中原徹の発言 (予算委員会公聴会)

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○中原公述人 大阪府教育委員会教育長の中原徹でございます。
 本日は、貴重な機会をいただきまして、大変ありがとうございます。
 私は、教育に携わっておりますので、教育に関する仕組みの改善点と教育施策に対する改善点の二点をお話しさせていただきたいと思います。
 まず初めに、私の教育に対する考え方がどうして生まれてきたかという意味で、私のバックグラウンドを少し御紹介させていただきます。
 私は横浜出身で、東京の中学、高校に行きまして、大学も、早稲田大学の法学部に行きました。ですから、通常の、本当に、日本のどこにでもいる中高大学生でした。
 その後、日本の司法試験に受かりまして、今議員定数不均衡の中心的な役割を果たしておられる升永弁護士さんのところの若手として、その事務所に入りました。二年弱、日本で弁護士をしまして、その後、一旦無職になりまして、米国のミシガン大学のロースクールに通い、その後、ニューヨーク州とカリフォルニア州の弁護士資格を取って、約十年間、アメリカのロサンゼルスで弁護士をしてきました。
 晩年は、パートナー、共同経営者にもさせていただいて、アメリカの方が長くなってしまったんですけれども、弁護士生活を送った後、二〇一〇年から三年間、大阪の岸和田市にあります和泉高校というところの校長を務めました。民間人校長です。それを務めながら、去年は、橋下市長の推薦だったんですけれども、大阪市の教育振興基本計画の策定委員として、これはボランティアでしたけれども、参加いたしました。ことしの四月から大阪府の教育長として務めております。
 これが私の背景なんですが、どうして教育に行こうというふうに思ったかといいますと、そもそも、日本で弁護士をしておるころに、アメリカやイギリスの弁護士だったりビジネスマンが来ると、どうしても日本の弁護士が少し弱腰になってしまったり、あるいは、日本の法律事務所は、大手になればなるほど欧米の事務所のスタイルを、これは準備書面の書き方も含めて追従しているということがありましたので、そんなにアメリカがすごいのかということで、本場の弁護士の実態が知りたくて行ったというのがきっかけでございました。
 しかし、行ってみると、中身で考えていることというのは大して変わらないな、もう十分に対等な勝負ができる、そういう思いで十年間頑張ってまいりました。
 それで、特に、日本のエリート層の人たちがアメリカに来るときに、どうしても、最初からコンプレックスみたいなものが手伝って、欧米に近づければいいなと。追い越したり、彼らをリードするような、そういった人になりたい、そういう思いで来ている人がほとんどいないという状態に触れました。
 私は大した弁護士ではありませんでした。しかし、曲がりなりにも、大きな事務所で共同経営者までなれたということで、自分ができるんだったら、自分よりももっと優秀な人が大勢いるのに、どうして日本人が世界に出ていかないのかというところに、非常に、疑問というか、一部、勝手ながら怒りのようなものも覚えて、それを立て直すにはやはり教育からだということで戻ってまいりました。ですから、その思いが根底にございます。
 先ほど、冒頭申し上げましたように、二点。
 まず一点目、仕組みの改革なんですが、近時話題になっております教育委員会制度をどう考えるか、これについての私の見解を述べさせていただきます。
 私は、結論から言うと、制度を変える、変えることが解体という名前を使うのであれば、解体した方がいいというふうに思っています。今、自民党の教育再生実行本部からも言われているように、これは国の制度と同じようにしたらいいのかなと思っています。
 つまり、内閣総理大臣が文部科学大臣を選んで、そこが文科省という大きな行政組織を率いていく。同じように、各地方公共団体の首長が、これは、教育長という名前でなくても、教育局長という名前でも、もっと格好いい名前があればみんなで考えたらいいと思うんですが、そういう文科大臣に当たる人を選んで、そこが各地方公共団体の教育行政を引っ張っていく、そういう形がいいのではないかというふうに思います。
 これに対する批判としては、教育が政治から中立的でなくてはならない、こういうようなことがよく言われて、おかしな人が首長についたらおかしな教育になるということが言われるんです。これは、究極的に言うと、選挙による民主主義をどこまで信頼していくかということにもなると思うんですけれども、と同時に、では、それに対する抑制機能があれば、それはそれでいいのではないかと思うわけです。
 首長というのは、当然、四年に一回選挙で選ばれますから、選挙というスクリーニングもありますし、リコールという方法もあります。もしそこが、首長の権限が強化されるのであれば、リコールの条件をもうちょっと緩やかにして、よりリコールしやすくするという方法もあります。
 戦前の、検閲がなされていたような状況と違って、表現の自由が完全に強化されて、むしろそこが強過ぎるんじゃないか、マスメディアの権力が、もう第四権力、あるいは三権分立の上に来るんじゃないか、そんなことが言われている時代ですので、そういった意味では、抑制効果というのは十分にあるだろう。
 ということで、教育に関してもシンプルに。
 これは、地方公共団体、他の部局は、国と同じように、国土交通省があり、財務省がありというように、環境局があったり、商工局があったりということで部局になっていますので、どうして教育だけ独立してやるのかというのが、私の考えではよくわからないんです。
 一つの批判として、教育というのは非常に大切で、簡単に動いちゃいけないんだという声もありますけれども、では、福祉、医療、環境、いいかげんなダムをつくって決壊しちゃった、いいかげんな薬を認可して、あるいはいいかげんな医療制度にしてお年寄りが亡くなっちゃった、それと教育とどれだけの差があるのか。必死に生きている人たちを支えていくという意味で、地方公共団体の行政が担う仕事というのはどれも大切で、究極的には、生きている市民の生命身体あるいは健康、そういったものの安全に資するわけです。
 ですから、教育だけ第二次世界大戦の総括ができていないところがやはり残っていて、どうしても教育、首長イコール軍国主義であったり、危ないことをするんじゃないか、そういうトラウマみたいなものがいまだに払拭できていないのかな、そういう気がいたします。
 ですから、私は、教育も医療も環境問題も、いろいろなものも、地方公共団体の、大阪府でいえば、大阪府の行政が担っている役割というのはどれも大切であって、教育も同じように考えたらいいのではないかというふうに思います。
 では、ほかの教育委員はどうなるんだと。
 今、教育委員会というのは、皆さん御存じのとおり、大阪府でいえば、六人教育委員がいます。
 そのうちの一人が教育委員長。これは今、陰山先生が、優秀な先生ですけれども、務められています。企業でいえば社長ですね。だから、六人の取締役がいて、代表取締役社長に当たるのが教育委員長。この方は非常勤です。
 今私が務めている教育長というのがいわゆる事務局長で、会社に例えれば、六人の取締役のうちの常務取締役という感じですかね。常勤で一人だけ。唯一、六人の一人が常勤です。ですから、あとの五人は非常勤。
 非常勤であるけれども、今、首長が教育の中身は決められませんので、教育の中身を決めるのは、この六人が合議して、取締役会で会社の経営方針を決めるかのように決めているわけです。
 そうすると、私は常勤で、六票のうちの一票しか持っていないんです。あとの人は非常勤で五票持っている。ですから、首長の考えが危なくなると教育が危なくなるどころか、もうある意味、議会も手を出せない。条例をつくってしまえば別ですが、しかし、学校のカリキュラムの中まで条例をつくれるのか。これはまた、法的な議論も出てくると思うんです。
 その六人が、地方公共団体の権限を、本当に強烈な権限を今持っている。そのうちの五人は非常勤。非常勤の人も重い責任を負わされるのはたまったものではないんですが、一方で、強烈なその権限を、六票のうちの五票を持っちゃっているわけですね。
 例えば、大津市の事件を見ても、大津市の教育長がずっと批判の矛先でしたけれども、教育委員長だったりほかの教育委員というのは、同じように票を持っていたのに、いじめ対策ということでいえば、どうしてその人たちが出てきて責任をとらないのか。
 私は、非常勤の教育委員を責めているわけではなくて、これは、仕組み自体がもう制度疲労をしてきていて、責任と権限が一致していない、そういうことであると思いますので、教育委員会制度というのはそういうふうに直していったらよいのではないかというのが私の見解でございます。
 次に、教育施策なんですけれども、これは、きょう二時間、三時間いただけたら、本当に十個も二十個もお話ししたいんですけれども、もう残り十分ということなので、三つぐらいに絞ってお話しさせてください。
 一つ目は、今、自民党の教育再生実行本部で議論されています英語教育ですね。
 私は、先ほど、冒頭申し上げましたように、通常の日本の高校生、大学生でした。それが十年間、やいのやいの言いながらアメリカで生き残ってきました。ですから、英語に関しては、帰国子女でもなければ、特別な英語教育を日本で受けたわけでもありません。
 そういった経験を踏まえて、自分は教育者としてこれからの子供たちにどんなことをしてあげられるかと思ったときに、私は、TOEFLというものに目をつけて、実は、三年前からTOEFLというのを自分の高校で実践してまいりました。これは、カリキュラムの中に入れていなくて、課外授業で。
 課外授業というのは、ある意味無責任で、だめだなと思えばやめられるんですけれども、カリキュラムで入れちゃうと、中学生に発表した段階で、その子が高校一年で入ってきたら、三年間は絶対に守ってあげなきゃいけないことになりますので、非常に責任が重い。
 そういう中で、当初、英語教員に提案したところ、十一人中二人しか賛成してくれなかったんですが、いろいろ議論を重ねて、少人数でもいいから、意欲と実力を見せてくれた生徒を対象にやってみようということで、三年間やってまいりました。
 私が赴任した高校は、俗に中堅校と言われる学校でして、いわゆるトップ校ではございません。しかも、彼らが一年生のときには、TOEFLの授業をつくる、カリキュラムをつくる会議に追われていましたので、通常は二年かかると言われたんですけれども、大急ぎで議論して、三カ月でつくりました。
 とはいえ、始められたのが、彼らが高校二年生のときです。ですから、実質二年間、受験もあると正味一年半ぐらいになってしまうんですが、結論として、何にも、TOEFLのトの字も知らない、今まで英語をまともにしゃべる練習もしたことがない子たちでも、百二十点中六十点から七十点ぐらいは頑張れば届くということを、これは本当に彼らに感謝していますけれども、そういうことを証明してくれました。
 なぜTOEFLがいいかというと、読む、聞く、書く、話すという四技能がバランスよく問われるからなんです。
 今までは、英語教育を最初に始めたときに、明治維新が終わった後には、とにかく欧米のものを輸入しよう、どんどん学ぼうということだったので、やはりそこは、読めて、翻訳できるという人材の育成が急務だったというふうな話も聞いております。
 しかしながら、今の時代は、我々が考えていることを世界に発信していかなければならない時代で、いつまでも人の国の、もちろん、人の国の話やデータをとることは重要ですが、やはりリードしていくということに目標を据えてもいいのではないかと思いますので、そういった意味では発信しなきゃいけない。それは、書く、話すという技能がなければどうしようもない。
 今、英語は嫌だといったって、ほかの国がもう動いています。特に、中国、韓国は大きなかじ切りをして、完全に英語ができるようになってしまっています。中国、韓国でトップ層の子がTOEFLで百点をとっているなんというのは今当たり前の話になっていますので、そういった意味では、書く、話すということを学ばなきゃいけない。
 それには、何といっても、やはり大学受験なんです。ですから、自民党の皆さん、あるいは他の議員の皆さんにもぜひお願いしたいのは、大学の卒業要件でもいいんですけれども、やはり入学要件に入っていなかったら、この話は流れます。確実に中高は動きません。
 今、私が高校三年間でTOEFLというのをやっていて、そこに呼応してくれている、グローバル化に興味を持った高校が、私どもを含めまして四校あります。そこでアライアンスというのを、これは、横浜のサイエンスフロンティア、新潟の国際情報、それから大阪の三国丘と和泉高校の四校でTOEFLを広げようということで、地道にゲリラ的な活動をしてきましたけれども、それをほかの学校に言っても、なかなか聞きません。しかし、これが国会で正式に皆さんの議論を経て決まって、TOEFLを大学入試に入れる。
 特にトップ層の大学には、ぜひ入学要件で入れてほしいんですね。下位になってくるとちょっと、余り低い点数同士で争って優劣を決めるのはどうなんだろうということは一考の余地があると思うんですけれども、特にトップ層に関しては、どんなに低くても七十点、上を目指すなら百点ぐらいを設けても、恐らく、ついてくる子は十分についてくると思います、中堅校の和泉高校で六十から七十ということでしたから。
 ですから、ぜひ、大学入試。これは、公務員の試験でももちろん大事なんですけれども、一番この国の英語教育を動かせるというのは、大学入試、しかもトップ層の。
 私は、おととしでしたか、文部科学省でもこういったスピーチというか座談会をさせていただきまして、そのときにも、とにかく東大の法学部の、文1の入試をまずTOEFLにしてくれればそれだけで変わってくるということを僣越ながら申し上げたんですが、それどころか、今、トップ層、あるいは大学全体に普及させるという物すごい流れになっています。
 もしこのチャンスを逃してしまいましたら、五年ぐらいはまた封印されるわけですね。ああ、読む、聞く、書く、話すという話は、実は三年前にあったよ、あれはもういろいろな理由で流れたんだと。特に教育界というのは動きが鈍いですから、そういうことが五年から十年封印されます。そうすると、そこの時代に中高生だった子たちは恩恵を受けませんから、これは少なくとも二十年ぐらい、また暗黒の時代に戻るというふうに考えています。
 ですから、こういう貴重な機会をいただいて私は本当に光栄に思っていますが、これからまたTPPという話なんかも出てきて、グローバル化が進んでいることを否定する方は誰もおられないと思うので、本当に日本の子孫のためを考えて、TOEFLという案は入試に入れるということで進めていただきたいというふうに考えております。
 それから、時間がなくなってまいりましたが、あと二つほどお話しさせください。
 二つ目が、これは先ほど先生からお話がありましたけれども、理科の教育を初めとして、私は、英語、英語と、中原というのは英語ばっかりかというふうによく言われるんですけれども、とんでもない話で、知識と教養というものがなければ、当然、グローバル社会に出たとき、グローバル社会というのは、例えば、日本でコンビニで働くとか工場で働くといったって、今外国の人がどんどん来ていますから、そういう意味で、一生日本で暮らす、必ずしも英語を使わなくてもグローバル化の波というのはもう押し寄せてきているわけで、豊富な知識と教養を養ってあげるということは非常に重要です。
 例えば、土曜日の授業であったり、あるいは理科教育が今、一、二年生、小学校低学年が生活という教科になって、理科と社会をまぜて、理科のブレンド率がかなり高い感じなんですけれども、そこでは割と実験で興味を持たせるというところに重点を置いていまして、知識を蓄えるというところが少し弱くなってしまっている。そういうところも含めて理科教育を充実させたり。
 何年か前ノーベル化学賞をとられた根岸教授が、私は受験地獄の支持者だとおっしゃっていました。先日ノーベル賞をとられた山中先生も、ゆとり教育の前の理数の教育を受けているわけです。
 ですから、知識と教養ということを考えたときに、本当に自分たちが学んで、そこで得た知識や教養や思考力でないと、資源がもともとない国ですから、そういった意味では、そこで力をつけないと他の国と区別していくことができないだろうと思いますので、知識と教養の強化というのはぜひ進めるべきだというふうに考えています。
 それから、三点目で、道徳を教科の中に入れるという話との関連なんですけれども、私は、日本の教育に決定的に今欠けているものというのは、正解が一つではない問題を思考する力だというふうに思っています。
 それとの対比なんですけれども、正解がないのだから自由に発想していい、自由に自分の意見を考えて述べなさいという片側の要請と、もう一つで、これは道徳と重なってくると思うんですけれども、世の中にはやはりルールだったりマナーというものがありまして、それは世界のマナーと日本のマナーは違うので、そこは両方教えてあげなきゃいけないんですが、そういった守らなきゃいけないことというのをまず明確にして、守らなきゃいけないこと以外は自由に意見を述べていいんだ、しかも、意見を述べるときには、人格と意見というものは別にして、これは国際協調にも必要だと思うんですけれども、意見が違って唾を飛ばして議論し合っても、その議論が終わってお昼御飯を一緒に食べるときには笑顔で食べると。
 実は、私の高校で、大阪大学の大学院生、中国人の方二人、韓国人の方二人と、それからうちの有志の生徒五十人で、尖閣と竹島に関する議論をしました。
 そのとき私が生徒たちに言ったのは、ルールは一つです、笑顔で握手して始まる、そして終わるときも笑顔で握手して終わる、意見が異なるのは当たり前、これは政府レベルで話し合ったってまとまらないのに、君たちが二時間しゃべってまとまるわけがない、そういう話をして、実に闊達に議論して、時に議論は熱くなりました。
 韓国の方二名、中国の方二名が、日本語は流暢でしたけれども、それは本国での影響だとか、いろいろな、家族の影響なんかもあったかもしれないんだけれども、やはりこれからは仲よくしていかなきゃいけない、お互いの国のことをまずは語り合うということから始めなきゃだめだということで、そこに勇気を持って来てくださって、すばらしい議論が二時間できたんです。
 話は飛びましたが、要は、守らなきゃいけないルールというものをもっと厳しく教える。
 これは、いじめに関してもそうだと思います。いじめの被害者の保護も大事ですけれども、私は、加害者、本人の生徒そして保護者に、まずは、ルール違反で間違っているということを、社会に出たら相手にされない、下手したら刑務所に行くということをしっかりわかってもらって、その上でもう一回チャンスを与えるというのが教育であると思っています。厳しいことをまず言わないことが教育ではなくて、厳しいことを言った上で、そして、あなたにはもう一回チャンスがあるんだということで機会を与えるのが教育だと思います。
 ですから、道徳教育を考えるときに、自由な発想をして、答えが一つでないものを考えさせるところまで、こういう考え方を持てというところまで強制せずに、ルール、マナーのところだけを道徳として、これは守らなきゃ社会人としてだめだ、しかし、あとは自由に考えなさい、そういう色分けをしっかりしてくださることが道徳教育に関しては非常に重要かな、そういうふうに思っております。
 短い時間でしたけれども、貴重な時間をいただきまして、ありがとうございました。(拍手)

発言情報

speech_id: 118305262X00120130411_008

発言者: 中原徹

speaker_id: 20539

日付: 2013-04-11

院: 衆議院

会議名: 予算委員会公聴会