田村憲久の発言 (厚生労働委員会)
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○国務大臣(田村憲久君) おはようございます。
非常に武見先生から崇高な御高邁なお話をいただきまして、どうお答えしていいのかと、難しい御質問であるわけでありますけれども、今お話をいただきましたベースからさせていただくとすれば、確かに一九五〇年代後半から六〇年代にかけて日本の今の言うなればベースができ上がってきたんであろうというふうに思います。当時はまだ高齢者の人口比率六%そこそこだったと思います。
七〇年に入って七%を超えて、高齢化社会にもう当時から国際標準でいくと入ってきたわけでありますが、七%ですと、まだそれほど危機感がない時代でありますから、当時の国の形、システムというものが余り変わってこなかった。そういう中において、一九七三年ですか、福祉元年と言われて、まあ国民皆年金・国民皆保険制度、これ自体を更に強化をした年でありましたから、意識はしながら、しかし一方で全体の仕組みはまだ若い人たち中心の仕組みであったことは間違いがないと思います。
それが今言われた、まあ非常に幅の広いといいますか、厚みのある中間層といいますか、そういうものを育てながら日本の国の経済を活力あるものにしていこうという流れであったわけであろうと思うわけでありますが、一九九〇年に、たしか九〇年だったと思いますけれども、一・五七ショックというものを経験して、これはもういよいよ少子化、大変なことになってくるということでありますから、まあエンゼルプランでありますとかいろんな準備に入り、介護保険制度がスタートしていくという二〇〇〇年、そしてその後、二〇〇四年ですか、年金の方を百年というものを一つ目安見ながら財政検証していくというような、そういう年金制度にしたと。後期高齢者医療制度も一九九六年、いろんな議論をして、お叱りをいただきながら導入に入ってきたわけであります。
そういうことをしていく中において、徐々には高齢化社会、いや、もうその当時は、もう一九九四年には高齢社会に入り、二〇〇七年には超高齢社会に入っておるわけでありますから、そのような意味からすれば、当然のごとく徐々にそのような方向には変えてきておるわけでありますけれども、しかし、二〇二五年というもの、これは団塊世代が七十五歳以上に到達する年限でありますが、これに向かって更に大変な状況を迎える準備を我々はもう早急にやらなきゃいけないというのが今般のプログラム法の一つの趣旨であり、また国民会議でそのような御議論をいただいてきたわけであります。
しからばどういう社会かと言われれば、若い方々も女性も高齢者も、やはり元気で健康で、そして働きたいという思いのある方々はみんな社会に参加していただくと。こういう社会をつくっていかないと、ただでさえ少子高齢化の中においてどうするんだという話の中で、経済の成長ということも含めて動いていかないわけですね。
こう考えたときに、労働力が減っていくということになれば、やはり働きたい方々が働ける社会をつくると。そのためには、今、平均寿命は確かに世界最高峰に来ておりますけれども、併せて健康寿命というものをどう延ばしていくか。この差が男性で九歳、女性で、どうでしょう、十三歳ぐらいあるんですかね、これをどう縮めていくかということをやらないことには、これはなかなか、平均寿命が延びているだけではこの国は支えられないと。そのために、やはり健康づくりというものをしっかりやらなきゃいけない。予防もやらなきゃいけない。自己の健康管理もやらなきゃいけない。そういう意味で、やはり自助というもの、これは大変重要でありまして、自助と共助がうまくバランスを取れ、そしてもちろん公助というものがそこにあるわけであります。
共助とは何物ぞというのに、共助とは自助の共同化という言葉が国民会議の中の報告書に出ておりますが、私はあえて言えば、共助というのは自助の共同化を国全体で支える制度だというふうに思っておりまして、だからかなりの税金が入っているというふうに思っておるわけでありますが、こういうものを組み合わせる中において、やはりしっかりと自立して、元気な、それこそ自己の持つ能力を最大限発揮いただきながら、社会の活力、これを維持できるような、そんな社会をつくるための社会保障制度改革というものが今般の基本理念としてあるのではないかというふうに思っております。
なかなか、言うことは言えますけれども実現するのが大変でございますので、是非ともお力添えをいただきますようによろしくお願いいたします。