市村良三の発言 (行政監視委員会)
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○参考人(市村良三君) 御紹介をいただきました長野県小布施町町長の市村良三でございます。この度はこのような機会を与えていただきまして、誠にありがとうございます。
今日は、橋本先生、また宮古市の山本市長さん、おいでです。改めて、三月十一日以降の状況に対して被災地の皆さんにお見舞いを申し上げます。
私どもでは交流をさせていただいている市町村が多く、東北でもかなりございます。現在は、岩手県の大船渡市、宮城県の女川町、福島県の南相馬市などの皆さんと私どもあるいは町民の皆さんがそれぞれ直接交信をさせていただいておりますが、今日を機に宮古市の皆さんとも協働させていただければ大変有り難いと思います。よろしくお願いいたします。
今日は、長野県の北の外れにあります小布施町、面積十九・〇七平方キロ、長野県で一番小さい町でありますが、人口一万二千人弱の小さな町の具体的な町の活動をお話し申し上げて、地域の活性化ということを御一緒にお考えいただきたいと思います。
今現在日本人が持つ価値観の多くがこの五十年間の間に形成されたというふうに考えております。五十年前というと随分昔のような気がいたしますけれども、私はもう中学生になっておりましたのでそんなに昔でもないなというふうに思うわけでありますが、その価値というもの、積み重ねた価値、その経緯につきましては前回の堺屋太一先生のお話につまびらかなところでありますけれども、東京を始め大都市を中心に国土の均一的発展を図るという策は、日本全体を押し上げたことはもちろんあるわけであります。随分恩恵ももたらしていただきましたけれども、同時に、地方の持つ価値は相対的に弱められたという感じがしております。
三十年間、二十年前まで三十年間このことで突っ走ってきましたが、バブル崩壊後は、二十年ほどは惑いつつ、地方の時代などとも言われてきましたけれども、日本人の持つ価値観とそれに伴う仕組みが変わっていないので一向に進んでいないというふうに思っております。資料一で申し上げているところでございます。
地方の持つ価値は、全てがなくなったわけではありませんけれども、かなり見えにくくなってしまっております。都会の価値観によって多くのことが測られるようになっているそのままだというふうに思っています。例えば、公共性というようなことも行政が一方的にその大部分を担うようになり、個人は、税というものを筆頭に、その対価をお金で支払えばよいというような考え方、価値観であります。
昨年の大震災を受けて、日本人の意識、価値観は随分変わってきたと思います。というより、五十年前のある部分を思い出したという方が適切かもしれません。今こそ、国、県、市町村など行政、私どもですね、そして今日御参会いただいております先生方のような政治に携わる皆さんはそのことを強く認識をしていただいて、もう一度国全体の仕組みづくりに力をお注ぎいただきたいと思います。
さきの政権交代で鳩山総理大臣にまず就任をいただきましたけれども、新しい公共というようなことをおっしゃいました。その担い手は、個人の力、ボランティア、それからその結集であるNPOというようなところに方向付けをされましたが、もちろん私も同感ではありますけれども、私は、日本でやや粗略にされている企業の力というのをもう一度見直しをしていただきたいなというふうに思っております。企業というものは元々公共性を強く持っているものだからであります。
これが資料一の三ページ目に書いてございます。持続力が強い、高い企業というものも是非もっともっと加えていただいて、見えにくくなっている地方の価値の再編集をしていただくと。個人やNPOや企業の力を、全体を担い手とするその協働ということが大変大切だろうというふうに考えております。行政や政治に携わる人たちはそのお手伝いをする、あるいはそういう仕組みを担保することが役割であろうというふうに考えているところでございます。
小布施町でこの四十年間起こってきたこと、あるいはこれから起ころうとしていることをお話をいたします。資料二に移ります。
四十年前というと、まだまちづくりの概念というか名前もないころでありましたけれども、私どもの町は動き出しました。まず、そのころは高度経済成長の真っただ中でありますから、どの町、村も工業立町というようなことを目指したのでありますが、私どもの町は農業に絞り農業立町ということを目指しました。それから、江戸時代に残していただいた文化遺産も今に生かすということで文化立町ということを脇役として置いたわけであります。そして、その資料に書いてありますような事業や施策を官民一体となって行ってまいったわけであります。私が見る限り、この五つのポイントが小布施町のポイントだろうというふうに思っております。
一に、人口の施策であります。それから二に、文化のシンボルとしての北斎館の開設、三に、CIがきっちり行き届いている地場産業である栗菓子屋さんのそれぞれの活躍、それから四番目に、町並みの新しい価値創造である町並み修景事業、お手元の本に詳しく書いてございますけれども、町並み修景事業、そのことによって町民の中に芽生えた景観という意識を大切にした花のまちづくり。
こうしたことをタイムリーに、また複合的に行った結果、町にはかなり大勢のお客様、ざっと数えますと百三十万人ぐらいのお客様がお訪ねをくださるようになりました。これをもって世間では観光として成功した町というような御評価もいただいておりますけれども、私はもちろんですし、町の人は観光の町という認識は全くございませんし、これから先もそれを目指すということはございません。やはり、根幹の産業である農業を中心にして農業立町、それからいろんな意味での文化的な生活を楽しむ文化立町ということを目指しております。
平成十六年、自立を選択をいたしました。町はまちづくりの第二ステージに入っていると思います。そのとき私は今の立場に立たせていただきましたが、三位一体改革の中でありましたので、財政を始め弱いところだらけでした。ですけれども、町を歩き回って強みを幾つか見付けました。その強みを磨くということで戦略を立てたわけであります。その強みとは次の五つであります。
町民の皆さんの協働する力あるいは交流する力、町民力ですね、これが非常に高いこと。それから、明治二十二年の町村制のときに十六の村が合併をして二つの村になり、昭和二十九年に町制が始まったわけですが、元々の明治二十二年の十六か村の文化と歴史というものが今も生きていると。これは非常に強みだなというふうに思いました。それから、制度やら、あるいは私どもの町が果樹農業だったということもありまして、農村景観とその暮らしがきっちり守られている。それから、面積の小ささ、この辺が非常に強みだなと。それを更に言えば、お訪ねをいただける皆さんの求めですね、懐かしいとかほっとするとか安らぐとか癒やされる、これにぴたり合うではないかというふうに思ったわけであります。
で、協働と交流という戦略を立てました。交流と協働ということでありますが、これはどこでも言われることでありますが、小布施の場合はかなりこれが顕著であります。協働の中には、普通その地域の住民と我々行政の協働ということが多く言われますけれども、私は四つあるなと思っております。その辺も資料に書いてございますので、御覧をいただきたいと思います。
それから、交流ということは産業になるなと。今、日本で、いろんなものが駄目だから観光にシフトしようやというようなことが立てられておりますが、あれには私は反対であります。いかにも底が浅い。今日何人おいでいただいて幾ら落としていただいたと、最後の勝負がそこになっていると。そうではないでしょうと。お訪ねいただいた方と地域の人との信頼感とか親しみ、これが基になった産業というのが必ずあるはずだというふうに私は考えておりますし、それを町の町民の皆さんは実行をしていただいているところであります。
一方、先ほど申し上げましたけれども、国土の均衡ある発展ということを目指してきた都市計画法も、手直しをされていますが、その考え方がいささか古い概念ですし、制度になってきておると思います。
例えば、全国町村によくあることでありますけれども、町の中心を大きな幹線道路が走って、車がびゅんびゅん走っているというような情景ですね。私どももそういうものがございます。四〇三号という三桁国道でありますけれども、三桁でありますから県管理であります。これが地域住民にとっても来訪するお客様にとっても非常に車の通行が多く危ない道になっております。そこで、改良を県にお願いしたところ、国道だからとか道路構造令があるからとか、いろんなことをおっしゃって、既存の道路拡幅事業しか採用されないというのが今の日本の現状であります。ですけれども、この道路拡幅事業というものをやりますと、町は更に死んでしまいます。全国一律の道ができるだけということであります。
町内にはバイパスに面した迂回路が二本もありますので、町を迂回していただく、その付け替えを前提にして、デザインされた道を造っていただきたいということであります。昨年一年掛けて専門家、住民の皆さんによるデザイン会議を開いていただいて、五十メートルスパンで一・九キロの道を全てデザインをしていただいたということであります。六月に国、県、中部電力にお願いに参ります。町の中心部を走る道のあるいは先駆けになるような事業だというふうに思っております。
いろんな法律が昭和二十年代に整備をされて、その心の根底がまだまだそこに残っているような気がいたします。都市計画法と並んで、農地法なども相当見直す必要があります。県などの権限を市町村に移譲して、本当に実情に合ったものにしていくということが重要だろうというふうに思います。
四十年というまちづくりを振り返ったときに、原点であったことは、基幹産業である農業をどうするかということと人口の問題でありました。二つながら日本では大変難しい問題でありますけれども、この二つに挑戦をしていこうというふうに考えております。
農業の問題は、後継者、販路、生産インフラの見直しと集約、この三つを同時進行させる。日本全体の農業の再生は困難でも、まず一つの小さな町からそのモデルをつくっていきたいというふうに考えて、やりようはあるというふうに思っております。
それから、人口の問題。自分のところだけが良ければいいというような話にお聞こえになるかもしれなくて恐縮なんでありますが、おおむね三十五歳以下の方をこれから導入をしていきます。このまま十年放置しておきますと、自然減で三百人から四百人の人が減ります。これもそれぞれの分野でお若い方、三十五歳以下の方を、いろんなインセンティブやその策をつくりまして十年の間に六百人から八百人是非お招きをしたいということであります。
これは去年から始めておりますが、かなり手ごたえがあります。例えば、今年の九月でございますけれども、これも三十五歳以下の方、学生さん、社会人の方中心に全国から二百人ほどお集まりをいただいて若者会議というものを開いていただける。四十年ほど前には学生運動というようなことがございましたけれども、今お若い方はそういう発言の場所がない。これを東京でやったのでは余り見向きもされないですが、地方の寒村でやることによって、そこに強い意味が生まれてきます。例えばそういうことを連続して仕掛けていく中で、農業後継者十人、起業家五人、ベッドタウン希望の方五人、はっきり二十人と定めて十年間続けます。そうすると、志望者だけで二百人、御家族をつくっていただけるから六百人から八百人の計算であります。こういうことを行っていきたいと思っております。
ただ、国の新規就農者支援策というのが今年から始まりましたけれども、これも県などを通ずることでややこしい、ちょっと面倒なことになっております。先生方には国会で議決されたことがすんなりと市町村に下りていかない実情ということにも注視をしていただきたいというふうに考えております。
最後に、時間がなくなってまいりましたけれども、活性化と行政の役割ということでありますが、まず国の役割ですが、例えば国防、外交、通貨、通商、大きな自然災害、大規模事故などについては、文字どおり国の根幹にかかわることを国にお願いをしたいということであります。それから、地方は財政が弱いです。これはもうお願いするしかないわけでありますが、今の税制あるいは配分の仕方が今のままであるならば、地方財政計画をひも付きでなく、先ほど橋本先生もおっしゃいましたけれども、立てていただいて配分をしていただき、裁量は市町村にお任せいただきたいということであります。
次に、県とか道州とかいろいろ言われておりますけれども、中間組織は今のように曖昧なものであるならば本当は必要ないのではないかというふうに思っております。国と市町村では余りに乱暴ということであれば、県とか道州は市町村の特性を本当に引き出していただけるような調整能力、強い調整能力を持っていただきたいし、それから、ある規模以上の地域でしか具現化できない戦略性をきちんと発揮したビジョンの構想と実行をお願いをしたいと。今のままでは、言葉が悪いですけれども、伝言ゲームになっているところもあるかというふうに感じております。
最後に、市町村こそが自治の大基本だというふうに思っております。その市町村は、更に小さいコミュニティーやあるいは企業あるいは個人の公共性をいかに発揮していただくか、そのためのあらゆる方法や手段を講じていくこと、これからの日本において最も大切なことの一つというふうに考えております。
どうもありがとうございました。