予算委員会公聴会

2013-04-11 衆議院 全157発言

⚠️ 発言のコピー・転載時は出典元URL(kokkai.ndl.go.jpおよびkokkai-data.com)を必ず残してください。改変・出典削除は禁止です。 詳細は利用規約をご確認ください。

会議録情報#0
平成二十五年四月十一日(木曜日)
    午前九時開議
 出席委員
   委員長 山本 有二君
   理事 伊藤 達也君 理事 岩屋  毅君
   理事 遠藤 利明君 理事 小此木八郎君
   理事 西銘恒三郎君 理事 萩生田光一君
   理事 長妻  昭君 理事 山田  宏君
   理事 石田 祝稔君
      あかま二郎君    秋元  司君
      伊藤信太郎君    池田 道孝君
      池田 佳隆君    今村 雅弘君
      岩田 和親君   うえの賢一郎君
      衛藤征士郎君    大塚 高司君
      大塚  拓君    大野敬太郎君
      奥野 信亮君    門  博文君
      金子 一義君    菅家 一郎君
      小池百合子君    清水 誠一君
      塩崎 恭久君    関  芳弘君
      渡海紀三朗君    野田  毅君
      野中  厚君    原田 義昭君
      福田 達夫君    船田  元君
      星野 剛士君    牧島かれん君
      牧原 秀樹君    三ッ林裕巳君
      宮路 和明君    武藤 貴也君
      保岡 興治君    山本 幸三君
      若宮 健嗣君    岸本 周平君
      玉木雄一郎君    辻元 清美君
      原口 一博君    前原 誠司君
      坂本祐之輔君    重徳 和彦君
      中田  宏君    中山 成彬君
      東国原英夫君    松田  学君
      浮島 智子君    佐藤 英道君
      柿沢 未途君    佐藤 正夫君
      杉本かずみ君    宮本 岳志君
      村上 史好君
    …………………………………
   公述人
   (みずほ総合研究所株式会社常務執行役員チーフエコノミスト)        高田  創君
   公述人
   (北海道大学大学院法学研究科教授)        山口 二郎君
   公述人
   (群馬大学理工学研究院教授)           片田 敏孝君
   公述人
   (大阪府教育委員会教育長)            中原  徹君
   公述人
   (慶應義塾大学経済学部准教授)          別所俊一郎君
   公述人
   (法政大学経済学部准教授)            小黒 一正君
   公述人
   (三菱UFJモルガン・スタンレー証券株式会社参与
   景気循環研究所長)    嶋中 雄二君
   公述人
   (全国労働組合総連合事務局長)          小田川義和君
   予算委員会専門員     石崎 貴俊君
    —————————————
委員の異動
四月十一日
 辞任         補欠選任
  伊藤信太郎君     福田 達夫君
  大塚 高司君     野中  厚君
  大塚  拓君     三ッ林裕巳君
  中山 泰秀君     牧島かれん君
  西川 公也君     菅家 一郎君
  船田  元君     星野 剛士君
  保岡 興治君     池田 佳隆君
  坂本祐之輔君     松田  学君
  佐藤 正夫君     杉本かずみ君
同日
 辞任         補欠選任
  池田 佳隆君     保岡 興治君
  菅家 一郎君     門  博文君
  野中  厚君     大塚 高司君
  福田 達夫君     池田 道孝君
  星野 剛士君     船田  元君
  牧島かれん君     大野敬太郎君
  三ッ林裕巳君     大塚  拓君
  松田  学君     坂本祐之輔君
  杉本かずみ君     佐藤 正夫君
同日
 辞任         補欠選任
  池田 道孝君     岩田 和親君
  大野敬太郎君     中山 泰秀君
  門  博文君     清水 誠一君
同日
 辞任         補欠選任
  岩田 和親君     武藤 貴也君
  清水 誠一君     西川 公也君
同日
 辞任         補欠選任
  武藤 貴也君     伊藤信太郎君
    —————————————
本日の公聴会で意見を聞いた案件
 平成二十五年度一般会計予算
 平成二十五年度特別会計予算
 平成二十五年度政府関係機関予算
     ————◇—————
この発言だけを見る →
山本有二#1
○山本委員長 これより会議を開きます。
 平成二十五年度一般会計予算、平成二十五年度特別会計予算、平成二十五年度政府関係機関予算、以上三案について公聴会を開きます。
 この際、公述人各位に一言御挨拶を申し上げます。
 公述人各位におかれましては、御多用中にもかかわりませず御出席を賜りまして、まことにありがとうございました。平成二十五年度総予算に対する御意見を拝聴し、予算審議の参考にいたしたいと存じますので、どうか忌憚のない御意見をお述べいただきますようお願い申し上げます。
 御意見を賜る順序といたしましては、まず高田創公述人、次に山口二郎公述人、次に片田敏孝公述人、次に中原徹公述人の順序で、お一人二十分程度ずつ一通り御意見をお述べいただきまして、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。
 それでは、高田公述人にお願いいたします。
この発言だけを見る →
高田創#2
○高田公述人 みずほ総合研究所の高田でございます。本日はどうかよろしくお願いいたします。
 私の方は、皆様方のお手元にこういう「日本経済と国債の課題」と書かせていただきましたレジュメを用意させていただいておりますので、こちらを使いまして、約二十分程度ということでお話をさせていただければと思う次第でございます。
 私の場合は、民間のシンクタンクそれから実務の世界で国債の市場を四半世紀見てまいりましたので、そんな観点から、今回、足元の状況ということをお話し申し上げたいなと思う次第でございますが、特にマーケットの観点から、グローバルも含めて、国債がどう評価されているのかという点を中心にお話をさせていただこうかと思います。
 まず、皆様方のお手元をおあけいただきますと、最初のページでございますが、十一のキーワードとさせていただいたことがございます。まあ、何を言っているんだというふうなお答えになろうかとは思いますけれども、ここにございます論点を中心といたしまして、きょうはお話をさせていただこうかと思っております。耳なれないこと、私なりの言葉もございますけれども、ある程度ここの場でお話を申し上げたいなと思う次第でございます。
 それでは、最初の論点、二ページ目のところでございます。
 実は、先週、四月の五日でございますが、日本の指標とされております十年国債、この金利が、世界の歴史始まって以来の低金利を記録いたしました。日本というよりは、世界の歴史、人類始まって以来というくらいでございます。
 一時的ではございますが、〇・三一五という水準、これがこの二ページ目のところにある水準でございまして、人類の歴史を塗りかえたというくらい。もともと日本の金利、二〇〇三年に〇・四三という状況はございました。その後、スイスあたりで若干それを上回るといいますか、実際は下回る金利水準がございましたが、この水準が先週破られた。
 足元、若干上がってはおりますが、それだけの未踏の状況になっているということでございます。
 こういう状況の中、足元の財政状況でございますが、これはもう先生方の前で申し上げるほどのことではないのかもしれません。ただ、実態面ということで、若干のおさらいをさせていただくというところが三ページ目以降の状況でございます。
 こちらの三ページ目のところにございますように、大規模な国債発行それからプライマリーバランスの赤字拡大というのが今日本の財政が抱える問題でございまして、その背景にございますのは、歳出の拡大、大規模な国債の発行の継続ということでございます。歳出の拡大が趨勢的に続く中で税収がなかなかふえていない、その結果といたしまして、プライマリーバランスの赤字というものも再び拡大するような状況になっているということでございます。
 この問題の背景には、次の四ページ目のところにございますように、日本の歳出それから税収等の問題があるということでございまして、とりわけ歳出につきましては、社会保障の関係費それから国債費というものが大きく拡大をしているというのが実態でございます。また一方で、収入、税収というところにつきましては、税収が頭打ちになっている、歳入の半分程度しか賄っていない状況になっているといったところが、この四ページ目のところの資料が示すところでございます。
 この結果と申しましょうか、日本の国債の残高でございますけれども、現在、累積的に七百五十兆円にまでなっているということでございまして、どうしても借金に大きく依存する財政構造ということになるわけでございます。この公債残高七百五十兆円の見込みというようなところ、また、今後も拡大というものが予想されているといったところが既に試算としてあらわれているということでございます。
 今申し上げました点は、歳出それから税収構造の中にあるということでございますが、これをもう一段大きな、歴史的なと申しましょうか、広目に見たらどういう問題になっているのかということを、六ページ目以降で改めて議論させていただこうかと思います。
 これだけの大きな、構造問題と言われる財政の問題、私は、ある面での一つの出発点は、九〇年代以降の大きなバブル崩壊といったところにあったのではないかと。この問題は、第二の敗戦とも言われる、資産デフレと言われるような、ここに国富というものがございますけれども、バブル崩壊後、土地だけで一千兆円、国富というものも、GDPでいう一年以上の部分が消失してしまっているという大きな転換が生じた。この九〇年代以降の構造問題と言われる点でございます。
 この構造問題でございますが、七ページ目のところにございます、よくバランスシート調整と言われる議論がございます。
 ややテクニカルな部分はございますけれども、バランスシート調整の本質は何かと申し上げますと、信用拡張期におきましては、こちらに企業、金融、非金融セクターとございますが、信用拡大におきまして、このバランスシートが両建てでどんどん大きくなってまいります。そこで、資産デフレと先ほど申し上げましたけれども、資産サイドは大きく縮小するというのがその前のページのところでございますが、負債は残ってしまうということでございます。ここに、資産と負債の大きなミスマッチが起きる。
 実は、この問題が、大変大きな、この二十年間の構造問題、失われた十年とも言われるような状況を引き起こしたというふうに考えることができようかと思っておりまして、こうした論点が、最近、グローバルにもいろいろな国々で指摘される論点でございます。
 この調整プロセスでございますが、大体、次の八ページ目のところにございます基本形をとるケースがグローバルでも多うございます。
 この八ページ目のところに概念図がございます。調整の三原則というふうに書かせていただいておりますが、先ほど申しました、要は、資産が減少しても負債が残るということ、これは当然のことながら、負債が大きい、過剰債務という現象になるわけであります。こうした状況の肩がわりをする、負担の順序でございますが、まず金融セクター、そしてそれがだんだんと国に移しかえられていくプロセス、実はこれが、この十年、二十年のプロセスだったわけでございまして、日本の場合は、このプロセスはかなり進捗いたしました。ほぼ終わっていると言ってもいいのかもしれません。
 しかしながら、三原則とございますが、そうした肩がわりした債務をどこかで償還する必要がある、これが成長戦略ということでございます。
 そして、先行きの期待をよくする。
 この三つであるわけでございますけれども、日本の場合は、この国債、過剰な債務というものを肩がわって大きくなってしまった国債、私はこれを身がわり地蔵というふうに申し上げておりますが、これが大変大きな状況になった。そのかわり、民間の債務は極めて軽くなった状態にあるという状況でございます。
 そうしたプロセスをちょっと見ていただきたいのが、次の九ページ目、十ページ目というところになるわけでございます。
 この九ページ、債務ということでございますが、民間の債務、実額で比較するわけにいきませんので、GDP対比でとらせていただいております。
 日本の場合は、八〇年代、バブル期というところでどんどん大きくなり、この結果、九〇年にピークを迎え、先ほどのグラフにもございましたけれども、そこから、失われた十年、実際には二十年近くかけて、この絵で申しますと、大体二〇〇七年ぐらいのところで一つのめどがついているというグラフでございます。
 ただ、実は、ちょうど二〇〇七年のときに、海外のバブルがはじけてしまった、アメリカ、ヨーロッパもそのくらいの時期にというところも示しているわけであります。
 ただし、先ほど申しましたように、民間セクターは随分軽くなったという一端をお示ししたもの、これが次の十ページ目のところでございます。
 これは、日米の上場企業で実質無借金の企業の比率をあらわしたものでございますが、日本は、足元で申し上げますと、約半数近く、四五%程度が実質無借金の状況にある。これはアメリカを上回るくらいでございますし、九〇年代の二割台からいたしますと、倍近いくらいまで、このくらいまで企業セクターは非常に軽くなっているという状況でございます。
 こうしたものをちょっと時系列的に見たのが、次の十一ページのところでございます。
 これは、先ほど、日本は九〇年から、アメリカ、ヨーロッパは二〇〇七年で大きなバブルの崩壊がと申しましたが、日本は九〇年、アメリカ、ヨーロッパは二〇〇七年を出発時点にして描いた、民間の債務と公的な債務を見たものでありますが、日本は一番細い線でございます。
 日本のプロセスは、民間の債務がだんだん小さくなる中で、公的なところ、私は先ほど身がわり地蔵と申し上げましたが、そちらがどんどん大きくなり、ちょうど交差したのが二〇〇三年から四年にかけてという状況でございます。そして、アメリカ、ヨーロッパもやや似たようなプロセスを踏んでいるというところもおわかりいただけるのではないかと思います。
 そうした中、十二ページ、先ほど御紹介した絵と全く同じでございますが、今の課題は何かということになりますと、先ほど申しましたように、肩がわりのプロセスは終わりました。民間は非常に軽くなりました。しかしながら、公的なところが非常に重くなってしまっている。これを、左側の成長戦略、そして先行きを改善するということの中で、どのようにしてこの身がわり地蔵を小さくしていくかという段階に入りつつあるというふうに考えることができようかと思います。
 一番理想的には、生産性の向上、例えば新しい技術ができますとかということでございますが、通常の場合、過去の歴史を振り返ってまいりますと、外需、外の景気、しかも、それを自国通貨が下がる中で対応してきているケースが大半であった。そういう中で、今の課題ということであれば、外需と、先行き期待を改善する中でも、これまでの極端な円高を回避するというところが非常に大きな課題であるということがわかるのではないかと思います。
 しかしながら、依然として残る問題は、日本がこれだけ大きな債務を抱えているという点でございますし、また、今申し上げました肩がわりというプロセスが終わったというのは、これは大変日本にとってはすばらしいことではあるわけでありますが、しかしながら、そうした状態の中で、国債市場の安定性を保てるのかというところも常に議論になっているわけであります。逆に、国債の暴落が起きるのではないかということも常にささやかれている。
 その背景を考えますと、次の十三ページのところにございますように、実は、日本の債務残高、これは、時期にはよりますけれども、世界的に見ても最悪の状況にあるということが、ギリシャのほとんど隣にあるのではないか、場合によっては大きいのではないかと言われる。これが国債の問題。また、ここ数年間で見ますと、いわゆるヨーロッパの債務国、PIIGSなんて言われることがございますが、そうした国々よりも大きいではないかと言われることがございます。
 しかしながら、ギリシャを含めてヨーロッパの債務国の国債市場が暴落したにもかかわらず、日本の金利が史上最低というのはどうしてなのかということを考えますと、次の十四ページのところにございますように、日本の場合は、経常収支は黒字であるというところ。実は、これまでの債務国と言われておりますのは、右側のところにございますように、いわゆる経常収支の赤字国であったというふうに考えることができるわけであります。
 こうした状況をとりまして、私は、この十年間ぐらい使っております例えがございます。これが、次の十五ページのところにあります。
 日本の構造というのは、日本の家としては借金がない。これは、経常収支が黒字であるということであります。しかしながら、日本の家の中で、お父さんがお母さんから借りていて、お母さんがさすがに不安になってきた、私は家から出ていきましょうかというのがキャピタルフライト、資本逃避ということになるわけでございます。
 その中には、要は信頼というものが必要である。国債は、ある面では、時間を確保できる特権ではあるわけでありますが、どこかではと。家の中でも信頼関係というものが重要である。また一方で、そもそも、日本の家といっていられるためには、経常収支が黒字である必要というものが生じている。
 そうなってまいりますと、次の十六ページ。
 今後国債は暴落するのかというところは、そもそもが経常収支の黒字を保てるのか。また一方で、その中でも家の中での信頼関係を保つことができるのかということでいえば、私は、今、そうはいっても市場参加者がまだ信頼をしているのには、ここにあります暗黙の信認の三条件というものがあるのではないかと。
 すなわち、どこかでは成長ができ、そうするところになれば租税高権を発揮できる、そしてその中の決断を下せるというふうなことを暗黙裏にまだ市場参加者は信頼をしている。逆に言えば、こうした信頼感というものが毀損すれば、日本の今の状況は維持できないというふうに考えることもできるわけであります。
 そういうふうに考えてまいりますと、まとめれば、ここにあります成長と財政規律ということになろうかと思いますが、今いろいろ議論されているこうした問題は、全て国債の問題に通じるというふうに考えることもできるのではないかと思います。
 そういう意味では、今の論点とすれば、十七ページのところに書かせていただいております、いわゆる成長それから財政、金融というようなもの、こういうものを、段階的な状況の中で、ここでは概念図を描かせていただいておりますけれども、いかに、単に財政金融政策だけではなく、成長につなげる、しかもそれを持続的にできるのかといった論点が非常に重要な局面になっているというふうに考えることもできましょう。
 また、次の十八ページ目のところでございますが、これも先ほど御紹介申し上げたものでございます。
 先ほど申しましたように、今、身がわり地蔵となった国債は大変な残高でございます。これをいかに安定的に出口のところまで持っていくことができるのかということを考えた場合には、財政規律を保ちながらも、外需というようなところ、そしてまた同時に、国債市場の安定化を図るための対応、これは金融政策というようなものとも一体化をしている。そういう意味でいえば、先週、国債への大きな関与というようなことも、こういう枠組みの中にあると考えることもできるのではないかと思います。
 十九ページ目以降でございますが、日本は、この二十年間、大変な危機状況でございましたけれども、しかしながら、この十九ページ目のところで振り返らせていただければ、日本というものは危機対応をずっと繰り返してきた。ある面では、大きな危機対応の先進国というふうに考えることもできるのではないかと私は思います。
 そういう中、二十ページ目のところでございますが、先ほどから国債の問題を申し上げておりますけれども、一方で、日本というものは、国債、金融の資金力という面も含めて、いろいろなものを持っている国なんではないか。ここには、適応、技術力、きずな、そして金融の資金力とございますが、これだけ大きな調達ができるというのも日本の大変な国力でございます。今、これだけの、十兆円規模で、しかも低金利で調達をできる国というのは、世界じゅう探しても、日本ぐらいかもしれません。
 こうしたものを、いかに安定的に対応できるかということの重要性。二十一ページ目のところは、今申しました点の、技術という点を挙げておりますが、研究開発費、これまで非常に高い水準を保っておりました。
 しかしながら、同時に、金融力ということで考えますと、二十二ページ目のところにありますように、日本の国債というものはグローバルな市場でも試されているわけであります。私は、こうした状況をソブリンワールドカップというふうに言うことがございますけれども、要は、欧州の国々は、その闘いの中ではなかなか難しかった。その中で生き残っているというのは、こうした市場の中での評価、ここでは格付それから市場評価ということで、CDSというデリバティブのところでの評価がございますけれども、こうしたところもやはり目配りをする必要があるだろうということでございます。
 最後になりますけれども、二十三ページ、二十四ページ、若干のまとめをさせていただければと思います。
 先ほどから申し上げておりますように、日本の国債の調達力は大変重要な国力でございます。まさに、先ほど申しましたソブリンワールドカップと言われるような、その中で生き残っているというのは、ある面では、経常収支、そしてその中での信頼、財政規律というようなことにあるわけでございます。
 こうしたところをとりあえず日本は調整してきたわけでありますけれども、今後、その持続性といったところが試されているという、まさに政策というものが問われているということになるわけでございます。
 また、最後のページでございますけれども、こうしたところに対応しながら、これまでの、脱失われた二十年、悲観というようなものを、いかに自分たち、日本は持っているものとして対応できる、まさに、今でしょというようなことが問われている局面ではないかということで、私のまとめとさせていただければと思います。
 どうもありがとうございました。御指導のほどよろしくお願いいたします。拍手
この発言だけを見る →
山本有二#3
○山本委員長 ありがとうございました。
 次に、山口公述人にお願いいたします。
この発言だけを見る →
山口二郎#4
○山口公述人 おはようございます。北海道大学の山口です。
 こういう機会を与えていただきまして、大変ありがとうございます。時間が少ないので、基本的な理念、それから大枠の話を幾つかいたしたいと思います。
 やはり、予算というものの目的を考えますと、その最大の目的は人間の尊厳を守ることだと私は考えます。
 その理念に照らしてみて、日本の現状はどうか。東日本大震災から二年経過しまして、いまだに原発事故の被災者の皆さんが事実上難民化している、そういう方が二十万人とも三十万人とも言われている現実があります。その人たちの人権、人間の尊厳を守るという役割を今の政府が本当に果たしているのかという点について、大変大きな危機感を覚えます。
 お配りした資料の図の一に絵があります。これは、ギリシャ神話のプロクルステスのベッドというイラストであります。
 この話は、要するに、ギリシャの山の中で旅人をつかまえてきて、狭いベッドにくくりつけて、ベッドからはみ出す足、手をちょん切るという大変残虐な追い剥ぎの話であります。この刀を振り上げているのがプロクルステスです。
 この寓話の意味は、人間というものは、自分の既に持っている手持ちの枠組みあるいは資源に合わせて問題を裁断する、虚心坦懐に問題を認識することは難しいという意味であります。
 例えて申しますと、この狭いベッドに相当するのが法律の制約、予算の限界、くくりつけられている旅人は原発事故の被災者、そして、刀を振りおろそうとしているのが為政者かもしれません。
 日本の政治全体でプロクルステスのベッドというような病理がないかどうか、ぜひとも皆様方にしっかりと御検討いただきたいというのが最初のメッセージであります。
 世の中はいわゆるアベノミクスがもたらした好景気に沸いておりますが、私には既視感があります。いわゆるアベノミクスには、トリクルダウン、つまり、経済の一番上の方を刺激してそこにお金を回せば、富がだんだん下の方に滴り落ちるであろう、トリクルダウンするであろうという前提があると思われます。
 しかしながら、そのような政策は、既に十年前、いわゆる小泉構造改革のもとで実行されたわけであります。そして、トリクルダウンが起こらなかったということは歴史的な事実が証明しております。
 図の三にグラフを出しておりますけれども、二〇〇〇年代、企業の収益は大幅に向上いたしました。しかしながら、賃金は低下いたしました。結局、会社がもうかっても賃金はふえない、いや、もっとありていに言えば、雇用の規制緩和等々を行って、賃金を減らすことによって企業がもうかるという経済の構造をつくってしまった。
 この時代にできたさまざまな法制度、税制等の仕組みは基本的には変わっていないわけでありまして、今回の好景気というものが本当に社会の隅々に恩恵を及ぼすのかという点について、私は懐疑的にならざるを得ません。
 またしてもバブルを起こすだけではないか、あるいは、市中の金融機関にいっぱいお金を流し込んでも、そのお金が生きた目的に使われず、土地や石油等の物資に対する投機という形で終わるのではないか、こういう懸念を持っております。
 まさに政治こそ、お金を生きた形で使うという大きな仕事を持っているわけであります。
 そこで、二つ目の論点であります、お金をどう使うかということについて、基本的な枠組み、理念についてお話をしたいと思います。
 私は、別に民主党の肩を持つわけではありませんが、やはり人への投資が今の日本にとっては最も重要な課題であると考えております。もちろん、今の予算の中でもそういう方向性を暗示するものはあるとは思いますけれども、やはり、イノベーションを起こすにも、人の能力を高めるということが何よりも重要であります。
 まず、アベノミクスで、ともかくお金をどんどん社会にあるいは市場に投入するということなんですけれども、そのお金が本当に、実際に生活をしている人々、なかんずく、いわゆる弱者あるいは地方に回るのかという点について疑問があります。
 例えば、地方公務員給与の削減という目的で、地方交付税の削減という方向が打ち出されました。
 多くの自治体は、既にもう大変な財政難でありまして、国から言われなくても、公務員給与の削減を数年続けてまいりました。それにさらに追い打ちをかけるということになりますと、地方自治体の財政運営は極めて困難となります。基本的な行政サービスを持続していくことさえおぼつかないというような問題が、特に地方の弱小自治体において生じているわけであります。
 あるいは、生活保護基準の引き下げということも今回打ち出されております。
 いわゆる不正受給というものが全体の中で占める割合というのはほんのわずかでありまして、むしろ、日本の場合は、生活保護基準以下の収入、所得しかない人のうち実際に生活保護をもらえる人、いわゆる捕捉率が極めて低く、学者によっていろいろ試算はありますが、二〇%台と言われております。
 ですから、生活保護を実際にもらっている人は貧困者のごく一部であり、その中のほんの一部がいわゆる不正受給なる問題を引き起こしているということでありまして、針小棒大に不正受給を取り上げて制度全体を攻撃するということは間違っていると私は考えます。
 格差というものは、社会の健全性をむしばむものであります。
 世間では、平等という議論を殊さらにゆがめるために結果の平等を追求する一部の変な人たちがいるというような議論をする人がいますけれども、結果の平等などを政策目標として掲げたなんということは、いまだかつてないと思います、一部の政党はあったかもしれませんが。普通に政策を議論している論者あるいは政党でもって、完全な結果の平等をもたらすなんということを言った人は多分いないと思います。
 問題は、機会の均等をいかに確保するか。ほっておいたら機会の均等を確保できるというのんきな時代ではない。政策的にある種の介入を行うことによってようやっと機会の均等も確保できる時代に入ったということであります。
 お配りした資料の図の四にありますように、先ほど申し上げた、企業が大変な高収益を上げていた二〇〇〇年代、右肩上がりで相対的貧困率は上昇しております。すなわち、働く人たちに分配されていない、低賃金労働がふえるということで、日本は貧困大国になってしまった。OECDの中では、いわゆる先進国の中で、アメリカに次ぐ貧困大国になってしまったわけであります。
 そのような問題に対して、きちんと対応するという方向とは逆の方向を今向いているのではないかという懸念を私は持つわけであります。
 働く人間の生活をいかに向上させるかというテーマについて、安倍総理は、経済界の首脳に賃金引き上げを要請しました。そして、一部の超優良企業では、春の労使交渉で、一時金の引き上げという形で富を分配するということが行われつつあります。しかし、これはまことに変な話でありまして、賃金交渉は労使交渉でやるお話であります。
 政治の力で賃金を上げる方法は何か。一番簡単な方法は、最低賃金の引き上げであります。
 世間では、最低賃金で所定時間働いても生活保護基準に行かないという議論でもって、生活保護の方を下げるという議論がありますが、これはまことに倒錯した話でありまして、普通に働けば最低限度の生活ができる程度の最低賃金制度をつくるということが王道であります。
 そして、賃金上昇分は価格に転嫁する。下請であれば発注元の大企業がちゃんとそれを負担する、小売であれば一般消費者がそれを負担する、そして、ディーセントな人間らしい働き方を国民全体で支えるという方向を目指すべきではないでしょうか。
 もう一つ、最近大変気になりますのは、教育や医療という人間の生命あるいは生活そのものを支えるサービスが、希少財、すなわち、お金に余裕のある人にのみ許されるぜいたくな財に変わりつつあるという問題であります。
 資料二で朝日新聞の記事を引用しておりますが、親の経済力によってその子供の教育機会が大きく影響される、いわゆる教育格差の問題が存在しているということは既に常識に属することとなっておりますが、もっと大きな問題は、そのような格差について、やむを得ない、あるいは当然だと容認する人間が大幅にふえているという点であります。これはまさに、社会正義にもとる現象であります。
 昨日は、この予算委員会で教育をめぐる議論がありました。若い人、子供たちに、日本に生まれてよかったと思えるような教育をせよという主張をされた方もいらっしゃいました。
 私は、これに対して、あえて反論を申し上げたいと思います。これは精神論ではありません。
 たまたま貧しい家庭に生まれたがゆえに、志途中で学業を中断せざるを得ない状況に追い込まれ、かつ、そのことに対して当然であると大半の人が言うような社会において、一体、若者が、どうしてこの国に生まれてよかったと思えるでしょうか。
 まさに、国会議員の皆さんは、大変大きな権限、権力を持っておられます。それは、この国に生まれた全ての人間がその能力と意欲に応じて、思う存分勉強し、社会に貢献できる人間として育てるような環境、条件を整備する力であります。そして、予算こそ、そのための最大の武器であります。そのことを基準に据えて予算のあり方についてしっかりと考えて議論をしていただきたいと、教育の世界の片隅にいる人間として心からお願いをいたします。
 そしてもう一つ、人への投資という観点からいきますと、社会保障制度をいかに持続可能にするかという大きな問いについて、今年度の予算は、どのような方向性、答えを出しているのかという点で、メッセージを感じないわけであります。
 昨年、前政権の末期に、主要な政党の合意によって、税・社会保障一体改革の大枠が決められました。私は、このことについては、政治家の方々が責任を果たしたということで大変高い敬意を持って評価しております。
 しかしながら、来年の四月から消費税率が上がるということだけ決まっているわけですが、国民の負担をふやすことによってこれからの社会保障制度をどのように整備し、持続可能なものにしていくのかという点については、残念ながら展望が見えていないわけであります。この点についても、この予算の中でしっかりと議論をしていただきたいというふうに思うわけであります。
 地方の観点から、この予算について一言申し上げたいことがあります。それは、国と地方の関係に関する、いわば政策の逆行とでもいうべき現象であります。
 今回、一括交付金を基本的に廃止するという方向が打ち出されております。ちょっと学者っぽい議論で恐縮ですが、お配りした資料の二ページ目の図の二をごらんください。
 もともと、長い間、自民党政権というものは、地方に寛大であった、弱者に優しかった、ある種の平等社会をつくったという功績があります。そのことを私は、リスクの社会化、つまり、貧困とか自然災害といったリスクを国全体の問題としてカバーしていく方向性として捉えております。
 しかしながら、そのようなリスクを処理する手法について、日本では、西欧の福祉国家のような、普遍的な、包括的な、あるいは制度化された形での仕組みではなくて、権限、財源を持った官僚のさじかげん、裁量によって、その都度、特定の地域や特定の集団に対して補助金をつける、保護、規制を行うといった形で対応してきたわけであります。特に、公共事業系の官庁がずっと握り込んできた事業別補助金というものは、裁量型の、リスクの社会化の最も典型的な例でありました。
 そのことは、もちろん、地元からあるいは業界から陳情をもらって、そして中央省庁につないで地元にいろいろな利益を還元するという意味での政治家の仕事をふやしたという面はありますが、しかし同時に、さまざまな無駄を生む。つまり、地域の政策的な需要と行政の側からの政策の供給との間に大きなミスマッチを生んだという無駄をもたらしましたし、それから、地方の自立という点から見ても非常に大きな障害となったわけであります。
 やはり、地域のことは地域の住民で議論をして政策の優先順位を決めるということが民主主義の基本であります。その意味で、またしても中央省庁の官僚の裁量的世界に財源を戻して、そして、お金をもらうのに、一々陳情に行って頭を下げて、そして使い勝手の悪い事業別補助金をもらって地域で仕事をするというような、極めてコストの高い、あるいは集権的な仕組みに戻すということについては、私は非常に大きな疑問を感じるわけであります。
 最後に、最近何かと話題になっておりますTPPの問題について一言だけ申し上げて、終わりにいたしたいと思います。
 北海道に住んでおりますと、やはり農業というのは大変重要なものだということがよくわかるわけであります。経営規模が百ヘクタールになんなんとするような、日本で最も大きな規模で農業をしている北海道東部の十勝地方の農家でさえ、聖域なき関税撤廃ということを言われたらもうやっていけないと悲鳴を上げているわけですね。規模拡大、効率化、競争力などというのは、東京の人たちが言う、いわば絵そらごとであると私は思います。
 要するに、何でもかんでも自由にする、そうすると値段が安くなる、そうすると消費者が喜ぶという単純な図式がありますが、人間の生活は消費だけで成り立っているわけではありません。私たちは、生産、供給に従事して、労働力を売って、その対価として報酬を得て、そのお金で消費をするわけであります。消費だけで生活ができるわけではありません。
 生産、供給の世界において、ある種の秩序を保って、一生懸命、週四十時間ないしプラスアルファの時間働いたら生活に困らないだけの賃金を得られる、そういう生産、供給の秩序を守らなければ消費も生まれてこないわけであります。
 そういう意味で、私は、TPPの問題に関しては、やはり地方の視点というものをしっかりと踏まえる。それから、生活者という言葉を安易に消費者と同一視するのではなくて、生産、供給に携わるという側面と、それから、なるべく安くてよい物を選ぶ、買うという消費者の側面と、車の両輪として生活という言葉のイメージを捉えていく必要があるということを申し上げたいと思います。
 いずれにいたしましても、長い停滞の中で、日本の民心というのはかなり悲観に暮れてきた。だからこそ、今、アベノミクスというきっかけで、何か明るい光を持ちたいという願望が噴出しているところだろうと思います。
 しかしながら、安易な解決策、これさえあれば全部うまくいくというような万能薬はないわけでありまして、やはり、日本を立て直すためには、この国に生きる人々、なかんずく、これからを担う若い世代の人々が、しっかりと勉強をし、力をつけ、そして社会に参画していく意欲を持つ。
 我々、上の世代の人間は、そういう人々のためにしっかりと道筋をつける。精神論ではなくて、具体的に、勉強して仕事をしていくために必要な投資をきちんと行っていく。そういう責任、役割というものを我々の世代として果たしていかなければならないと思います。
 そのような観点で、国会においてもしっかりと予算、財政の議論を深めていただきたいということをお願いして、私の話は終わりといたします。
 ありがとうございました。拍手
この発言だけを見る →
山本有二#5
○山本委員長 ありがとうございました。
 次に、片田公述人にお願いいたします。
この発言だけを見る →
片田敏孝#6
○片田公述人 群馬大学の片田と申します。
 私の専門分野は、防災、減災対策及び防災教育というような分野で仕事をしておりまして、東日本大震災におきましても、特に防災教育というような観点から、子供たちに生き抜く力を与えたいというようなことで、長年にわたって、防災教育、事前の防災教育に取り組んできたという立場にあります。
 そのような観点から、きょうは、この防災のお話をさせていただきたいというふうに思っております。
 今申し上げましたように、私は、防災、減災対策及び防災教育というような分野で仕事をしているわけなんですが、今回の東日本大震災を見たときに、その関連死まで含めると二万人以上の方が亡くなる。本当に、防災研究者としては痛恨のきわみでありますし、情けないという思いで、今、この悔しい思いを何とか、来るべき南海トラフの大津波等々で生かし、一人の犠牲者も出さないような国土形成、国づくりということに対して、できる範囲での努力をしているという立場でございます。
 こういう取り組みをしている中で、今の防災、そして減災、こういった分野において、幾つかの問題点、方向性において私なりの意見を持っております。この点、二点ほどお話をさせていただこうというふうに思っております。
 まず、私が防災の観点において大変重要だと思っていることは、もちろんこの災害大国日本でありますので、時に、あの東日本大震災のようなことは、物理現象として起こってしまいます。しかし、そうであっても、国民の命を、一人も死なせない、特に子供たちに生き抜く力を与えて、犠牲者を出さないような国土づくりというものは絶対に必要なんだ、そういう思いでおります。
 そういう観点において、今、国土強靱化論というものが出されているわけなんですが、その中において、ぜひ、その概念の中に含まれているのかもしれませんが、国土強靱化の前に国民強靱化、これが必要なんだということを非常に強く思っております。
 といいますのは、この三・一一東日本大震災以前の状態を思い起こしてみてください。例えば、宮城県沖地震は、向こう三十年の間に九九%の確率で起こる、つまり絶対起こると言われていたわけですね。であるにもかかわらず、避難勧告を出そうが、津波警報を出そうが、国民は逃げない、こういう状態に置かれていたわけです。そのままそのときを迎えれば何が起こるのか、ある意味、これはもう明確なことでありました。
 そして、そのような大人たちの背中を見た子供たち。子供たちは、避難勧告が出ても逃げようとしなかった。ある学校で、どうして君は逃げないのと聞いたら、だってお父さんも逃げないもん、おじいちゃんも逃げないもん、こう言っているわけです。
 このままあの子たちが大きくなり、そしてそのときを迎えたとするならば、必ずや命を落とす危険に、その状況に置かれているんだ、そう思ったときに、私は防災教育の必要性というのを非常に強く認識し、防災教育の現場に入っていったということなわけです。
 今このような状況の中で、なぜ、このように国民は逃げなくなってしまったのか、もしくは、防災というと行政がやるものなんだというようなことで行政依存意識を高めてしまったのか、そして、ある意味、国民自身が災害に対して脆弱になってしまったのか。ここの部分を改善しない限り、今の防災、幾らハードを行っても、それを超える部分において、必ずや国民は自分自身で命を守らなきゃいけない部分を残しておりますので、もちろんハード対策も重要、しかし、それを超える部分が必ずあることにおいては、その部分は国民自身が強靱化していかなきゃいけない、こういう必要性を感じているわけです。
 なぜこのような国民になってしまったのかということを考えてみますと、これまで日本の防災というのは、災害対策基本法において、国、都道府県、市町村、これが三条、四条、五条で規定されているわけなんですが、国民の命を守る責務は国にあるんだ、都道府県にあるんだ、市町村にあるんだ、つまり行政にあるんだ、そういう体制の中で、行政主導、そしてハード主導で進められてきたというのがこれまでの経緯だったと思います。
 この災害対策基本法は、昭和三十四年に伊勢湾台風がありましたけれども、これを契機につくられたわけなんですが、当時、毎年のように、日本というのは数千人規模で災害犠牲者が出ておりました。何でこんなに災害犠牲者が出るかといえば、それは、先進国にふさわしい最低限のハード、防災対策ができていなかったからです。
 それに対して、国、行政が主導して防災対策をやる、ハード中心になるわけなんですが、決定的に不足していたわけですからそれをやってきたわけなんですが、そうしたところ、災害犠牲者は、数千人オーダーから百人ぐらいまで、ずっと、毎年のように落ちてきました。そして、阪神・淡路大震災と三・一一東日本大震災を除けば、毎年百人ぐらいになってしまったという状況の中で、確かに功を奏してきた。ここにおいて、私は、防災におけるハード対策の必要性というのは重要であり、それを否定するものではない、そういう基本的な考え方を持っております。
 しかしながら、このレベルが、非常に高いレベルで防災を進めてきたがゆえに、これは明らかにソーシャルウエルフェアの向上につながったということにおいてよかったわけなんですが、一方で、大きな問題をもたらしました。
 それは何かというと、例えば治水を例にとりますと、百年確率、つまり百年に一回あるかないかの大雨でも災害が起こらないようなハード対策をする。そうしますと、国民は、おおむね平均的には百年に一回あるやなしやの災害のレベルで災害をこうむることになるんですが、これは、一人一人の一生の間に一回あるやなしやの期間、もしくは、世代でいうと、二十五歳で第一子が生まれると考えると四世代ぐらいになりますから、ひいおじいちゃんの時代にあったらしいよぐらいのレベルまで災害というのはなくなっていったんですね。
 これは大変いいことなんです。だけれども、考えてみてください。そこまでのレベルでハードをやったことによって、いわばそこで守られる以下の、いわゆるちまちました災害といいますのが、小さな災害が、確かに高頻度にあった災害なんですけれども、これが全部取り払われた。それによって、国民はいつしか、防災というのは行政がやり、ハードに守られ、自分はもう災害なんかに遭わないんだ、ひいおじいちゃんの時代にあったらしいよのレベルで聞いて、それはもう自分には関係ないことなんだ、こういう意識を持ち始めてきたわけですね。
 そして、結果として何が起こったかというと、防災は誰がやるの、行政。危ないところに堤防をつくってくれるのは誰、行政。危ないところを情報で教えてくれるのは誰、ハザードマップ、これをつくるのは行政ですから、これも行政。危ないときに逃げろと教えてくれるのは誰、これも行政。あなたの命を守っているのは誰、これも行政。大体こういうことになっていってしまい、全部、国民一人一人が自分の命を守るということに対する基本的な認識をなくしてしまった、こういう状況があるわけです。
 しかしながら、もちろん高い安全を保持することはいいことなんですが、ここで重要なポイントになるのは、人為的に高める安全は、ヒューマンファクター、つまり人間側の脆弱性を高めるということです。過保護な親のもとにひ弱な子供が育つ、全く同じ構造になっているわけです。そして、今は避難勧告が出ても逃げやしない、こういう状況の中で、どうして逃げなかったのと聞くと、だって避難勧告がなかったじゃないか。国民は、これほどまでに自分の命を守るという基本的な力をなくしております。
 私は、国土強靱化、その概念の中に国民強靱化という概念が大きく含まれていると信じております。そして、そのためには、子供たちに対する防災教育、そして災害に向かい合う、もともと災害大国日本ですから、それに向かい合う強靱な国民であるよう国民を誘導していくのが政治の役割ではないのかというふうに私は思うわけです。そういった意味におきまして、防災教育の重要性は殊のほか大きいというふうに思っております。
 この防災教育につきましては、私は、冒頭申し上げましたように、子供たちに、ここは昔から津波が来るんだけれども、君、ちゃんと逃げるか、こう聞いたときに、逃げないと。その逃げない理由が、お父さんも逃げない、おじいちゃんも逃げないからだ、こう言っている。この状態を見たときに、今、もちろん子供たちに対する防災教育も重要ですが、大人たちに対する防災教育も含めて、三・一一の東日本大震災を受けた我が国だからこそ、今後に向けて、国民が災害に未来永劫向かい合って、強い国民であるよう誘導していくことが重要だろうと思いますし、そのために必要な手だてとしての防災教育の重要性を改めて御指摘しておきたいというふうに思うわけです。
 防災教育は、教室座学として先生が子供に教えている、こういうイメージをしがちなんですが、こんな狭い範囲で考えていただきたくないんですね。
 考えてみてください。十年間防災教育を継続する、もしくは三・一一のあの悔しい思い、あの無念の思いを十年間頑張って維持して子供たちに教育を続けたとしますと、小学校六年生、十二歳は二十二歳になります。十五歳、中学校三年生は二十五歳。つまり、悉皆性を持って日本国民をつくるプロジェクトなんだ、こう考えるべきだろうというふうに思うわけです。これが十年間のタームで考えられることですね。
 もう十年考えてみましょう。彼らは三十二歳、三十五歳。ぼちぼちお父さん、お母さんになります。そして、真っ当な防災意識を持った、もしくは自然にちゃんと向かい合える、自分の命をしっかり自分で守れるようなそのお父さん、お母さんのもとで子供が育てば、当然子供はそういう子供に育ちます。
 つまり、十年で国民をつくるプロジェクト、そして、もう十年で文化をつくるプロジェクトなんだ、こう考えていただきたい。そう考えていただくときに、この防災教育の重要性というものを改めて強く認識していただきたいなというふうに思うわけです。
 そのために、私は文部科学省の中央教育審議会の委員ですとか防災教育に関する有識者の会議に委員として出させていただきました。そこで申し上げたことは、ぜひ先生方に防災の教育ができるような素養をつけていただく。そのためには、これはもう、日本国民、この災害大国日本に住む以上は皆が皆持っていなければいけない知識ですし、姿勢ですので、教員の養成課程の中に、ぜひ防災の科目というものを必須条件にしていただきたいというふうに思うわけです。
 加えて言うならば、学校教育の中に、今、理科教育等々が、どんどん時間がなくなってしまいまして、私も大学入試をやっておりますけれども、地学で受けてくる学生なんか、もうほとんどゼロです。自然に向かい合うというこんな大事な科目、これは日本であるからこそ本当に重要な科目だと思うんですけれども、もうほとんど受験は物理、化学。それも大事なんですけれども、でも、こんな災害大国にありながら地学教育がこんなにもないがしろにされているということに対して、私は非常に大きな危機感を持っております。
 そして、地球の営み、自然との向かい合い方、そして助け合い、きずな、この防災の概念の中に含まれるものを全部統合したような、防災というような科目をぜひ学校教育科目の中に新たに創設すべきじゃないのかというような発言をさせていただきました。
 この観点については、国民を強くすることにおいて大変重要な骨格となることであろうと思いますので、ぜひ、今後において御検討いただければというふうに思っております。
 そして、次は、最近の取り組みの中で痛切に感じていることをもう一点申し上げたいと思います。
 防災の基本原則はどこにあるべきか。一義的に、一番重要なことは何かというと、災害ごときで人が死なない、国民が死なない国土、国民をつくり上げていくことだろうというふうに私は考えております。
 我が国は、阪神・淡路大震災を経て、防災に対する国民意識は非常に高まりました。そして、阪神・淡路大震災を契機に、日本の防災そのものが国民レベルでも非常に底上げがされたと思います。ボランティア元年とも言われました。
 今回も、被災地に行きますと、本当に多くの国民が、精いっぱいの努力をもって、被災地をお助けしたいという意識の中で、誠心誠意、日本国全体が被災地を助けようとしております。本当に、この文化ができたのは阪神・淡路大震災以降のことだと思います。
 しかし、それであっても、僕は、日本の防災はこの間間違ってきたんじゃないのかと思っております。それは、何が間違いだったのかということなんですが、阪神・淡路大震災以降、よくなった防災というのは何かというと、生き残った人たちを助ける防災、ここに重きがあったように思うんです。もちろん重要です。
 今回も、三・一一の後、私は、三日後ですか、現地に入りました。私の目の前には、家をなくし、家族を亡くし、そして家族の行方がわからないという状況の中で、不安に駆られ、苦しんでおられる被災者の方々がたくさんおられました。
 当然です。誠心誠意、精いっぱい、自分のできる限りの支援をもって、彼らにできることをやってあげたいというふうに私は思いました。これは人であれば当たり前の心理であって、それをやることは当然のことで、それを否定するものでも何でもありません。
 しかし、ここで考えなきゃいけないことがあると思うんです。
 今回は、関連死も含めるならば、約二万人の方が亡くなったんですね。誰が一番悔しい思いをしているのか。これは言うまでもなく、この亡くなった二万人の方々です。しかし、我々が現場に入りますと、彼らは我々に物を言うことはできない。そして、遺体がありそうな現場というのは、もうロープが張られて、警察や消防や自衛隊の方々がひっそり遺体処理をしてくださる。この御遺体というのは、無念の塊であるところの御遺体です。
 そして、我々の目の前にいるのは、生き残って今を苦しむ方々。ここを支援するのは当たり前です。これを否定するものではないんです。これは重要な防災です。
 しかし、防災は、人が死なないということ、国民を災害ごときで死なせない、そのために国民に力をつける、こういうことも僕は大変重要なことなんだろうと思いますし、防災は、まずは国民を死なせないということに特化していただくことが重要ではないのかというふうに考えるわけです。
 例えば、これは否定するものではないんですけれども、あの三・一一の後、帰宅困難者問題というのがさんざん議論されました。重要な問題です。あれほどの混乱を招いたわけですから、重要な問題です。
 でも、考えてみてください。この問題は三日すれば解決します。生きているんですね。そして、帰れないといって大混乱をもたらしている。これは大きな大きな問題であり、だけれども、これは防災の問題かというとそうではなくて、都市交通の災害時対応の問題で、都市交通部局が頑張ればいい問題だと思うんです。平常モードの仕事、災害モードの仕事がある、それを都市部局がやればいい問題だと思うんです。
 私は、防災の一義的な目的は、やはり国民が災害ごときで死なない、そして自分の命を守るということに対して主体性を持ち、何かにつけ行政依存の状態から脱し、自分の力でちゃんと行動がとれるような子供たちを育て、そして国民にしていく、こういうプロセスこそが今日本の防災に求められていることなんだろうと思います。
 私が十年前から取り組んできました釜石におきましては、釜石の子供たちは懸命に避難しました。そして、自分が避難するだけではなくて、保育園の子供を抱きかかえ、おじいさん、おばあさんに手をかし、そして、逃げようとしない大人たちを、一生懸命、泣きながら説得して、避難をしてくれました。それであっても子供たち全員の命は守れなかったわけなんですが、でも、釜石の子供たちの一生懸命とってくれた行動は、釜石の奇跡として全国に紹介されるところとなりました。
 今、私のところには、特に高知県や徳島県や和歌山県や三重県や、これから津波が危ないと言われている、道東なども含めてなんですが、防災指導の依頼が毎日五件も六件も来ます。もう対応できません。きょうもこの後、高知県の黒潮町、三十四メートルと言われているあの黒潮町の町長さんにお会いします。また、高知県の防災担当にもきょうお会いします。
 こうやって、私のできる限りのことはやっておりますけれども、今まさに、災害に向かい合う主体的な姿勢をどう国民につけていくのかというのは、これはもう防災教育以外あり得ない。そして、やはり国家は人だと思います。十年、二十年という長い教育の中で、子供たちに生き抜く力を与え、国民をつくり上げ、そして、お父さん、お母さんになり、文化として育て上げていく。こんなところに施策としての重点をぜひ置いていただきたいというふうに思います。
 もちろん、ハード対策も私は重要だと思っております。ハードのレベルというのは、ある意味国力のレベルだと思います。そこまでは物理的に災害を排除してくれるということにおいて、これは何ら悪いことではないと思うんです。
 ただ、私が強調したいのは、ハードですとか人為的につくり上げていく安全というのが、必ずや人間側の脆弱性をつくり上げていくんだということ、このバランスをどうとるのかということ、ここをぜひ先生方には御理解いただき、ハード対策をやればやるほど、ソフト対策、人間側の脆弱性をどうリカバーしていくのかということに対しての特段の御配慮をいただきたいというふうに思うわけです。
 そして、岩をどれだけ高く、堤防を高くしても、それを越える津波、それを越える洪水はあり得ます。高ければ高いほど、確かに安全度は高まる。しかし、それを越えるものが起こったときに、一網打尽のように死んでいくような脆弱性を高めることでもあるということ。それを理解していただいたときに、やはり最後、我々国民自身が、一人一人が自分の命を守るということ、ここに対する主体的な姿勢をしっかり持つ、これはもう教育以外あり得ないというふうに思っています。
 この教育をもって、ぜひ日本国を真の意味で強靱化していきたいと私自身は思っておりますし、私は一介の研究者ですので、できることには限界があります。しかし、私のできる限りの対策をもって、今でも全国各地を飛び回っているんですが、これからも続けていきたいというふうに思っております。
 ぜひ、この国会の場の先生方には、国土強靱化とは何なのか、もちろんハードも重要、でも一方で、それに応じたソフト、つまり国民強靱化が重要なんだということを、この観点をぜひお持ちいただき、日本の防災教育の推進ということに対してお力添えをいただければというふうに思っております。
 私の申し上げたいことは以上でございます。よろしくお願いいたします。拍手
この発言だけを見る →
山本有二#7
○山本委員長 ありがとうございました。
 次に、中原公述人にお願いいたします。
この発言だけを見る →
中原徹#8
○中原公述人 大阪府教育委員会教育長の中原徹でございます。
 本日は、貴重な機会をいただきまして、大変ありがとうございます。
 私は、教育に携わっておりますので、教育に関する仕組みの改善点と教育施策に対する改善点の二点をお話しさせていただきたいと思います。
 まず初めに、私の教育に対する考え方がどうして生まれてきたかという意味で、私のバックグラウンドを少し御紹介させていただきます。
 私は横浜出身で、東京の中学、高校に行きまして、大学も、早稲田大学の法学部に行きました。ですから、通常の、本当に、日本のどこにでもいる中高大学生でした。
 その後、日本の司法試験に受かりまして、今議員定数不均衡の中心的な役割を果たしておられる升永弁護士さんのところの若手として、その事務所に入りました。二年弱、日本で弁護士をしまして、その後、一旦無職になりまして、米国のミシガン大学のロースクールに通い、その後、ニューヨーク州とカリフォルニア州の弁護士資格を取って、約十年間、アメリカのロサンゼルスで弁護士をしてきました。
 晩年は、パートナー、共同経営者にもさせていただいて、アメリカの方が長くなってしまったんですけれども、弁護士生活を送った後、二〇一〇年から三年間、大阪の岸和田市にあります和泉高校というところの校長を務めました。民間人校長です。それを務めながら、去年は、橋下市長の推薦だったんですけれども、大阪市の教育振興基本計画の策定委員として、これはボランティアでしたけれども、参加いたしました。ことしの四月から大阪府の教育長として務めております。
 これが私の背景なんですが、どうして教育に行こうというふうに思ったかといいますと、そもそも、日本で弁護士をしておるころに、アメリカやイギリスの弁護士だったりビジネスマンが来ると、どうしても日本の弁護士が少し弱腰になってしまったり、あるいは、日本の法律事務所は、大手になればなるほど欧米の事務所のスタイルを、これは準備書面の書き方も含めて追従しているということがありましたので、そんなにアメリカがすごいのかということで、本場の弁護士の実態が知りたくて行ったというのがきっかけでございました。
 しかし、行ってみると、中身で考えていることというのは大して変わらないな、もう十分に対等な勝負ができる、そういう思いで十年間頑張ってまいりました。
 それで、特に、日本のエリート層の人たちがアメリカに来るときに、どうしても、最初からコンプレックスみたいなものが手伝って、欧米に近づければいいなと。追い越したり、彼らをリードするような、そういった人になりたい、そういう思いで来ている人がほとんどいないという状態に触れました。
 私は大した弁護士ではありませんでした。しかし、曲がりなりにも、大きな事務所で共同経営者までなれたということで、自分ができるんだったら、自分よりももっと優秀な人が大勢いるのに、どうして日本人が世界に出ていかないのかというところに、非常に、疑問というか、一部、勝手ながら怒りのようなものも覚えて、それを立て直すにはやはり教育からだということで戻ってまいりました。ですから、その思いが根底にございます。
 先ほど、冒頭申し上げましたように、二点。
 まず一点目、仕組みの改革なんですが、近時話題になっております教育委員会制度をどう考えるか、これについての私の見解を述べさせていただきます。
 私は、結論から言うと、制度を変える、変えることが解体という名前を使うのであれば、解体した方がいいというふうに思っています。今、自民党の教育再生実行本部からも言われているように、これは国の制度と同じようにしたらいいのかなと思っています。
 つまり、内閣総理大臣が文部科学大臣を選んで、そこが文科省という大きな行政組織を率いていく。同じように、各地方公共団体の首長が、これは、教育長という名前でなくても、教育局長という名前でも、もっと格好いい名前があればみんなで考えたらいいと思うんですが、そういう文科大臣に当たる人を選んで、そこが各地方公共団体の教育行政を引っ張っていく、そういう形がいいのではないかというふうに思います。
 これに対する批判としては、教育が政治から中立的でなくてはならない、こういうようなことがよく言われて、おかしな人が首長についたらおかしな教育になるということが言われるんです。これは、究極的に言うと、選挙による民主主義をどこまで信頼していくかということにもなると思うんですけれども、と同時に、では、それに対する抑制機能があれば、それはそれでいいのではないかと思うわけです。
 首長というのは、当然、四年に一回選挙で選ばれますから、選挙というスクリーニングもありますし、リコールという方法もあります。もしそこが、首長の権限が強化されるのであれば、リコールの条件をもうちょっと緩やかにして、よりリコールしやすくするという方法もあります。
 戦前の、検閲がなされていたような状況と違って、表現の自由が完全に強化されて、むしろそこが強過ぎるんじゃないか、マスメディアの権力が、もう第四権力、あるいは三権分立の上に来るんじゃないか、そんなことが言われている時代ですので、そういった意味では、抑制効果というのは十分にあるだろう。
 ということで、教育に関してもシンプルに。
 これは、地方公共団体、他の部局は、国と同じように、国土交通省があり、財務省がありというように、環境局があったり、商工局があったりということで部局になっていますので、どうして教育だけ独立してやるのかというのが、私の考えではよくわからないんです。
 一つの批判として、教育というのは非常に大切で、簡単に動いちゃいけないんだという声もありますけれども、では、福祉、医療、環境、いいかげんなダムをつくって決壊しちゃった、いいかげんな薬を認可して、あるいはいいかげんな医療制度にしてお年寄りが亡くなっちゃった、それと教育とどれだけの差があるのか。必死に生きている人たちを支えていくという意味で、地方公共団体の行政が担う仕事というのはどれも大切で、究極的には、生きている市民の生命身体あるいは健康、そういったものの安全に資するわけです。
 ですから、教育だけ第二次世界大戦の総括ができていないところがやはり残っていて、どうしても教育、首長イコール軍国主義であったり、危ないことをするんじゃないか、そういうトラウマみたいなものがいまだに払拭できていないのかな、そういう気がいたします。
 ですから、私は、教育も医療も環境問題も、いろいろなものも、地方公共団体の、大阪府でいえば、大阪府の行政が担っている役割というのはどれも大切であって、教育も同じように考えたらいいのではないかというふうに思います。
 では、ほかの教育委員はどうなるんだと。
 今、教育委員会というのは、皆さん御存じのとおり、大阪府でいえば、六人教育委員がいます。
 そのうちの一人が教育委員長。これは今、陰山先生が、優秀な先生ですけれども、務められています。企業でいえば社長ですね。だから、六人の取締役がいて、代表取締役社長に当たるのが教育委員長。この方は非常勤です。
 今私が務めている教育長というのがいわゆる事務局長で、会社に例えれば、六人の取締役のうちの常務取締役という感じですかね。常勤で一人だけ。唯一、六人の一人が常勤です。ですから、あとの五人は非常勤。
 非常勤であるけれども、今、首長が教育の中身は決められませんので、教育の中身を決めるのは、この六人が合議して、取締役会で会社の経営方針を決めるかのように決めているわけです。
 そうすると、私は常勤で、六票のうちの一票しか持っていないんです。あとの人は非常勤で五票持っている。ですから、首長の考えが危なくなると教育が危なくなるどころか、もうある意味、議会も手を出せない。条例をつくってしまえば別ですが、しかし、学校のカリキュラムの中まで条例をつくれるのか。これはまた、法的な議論も出てくると思うんです。
 その六人が、地方公共団体の権限を、本当に強烈な権限を今持っている。そのうちの五人は非常勤。非常勤の人も重い責任を負わされるのはたまったものではないんですが、一方で、強烈なその権限を、六票のうちの五票を持っちゃっているわけですね。
 例えば、大津市の事件を見ても、大津市の教育長がずっと批判の矛先でしたけれども、教育委員長だったりほかの教育委員というのは、同じように票を持っていたのに、いじめ対策ということでいえば、どうしてその人たちが出てきて責任をとらないのか。
 私は、非常勤の教育委員を責めているわけではなくて、これは、仕組み自体がもう制度疲労をしてきていて、責任と権限が一致していない、そういうことであると思いますので、教育委員会制度というのはそういうふうに直していったらよいのではないかというのが私の見解でございます。
 次に、教育施策なんですけれども、これは、きょう二時間、三時間いただけたら、本当に十個も二十個もお話ししたいんですけれども、もう残り十分ということなので、三つぐらいに絞ってお話しさせてください。
 一つ目は、今、自民党の教育再生実行本部で議論されています英語教育ですね。
 私は、先ほど、冒頭申し上げましたように、通常の日本の高校生、大学生でした。それが十年間、やいのやいの言いながらアメリカで生き残ってきました。ですから、英語に関しては、帰国子女でもなければ、特別な英語教育を日本で受けたわけでもありません。
 そういった経験を踏まえて、自分は教育者としてこれからの子供たちにどんなことをしてあげられるかと思ったときに、私は、TOEFLというものに目をつけて、実は、三年前からTOEFLというのを自分の高校で実践してまいりました。これは、カリキュラムの中に入れていなくて、課外授業で。
 課外授業というのは、ある意味無責任で、だめだなと思えばやめられるんですけれども、カリキュラムで入れちゃうと、中学生に発表した段階で、その子が高校一年で入ってきたら、三年間は絶対に守ってあげなきゃいけないことになりますので、非常に責任が重い。
 そういう中で、当初、英語教員に提案したところ、十一人中二人しか賛成してくれなかったんですが、いろいろ議論を重ねて、少人数でもいいから、意欲と実力を見せてくれた生徒を対象にやってみようということで、三年間やってまいりました。
 私が赴任した高校は、俗に中堅校と言われる学校でして、いわゆるトップ校ではございません。しかも、彼らが一年生のときには、TOEFLの授業をつくる、カリキュラムをつくる会議に追われていましたので、通常は二年かかると言われたんですけれども、大急ぎで議論して、三カ月でつくりました。
 とはいえ、始められたのが、彼らが高校二年生のときです。ですから、実質二年間、受験もあると正味一年半ぐらいになってしまうんですが、結論として、何にも、TOEFLのトの字も知らない、今まで英語をまともにしゃべる練習もしたことがない子たちでも、百二十点中六十点から七十点ぐらいは頑張れば届くということを、これは本当に彼らに感謝していますけれども、そういうことを証明してくれました。
 なぜTOEFLがいいかというと、読む、聞く、書く、話すという四技能がバランスよく問われるからなんです。
 今までは、英語教育を最初に始めたときに、明治維新が終わった後には、とにかく欧米のものを輸入しよう、どんどん学ぼうということだったので、やはりそこは、読めて、翻訳できるという人材の育成が急務だったというふうな話も聞いております。
 しかしながら、今の時代は、我々が考えていることを世界に発信していかなければならない時代で、いつまでも人の国の、もちろん、人の国の話やデータをとることは重要ですが、やはりリードしていくということに目標を据えてもいいのではないかと思いますので、そういった意味では発信しなきゃいけない。それは、書く、話すという技能がなければどうしようもない。
 今、英語は嫌だといったって、ほかの国がもう動いています。特に、中国、韓国は大きなかじ切りをして、完全に英語ができるようになってしまっています。中国、韓国でトップ層の子がTOEFLで百点をとっているなんというのは今当たり前の話になっていますので、そういった意味では、書く、話すということを学ばなきゃいけない。
 それには、何といっても、やはり大学受験なんです。ですから、自民党の皆さん、あるいは他の議員の皆さんにもぜひお願いしたいのは、大学の卒業要件でもいいんですけれども、やはり入学要件に入っていなかったら、この話は流れます。確実に中高は動きません。
 今、私が高校三年間でTOEFLというのをやっていて、そこに呼応してくれている、グローバル化に興味を持った高校が、私どもを含めまして四校あります。そこでアライアンスというのを、これは、横浜のサイエンスフロンティア、新潟の国際情報、それから大阪の三国丘と和泉高校の四校でTOEFLを広げようということで、地道にゲリラ的な活動をしてきましたけれども、それをほかの学校に言っても、なかなか聞きません。しかし、これが国会で正式に皆さんの議論を経て決まって、TOEFLを大学入試に入れる。
 特にトップ層の大学には、ぜひ入学要件で入れてほしいんですね。下位になってくるとちょっと、余り低い点数同士で争って優劣を決めるのはどうなんだろうということは一考の余地があると思うんですけれども、特にトップ層に関しては、どんなに低くても七十点、上を目指すなら百点ぐらいを設けても、恐らく、ついてくる子は十分についてくると思います、中堅校の和泉高校で六十から七十ということでしたから。
 ですから、ぜひ、大学入試。これは、公務員の試験でももちろん大事なんですけれども、一番この国の英語教育を動かせるというのは、大学入試、しかもトップ層の。
 私は、おととしでしたか、文部科学省でもこういったスピーチというか座談会をさせていただきまして、そのときにも、とにかく東大の法学部の、文1の入試をまずTOEFLにしてくれればそれだけで変わってくるということを僣越ながら申し上げたんですが、それどころか、今、トップ層、あるいは大学全体に普及させるという物すごい流れになっています。
 もしこのチャンスを逃してしまいましたら、五年ぐらいはまた封印されるわけですね。ああ、読む、聞く、書く、話すという話は、実は三年前にあったよ、あれはもういろいろな理由で流れたんだと。特に教育界というのは動きが鈍いですから、そういうことが五年から十年封印されます。そうすると、そこの時代に中高生だった子たちは恩恵を受けませんから、これは少なくとも二十年ぐらい、また暗黒の時代に戻るというふうに考えています。
 ですから、こういう貴重な機会をいただいて私は本当に光栄に思っていますが、これからまたTPPという話なんかも出てきて、グローバル化が進んでいることを否定する方は誰もおられないと思うので、本当に日本の子孫のためを考えて、TOEFLという案は入試に入れるということで進めていただきたいというふうに考えております。
 それから、時間がなくなってまいりましたが、あと二つほどお話しさせください。
 二つ目が、これは先ほど先生からお話がありましたけれども、理科の教育を初めとして、私は、英語、英語と、中原というのは英語ばっかりかというふうによく言われるんですけれども、とんでもない話で、知識と教養というものがなければ、当然、グローバル社会に出たとき、グローバル社会というのは、例えば、日本でコンビニで働くとか工場で働くといったって、今外国の人がどんどん来ていますから、そういう意味で、一生日本で暮らす、必ずしも英語を使わなくてもグローバル化の波というのはもう押し寄せてきているわけで、豊富な知識と教養を養ってあげるということは非常に重要です。
 例えば、土曜日の授業であったり、あるいは理科教育が今、一、二年生、小学校低学年が生活という教科になって、理科と社会をまぜて、理科のブレンド率がかなり高い感じなんですけれども、そこでは割と実験で興味を持たせるというところに重点を置いていまして、知識を蓄えるというところが少し弱くなってしまっている。そういうところも含めて理科教育を充実させたり。
 何年か前ノーベル化学賞をとられた根岸教授が、私は受験地獄の支持者だとおっしゃっていました。先日ノーベル賞をとられた山中先生も、ゆとり教育の前の理数の教育を受けているわけです。
 ですから、知識と教養ということを考えたときに、本当に自分たちが学んで、そこで得た知識や教養や思考力でないと、資源がもともとない国ですから、そういった意味では、そこで力をつけないと他の国と区別していくことができないだろうと思いますので、知識と教養の強化というのはぜひ進めるべきだというふうに考えています。
 それから、三点目で、道徳を教科の中に入れるという話との関連なんですけれども、私は、日本の教育に決定的に今欠けているものというのは、正解が一つではない問題を思考する力だというふうに思っています。
 それとの対比なんですけれども、正解がないのだから自由に発想していい、自由に自分の意見を考えて述べなさいという片側の要請と、もう一つで、これは道徳と重なってくると思うんですけれども、世の中にはやはりルールだったりマナーというものがありまして、それは世界のマナーと日本のマナーは違うので、そこは両方教えてあげなきゃいけないんですが、そういった守らなきゃいけないことというのをまず明確にして、守らなきゃいけないこと以外は自由に意見を述べていいんだ、しかも、意見を述べるときには、人格と意見というものは別にして、これは国際協調にも必要だと思うんですけれども、意見が違って唾を飛ばして議論し合っても、その議論が終わってお昼御飯を一緒に食べるときには笑顔で食べると。
 実は、私の高校で、大阪大学の大学院生、中国人の方二人、韓国人の方二人と、それからうちの有志の生徒五十人で、尖閣と竹島に関する議論をしました。
 そのとき私が生徒たちに言ったのは、ルールは一つです、笑顔で握手して始まる、そして終わるときも笑顔で握手して終わる、意見が異なるのは当たり前、これは政府レベルで話し合ったってまとまらないのに、君たちが二時間しゃべってまとまるわけがない、そういう話をして、実に闊達に議論して、時に議論は熱くなりました。
 韓国の方二名、中国の方二名が、日本語は流暢でしたけれども、それは本国での影響だとか、いろいろな、家族の影響なんかもあったかもしれないんだけれども、やはりこれからは仲よくしていかなきゃいけない、お互いの国のことをまずは語り合うということから始めなきゃだめだということで、そこに勇気を持って来てくださって、すばらしい議論が二時間できたんです。
 話は飛びましたが、要は、守らなきゃいけないルールというものをもっと厳しく教える。
 これは、いじめに関してもそうだと思います。いじめの被害者の保護も大事ですけれども、私は、加害者、本人の生徒そして保護者に、まずは、ルール違反で間違っているということを、社会に出たら相手にされない、下手したら刑務所に行くということをしっかりわかってもらって、その上でもう一回チャンスを与えるというのが教育であると思っています。厳しいことをまず言わないことが教育ではなくて、厳しいことを言った上で、そして、あなたにはもう一回チャンスがあるんだということで機会を与えるのが教育だと思います。
 ですから、道徳教育を考えるときに、自由な発想をして、答えが一つでないものを考えさせるところまで、こういう考え方を持てというところまで強制せずに、ルール、マナーのところだけを道徳として、これは守らなきゃ社会人としてだめだ、しかし、あとは自由に考えなさい、そういう色分けをしっかりしてくださることが道徳教育に関しては非常に重要かな、そういうふうに思っております。
 短い時間でしたけれども、貴重な時間をいただきまして、ありがとうございました。拍手
この発言だけを見る →
山本有二#9
○山本委員長 ありがとうございました。
    —————————————
この発言だけを見る →
山本有二#10
○山本委員長 これより公述人に対する質疑を行います。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。大塚高司君。
この発言だけを見る →
大塚高司#11
○大塚(高)委員 自由民主党の大塚高司でございます。
 公述人の皆さん方、本日は、貴重な御意見、まことにありがとうございます。
 今、日本は本当に大変な状況の中、また、国民は、将来に対して大きな夢を持てない、長いトンネルの中からなかなか抜けることができない、そういった閉塞感の中でもがいているような感がするわけであります。
 そういった中、安倍政権が誕生いたしました。そしてアベノミクス。そういった流れの中で、ようやく光が見えてきた、そういった感がするわけです。
 ということで、本当に、これは何とかならないかと思っておられる方、国民の皆さん方はたくさんいらっしゃるというふうに思うわけであります。その一物の光を何とかほんまものにするためにも、我々が成長戦略をいかに伸ばしていくか、これが一番大きな鍵だろうというふうに思っておるところでございます。
 そこで、高田公述人にお尋ねをするわけでございます。
 私もいろいろな業界の方にお話をお聞きしました。その中で、やはりまだまだ景気はよくなっていない。医療関係もだめだ。プラスチック関係、製造業の方々にお聞きしても、まだまだだ。本屋さんの卸の方にお話ししても、まだまだ。お酒もまだまだ。そういったところで、いろいろなお話をお聞きします。
 しかし、よくなってきているよと言われるところもたくさんございます。特に、産業機械をつくっている会社におきましては、数年先まで受注がいっぱいである、建設業は、人夫、人が足りないというようなことで、今本当に困惑しておる状況だということでございます。
 そういった中、本当に、いろいろな今回の金融政策にいたしましても、期待感が多い。こういうのは、大企業、大手の企業は期待感が多いと言われておりますが、中小零細企業にはそういった実感がまだまだないというような感がするわけであります。
 また、株価につきましても、円安、株高がどんどん進んでいるこの状況の中で、株価は今、外国人の投資家を中心に行われているような感がするわけであります。日本人投資家はまだまだ様子見をしているような感がするわけでありますが、高田公述人の御見解をお尋ねいたします。
この発言だけを見る →
高田創#12
○高田公述人 大塚先生、どうもありがとうございます。
 先生の御指摘のように、まだまだ非常に跛行性が強いというのが実態ではないかと思っております。円高の是正が始まってから、せいぜいまだ三、四カ月という状況でございます。
 ただ、失われた二十年というふうに私は申し上げましたけれども、過去の状況を見てまいりますと、先ほど、最初に申しました、バランスシート、信用収縮というものと円高というような状況が十年、二十年続く中で、どうしても、企業の方々が生き残りをされるという中では、多分、マージンを圧縮する、それから、円高の中でも価格を上げない、要は、自分たちでどんどん経費を削減するというんでしょうか、人件費を削減するというような動きが続いていたわけであります。
 こうした動きが十年、二十年続けば、当然、かなり身についてしまったということでございますから、そんなにすぐに、ここ数カ月の中でこれが本当に定着するのかということであれば、そろそろ、これまでの二十年の行動パターンというんでしょうか、変えるということになるんだろうと思うんですが、それが確信が持てるようになってくれば、これまでの流れを解き放ってでも対応していこう、その一つの岐路に差しかかっているのが今ではないか。
 ですから、ようやく海外の市場で輸出が少し伸びるかもしれないという中で、場合によっては、これまで賃金を圧縮していたところも、やめてもいいのではないかと、一部のところが動き出した。しかしながら、まだそれが完全に広がっていないというのも確かだろうと思います。
 ですから、この流れをいかに定着させ、そして確信を持てるか。そういう意味では、私は、まさに今、そのタイミングに差しかかる、これをいかに定着させるかというところが非常に重要な点ではないかというふうに思っておりまして、それを非常に我々も期待したい、サポートしていきたいというふうに考える次第でございます。
 どうもありがとうございます。
この発言だけを見る →
大塚高司#13
○大塚(高)委員 ありがとうございます。
 特に日本人というのはシビアなところがございまして、よくマーケットをにらんでおるところでございます。長年の低金利時代ということでございまして、そういった動向を必ず見定めているというのも日本人らしいところではないかなというふうに思うところでございます。
 そういった中で、市場というのは、いろいろな、例えば重要な発言をされる方の動向にも敏感に反応するわけですね。そういった流れの中で、今の株式市場というのは今の政権に関して何を求めているんだろうかということをお尋ねいたします。
この発言だけを見る →
高田創#14
○高田公述人 先生の今の御指摘で、何を求めているかということでございますけれども、先ほどの御質問の中で、日本人が動いていないというところも含めて、ちょっとお答え申し上げたいと思っております。
 私は、今外国人が求めているものの一つは、日本が、もとの、八〇年代ということではございませんけれども、ある程度成長というものに戻れるのかどうかといったところを非常に求めている部分が大きいのではないか。
 日本は九〇年のところで一つとまってしまいましたけれども、世界的には九〇年代、二〇〇〇年代も成長が続き、足元、先ほど申しました二〇〇七年以降にやや調整はございましたけれども、そこからようやくアメリカを中心に立ち上がりかけた状況にございます。そうした世界的な大きなトレンドと申しましょうか、こうしたところにある程度日本も同じような形で戻っていけるのかというところ、この辺を求めている部分が非常に大きいと私は思っております。
 そこに対して、日本が、どうしてもこれまで悲観というところで縮こまってしまっていたというところ。先ほど私は、日本は本来持っているというふうなことを申し上げました。海外から見ますと、日本には持っているものが大変ございます。先ほど私が挙げましたのは、きずな、技術力、そして適応力というところ。それに加えて、金融、いろいろな資金があるということでございましたから、そうした潜在力をいかに生かせるかというところをまさに海外の投資家は見ている。
 それを見てまた日本の投資家が自信を取り戻していけば、先ほど先生から御指摘あったように、日本の投資家ももう一回ついてくるということになるのではないかというふうに考えておりますので、そうした、日本が取り戻すことができるのかといったところを海外の投資家なり世界は見ているというふうに私は考えるべきではないか。
 私もたまたま、先々週、ヨーロッパの投資家を回ってまいりましたけれども、ようやく海外の方々も、日本は何か動き出すのではないかというような期待を持つような状況にもなってまいりましたので、そうした期待を、成長戦略といったことを、具体的なものも踏まえた上で、これまでの財政、金融がございましたので、いかに示していくことができるかというところがやはり問われている局面ではないかと思う次第でございます。
 どうもありがとうございました。
この発言だけを見る →
大塚高司#15
○大塚(高)委員 ありがとうございます。
 そういった流れの中で、やはりマーケットというのは敏感でございまして、特に日本のこれからの動向、本当に以前のようになるのだろうかというような不安感、そういうものもあるわけであります。
 しかし、何といいましても、以前のような政治の安定がマーケットに大きな影響を及ぼすのではないか。我々は、何としても、政治、安定した政権、そういったものを必ず構築していくことがマーケット、市場にとって大きなプラスになっていくものだろうと確信をして、努力をしていかねばならないというふうに思っておるところでございます。
 今回の安倍政権、金融、財政、成長の三本の矢、アベノミクス、何としてもこれをうまくつくっていかねばならない、うまく回していかねばならない。そういった流れの中で、この三本の矢以外にまた違う矢を入れるとするならば、どんな矢をつけ加えたらいいとお考えでしょうか。
この発言だけを見る →
高田創#16
○高田公述人 どうもありがとうございます。
 非常に難しい論点かなというふうに私は思っております。
 三本の矢というところ、財政、金融そして成長ということでございます。これがかなり包括的なということではないかと思いますが、私は先ほど、持っているというようなことを申し上げました。そういう観点から申し上げますと、第四の矢ということになってまいりますと、もう一つは、やはり、人というんでしょうか、教育と申しましょうか、先ほどの私のペーパーでいいますと科学技術といいましょうか、こうした論点が非常に大きいのではないか。すなわち、日本のこれまで持っているものを示す。
 それと、もう一つ、第五ということで挙げさせていただくとすれば、日本は、実は、世界から見ますと非常にいい環境に恵まれているのではないか。すなわち、世界の中では一番高成長な地域のど真ん中にいるではないか。まさに、アジアという世界の中でも一番の高成長。これはもう、誰が見ても、世界じゅうの人たちが見てもうらやむべきところでございます。
 すなわち、こうした舞台をいかに利用できるか。場合によっては政治、場合によっては外交、もしくは通商関係と申しましょうか、日本は世界の中で生きている、そして貿易、投資で生きているわけでございますから、そこの舞台を非常に多用する。
 これが、場合によっては、例えば金融、財政のところの円高対策というようなこと、円高を回避するということの一つにもなってくる可能性があるわけでございますので、こうした世界の中での立ち位置、これは単にこれまでの日米にとどまらず、また近隣の諸国ということでもございますけれども、そうしたものをいろいろな矢として用いていくということが重要ではないかと私は考える次第でございます。
 どうもありがとうございます。
この発言だけを見る →
大塚高司#17
○大塚(高)委員 ありがとうございます。
 やはり外交ということ、そういったものも大きな役割を果たしていくんだろうなという貴重な御意見、ありがとうございました。
 それから、本日は、私の地元大阪から中原公述人がお見えでございますので、いろいろとお話をお聞きしたいというふうに思っております。
 先ほど教育長の方からお話ございましたように、特に教育に力を入れている。そういったこと、本当に私も同感であるわけであります。
 今、大阪の学力のレベルというのは、全国レベルから比べて低いと言われております。何としても、教育改革を一生懸命やっていただいて、レベルを本当に向上していただきたい。それが、ひいてはこの国のためになるんだということ、そういう気概を持って頑張っていただきたいというふうに思っております。
 私の子供もまだまだ小学生でございまして、特に、いじめや体罰、そういった問題に関しましても、本当に敏感に動向を見守っておるところでございますが、いろいろな地域の行事に参加をさせていただいておりまして、先生方にいろいろな御意見を聞かせていただきます。
 その中で、朝、登校してくる小学校の生徒に、先生方は、おはようと声をかける。そのときに、目を見て、先生おはようございます、おはようと声をかけてくれる、そういう生徒は必ず、いじめをしたりいじめに遭ったりしていないというんですね。そのかわり、おはようと声をかけても、うつむいたり、目線をずらしたり、そういった児童は要注意、よくチェックをしていかねばならないというような話をよくお聞きするわけであります。
 現場において先生方の御努力というのは本当にすごいなというふうに思いますし、感謝をしなければならないというふうに思っております。
 特に今、先生はレベルアップに取り組んでいただいておりますが、末端のいじめや体罰、そういった問題に関しても、本当にこれから大きくさまざまな社会環境が変わっていく状況の中で変化していくものだろうというふうに思いますが、そういった改革について、教育長のお考えをお聞きします。
この発言だけを見る →
中原徹#18
○中原公述人 まず、大阪の学力低下というのがすごく印象づいているんですけれども、実は、これは頑張ってまいりまして、というか、私が頑張ったわけじゃないんですけれども、各市町村の皆さんが頑張ったんですが、小学校に関しては、ほぼ全国レベルまで上がってきました。それから、中学校の方も、上昇傾向に、ずっと右肩上がりで来ているんですが、まだ全国平均に届いていないので、これは、必ず全国平均を追い抜いてやろうということで、市町村と一体となって頑張っております。
 それから、いじめや生徒の問題行動についても、実は、先ほど私のスピーチの中で申し上げましたが、大阪市の教育振興基本計画をつくる中で、問題行動に対する対処も、できるだけ、現場の先生が、若い先生で経験のない人でも、こういう行為を見つけたら、そのフローチャートを見てと。
 いじめというのは段階的なもので、大津のようなああいう形に、いきなりある日突然なるというのではなくて、最初は、いわゆるテレビで言ういじるという、私は、いじるといじめの境目は、やられている方がいいかげんにしろと言える場合には、まだいじりぐらいで済むと思うんですが、言えなくなった瞬間からいじめに移行すると思うんです。
 そういう初期症状のときに、あるいは中間症状、末期症状、それぞれに応じて、先生がそれを見つけたときに、誰に何を言って、どこの機関と、時には警察のOBも入るでしょうし、そういうことも含めた、わかりやすいチャートを今つくろうということで、大阪府もそれに向けてやっていますので、もうあと数カ月以内にはそれをお示しできると思います。また、その上で御意見をいただければと思います。
この発言だけを見る →
大塚高司#19
○大塚(高)委員 ありがとうございます。
 本日は、公述人の皆さん方、貴重な御意見ありがとうございました。
 以上で終わります。ありがとうございました。
この発言だけを見る →
山本有二#20
○山本委員長 次に、石田祝稔君。
この発言だけを見る →
石田祝稔#21
○石田(祝)委員 公明党の石田祝稔です。
 きょうは、四名の公述人の皆様、大変に貴重な御意見をありがとうございました。
 限られた時間ですので、全員の方に御意見を伺えないかもしれませんので、それはそれで御容赦をいただきたいというふうに思います。
 私は、まず片田先生に、防災の観点から何点かお聞きをいたしたいと思います。
 私も、平成二年の初当選以来、出身地が四国の高知ということですから、特に防災、国会の災害対策特別委員会には常に所属をし続けてまいりました。そういう中で、全国のいろいろな災害現場にもほとんど参りましたが、一昨年の東日本大震災、まさしく衝撃的な災害でございました。二万人を超える方が関連死を含めていらっしゃる、こういうことで、私は大変な大災害であったと思います。
 それで、今までの私の感じと違うのは、津波というのが、これはややもすると、国の防災の政策の中に抜けておったのではないか。地震そのものとか大雨とか台風とか、こういうものは、伊勢湾台風をきっかけに災害対策基本法をつくられた、こういうことでありますけれども、津波というのが抜けておったのではないか。
 そういう中で、私は、片田先生が釜石の奇跡と言われるような防災教育をなさって、それが現実に、本来そういうものが生きない方が当然いいわけですけれども、何かのときに、そのときのために教育はあった、こういうことで、非常に私も感銘を受けたんです。
 そういう中で、東日本大震災でいろいろな映像が流れておりましたが、津波が本当に水の壁のごとく来る映像も衝撃的でしたけれども、それ以上に衝撃的なのは、津波がもうそこまで来ている、そういう中で、ある一人の、これは壮年の方だと思うんですけれども、自転車で防波堤、防潮堤の内側を悠々と乗ってずっと動いている方の映像がありました。
 役場かどこかの上から、危ないぞ、早く入ってこいと呼んでいるんだろうと思うんですけれども、それが聞こえているか聞こえていないか。私たちが映像で見ると、高いところから、もう防潮堤を越えて津波が来ているのが見える、片や、一人のおじさんだと思いますけれども、自転車に乗って悠々と行っている。これはまさしく、自分が避難をしろだとか危ないということを現実に教えてもらっていない限りなかなか動けないのではないか、こういうことを実感いたしました。
 先生は防災教育で全国を飛び回られているということもお聞きをいたしましたけれども、国として、災害対策基本法の改正とかいろいろな法律で、防災教育の重要性も法律に入れました。具体的な動きはこれからになりますけれども、そういう法律に入れて予算をやったとしても、その後、具体的に例えばどういうことが大事か、これを、ぜひ御意見をお伺いしたいと思います。
この発言だけを見る →
片田敏孝#22
○片田公述人 まず、日本の津波防災が他の災害に比しておくれていたのではないのかという御指摘がありましたけれども、まさにそうだろうというふうに思います。
 といいますのは、洪水の場合は、比較的、毎年のように、雨のシーズンにはどこぞここぞがやられるという構造があるものですから、まだ国民の中に災害を意識するという観点はあると思うんですね。それから、地震についても、時々あるものですから、これも認識はあるんですが、津波は、やはりある程度周期が長いものですから、どうやっても国民に現実感を持って捉えられないというようなところもあり、それが、いわんや国民、地域の防災行政の推進に対する要求というのか要望というのか、これをそれほど高いものにしなかったというような状況もあろうかと思います。そういう面において、確かにおくれはあったんだろうというふうに思います。
 ただ、厳しいところにありました三陸沿岸ですとか、過去何度も何度も大きな被害に遭っているところについては、それ相応に進んできたところもあることも事実でありますけれども、一方で、高知県もそうだろうと思います、徳島県なんかもそうなんですけれども、和歌山もそう、さほど進んでこなかったというのが事実でありまして、その最低限度のところができていないというところにおいてはやはり対策を進めていかなきゃいけないということなんだろうと思います。
 そして、今回の予算の中で、この防災の予算、非常に先生方には御理解をいただきまして、あの三・一一を受けた日本の防災のありようということで、しっかりした予算措置をしていただいているというふうには思います。
 予算措置をした後どうしたらいいのかということだと思いますが、まず、先ほどのスピーチの中でも述べさせていただきましたけれども、何といっても、人為的に高める安全、これはある程度国家がやらなきゃいけない、行政がやらなきゃいけない。
 国民自身が、幾ら大きな津波が来ようとも、ちゃんと逃げることができる国民に育てるという、ここの部分はソフトですので、ハードに比して大きなお金がかかるものではないと思います。しかし、これは将来にわたる日本国の財産であろうと思います、国民そのものを強くしていくということですから。そこについては、ぜひ手厚い予算措置をしていただきたいと思います。
 何といっても、これからの日本を背負って立つ子供たちが、いかなる事態にあってもちゃんと生き抜く力、自分で判断し自分で行動をとれる、そんな力を育てるための防災教育というのには、ぜひこの予算措置の中でも特段の御配慮をいただきたいというふうに思うわけです。
 釜石におきましては、どんな教育をしていたかというと、相手は自然なんだ、いかようなこともあり得る、時にあんな津波もある、こういうことをまず教えたわけです。
 ハザードマップなどのような情報を与えると、依存状態が高い日本国民、子供たちもそうでした、ハザードマップを見ると、行政からの情報なんだから、ハザードマップの外であればもう安全なんだという完全に受け身な意識でいるものですから、ハザードマップの外側で人がたくさん死ぬという非常に変な現象が起こってまいりました。もう行政依存の最たるもので、国民を逆に危ない状況に追いやっているという状況が明確に見えたわけです。
 子供たちには、想定なんかにとらわれるな、過激かもしれませんけれども、ハザードマップなんか信じるな、これは一つのシナリオにすぎないんだ、そして、相手は自然だ、いかようなこともあるから、君は精いっぱいそれに向かい合え、こう教えたわけです。
 子供たちは本当に精いっぱい避難をしてくれましたし、その子供たちの純真な目から見たときに、おじいちゃんが逃げられない、あの小さな子供たちが逃げられないと思ったときに、子供たちは本当に弱き者に対する気持ち、優しい気持ちを持って避難を手助けしてくれました。
 それを考えますと、子供たちは、自然に向かい合うということを通じて、自分の命を守るということ、自分の命の大切さ、これを十分に認識した上で彼らはあのような行動をとってくれたんですが、学校の先生に聞いてみますと、こういった防災教育をしっかりやったところは、やはり命を大事にする、そして、みんなで協力して、一人だって地域から犠牲者を出さないんだという思いの中で、地域に対する誇り、郷土愛、そして弱き者に対する配慮ができ始めまして、いじめの問題ですとか、こういった問題も徐々に解決の方向に向かっていったと聞いております。
 まさに、この防災という予算を、災害に強い国土、その中には国民という概念も大きく入れて政策展開をしていただければというふうに思います。
 以上でございます。
この発言だけを見る →
石田祝稔#23
○石田(祝)委員 それでは、片田先生、もう一問あるんですが、ハードとソフトのバランス、こういうお話がございました。
 我々は、国としては、地方公共団体もそうだと思いますけれども、できるだけ目に見えるような、いわゆるハードをしっかりやっているよ、こういうことも住民に安心していただくためにはやらなきゃいけない、こういうことでやってきたわけですね。
 私の住んでいる高知県なんかも、非常に台風の多いところで、常に水害、私の家も実は台風で二階まで水につかりまして、その年々で場所は違うんですけれども、そういう経験をほとんどの人がしております。
 そこで、雨の対策をやりまして、私の記憶では、一時間に八十八ミリの雨が三時間降っても大丈夫なような体制にしたんですね。しかし、実は、そのほかの事業が全くできなくなってしまった。それだけハードにお金をかけてやったわけですね。そうすると、住民が安心するというところで、やはり頼ってしまうというところができてくる。
 だから、そこのバランスというんですか、ハードとソフトのバランスをどういうふうに考えていけばいいか。もう少し、短目で、ちょっとお願いをいたしたいと思います。
この発言だけを見る →
片田敏孝#24
○片田公述人 ハードは、これはまさに国力の象徴だというふうに思います。そこまでのレベルは明らかに災害を排除してくれる、物理的に排除してくれることにおいて、これは高ければ高いほど安全であるというのは間違いないわけですね。
 ですから、これは財政の許す範囲の中でやればいいと思うんですが、そこで重要になるのが、バランスという問題になってまいります。どれだけ高くしてもそれを越えるものがあるということを考えると、やはり、一定のところに限度、限界というものを置かざるを得ない。それは地域のコンセンサスだろうというふうに思います。
 例えば、治水においては、国管理の河川の場合は百年に一回起こるか起こらないか。これは、人一人の一生の間に一回あるかないかというレベルですね。
 津波については、まさに、三・一一を受けて、今議論をしておりますよね。堤防を、あの三・一一が起こっても大丈夫な堤防をというふうに言い始めたら、途端に地域の方々は、そんな高い堤防は要らないと言い始めた。つまり、国民の皆さんも気づき始めました。全部ハードで守るということを望んでいないんだということ、その地域的なコンセンサスというものを僕は大事にしていただきたいと思います。
 行政が一方的に、三・一一でも大丈夫だ、この堤防は必要なんだということを地域に押しつけるのではなくて、地域の皆さんが、これぐらいまでは取り除いてほしいんだ、でも、ここから先は僕らは自分たちで逃げるから、そのときにちゃんと逃げられるというハードはつくっていただきたいと。それは大してお金のかかるものではございませんので、やはり、地域的なコンセンサスを大事にしていただきたいというふうに私は思っております。
この発言だけを見る →
石田祝稔#25
○石田(祝)委員 ありがとうございました。
 続いて、私、山口先生にお聞きをしたいんですが、特に教育格差の問題ですね。
 私の経験もちょっと申し上げますと、私も高校、大学と奨学金とアルバイトでやってきた。特に大学は、私が入った当時、昭和四十五年、国立大学へまず一旦入ったんですが、そのときの授業料が一カ月千円だったんですね。ですから、正直、今幾らになっているか、正確な数字は覚えておりませんけれども、高等教育にすごくお金がかかり出した。ということは、それまでは日本が、ある意味でいえば高等教育に非常に大変な投資をしてきたんじゃないかな、そう思うんです。
 自分の経験からすると、奨学金とアルバイトで何とか自分はやってこれた。意欲と能力と努力と、そういうものを積み重ねていただくと、今、奨学金もたくさん充実をしております。逆に、奨学金を借り過ぎて、卒業した途端に何百万かの借金になるからという、そういうちょっと違った議論も今出てきているんですが。
 そういう中で、格差で、やむを得ないという方が非常にふえてきているのが心配だというお話もございましたけれども、これは人の心の中ですから、国とか地方公共団体がどうこう、こう思うべきだということはできないんですが、私も、これは、そういう意識が変わってきているのはやはり問題ではないのか、こういう気がしますが、具体的に、何か、国の方でこういう点を重点的にやれば教育格差の問題の解消につながるんじゃないか、こういう点がありましたら、ちょっと時間の範囲で、余り時間がないかもしれませんが、よろしくお願いします。
この発言だけを見る →
山口二郎#26
○山口公述人 ありがとうございます。
 まず、国立大学の授業料は、今、年額五十五万余りでありまして、なかなかアルバイトで払うというのは難しいわけです。
 いろいろな階層の家庭の若者がいますから、やはり、低所得者層に対して給付型の奨学金を拡充する、あるいは授業料の減免の枠をもっと広げるといった形で、とりあえずできることとしては、ある程度ターゲットを絞って経済的な支援を強化するということがまずは第一だろうと思います。
この発言だけを見る →
石田祝稔#27
○石田(祝)委員 最後に、高田公述人にお伺いをします。
 アベノミクスのいろいろなことで、今、日本の経済も上向きになっていると思いますが、これは発展途上国からどう見られているかというのを、わかりましたらちょっと。極端に言えば、日本が円安の方に政策誘導しているんじゃないか、そういうことについて、発展途上国の方がどういう見方をしているかということを、わかったら教えていただきたいんですが。
この発言だけを見る →
高田創#28
○高田公述人 今回の見方についてはさまざまな意見があろうかと思いますけれども、ちょうど今週もIMFの方から、こうしたものはウエルカムであるというふうな動きもございましたし、また一方で、これから、いろいろな国々の中で、為替の状況をどう考えるのだという議論はあろうかと思います。
 発展途上国の中から、近隣のところから、とりあえず、今のところの状況をそう大きく批判するという話は、私の聞く範囲ではそう聞いておりませんけれども、ただ、こうした状況を、別に日本とは限りませんけれども、例えばブラジルあたりの方が、カレンシーウオー、通貨戦争であるというような議論がこれまでございましたので、今後、そういうような誤解を避けるようなことは当然日本もしていかないといけないのではないかなと思う次第でございます。
 どうもありがとうございます。
この発言だけを見る →
石田祝稔#29
○石田(祝)委員 どうもありがとうございました。
 時間になりましたので終わりますが、中原公述人、ちょっと質問するチャンスがなかったので、申しわけございません。
 どうもありがとうございました。
この発言だけを見る →
← 戻る