であろうというふうに考えているところでございます。
小布施町でこの四十年間起こってきたこと、あるいはこれから起ころうとしていることをお話をいたします。資料二に移ります。
四十年前というと、まだまちづくりの概念というか名前もないころでありましたけれども、私どもの町は動き出しました。まず、そのころは高度経済成長の真っただ中でありますから、どの町、村も工業立町というようなことを目指したのでありますが、私どもの町は農業に絞り農業立町ということを目指しました。それから、江戸時代に残していただいた文化遺産も今に生かすということで文化立町ということを脇役として置いたわけであります。そして、その資料に書いてありますような事業や施策を官民一体となって行ってまいったわけであります。私が見る限り、この五つのポイントが小布施町のポイントだろうというふうに思っております。
一に、人口の施策であります。それから二に、文化のシンボルとしての北斎館の開設、三に、CIがきっちり行き届いている地場産業である栗菓子屋さんのそれぞれの活躍、それから四番目に、町並みの新しい価値創造である町並み修景事業、お手元の本に詳しく書いてございますけれども、町並み修景事業、そのことによって町民の中に芽生えた景観という意識を大切にした花のまちづくり。
こうしたことをタイムリーに、また複合的に行った結果、町にはかなり大勢のお客様、ざっと数えますと百三十万人ぐらいのお客様がお訪ねをくださるようになりました。これをもって世間では観光として成功した町というような御評価もいただいておりますけれども、私はもちろんですし、町の人は観光の町という認識は全くございませんし、これから先もそれを目指すということはございません。やはり、根幹の産業である農業を中心にして農業立町、それからいろんな意味での文化的な生活を楽しむ文化立町ということを目指しております。
平成十六年、自立を選択をいたしました。町はまちづくりの第二ステージに入っていると思います。そのとき私は今の立場に立たせていただきましたが、三位一体改革の中でありましたので、財政を始め弱いところだらけでした。ですけれども、町を歩き回って強みを幾つか見付けました。その強みを磨くということで戦略を立てたわけであります。その強みとは次の五つであります。
町民の皆さんの協働する力あるいは交流する力、町民力ですね、これが非常に高いこと。それから、明治二十二年の町村制のときに十六の村が合併をして二つの村になり、昭和二十九年に町制が始まったわけですが、元々の明治二十二年の十六か村の文化と歴史というものが今も生きていると。これは非常に強みだなというふうに思いました。それから、制度やら、あるいは私どもの町が果樹農業だったということもありまして、農村景観とその暮らしがきっちり守られている。それから、面積の小ささ、この辺が非常に強みだなと。それを更に言えば、お訪ねをいただける皆さんの求めですね、懐かしいとかほっとするとか安らぐとか癒やされる、これにぴたり合うではないかというふうに思ったわけであります。
で、協働と交流という戦略を立てました。交流と協働ということでありますが、これはどこでも言われることでありますが、小布施の場合はかなりこれが顕著であります。協働の中には、普通その地域の住民と我々行政の協働ということが多く言われますけれども、私は四つあるなと思っております。その辺も資料に書いてございますので、御覧をいただきたいと思います。
それから、交流ということは産業になるなと。今、日本で、いろんなものが駄目だから観光にシフトしようやというようなことが立てられておりますが、あれには私は反対であります。いかにも底が浅い。今日何人おいでいただいて幾ら落としていただいたと、最後の勝負がそこになっていると。そうではないでしょうと。お訪ねいただいた方と地域の人との信頼感とか親しみ、これが基になった産業というのが必ずあるはずだというふうに私は考えておりますし、それを町の町民の皆さんは実行をしていただいているところであります。
一方、先ほど申し上げましたけれども、国土の均衡ある発展ということを目指してきた都市計画法も、手直しをされていますが、その考え方がいささか古い概念ですし、制度になってきておると思います。
例えば、全国町村によくあることでありますけれども、町の中心を大きな幹線道路が走って、車がびゅんびゅん走っているというような情景ですね。私どももそういうものがございます。四〇三号という三桁国道でありますけれども、三桁でありますから県管理であります。これが地域住民にとっても来訪するお客様にとっても非常に車の通行が多く危ない道になっております。そこで、改良を県にお願いしたところ、国道だからとか道路構造令があるからとか、いろんなことをおっしゃって、既存の道路拡幅事業しか採用されないというのが今の日本の現状であります。ですけれども、この道路拡幅事業というものをやりますと、町は更に死んでしまいます。全国一律の道ができるだけということであります。
町内にはバイパスに面した迂回路が二本もありますので、町を迂回していただく、その付け替えを前提にして、デザインされた道を造っていただきたいということであります。昨年一年掛けて専門家、住民の皆さんによるデザイン会議を開いていただいて、五十メートルスパンで一・九キロの道を全てデザインをしていただいたということであります。六月に国、県、中部電力にお願いに参ります。町の中心部を走る道のあるいは先駆けになるような事業だというふうに思っております。
いろんな法律が昭和二十年代に整備をされて、その心の根底がまだまだそこに残っているような気がいたします。都市計画法と並んで、農地法なども相当見直す必要があります。県などの権限を市町村に移譲して、本当に実情に合ったものにしていくということが重要だろうというふうに思います。
四十年というまちづくりを振り返ったときに、原点であったことは、基幹産業である農業をどうするかということと人口の問題でありました。二つながら日本では大変難しい問題でありますけれども、この二つに挑戦をしていこうというふうに考えております。
農業の問題は、後継者、販路、生産インフラの見直しと集約、この三つを同時進行させる。日本全体の農業の再生は困難でも、まず一つの小さな町からそのモデルをつくっていきたいというふうに考えて、やりようはあるというふうに思っております。
それから、人口の問題。自分のところだけが良ければいいというような話にお聞こえになるかもしれなくて恐縮なんでありますが、おおむね三十五歳以下の方をこれから導入をしていきます。このまま十年放置しておきますと、自然減で三百人から四百人の人が減ります。これもそれぞれの分野でお若い方、三十五歳以下の方を、いろんなインセンティブやその策をつくりまして十年の間に六百人から八百人是非お招きをしたいということであります。
これは去年から始めておりますが、かなり手ごたえがあります。例えば、今年の九月でございますけれども、これも三十五歳以下の方、学生さん、社会人の方中心に全国から二百人ほどお集まりをいただいて若者会議というものを開いていただける。四十年ほど前には学生運動というようなことがございましたけれども、今お若い方はそういう発言の場所がない。これを東京でやったのでは余り見向きもされないですが、地方の寒村でやることによって、そこに強い意味が生まれてきます。例えばそういうことを連続して仕掛けていく中で、農業後継者十人、起業家五人、ベッドタウン希望の方五人、はっきり二十人と定めて十年間続けます。そうすると、志望者だけで二百人、御家族をつくっていただけるから六百人から八百人の計算であります。こういうことを行っていきたいと思っております。
ただ、国の新規就農者支援策というのが今年から始まりましたけれども、これも県などを通ずることでややこしい、ちょっと面倒なことになっております。先生方には国会で議決されたことがすんなりと市町村に下りていかない実情ということにも注視をしていただきたいというふうに考えております。
最後に、時間がなくなってまいりましたけれども、活性化と行政の役割ということでありますが、まず国の役割ですが、例えば国防、外交、通貨、通商、大きな自然災害、大規模事故などについては、文字どおり国の根幹にかかわることを国にお願いをしたいということであります。それから、地方は財政が弱いです。これはもうお願いするしかないわけでありますが、今の税制あるいは配分の仕方が今のままであるならば、地方財政計画をひも付きでなく、先ほど橋本先生もおっしゃいましたけれども、立てていただいて配分をしていただき、裁量は市町村にお任せいただきたいということであります。
次に、県とか道州とかいろいろ言われておりますけれども、中間組織は今のように曖昧なものであるならば本当は必要ないのではないかというふうに思っております。国と市町村では余りに乱暴ということであれば、県とか道州は市町村の特性を本当に引き出していただけるような調整能力、強い調整能力を持っていただきたいし、それから、ある規模以上の地域でしか具現化できない戦略性をきちんと発揮したビジョンの構想と実行をお願いをしたいと。今のままでは、言葉が悪いですけれども、伝言ゲームになっているところもあるかというふうに感じております。
最後に、市町村こそが自治の大基本だというふうに思っております。その市町村は、更に小さいコミュニティーやあるいは企業あるいは個人の公共性をいかに発揮していただくか、そのためのあらゆる方法や手段を講じていくこと、これからの日本において最も大切なことの一つというふうに考えております。
どうもありがとうございました。
福
福岡資麿#10
○委員長(福岡資麿君) ありがとうございました。
以上で参考人の方々からの意見の聴取は終了いたしました。
これより質疑を行います。
本日は、まず各会派一巡で十分ずつ質疑を行います。その後、午後四時ごろまでを目途に自由質疑を行いたいと存じますが、質疑の時間が限られておりますので、委員の一回の発言は三分程度となるよう御協力をお願いいたします。
参考人の方々にお願い申し上げます。御答弁の際は、委員長の指名を受けてから御発言いただくようお願い申し上げます。
また、質疑の時間が限られておりますので、簡潔な御答弁をお願いいたします。
なお、質疑及び御答弁は着席のままで結構です。
それでは、質疑のある方は順次御発言願います。
この発言だけを見る →以上で参考人の方々からの意見の聴取は終了いたしました。
これより質疑を行います。
本日は、まず各会派一巡で十分ずつ質疑を行います。その後、午後四時ごろまでを目途に自由質疑を行いたいと存じますが、質疑の時間が限られておりますので、委員の一回の発言は三分程度となるよう御協力をお願いいたします。
参考人の方々にお願い申し上げます。御答弁の際は、委員長の指名を受けてから御発言いただくようお願い申し上げます。
また、質疑の時間が限られておりますので、簡潔な御答弁をお願いいたします。
なお、質疑及び御答弁は着席のままで結構です。
それでは、質疑のある方は順次御発言願います。
徳
徳永エリ#11
○徳永エリ君 民主党・新緑風会の徳永エリでございます。
三人の参考人の皆様、今日は大変貴重なお話をありがとうございました。
東日本大震災以降、国民の価値観というのは随分変わってきていると思います。量的な拡大よりも質的な充実というものを非常に求めているのではないかと思いまして、そういうことを考えますと、本当に中央集権、座らせていただきます、中央集権型からやはり地方の自立型へ転換していくということが非常に重要なのではないかと思います。
最初に、橋本参考人に御質問させていただきます。
今日伺ったお話はもう全くそのとおりだと思います。そこで、中央集権から地方自立型の行政システムに確立していくために、まずどういうことをしなければいけないかということです。
例えば、私の地元は北海道なんですけれども、北海道は道州制に向けて十四支庁の再編というのを行いました。九つの総合振興局と、それから五つの振興局に分けたんですが、実際には地域の皆さんの声を聞くと何も変わっていないという実態があります。
実は私、今、幹事長室の陳情担当をさせていただいているんですけれども、全国から実に様々な御要望をいただきますが、本当に限られた地域の問題であってもその地域にとっては非常に重大な問題だということがたくさんあります。国民の間の生活格差、それから地域格差、またいろんな社会問題も起きている中で、本当に地域の問題を中央でしっかりととらえて対応することができるんだろうかと、対応が遅れている間にどんどん問題が深刻になっていくのではないかと思います。
私は、この地域自立型の行政システムに変えていくというのは、もう今喫緊の課題だと思いますけれども、どうしたらいいのかということと、それから、道州制のほかにも広域連合とかそれから九都県市首脳会議など最近いろんな動きがありますが、どのような形で行われることが望ましいとお考えなのか、橋本参考人の御意見をお聞かせいただきたいと思います。
この発言だけを見る →三人の参考人の皆様、今日は大変貴重なお話をありがとうございました。
東日本大震災以降、国民の価値観というのは随分変わってきていると思います。量的な拡大よりも質的な充実というものを非常に求めているのではないかと思いまして、そういうことを考えますと、本当に中央集権、座らせていただきます、中央集権型からやはり地方の自立型へ転換していくということが非常に重要なのではないかと思います。
最初に、橋本参考人に御質問させていただきます。
今日伺ったお話はもう全くそのとおりだと思います。そこで、中央集権から地方自立型の行政システムに確立していくために、まずどういうことをしなければいけないかということです。
例えば、私の地元は北海道なんですけれども、北海道は道州制に向けて十四支庁の再編というのを行いました。九つの総合振興局と、それから五つの振興局に分けたんですが、実際には地域の皆さんの声を聞くと何も変わっていないという実態があります。
実は私、今、幹事長室の陳情担当をさせていただいているんですけれども、全国から実に様々な御要望をいただきますが、本当に限られた地域の問題であってもその地域にとっては非常に重大な問題だということがたくさんあります。国民の間の生活格差、それから地域格差、またいろんな社会問題も起きている中で、本当に地域の問題を中央でしっかりととらえて対応することができるんだろうかと、対応が遅れている間にどんどん問題が深刻になっていくのではないかと思います。
私は、この地域自立型の行政システムに変えていくというのは、もう今喫緊の課題だと思いますけれども、どうしたらいいのかということと、それから、道州制のほかにも広域連合とかそれから九都県市首脳会議など最近いろんな動きがありますが、どのような形で行われることが望ましいとお考えなのか、橋本参考人の御意見をお聞かせいただきたいと思います。
橋
橋本大二郎#12
○参考人(橋本大二郎君) まず、中央集権から地方分権型の社会へと変わるために必要なことは、一言で言えば政治のリーダーシップでございます。政治のリーダーシップを発揮して、その決断をするということがまず第一に必要だと思います。
その次に、先ほど申し上げましたように分権型の国に変えていくためには、国が持っている事業を仕分をしていかなければいけない。民主党の使っておられる表現で言えば、地域主権という受皿と新しい公共という受皿と、そういうものを新しい公共の法整備は一定なされてきておりますけれども、そういう受皿をつくってそこにどうやって移していくかということを政治のリーダーシップで決めるということに尽きるのではないかと思います。
それから、広域連合などの取組は、それはそれぞれの地域によりますので、一般論として言えることではないと思いますが、何か広域連合でやっていくのであれば何をやるんだというやっぱり目標が必要であろうと。目標が明確であれば、広域連合で何かをやっていくことは、道州制がどうかということは別にして、次のいろんな自治の組み直しに役に立っていく。だけど、何か目標もなく、はやり言葉のように広域連合といって何かやろうと、何をやりましょうかねといって議論するんだったらば、余り効果は上がらないんではないかというふうに思います。
この発言だけを見る →その次に、先ほど申し上げましたように分権型の国に変えていくためには、国が持っている事業を仕分をしていかなければいけない。民主党の使っておられる表現で言えば、地域主権という受皿と新しい公共という受皿と、そういうものを新しい公共の法整備は一定なされてきておりますけれども、そういう受皿をつくってそこにどうやって移していくかということを政治のリーダーシップで決めるということに尽きるのではないかと思います。
それから、広域連合などの取組は、それはそれぞれの地域によりますので、一般論として言えることではないと思いますが、何か広域連合でやっていくのであれば何をやるんだというやっぱり目標が必要であろうと。目標が明確であれば、広域連合で何かをやっていくことは、道州制がどうかということは別にして、次のいろんな自治の組み直しに役に立っていく。だけど、何か目標もなく、はやり言葉のように広域連合といって何かやろうと、何をやりましょうかねといって議論するんだったらば、余り効果は上がらないんではないかというふうに思います。
徳
徳永エリ#13
○徳永エリ君 ありがとうございます。
続いて、山本参考人にお伺いいたします。
私も、実は三月十一日以降、定期的に宮古のお隣の山田町というところに入らせていただいております。瓦れきの山ができておりまして、ガスがたまって自然発火して火災なども起きておりまして、御地元の皆さんにとってはこの瓦れきの処理というのは大変な問題だと思います。
それに関連してなんですが、先日、細川元総理が理事長で、横浜国立大学の名誉教授の宮脇先生が副理事長で、東日本大震災で出た瓦れきを活用して、盛土にし、そこに木を植えて防潮林を造ろうという森の長城プロジェクトが設立いたしました。私は、山田町で復興計画の住民説明会に出たこともあるんですけれども、あの三陸の海岸線にコンクリートでできた大きな防潮堤を造るのはいかがなものかと反対の声も随分上がっていたんですね。特にこの瓦れきの問題は、たくさんのお金を掛けて、また住民の反対を押し切って広域処理するという部分もあるんですけれども、それよりも基金を募って海岸線に緑の防潮堤を造ろうというのは、私は非常に大事な意見なんではないかというふうに思います。
そもそもこの構想は、昨年の四月二十八日に復興構想会議に向けて、四千万本の木を植えた植物生態学者の宮脇昭さんの緊急提言として出されていたそうです。しかし、復興構想会議でこの提言についてどう検討されたのか、議論されたのか、そのこともよく分かりません。
この広域の瓦れき処理に関しても、私たち議員の間でも十分に果たして議論したかというと、そうではないような気がするんですね。こういう民間の知恵やアイデアを行政は検討してどうして取り入れることができないのかということと、それと、なかなかこの資金面の援助ということも難しいですよね。
そこで、この森の長城プロジェクトに関する被災県としてのお考えを聞かせていただきたいということと、それから民間の意見がなかなか取り入れられない、支援がなかなかされないと、こういうことに対する行政のお考えや事情をお聞かせいただきたいと思います。
この発言だけを見る →続いて、山本参考人にお伺いいたします。
私も、実は三月十一日以降、定期的に宮古のお隣の山田町というところに入らせていただいております。瓦れきの山ができておりまして、ガスがたまって自然発火して火災なども起きておりまして、御地元の皆さんにとってはこの瓦れきの処理というのは大変な問題だと思います。
それに関連してなんですが、先日、細川元総理が理事長で、横浜国立大学の名誉教授の宮脇先生が副理事長で、東日本大震災で出た瓦れきを活用して、盛土にし、そこに木を植えて防潮林を造ろうという森の長城プロジェクトが設立いたしました。私は、山田町で復興計画の住民説明会に出たこともあるんですけれども、あの三陸の海岸線にコンクリートでできた大きな防潮堤を造るのはいかがなものかと反対の声も随分上がっていたんですね。特にこの瓦れきの問題は、たくさんのお金を掛けて、また住民の反対を押し切って広域処理するという部分もあるんですけれども、それよりも基金を募って海岸線に緑の防潮堤を造ろうというのは、私は非常に大事な意見なんではないかというふうに思います。
そもそもこの構想は、昨年の四月二十八日に復興構想会議に向けて、四千万本の木を植えた植物生態学者の宮脇昭さんの緊急提言として出されていたそうです。しかし、復興構想会議でこの提言についてどう検討されたのか、議論されたのか、そのこともよく分かりません。
この広域の瓦れき処理に関しても、私たち議員の間でも十分に果たして議論したかというと、そうではないような気がするんですね。こういう民間の知恵やアイデアを行政は検討してどうして取り入れることができないのかということと、それと、なかなかこの資金面の援助ということも難しいですよね。
そこで、この森の長城プロジェクトに関する被災県としてのお考えを聞かせていただきたいということと、それから民間の意見がなかなか取り入れられない、支援がなかなかされないと、こういうことに対する行政のお考えや事情をお聞かせいただきたいと思います。
山
山本正徳#14
○参考人(山本正徳君) 大変貴重な質問、ありがとうございました。
瓦れきの部分で、瓦れきの中の土の部分を使って植樹をしようというのは、その山田町の隣の大槌町というところでは一部始めております。あとは、我々の方も、例えば宮古市なら宮古市でも、場所の問題とかいろいろあって、すごくいいことだというふうに思っております。なるだけ、いろんな、瓦れきといっても、木質から、あるいはメタルから金属から、それから不燃物から、それから土砂の部分、それからコンクリートの部分、たくさん、分別するといろいろ種類があるんですね。ですから、その中でもそういういろんなそれをどのように活用するかというのは、どんどん意見を出してもらってどんどん取り入れて、それをそういう方向に持っていくべきだというふうに私は思っております。
それから、各被災市町村でもそのように考えております。ただ、スピード面でなかなか今の段階では付いていっていないというのが現状かというふうに思っております。
この発言だけを見る →瓦れきの部分で、瓦れきの中の土の部分を使って植樹をしようというのは、その山田町の隣の大槌町というところでは一部始めております。あとは、我々の方も、例えば宮古市なら宮古市でも、場所の問題とかいろいろあって、すごくいいことだというふうに思っております。なるだけ、いろんな、瓦れきといっても、木質から、あるいはメタルから金属から、それから不燃物から、それから土砂の部分、それからコンクリートの部分、たくさん、分別するといろいろ種類があるんですね。ですから、その中でもそういういろんなそれをどのように活用するかというのは、どんどん意見を出してもらってどんどん取り入れて、それをそういう方向に持っていくべきだというふうに私は思っております。
それから、各被災市町村でもそのように考えております。ただ、スピード面でなかなか今の段階では付いていっていないというのが現状かというふうに思っております。
徳
徳永エリ#15
○徳永エリ君 ありがとうございました。
それでは、続いて市村参考人にお聞きしたいと思います。
市村参考人のお話を聞いておりまして、私、長野県の小布施町に行ったことがないんですけれども、とてもきれいな町なようで、一度行ってみたいなという気持ちになりましたので、近いうちお邪魔したいと思います。
お話を聞いておりまして、やはりまちづくりにはビジョンとか目標が大事だなというふうに思いました。それと、やっぱり人ですよね。特に町長さんが情熱を持っておられてやっておられるということが非常に大きいのではないかと思います。一万二千人という人口の町に年間百二十万人もの方々が訪れるという、その町の持つポテンシャルを最大限に生かした魅力的なまちづくりというのは本当にすばらしいと感銘いたしました。
市村参考人は住民主体のまちづくり運動の中心人物として、かつては様々なイベントや事業を成功させていらっしゃいましたけれども、以前は、町長さんになられる前は民の側で、行政に対して求めることや、なかなかうまくいかないことなんかもいろいろあったんじゃないかと思いますけれども、特に資金面が大変だと思います。イベントをやろうと思ったり何か事業を起こそうと思うと、私も地元で映画祭をお手伝いさせていただきましたけれども、毎年毎年何が一番大変かというと、運営するための資金集めなんですね。どんなにその映画祭がどんどんどんどん評判になって大きくなっていっても、逆に資金が、どんどん増えていくのに、集まってこないと。先ほど企業の力が非常に重要だとおっしゃいましたけれども、志の高い企業と出会うこともとっても難しいんですね。
恐らく資金面ではいろいろとお悩みがあったんじゃないかと思いますけれども、民の側で行政に対してあるいは企業に対してどんな思いを持っておられたか、またそれから御自身が町長になられて、今度は行政の側から、その民とのかかわりや活動支援に対してどんなお考えをお持ちなのか、そして新しい公共の在り方という面に関してお話をいただきたいと思います。
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市村参考人のお話を聞いておりまして、私、長野県の小布施町に行ったことがないんですけれども、とてもきれいな町なようで、一度行ってみたいなという気持ちになりましたので、近いうちお邪魔したいと思います。
お話を聞いておりまして、やはりまちづくりにはビジョンとか目標が大事だなというふうに思いました。それと、やっぱり人ですよね。特に町長さんが情熱を持っておられてやっておられるということが非常に大きいのではないかと思います。一万二千人という人口の町に年間百二十万人もの方々が訪れるという、その町の持つポテンシャルを最大限に生かした魅力的なまちづくりというのは本当にすばらしいと感銘いたしました。
市村参考人は住民主体のまちづくり運動の中心人物として、かつては様々なイベントや事業を成功させていらっしゃいましたけれども、以前は、町長さんになられる前は民の側で、行政に対して求めることや、なかなかうまくいかないことなんかもいろいろあったんじゃないかと思いますけれども、特に資金面が大変だと思います。イベントをやろうと思ったり何か事業を起こそうと思うと、私も地元で映画祭をお手伝いさせていただきましたけれども、毎年毎年何が一番大変かというと、運営するための資金集めなんですね。どんなにその映画祭がどんどんどんどん評判になって大きくなっていっても、逆に資金が、どんどん増えていくのに、集まってこないと。先ほど企業の力が非常に重要だとおっしゃいましたけれども、志の高い企業と出会うこともとっても難しいんですね。
恐らく資金面ではいろいろとお悩みがあったんじゃないかと思いますけれども、民の側で行政に対してあるいは企業に対してどんな思いを持っておられたか、またそれから御自身が町長になられて、今度は行政の側から、その民とのかかわりや活動支援に対してどんなお考えをお持ちなのか、そして新しい公共の在り方という面に関してお話をいただきたいと思います。
市
市村良三#16
○参考人(市村良三君) ありがとうございます。
まず、民の立場だったときにどうだったかということなんですけれども、私は自分でも企業経営ということをしておりましたし、先ほどちらっと申し上げましたけれども、企業というのは非常に公共性の高いものだというふうに思っているんですね。それを何となく否定されちゃっているところがあるような気がするんですけれども、それを出やすくしてあげるというのが非常に重要なんだろうなというふうに思います。
つまり何が言いたいかというと、地域が良くなることが自分たちの事業もうまくいくんだということの、その条件というのが必ずあるはずだと思うんですね。やっぱり支持していただくということでしょうかね。そういう観点からずっと民間でやってきましたけれども、私どもの行政のところは割合それをよく分かっていただいてきたような気がいたします。ですから、それは行政もそれから民間企業においても、同じように資金を出していただいたというふうに思っております。
自分が立場を変わって、ではこういう町長というような立場に立たせていただいたときに何を一番感じたかというと、先ほども申し上げましたけれども、私の住んでいる町というのは自分が想像していたよりもずっと奥が深いということでありました。それは、これだけ町の中を回ったことがなかったという、人間の行動半径というのは意外と、その考えにしろ、実際にしろ、狭いものだなという感じをいたしました。
もっと奥深い、もっと魅力的なものがたくさん実はあったんだということに気が付いて、そこを町民の皆さんと一緒にどうやって掘り起こすかということがとても楽しみな作業にもなりましたし、実際、町の人は、そういうことに対しての理解と、それから実行する力が強い方々ですので、新しいことが、今まで思ってもみなかったようなことができるようになったというふうに申し上げていいかもしれません。
それから、何でしたっけ、最後は。
この発言だけを見る →まず、民の立場だったときにどうだったかということなんですけれども、私は自分でも企業経営ということをしておりましたし、先ほどちらっと申し上げましたけれども、企業というのは非常に公共性の高いものだというふうに思っているんですね。それを何となく否定されちゃっているところがあるような気がするんですけれども、それを出やすくしてあげるというのが非常に重要なんだろうなというふうに思います。
つまり何が言いたいかというと、地域が良くなることが自分たちの事業もうまくいくんだということの、その条件というのが必ずあるはずだと思うんですね。やっぱり支持していただくということでしょうかね。そういう観点からずっと民間でやってきましたけれども、私どもの行政のところは割合それをよく分かっていただいてきたような気がいたします。ですから、それは行政もそれから民間企業においても、同じように資金を出していただいたというふうに思っております。
自分が立場を変わって、ではこういう町長というような立場に立たせていただいたときに何を一番感じたかというと、先ほども申し上げましたけれども、私の住んでいる町というのは自分が想像していたよりもずっと奥が深いということでありました。それは、これだけ町の中を回ったことがなかったという、人間の行動半径というのは意外と、その考えにしろ、実際にしろ、狭いものだなという感じをいたしました。
もっと奥深い、もっと魅力的なものがたくさん実はあったんだということに気が付いて、そこを町民の皆さんと一緒にどうやって掘り起こすかということがとても楽しみな作業にもなりましたし、実際、町の人は、そういうことに対しての理解と、それから実行する力が強い方々ですので、新しいことが、今まで思ってもみなかったようなことができるようになったというふうに申し上げていいかもしれません。
それから、何でしたっけ、最後は。
徳
市
市村良三#18
○参考人(市村良三君) やっぱり、これは今、昔で言ったら企業誘致なんでしょうけれども、企業誘致ということじゃなくて、一緒にまちづくりをお願いできませんかと。私どものところで何かしていただいても余りもうかりませんけれども、今の時代ですので、あの町のまちづくりを一緒にやったということがあるいは一つの企業価値を上げるということにつながるかもしれませんというような、非常に巧妙なお願いをして、随分御協力をいただいております。
この発言だけを見る →徳
中
中山恭子#20
○中山恭子君 自由民主党・たちあがれ日本・無所属の会の中山でございます。
今日はお三方に貴重な御意見いただきまして、ありがとうございます。
では、着席して質問いたします。
まず、それでは橋本知事にお伺いいたします。
もう二十年も前になります。四国財務局長として勤務しておりましたときには、高知県知事としていろいろ御指導いただきまして、ありがとうございました。そのときから高知県に非常に新しい風が吹き込まれたというのを見ておりまして、大きな動きが出てきたなというふうに感じておりました。今日またお話を伺いまして、非常に地方分権という、主な考えは地方分権でいらっしゃると思うんですけれども、それの中でも極端に全て地方にというのではなく、本来取り組むべき戦略的な課題というものを国が集中的に取り組むというお考えを伺いました。非常にもっともな御意見であろうかと思っております。
ただ、今、では国が取り組むべきものというのが何かということを非常に真剣に考えなければいけない時期に来ているかと思っております。
現在の国際情勢を見ますと、非常に厳しい状況の中にある。先ほど戦時というお話がありましたが、戦時に近いような状況が出てきている。そういった中で、日本が一つのまとまりを持って、中央政府が国際情勢を見極めて、そして地方と緊密に連携していかなければいけない時期に今あると考えております。
そういった中で、どういう言い方がいいのか、私、新しい言葉を見付けてはいないんですけれども、中央集権型又は地方分権型という固まったものではなくて、中央と地方の間に緊密な連携があって、それぞれの役割分担がより明確になるような、非常に調和を超えた、そういった在り方というものをみんなで検討する時期に来ているのではないかと思っております。
また、日本が大きな災害に見舞われ、またこれからも災害が起きるかもしれないというようなときにどう対応していくのか、そういったことも含めて、また財源がどのようなものなのかをしっかり検討する時期に来ていると思っております。
そういった意味で、橋本知事は、先ほどのお話に追加して、更に財源の問題などお考えをお知らせいただけたら有り難いと思っています。
三人続けて御質問してよろしいでしょうか。
この発言だけを見る →今日はお三方に貴重な御意見いただきまして、ありがとうございます。
では、着席して質問いたします。
まず、それでは橋本知事にお伺いいたします。
もう二十年も前になります。四国財務局長として勤務しておりましたときには、高知県知事としていろいろ御指導いただきまして、ありがとうございました。そのときから高知県に非常に新しい風が吹き込まれたというのを見ておりまして、大きな動きが出てきたなというふうに感じておりました。今日またお話を伺いまして、非常に地方分権という、主な考えは地方分権でいらっしゃると思うんですけれども、それの中でも極端に全て地方にというのではなく、本来取り組むべき戦略的な課題というものを国が集中的に取り組むというお考えを伺いました。非常にもっともな御意見であろうかと思っております。
ただ、今、では国が取り組むべきものというのが何かということを非常に真剣に考えなければいけない時期に来ているかと思っております。
現在の国際情勢を見ますと、非常に厳しい状況の中にある。先ほど戦時というお話がありましたが、戦時に近いような状況が出てきている。そういった中で、日本が一つのまとまりを持って、中央政府が国際情勢を見極めて、そして地方と緊密に連携していかなければいけない時期に今あると考えております。
そういった中で、どういう言い方がいいのか、私、新しい言葉を見付けてはいないんですけれども、中央集権型又は地方分権型という固まったものではなくて、中央と地方の間に緊密な連携があって、それぞれの役割分担がより明確になるような、非常に調和を超えた、そういった在り方というものをみんなで検討する時期に来ているのではないかと思っております。
また、日本が大きな災害に見舞われ、またこれからも災害が起きるかもしれないというようなときにどう対応していくのか、そういったことも含めて、また財源がどのようなものなのかをしっかり検討する時期に来ていると思っております。
そういった意味で、橋本知事は、先ほどのお話に追加して、更に財源の問題などお考えをお知らせいただけたら有り難いと思っています。
三人続けて御質問してよろしいでしょうか。
福
中
中山恭子#22
○中山恭子君 山本宮古市長には、まず、その災害で命を落とされた東日本の皆様、そして被害に遭われた方々に心からまず哀悼の意をささげます。
東日本全域のことではありますが、宮古市においても市民の方々が計り知れない悲しみに沈んで、立つ力も失われてしまったような状態にあったのだろうと思いますし、山本市長におかれましても、どんなに悲しい思いをなさったことか、困難な状況に置かれたことだったでしょうと思いを巡らせております。本当に大変なことだったことと思っております。よく頑張られたなと思いながら先ほどお話を伺っておりました。
この東日本の災害の復興に関しましても、私自身は、もちろん地域の、地方の御意見を伺いながらというのは当然のことでございまして、ただ、地方が考えなければ国は動かないというようなことはあってはならないと思っております。
例えば地盤、地域が海に沈んでしまったような地域、そういった場合には国がその沈んだ地盤又は使えなくなった地盤を造り上げる、土地がなくなった場合には堅固な構築物でもいいと思います、いろんなやり方があるかと思いますが、今後住んでいく場所、学校の施設や保育所、保健所なども必要だと思います、そういった地盤を国が造り上げる、そのくらいの覚悟を国がして、国家プロジェクトとして復旧復興に当たるべきということを考えておりまして、財政金融委員会でも災害の直後に、この場合は野田財務大臣でございましたけれども、いらっしゃいましたが、そういった主張を続けてきております。
なかなか理解されておりませんけれども、そういった意味で、しっかりした復興を行う、その地域の方々の意見を聞きながら、国家プロジェクトとして資金も全てを賄いながら国が復興事業を行う必要があると考えているところでございます。
東日本が世界から今後たくさんの方が訪れるような地域、世界の中でも美しい地域、そして安全な地域に復興させること、これが国としてしなければいけないことであり、亡くなられた方々に対する鎮魂であると考えております。
そういった意味で、地域の意見を聞く、地域の意見から事が始まるというだけではなくて、国も一緒になって復興事業に当たるという必要があろうかと考えておりまして、それについての御感想というとおかしいかもしれませんが、より国がかかわってよいのではないかと。特に社会インフラですね。道路はもちろんなんですが、今、新しく町をつくっていく場合には、ずっと主張しておりますのは、東日本には全ての町に共同溝を造るべしと。共同溝というのは、電線はもちろんですが、水道、ガス、そういった社会インフラを全て道路の下に入れて、場合によってはごみ処理もそこで全て行うという、美しいまちづくりにつながるものでございますが、それを行うべきではないかと思っておりまして、思い切って希望を出されてみてはいかがでしょうかと思っております。
さらに、市村参考人には、すばらしいまちづくりを進めていらっしゃること、大変感動しております。私自身は、日本の町が全て小布施町のように美しい町になる、それを理想として、夢として掲げております。夢だけではなくて実現に向けて動いていきたいと、そこに力を尽くしていきたいと思っているところでございます。まさにそのお手本でございまして、これがそれぞれの町に、公共の部分とそれから私的な部分のすみ分けといったこと、それから、そこにはまた日本人が持っている文化、日本の文化は非常に貴重なものだと思いますけれども、なかなか理解されないので、世界の方々に訪ねてもらう。そうすればすぐ日本文化は理解される。そのためには全ての町が美しくあるべしと思っております。
済みません、時間がちょっと掛かっております。ありがとうございました。よろしくお願いいたします。
この発言だけを見る →東日本全域のことではありますが、宮古市においても市民の方々が計り知れない悲しみに沈んで、立つ力も失われてしまったような状態にあったのだろうと思いますし、山本市長におかれましても、どんなに悲しい思いをなさったことか、困難な状況に置かれたことだったでしょうと思いを巡らせております。本当に大変なことだったことと思っております。よく頑張られたなと思いながら先ほどお話を伺っておりました。
この東日本の災害の復興に関しましても、私自身は、もちろん地域の、地方の御意見を伺いながらというのは当然のことでございまして、ただ、地方が考えなければ国は動かないというようなことはあってはならないと思っております。
例えば地盤、地域が海に沈んでしまったような地域、そういった場合には国がその沈んだ地盤又は使えなくなった地盤を造り上げる、土地がなくなった場合には堅固な構築物でもいいと思います、いろんなやり方があるかと思いますが、今後住んでいく場所、学校の施設や保育所、保健所なども必要だと思います、そういった地盤を国が造り上げる、そのくらいの覚悟を国がして、国家プロジェクトとして復旧復興に当たるべきということを考えておりまして、財政金融委員会でも災害の直後に、この場合は野田財務大臣でございましたけれども、いらっしゃいましたが、そういった主張を続けてきております。
なかなか理解されておりませんけれども、そういった意味で、しっかりした復興を行う、その地域の方々の意見を聞きながら、国家プロジェクトとして資金も全てを賄いながら国が復興事業を行う必要があると考えているところでございます。
東日本が世界から今後たくさんの方が訪れるような地域、世界の中でも美しい地域、そして安全な地域に復興させること、これが国としてしなければいけないことであり、亡くなられた方々に対する鎮魂であると考えております。
そういった意味で、地域の意見を聞く、地域の意見から事が始まるというだけではなくて、国も一緒になって復興事業に当たるという必要があろうかと考えておりまして、それについての御感想というとおかしいかもしれませんが、より国がかかわってよいのではないかと。特に社会インフラですね。道路はもちろんなんですが、今、新しく町をつくっていく場合には、ずっと主張しておりますのは、東日本には全ての町に共同溝を造るべしと。共同溝というのは、電線はもちろんですが、水道、ガス、そういった社会インフラを全て道路の下に入れて、場合によってはごみ処理もそこで全て行うという、美しいまちづくりにつながるものでございますが、それを行うべきではないかと思っておりまして、思い切って希望を出されてみてはいかがでしょうかと思っております。
さらに、市村参考人には、すばらしいまちづくりを進めていらっしゃること、大変感動しております。私自身は、日本の町が全て小布施町のように美しい町になる、それを理想として、夢として掲げております。夢だけではなくて実現に向けて動いていきたいと、そこに力を尽くしていきたいと思っているところでございます。まさにそのお手本でございまして、これがそれぞれの町に、公共の部分とそれから私的な部分のすみ分けといったこと、それから、そこにはまた日本人が持っている文化、日本の文化は非常に貴重なものだと思いますけれども、なかなか理解されないので、世界の方々に訪ねてもらう。そうすればすぐ日本文化は理解される。そのためには全ての町が美しくあるべしと思っております。
済みません、時間がちょっと掛かっております。ありがとうございました。よろしくお願いいたします。
橋
橋本大二郎#23
○参考人(橋本大二郎君) ありがとうございます。
中山先生と久しぶりにお目にかかって、二十年前に知事になったとき、財務局長としてお会いをしたのを思い出します。当時、各出先機関の長が集まって、官衙長会というのがあって、私、その官衙長会という名前を聞いたときに、県庁の役人に、官衙長ってどんな字を書くんだと、どういう意味だと言って聞いたことを思い出しました。
ちょっと余談になりましたけれども、本論に入りますと、まず、その中央集権と地方分権、分権型というのを、二者択一の対立概念ではなくて、もう少し友好的な緊密な関係でとらえられないのかという御質問でございますが、私は、中山先生の大変優しいお人柄からいって、対立の概念よりもとおっしゃる意味はよく分かりますし、今のシステムの中でもいいところはございます。
しかし、やはり国土の均衡ある発展などからもう何十年という時間がたち、そして日本列島改造論からももう四十年という時間がたつ中で、やっぱりそういう制度、仕組みが完全に古くなってしまって、もうそこから抜け出さないと新しい発展がないというところまで来ていると思いますので、私は、対立というよりも対等という関係で見ていただいて、きちんとその権限を分けていくということが必要ではないかと。そうではないと、中山委員のおっしゃった、全ての市町村を小布施のようにという思いは今のシステムの中では私は実現しないだろうというのが自分の思いです、細かいことは申し上げませんけれども。
あと、財源のことに関しては、これは非常に難しい問題です。国と地方だけではなくて、東京都と高知県でも全く利害関係というか考え方が異なりますので、非常に難しい問題ですが、これができないで国の仕組みというのは絶対に変わらないので、やっていかざるを得ないということになります。
そのとき、私は、自分が首長を辞めてからこういうことを申し上げるのは山本参考人にも市村参考人にも大変失礼なのですけれども、やっぱり財源が激減してもやっていけるような自治体になっていかないといけないのではないかと。今が緩いということで申し上げているのではありませんけれども、今のそれぞれの首長さんの選び方を見ても、まだまだ、まあ誰がやってもどうにかなるかという感じで選ばれているところが数多くあると思います。本当に厳しくなったときに自分の地域の経営者を誰にするかということを本気で、山本さんなり市村さんを選ぶように、皆さん選んでいかれるのではないかと。
そういうことを実現していくためにも、私は、財源というのはかなり減っても、地域の自立に任せていくということを思い切ってやっていく、そのことが必要ではないかと、辞めた後言うのは失礼な話ですけれども、そう思っております。
この発言だけを見る →中山先生と久しぶりにお目にかかって、二十年前に知事になったとき、財務局長としてお会いをしたのを思い出します。当時、各出先機関の長が集まって、官衙長会というのがあって、私、その官衙長会という名前を聞いたときに、県庁の役人に、官衙長ってどんな字を書くんだと、どういう意味だと言って聞いたことを思い出しました。
ちょっと余談になりましたけれども、本論に入りますと、まず、その中央集権と地方分権、分権型というのを、二者択一の対立概念ではなくて、もう少し友好的な緊密な関係でとらえられないのかという御質問でございますが、私は、中山先生の大変優しいお人柄からいって、対立の概念よりもとおっしゃる意味はよく分かりますし、今のシステムの中でもいいところはございます。
しかし、やはり国土の均衡ある発展などからもう何十年という時間がたち、そして日本列島改造論からももう四十年という時間がたつ中で、やっぱりそういう制度、仕組みが完全に古くなってしまって、もうそこから抜け出さないと新しい発展がないというところまで来ていると思いますので、私は、対立というよりも対等という関係で見ていただいて、きちんとその権限を分けていくということが必要ではないかと。そうではないと、中山委員のおっしゃった、全ての市町村を小布施のようにという思いは今のシステムの中では私は実現しないだろうというのが自分の思いです、細かいことは申し上げませんけれども。
あと、財源のことに関しては、これは非常に難しい問題です。国と地方だけではなくて、東京都と高知県でも全く利害関係というか考え方が異なりますので、非常に難しい問題ですが、これができないで国の仕組みというのは絶対に変わらないので、やっていかざるを得ないということになります。
そのとき、私は、自分が首長を辞めてからこういうことを申し上げるのは山本参考人にも市村参考人にも大変失礼なのですけれども、やっぱり財源が激減してもやっていけるような自治体になっていかないといけないのではないかと。今が緩いということで申し上げているのではありませんけれども、今のそれぞれの首長さんの選び方を見ても、まだまだ、まあ誰がやってもどうにかなるかという感じで選ばれているところが数多くあると思います。本当に厳しくなったときに自分の地域の経営者を誰にするかということを本気で、山本さんなり市村さんを選ぶように、皆さん選んでいかれるのではないかと。
そういうことを実現していくためにも、私は、財源というのはかなり減っても、地域の自立に任せていくということを思い切ってやっていく、そのことが必要ではないかと、辞めた後言うのは失礼な話ですけれども、そう思っております。
山
山本正徳#24
○参考人(山本正徳君) ありがとうございます。本当に我々のところを心配してくれまして、本当にありがとうございます。
今、復興に関しまして、先週の金曜日に第二次の第三次補正予算の交付金が発表になりました。今度は一次と違ってかなり大きい額をいただきましたけれども、やはりどんな場合でもそうですけれども、財源を握っている方が決定権があるわけですよね。これが非常に大変なのですね。我々がやろうとする思いと、それから国が考えている思いが違うと、それを平野大臣は何遍も被災地に来て聞き取りをしてはおりますが、それでもなかなか規制が強くて、我々がやる優先順位とまた国が考える優先順位とが違って、なかなか苦労している部分もたくさんございます。
今の分権の話とかいろいろありますので、やっぱり財源というものがどこに置かれるかによって我々が自立できるかできないかがやっぱり決まってくるのではないかなというふうに思っておりますが、橋本先生言うように、ないはないなりに頑張りたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
この発言だけを見る →今、復興に関しまして、先週の金曜日に第二次の第三次補正予算の交付金が発表になりました。今度は一次と違ってかなり大きい額をいただきましたけれども、やはりどんな場合でもそうですけれども、財源を握っている方が決定権があるわけですよね。これが非常に大変なのですね。我々がやろうとする思いと、それから国が考えている思いが違うと、それを平野大臣は何遍も被災地に来て聞き取りをしてはおりますが、それでもなかなか規制が強くて、我々がやる優先順位とまた国が考える優先順位とが違って、なかなか苦労している部分もたくさんございます。
今の分権の話とかいろいろありますので、やっぱり財源というものがどこに置かれるかによって我々が自立できるかできないかがやっぱり決まってくるのではないかなというふうに思っておりますが、橋本先生言うように、ないはないなりに頑張りたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
市
市村良三#25
○参考人(市村良三君) 今の中山先生の御質問にちょっとうっとりして、参考人がうっとりしていちゃいけないんでしょうけれども、大変感動いたしました。
というのは、まず東北、山本参考人がいらっしゃるのに失礼な話ですけれども、東北の復興については、先生おっしゃるように、本当に日本のこれまでなかったような美しい町、村をおつくりいただきたいなと。そういうことでは、共同溝なんというのは絶対に国策でやっていただきたいなと、モデルになってほしいなとまずは思います。
それから、私への御質問ですけれども、私は、公共ということが、先ほども申し上げましたけど、何でこんなに行政に頼るようになっちゃったんだろうという、これがやっぱり日本人が失ったものの大きなものだなというふうに思います。それは行政の側もいけないですね。これは行政の権限だみたいにどこか錯覚しちゃっているところがあると。
私どもで行った町並み修景事業というのは、官民境界の取っ払いです。どこからが私のものでどこからが公共のものか分からない、そういうことが実は重要で、両方ともその大事な部分を担っているんだということをもう一度思い直す必要があるのではないかと。それは、中山先生が今おっしゃった日本人が本来持っている特質だというふうに信じておりますし、町の中でもそういうお話をさせていただいております。
それから、今、橋本先生がおっしゃった財源の問題はやっぱり考えていかなきゃ駄目だと、サステーナブルじゃなきゃ駄目だという、もちろんそのとおりだと思います。そのためには、やっぱり公共のある部分を元々人々が持っていたものもやっていただくというようなこと、それから、地区ごとに、さっきサービスが違ってもいいんだと、これが我々にできる精いっぱいということを、その地域の人は財源なりにやっぱり甘受をしていただくということもあるではないかと。その代わり、そこに住むということはこういう価値があるんだということをみんなで分かり合っていこうというようなことが必要なんだろうというふうにも思っております。
以上です。
この発言だけを見る →というのは、まず東北、山本参考人がいらっしゃるのに失礼な話ですけれども、東北の復興については、先生おっしゃるように、本当に日本のこれまでなかったような美しい町、村をおつくりいただきたいなと。そういうことでは、共同溝なんというのは絶対に国策でやっていただきたいなと、モデルになってほしいなとまずは思います。
それから、私への御質問ですけれども、私は、公共ということが、先ほども申し上げましたけど、何でこんなに行政に頼るようになっちゃったんだろうという、これがやっぱり日本人が失ったものの大きなものだなというふうに思います。それは行政の側もいけないですね。これは行政の権限だみたいにどこか錯覚しちゃっているところがあると。
私どもで行った町並み修景事業というのは、官民境界の取っ払いです。どこからが私のものでどこからが公共のものか分からない、そういうことが実は重要で、両方ともその大事な部分を担っているんだということをもう一度思い直す必要があるのではないかと。それは、中山先生が今おっしゃった日本人が本来持っている特質だというふうに信じておりますし、町の中でもそういうお話をさせていただいております。
それから、今、橋本先生がおっしゃった財源の問題はやっぱり考えていかなきゃ駄目だと、サステーナブルじゃなきゃ駄目だという、もちろんそのとおりだと思います。そのためには、やっぱり公共のある部分を元々人々が持っていたものもやっていただくというようなこと、それから、地区ごとに、さっきサービスが違ってもいいんだと、これが我々にできる精いっぱいということを、その地域の人は財源なりにやっぱり甘受をしていただくということもあるではないかと。その代わり、そこに住むということはこういう価値があるんだということをみんなで分かり合っていこうというようなことが必要なんだろうというふうにも思っております。
以上です。
秋
秋野公造#26
○秋野公造君 公明党の秋野公造です。今日は、三人の参考人の先生方、貴重なお話を本当にありがとうございました。
まず、橋本前知事に伺いたいと思います。
地域主権に全く賛成の立場から、権限の移譲、それから財源の移譲をしっかり行うべきであるという、その前提となる現状の交付税の財政均衡機能に対してどのように御評価なさっているでしょうか。すなわち、もっともっと例えば地方に傾斜配分をしていくべきであるとか、あるいはそういうものはもっとなくしていくべきであるとか、そういうことを含めて、この地方交付税の財政均衡機能に対してどのような評価をお持ちか、教えていただけたらと思います。
それから、山本市長には、先ほど地方整備局のお話がありました。国の出先機関の廃止について話合いが行われているようでありますけれども、こういったものを廃止をすることができるのかということ、お考えを伺いたいと思います。そして、平時と緊急時と分けるという話も橋本前知事からもありましたけれども、平時に地域のことをよく知っていただいておかないと緊急時にはなかなか対応できないとの思いから、こういった地方整備局みたいなものを平時又は緊急時に役割を分担することができるのかということについてもお考えを教えていただけたらと思います。
それから、市村町長には、非常に若い人をこれから呼び込みたいというお話がありました。若い人を町に呼び込むに当たっての、何といいましょうか、理念といいましょうか、そういったものを、ございましたら教えていただきたいと思います。特に、コミュニティーの中に入れていく、町に入っていただくだけでなく町の中のコミュニティーの中にしっかり若い人を溶け込ませていくような、そういった何かお考え、秘策といいましょうか、そういったものがあれば教えていただきたいと思います。
なお、農業立町の話、非常に興味深く伺いましたが、この考え方は、ある程度の自治体であればどこでも行うことができるとお考えになりますでしょうか。また、町長がもしも一万二千人規模の人口規模ではなく、例えば三十万とか大きな規模の自治体をお持ちのときに、あるいは広いところ、広い面積のところをお持ちのときに同じような考え方は通用するとお考えになりますでしょうか。これは、今後地方分権が行われていく上で基礎自治体の大きさをどうするかという議論があるかと思いますので、ちょっとその上でお話を聞かせてもらえたらと思って伺いました。
よろしくお願いをいたします。
この発言だけを見る →まず、橋本前知事に伺いたいと思います。
地域主権に全く賛成の立場から、権限の移譲、それから財源の移譲をしっかり行うべきであるという、その前提となる現状の交付税の財政均衡機能に対してどのように御評価なさっているでしょうか。すなわち、もっともっと例えば地方に傾斜配分をしていくべきであるとか、あるいはそういうものはもっとなくしていくべきであるとか、そういうことを含めて、この地方交付税の財政均衡機能に対してどのような評価をお持ちか、教えていただけたらと思います。
それから、山本市長には、先ほど地方整備局のお話がありました。国の出先機関の廃止について話合いが行われているようでありますけれども、こういったものを廃止をすることができるのかということ、お考えを伺いたいと思います。そして、平時と緊急時と分けるという話も橋本前知事からもありましたけれども、平時に地域のことをよく知っていただいておかないと緊急時にはなかなか対応できないとの思いから、こういった地方整備局みたいなものを平時又は緊急時に役割を分担することができるのかということについてもお考えを教えていただけたらと思います。
それから、市村町長には、非常に若い人をこれから呼び込みたいというお話がありました。若い人を町に呼び込むに当たっての、何といいましょうか、理念といいましょうか、そういったものを、ございましたら教えていただきたいと思います。特に、コミュニティーの中に入れていく、町に入っていただくだけでなく町の中のコミュニティーの中にしっかり若い人を溶け込ませていくような、そういった何かお考え、秘策といいましょうか、そういったものがあれば教えていただきたいと思います。
なお、農業立町の話、非常に興味深く伺いましたが、この考え方は、ある程度の自治体であればどこでも行うことができるとお考えになりますでしょうか。また、町長がもしも一万二千人規模の人口規模ではなく、例えば三十万とか大きな規模の自治体をお持ちのときに、あるいは広いところ、広い面積のところをお持ちのときに同じような考え方は通用するとお考えになりますでしょうか。これは、今後地方分権が行われていく上で基礎自治体の大きさをどうするかという議論があるかと思いますので、ちょっとその上でお話を聞かせてもらえたらと思って伺いました。
よろしくお願いをいたします。
橋
橋本大二郎#27
○参考人(橋本大二郎君) ごく大ざっぱにお答えをさせていただきますけれども、各自治体の財源、財政を調整をしていくという機能は、今のままの地方交付税かどうかは別にして、そういう機能のシステムというのは必要であろうということを思います。
しかし、その分け方をどういう形でやっていくかというのは、先ほど申し上げましたような集中と分散というふうな基準でどういう分野を地方が担っていくのかということを決めるときに、併せてその保障すべき財源としてどういうものを決めていくかということが必要なので、今の段階から額とか割合が決められるものではないと思います。
つまり、分権型ということを考える場合には、もう一度、今のままの地方交付税ではない形で、財政、財源の調整機能を持つ新しいシステムというものが必要だろうというふうに思います。
この発言だけを見る →しかし、その分け方をどういう形でやっていくかというのは、先ほど申し上げましたような集中と分散というふうな基準でどういう分野を地方が担っていくのかということを決めるときに、併せてその保障すべき財源としてどういうものを決めていくかということが必要なので、今の段階から額とか割合が決められるものではないと思います。
つまり、分権型ということを考える場合には、もう一度、今のままの地方交付税ではない形で、財政、財源の調整機能を持つ新しいシステムというものが必要だろうというふうに思います。
山
山本正徳#28
○参考人(山本正徳君) 国の出先機関についてでございますが、出先機関の機能というのは災害時に本当に必要なものだというふうに思っております。先生おっしゃったように、じゃ災害時だけそこにいて、急に来てやれるのかといったら私はやれないと思うので、やはり平時からあった方がいいのではないかと。
それからもう一つ、今、広域連合にそれを移管しようと。県の立場から見れば広域連合に、自分たちの近いところに来た方がいいというふうな形で国から離してその機能を持ってきたいという思いがありますけど、我々市町村から見れば、国の出先機関でも広域連合でも下から見れば同じ位置にあるんですよね。ですから、何も今の段階で、この今、大変な復興をこれから十年間しなきゃならないときにそういう組織改正をする必要があるのかというふうに思っております、今の時期にですね。これからその辺はゆっくりもうちょっと考えていかなければならないと思います。
県の立場から見た場合、この組織が、県の立場から見た場合と我々市町村から見た場合だと同じような位置にあるんですね。もし県と我々の位置の間に入る行政組合みたいなところに来るんであれば、我々はまた違う考え方をしていくんだと思います。
ですから、見る人の、あるいは考える人の立場によってこれが少し変わると思うので、もうちょっとこの辺の議論はしっかりしていかなければならないんではないかなというふうに思っておりますので、今の時点では、やはり国のこの出先機関というのは、この復興なり、それから、これから災害が起こるであろうというふうにすごく心配している時期にこれにメスを入れるというのはちょっといかがなものかなというふうに思っております。
この発言だけを見る →それからもう一つ、今、広域連合にそれを移管しようと。県の立場から見れば広域連合に、自分たちの近いところに来た方がいいというふうな形で国から離してその機能を持ってきたいという思いがありますけど、我々市町村から見れば、国の出先機関でも広域連合でも下から見れば同じ位置にあるんですよね。ですから、何も今の段階で、この今、大変な復興をこれから十年間しなきゃならないときにそういう組織改正をする必要があるのかというふうに思っております、今の時期にですね。これからその辺はゆっくりもうちょっと考えていかなければならないと思います。
県の立場から見た場合、この組織が、県の立場から見た場合と我々市町村から見た場合だと同じような位置にあるんですね。もし県と我々の位置の間に入る行政組合みたいなところに来るんであれば、我々はまた違う考え方をしていくんだと思います。
ですから、見る人の、あるいは考える人の立場によってこれが少し変わると思うので、もうちょっとこの辺の議論はしっかりしていかなければならないんではないかなというふうに思っておりますので、今の時点では、やはり国のこの出先機関というのは、この復興なり、それから、これから災害が起こるであろうというふうにすごく心配している時期にこれにメスを入れるというのはちょっといかがなものかなというふうに思っております。
市
市村良三#29
○参考人(市村良三君) 若い人を入れるに際してということですが、その御指摘のとおりだと思うんですね。いきなり地域のコミュニティーに入れと言っても、なかなかこれ、きついところがございます、田舎ですし。ですから、それは我々の責任として中二階が必要だろうと。半分は地域に入っていただくけれども、半分はかなり文化度の高いサロン的なものが要るなと。そういうふうな中で、ちょっと右足と左足の着地の仕方が違う形が望ましいと。そういうことを私たちは仕組みとしてつくらなきゃ駄目だろうなというふうに思っています。
それから、農業立町ですけれども、これはその町、村のやり方次第だなというふうに思っております。小布施の場合は、大勢お客様がおいでをいただいて、農村部が特にきれいだということございます。そうすると、今は、スーパーなどに行きますと私が作りましたと、いわゆる顔の見えるというようなことが安心、安全だと言われますけれども、圃場まで問われるときが来ているなというふうに思っています。ですから、町の中だけじゃない、農村の圃場の美しさみたいなものもこれからは非常に安全、安心を呼ぶ武器になっていくだろうと。ですから、どこの町、村でもそれは可能性があるだろうというふうに思います。
一万人だからいいんだけれども、百万人だったらどうするということでございますが、非常に煩わしいことかもしれませんけれども、百万人の都市でもやっぱり四、五百人、あるいは多くても千人ぐらいの単位が絶対に必要だなというふうに思います。百万人の中に暮らしていても、私はここにいるという、そういう証明が人間というのは欲しいんだというふうに私は思っていますし、そのことがやっぱりしっかりと生きていくということにつながっていくのではないかと、そういうふうに考えております。
以上です。
この発言だけを見る →それから、農業立町ですけれども、これはその町、村のやり方次第だなというふうに思っております。小布施の場合は、大勢お客様がおいでをいただいて、農村部が特にきれいだということございます。そうすると、今は、スーパーなどに行きますと私が作りましたと、いわゆる顔の見えるというようなことが安心、安全だと言われますけれども、圃場まで問われるときが来ているなというふうに思っています。ですから、町の中だけじゃない、農村の圃場の美しさみたいなものもこれからは非常に安全、安心を呼ぶ武器になっていくだろうと。ですから、どこの町、村でもそれは可能性があるだろうというふうに思います。
一万人だからいいんだけれども、百万人だったらどうするということでございますが、非常に煩わしいことかもしれませんけれども、百万人の都市でもやっぱり四、五百人、あるいは多くても千人ぐらいの単位が絶対に必要だなというふうに思います。百万人の中に暮らしていても、私はここにいるという、そういう証明が人間というのは欲しいんだというふうに私は思っていますし、そのことがやっぱりしっかりと生きていくということにつながっていくのではないかと、そういうふうに考えております。
以上です。