はたともこの発言 (憲法審査会)

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○はたともこ君 生活の党のはたともこでございます。
 新しい人権についての我が党の見解を表明いたします。
 我が党では、いわゆる新しい人権については、憲法上しっかりと明記すべきであるという考え方に立っている。
 まず第一に、戦後、我が国が政治的、経済的に発展を遂げてきた中で、当初の憲法制定過程で想定されていなかった諸権利が発生してきたことは明らかであり、その権利の重大性を鑑みれば、今日、憲法上明記することは不可欠な情勢と言える。十三条の幸福追求権で全て読め、明文化は不要であるという立場については、そのように考えるとなると、人権の各論規定は不要であるということになってしまい、幾ら憲法が性質上抽象度の高い法規範であるといっても、逆に法解釈をめぐって混乱をもたらすこととなる。したがって、新しい権利も含めて、最低限必要な諸権利については憲法上当然明記することが必要であると確信するものである。
 次に、それでは、どういった新しい人権を明記することが必要なのかについて申し上げたい。
 まず、我が党が新たに明記すべきと考える権利はプライバシー権である。
 現代のマスメディア情報のはんらんやインターネット文化の浸透、それらの現代社会的影響を考慮した場合、国民個々人にとってもはやプライバシーを守ることは極めて難しいものとなっている。その一方で、実際にプライバシーを侵害された場合の人々の精神面や実生活に与える影響には誠に大きなものがあると言わざるを得ない。例えば、一たび個人のプライバシーにかかわる情報がインターネット上に載れば、あっという間に拡散し、個人の権利という観点から甚大なる被害をもたらすこともある。したがって、みだりに個人にかかわる情報を公開されないというプライバシー権については、その重大性に鑑みても、是非これを憲法上の権利として守っていくべく、現行の十三条の解釈としてではなく明記されることが必要不可欠である。
 また、知る権利についても明記される必要があると考えている。
 いわゆる知る権利については、国民主権国家を維持発展させていく上で絶対に必要な権利であると考える。特に現代行政国家においては、政治・行政部門が管理し、国民の権利、義務に影響を与える際の基礎となっている情報が膨大かつ複雑に存在している。国民の政治参加、行政参加に対して本権利の果たす役割の重大性に鑑みれば、これは法律事項ではなく憲法に明記することが相当な権利と言うことができる。また、知る権利は二十一条から解釈可能という見解については、あくまで表現の自由の反射的効果としてのものであり、明確な権利として規定されているとは言い難い状況にある。
 第三に、環境権に関連して、国による環境保全の責務についても明記すべきである。
 環境については、特に戦後、高度成長社会の中で多くの国民が大気汚染や水質汚染を始めとする公害に苦しめられてきたことを考えれば、それを保全することは国民の生活を守るという意味で不可欠の国の責務である。良い環境を享受するということは、健康で文化的な生活を送る上での最低限の基盤である。環境権をめぐって今日訴訟上の問題が発生した場合、一体環境権というものがどこまで及ぶのか明確ではないため混乱を招くことが間々ある。もはや曖昧な解釈では権利保障が十分になされているとは言い難く、今や環境について憲法に明確に位置付けることは喫緊の課題であると言える。諸外国の例を見ても、多くの国々で環境権や環境保全の責務が憲法に規定されるようになっている。環境権という権利の形で憲法に明記することも考えられるが、国による施策を実効的なものにするためには、国による環境保全の責務を憲法に明記する方が現実的ではないかと考える。
 最後に、犯罪被害者等への配慮について忘れるわけにはいかない。我が国憲法は、三十一条以下、加害者の人権については多くの条文が存在しているが、一方で、被害者の人権について明記されていないのであり、この点、大いにバランスを欠くと言わざるを得ない。本来、犯罪被害者やその家族の人権こそ守られる必要があり、犯罪被害者等への配慮について早急に憲法に明記されることが望ましい。
 以上、簡単であるが、我が生活の党の新しい人権についての見解として申し上げるものである。
 終わります。

発言情報

speech_id: 118314183X00620130612_010

発言者: はたともこ

speaker_id: 19722

日付: 2013-06-12

院: 参議院

会議名: 憲法審査会