中山泰秀の発言 (安全保障委員会)
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○中山(泰)委員 中山泰秀です。
早速質問をさせていただきたいと思いますが、きょうは両大臣、お忙しい中、また副大臣、政務官とおそろいいただいておりますことに、心から感謝を申し上げたいと思います。
と同時に、この部屋に入りまして、先ほど来ずっと先輩のお顔を見ていたんですよ。そうしたら、左藤政務官のお父様もそちらにおいでですね。義理の息子さんなのに、顔はそっくりですね。それと同時に、頑張っているなというのをやはりお父さんも感じられていると思います。
それとまた、東中光雄先生、共産党の先生ですけれども、私が初めて衆議院の選挙にチャレンジしたのが二十四歳だったんです。被選挙権は二十五歳だろうと、委員長は思わずそんな顔をされましたが、実は、誕生日が選挙期間中に来て、投票日までに誕生日を迎えると大丈夫なんですね。一番最初に私が戦った相手が東中光雄先生だったんです。彼は今、立派な弁護士として大阪の地元で活躍をされていますけれども、戦争のとき、特攻隊の生き残りとして、逆に、自分の信じるところで共産党にお入りになられて、政治活動をされておられるというふうに私は考えております。
やはり過去の戦争や歴史を見ましても、政治家の誤った判断によって必ず戦争というものが引き起こされる、これが歴史から我々が学ばなければいけない教訓だと思います。私たちがしっかりと心を引き締めて、こういった最悪のリスクをいかに回避するかということに、リーダーシップを発揮していくことこそが最も大事だなというふうに思います。
そんな中、久しぶりの質問でもありますので、ちょっと思い出話に浸っている余裕はないんですけれども、お話し申し上げると、左藤先生もそうですけれども、うちのおやじも政治家でした。私は三代目。いわゆる世襲です。さっき二十四からと言いましたけれども、去年の選挙がちょうど人生七度目の選挙で、三回当選ということは、なかなか大阪の都市部というのは自民党には厳しいところです。だけれども、自民党から一回も政党をかえたこともなければ、信念はこのまま変えないで、ちゃんと政治家として、明哲保身、国民、有権者の皆様に背中から見られても恥ずかしくない政治家をしっかりと目指そうという信念だけは失いたくないというふうに思っております。
こんな私の心を育てたのは、ほかでもありません、政治家のおやじでした。ちょうど私が中学校に入って十五歳のとき、ある日おやじに呼ばれて、泰秀、おまえ、もう元服だ、江戸時代でいえば大人じゃないか、男同士で旅に出ようといって沖縄に引っ張られていきました。やったあ、沖縄。水着それからシュノーケル、そんなものをトランクに突っ込んで、泳ごう泳ごうという一心で飛行場の那覇空港に着いたら、タクシーに乗ったおやじが一番最初に言った言葉が、運転手さん、摩文仁の丘に行ってくれ。
それから三泊四日、三日間ずっと親子で沖縄の戦跡めぐりをやりました。そして同時に、途中、守礼の門のあたりで二時間ちょっと、三時間ぐらいですかね、渋滞に巻き込まれて、その渋滞は何だったかというと、いわゆる不発弾処理。あのとき私は中学生の子供ながらに、何十年たってもいまだに戦争の爪跡というのは深く沖縄に残っているんだなということを思いました。
同時に、戦争のとき旧軍が掘ったざんごう、この中で腹を切った、その切る前に壁に筆の文字で書かれた言葉、それを、意味もわかっていないぐらいの年の中学生の私におやじが一生懸命説明して、泰秀、後世沖縄に特別の御高配を賜らんことをと。おまえがもし政治家を目指すんだったら、沖縄に対してはしっかりと特別の配慮をやれということ、これを必ず念頭に置いて政治家としての活動を忘れるなよということを当時から頭にたたき込まれたこと、これが、政治家の家で育ち、そして政治家のおやじのあぐらの中でじいさん、ばあさんの背中を見ながら育った私なりの勉強でありました。
今、委員長と同期当選。長島先生も野党筆頭で同期当選。こういった同期が第一線、しっかりと議論をちょうちょうはっしやりながら、政治家として、国家国民、そして子供たちの時代のためにしっかりと政治姿勢を示せる、こういうチャンスを国民から再びいただけたことに心から感謝をします。
と同時に、委員長はきのう誕生日、四十五歳。また同時に、委員長は奥様を実は天国に召されているんです。僕は御葬儀も、たしかあのとき九州まで行きました。委員長の奥さんも多分、天国で今のあなたの姿を見て非常に喜んでいらっしゃると思うし、あのときお母さんが亡くなったことを余り意識していなかった小さいお嬢様もすくすくと成長されていることだろうと思いますので、委員長に対しても敬意を表したい、かように思います。
私の質問は、そうはいっても、まずはしっかりと防衛省の士気を高めるということ。特に周辺事案、いろいろ厳しい状態になっています。北朝鮮の、ヨーロッパのスイスで外国の教育を受けたような国家元首が新しく出ているのにもかかわらず、ちょっと異常な政治家としての行動をこの二十一世紀の時代にとっているというふうに私には見えます。
その中で、日本とアメリカが日米のアライアンスをしっかりと組みながら、今も自衛隊員が緊張感を持って事態の対処に当たろうと心の防備に備えている。そのさなか、私はこの間、自衛官の皆さんといろいろ話をして、酒も酌み交わして、オフのときに一緒に飲みまして、そのときに非常に耳を疑ったことがありました。
それは何だったか。陸幕の人、海幕の人、空幕の人が制服を着る。制服を着ると、胸に徽章をつけておられる。この徽章を、最初の一個、二個は官費で出してもらうんですけれども、あとは全部自分で売店で金を出して買う。それからベレー帽、陸自ならベレー帽をかぶっていますけれども、このベレー帽の費用も何と自分で売店で身銭を切って買う。それから、自衛官の方が運動場に集まって、体育のようなエクササイズをするとき、世界じゅうの軍隊を見回して、一人はミズノ、一人はナイキ、一人はアディダス、みんな色もばらばら、そんな軍隊というか自衛隊というか、私は見たくないんです。
しっかりと制服を統一、それから徽章も国民の税金で買ってあげるべき、ベレー帽も同じ。
そして、もっと言えば、大阪には官公需適格組合に所属するメリヤスの方々がたくさんおいでなんですけれども、この方々、大体、オーナーが旧軍の方々なんです。日本の自衛官の方々が国民の生命と財産を守るために一生懸命頑張るに当たって、日本の綿花を使って、日本のメリヤスで、年に一回しか動かさない機械に油を差しながら、さびつかないように一生懸命メンテナンスをされて、その声に、期待に応えようとして頑張っておられたところ、残念なことに、この予算が、大分前、たしか久間大臣、愛知治郎政務官の時代だったと思いますけれども、削られてしまったんです。
例えば、最悪の事態を考えて、捕虜になったとき、一人は綿のパンツ、一人は中国製のパンツ、一人はヒョウ柄のパンツ、一人はティーバック、こんなことで自衛官の士気が保てますか。
私は、たかが下着、されど下着、しっかりと士気を下げないような予算の配分を考えていくべきだと思いますけれども、防衛大臣、いかがでしょうか。