愛敬浩二の発言 (憲法審査会)

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○参考人(愛敬浩二君) こんにちは。名古屋大学の愛敬と申します。憲法学を専攻しております。
 本日は発言の機会を与えていただいて、ありがとうございます。
 改正法案の評価につきましては、五月二十六日の本審査会の小澤隆一参考人とかなり意見が一致するところが多いものですから、改正法案の内容を逐一検討すると、同じことをもう一回先生方がお聞きになることになってしまうので、今日はちょっと趣向を変えさせていただきまして、なぜ私がそのように考えるのかという理由をちょっとお話しさせていただけたらと思います。
 今回、意見陳述の機会を頂戴いたしまして、スティーブン・ティアニー教授のコンスティテューショナル・レファレンダムスという本を読みました。買ったまま読んでいなかったんですけれども。同書によれば、世界では過去三十年の間に憲法レファレンダムの活性化というのが生じているそうです。教授の定義によれば、憲法レファレンダムというのは単なるレファレンダムではなくて、憲法の変化や憲法の制定という特別の争点について市民が直接投票することだそうです。ただし、同書の巻末の一覧表を見ると、選挙制度改革の是非を問うようなレファレンダム、すなわち、日本だと憲法レファレンダムではないようなものも含めてこの言葉を使っているということはちょっと確認しておこうと思うんですけれども、この憲法レファレンダムの活性化というのは、これなかなか評価が難しいところもあるかなという気がいたします。
 今、小林先生もカリフォルニアの例についてお話がありましたけれども、例えば最近のウクライナの情勢を見ていると、憲法レファレンダムを利用することによって、結局、代表民主制を通じた妥協というのが難しくなっている感じがしないでもありません。
 私が親しくしていただいているイギリスのある憲法学者は、その方は国会改革を通じて国会の機能を強化するということが今の政治に対する解決策だとお考えなんですが、その方は、最近イギリスで結構レファレンダムが使われるようになってきているのを見て、ポピュリズムだと非常に消極的な評価をなさっていました。
 他方、二〇一一年の、御記憶かと思いますけれども、ギリシャの債務危機の際、当時の首相パパレンドウさん、名前が呼びにくいので間違っているかもしれませんが、たしかパパレンドウ首相という方が国民投票にかけるというふうに動いたところ、EUとかIMFとかの方々が政治的圧力を掛けて、要するに、EUの融資条件の中に例えば公務員の給料を下げるとか、そういう国民的に議論をすべき事柄が含まれていたものですから国民投票にかけたいと言ったんでしょうけれども、これ断念したという事件が御記憶かと思います。
 この事態を前にして、ドイツの有名な哲学者であるユルゲン・ハーバーマスという方は、これは民主主義の尊厳に対する冒涜だという言い方をしたんですね。要するに、国際的な組織であるEUやIMFがギリシャの国民が自らの事柄に関して判断する機会を奪ったという評価なんだと思いますけれども、それを「民主主義の尊厳を救え」という論文をお書きになっています。
 このように、憲法レファレンダムというのは評価はなかなか難しくて、消極的な評価というのもそれなりにあるものだなという印象を持っているのですが、御案内のとおり、スコットランドの独立の是非を問うレファレンダムが今年の九月に予定されております。
 ティアニー教授はエディンバラ大学の教授ですから、基本的には憲法レファレンダムに好意的な立場からこの書物をお書きになっていて、この憲法レファレンダムというものを批判論から弁護する一方、あるべき憲法レファレンダムの姿を示そうとなさっています。そのあるべき憲法レファレンダムの姿というのが、これ本書の副題にもなっているんですけれども、共和主義的な熟議と言っているんですね。
 リパブリカンデリバレーションというふうに彼は言っているんですけれども、それはどういう内容を持っているかというと、まず、政治的決定に対して市民が公民として参加すること、これ、シビックリパブリカニズムの思想だと何かおっしゃっています。それから、決定方法として、いわゆるマジョリタリアンデモクラシーというんでしょうか、単純多数決型のやり方ではなくて、なるべくデリバレーティブな、熟議がきちんと行われるような民主主義で決定する。この二つの要素がきちんと充足していれば憲法レファレンダムというのは擁護可能なものだみたいな、そういう御主張のようです。
 もちろん、熟議民主主義というのは最近政治学でも非常によく使われる言葉ですので様々な理解がございますが、ティアニー教授の熟議民主主義という理解は、こういう内容のようです。要するに、既存の選好がただ集積されるだけの、これアグリゲーティブモデルと彼は言っているんですけれども、そういう今現在ある選好ですね、いいか悪いかの判断、それがただ集積されるだけの決定であればそれは余り良くなくて、投票の前に市民がきちんと熟考と反省を行い、彼はリフレクションという言葉を使っていますけれども、それから討議を行う機会を確保することが大切ではないかということです。
 そして、更に彼が強調するのは、その熟考と討論を通じて今存在している選好ですね、例えば憲法改正に反対するかしないかというこのパーセンテージがきちんと変化する、そういう条件が確保されることが大切だというふうにおっしゃっていて、逆に言えば、こういう条件が確保されていると、憲法レファレンダムという形で人民投票に重要な政治的争点を委ねてもいいという考え方なのではないかと私は理解しました。
 そこで、レジュメの二に移らさせていただきますけれども、日本国憲法の憲法改正国民投票の問題を考える上でも、このティアニー教授の研究は参考になる点もあると思います。しかし、幾つかの留保も必要ではないかと考えました。
 第一に、いわゆる義務的国民投票と諮問的国民投票の区別というものがあります。日本国憲法九十六条の憲法改正手続における国民投票は、これは国民投票を実施しないと憲法改正が実現しないんですね。そういう意味ではこれ義務的な国民投票になります。
 実際問題として、せっかく両院で苦労して三分の二以上の賛成を獲得して改憲案を発議しておきながら、国民に十分な熟議をさせてそこで選好の変容が生ずるのをおおように眺めているというのは、これ、できないのが人情だと実は僕も思うんですね。ここは僕重要だと思うんですけど、それが当然の人情だからこそ、そこは無理しても義務的国民投票においては、国民の熟議を十分にさせたくなくなるインセンティブがあるからこそ、作為的に、自覚的に、わざと、投票の前の国民の熟議ですね、先ほど申し上げた、国民が反省と討論を通じて自らの選好の変容を行う可能性の確保、こういうことをきちんと確保できるように最大限の努力、工夫をするべきではないかと考えております。
 次に、第二に、憲法改正国民投票の効果は、諮問的一般的国民投票の効果よりも強力で長期的という問題があると思います。
 憲法改正は、環境権の新設のように、人権カタログの充実の方向だけで行われるとは限りません。例えば、立法や行政実務を通じて少しずつ発達してきた、発展してきた社会的マイノリティーの基本権を制約、剥奪するために行われる憲法改正もあり得るわけですね。これ、実際にカリフォルニア州の住民投票提案八号というのは、同性婚を認める州最高裁判所の判決を無効化するために住民投票で行われた憲法改正ですね。要するに、同性婚を憲法違反とするための州憲法の改正です。このタイプの憲法改正が行われると、社会的マイノリティーの権利保障のために立法的、行政的な措置、それがその後憲法違反とされる可能性が生ずるわけですね。
 アメリカは幸いにも連邦制なものですから、提案八号による州憲法改正は連邦裁判所で違憲無効とされています。二〇一三年六月にこのことは報道されていますので、御承知の方も多いと思いますけれども。連邦制を取らない日本ではこのような解決はないわけですから、そうしますと、日本でも例えば特別永住者の権利保障など類似の問題がございますので、拙速な改憲を抑止する制度設計というのは特に重要だと思います。
 時間の関係もありますので(3)の問題は割愛してレジュメの三に移りたいと思います。
 以上のとおり、憲法改正手続法の評価、そして改正案の評価は、義務的国民投票であることの特性を踏まえて熟議民主主義が十分に確保されているかという観点から行われるべきだと考えます。よって、今回の改正案には含まれてはいないのですが、熟議期間の設定というのはもう少し真剣に考えてもいい問題ではないかと思っています。そこでは長谷部恭男教授の見解を示しておきましたので、後、御覧いただければと思います。
 次に、私、このようになぜそう考えるかという理由ばかり述べてしまいましたので、お話しできることは公務員の国民投票活動だけになってしまうのですけれども、レジュメの三に入ります。
 事務局作成の資料の三十九ページで、適用除外説として枝野議員の見解が紹介されていますが、私もこの見解を支持します。第一の理由は、そもそも公務員法上の政治的行為の禁止それ自体の合憲性が非常に疑わしいと考えているからです。日本のように包括的、画一的な禁止は比較法的に珍しいと指摘されておりますし、日本の学説においても違憲説が有力だと思うんですね。
 事務局が作成した参考資料は四十八ページで、憲法学の通説的理解とされる芦部教授の見解を紹介していますが、実は、私がレジュメに書きましたけれども、行政法学で通説的理解というふうに言及されることの多い塩野宏教授も違憲説なんですね。最高裁判事であった田中二郎博士も違憲説だそうで、ある行政法学者の方は、慎重さをもって知られるこれらの行政法研究者、すなわち塩野教授と田中博士ですが、このお二人がそろって現行法令の違憲性を指摘する例はほかには見られないと述べていらっしゃるわけです。
 このように、そもそも違憲性が高いと考えられている事柄をベースラインにして国民投票運動の在り方を議論するというのは、私は疑問だと思っています。
 関連してですが、参考資料三十九ページで紹介されている切り分け論ですね。船田議員などが明快にこの立場をお取りのようなんですが。その御意見、五月二十一日の本審査会における船田議員の御発言を見ますと、純粋な国民投票運動とそうでないものの切り分けについて、現行法で禁止されているほかの政治的行為を伴っていれば今回の改正案でも許されない行為であるとの基準を示した上で、ほかの政治的行為というものを例示するとすれば、例えば特定の政党、特定の候補、そういった名前、あるいは内閣の支持、不支持、そういったものがこれに該当するものと考えておりますと述べていらっしゃいます。
 しかし、この切り分け論は疑問です。四月二十二日の衆議院憲法審査会で田中隆参考人が指摘していることですが、憲法改正の賛否の勧誘や意見表明は、前提となっている政治認識の表明を含まざるを得ないと考えるわけです。例えば、ある内閣、便宜上X内閣と呼びますが、X内閣が原発の安全基準の緩和を進める一方、環境権の新設のための憲法改正を行おうとしていると考えてみましょう。この場合、X内閣の政策やその内閣の中心であるX首相の政治手法を批判することなく環境権の新設に反対するというのは、これ非常にナンセンスな印象があります。すなわち、賛成、反対は本来理由を示して行うべき事柄ですから、理由を示さない賛成、反対は、先ほど来お話をしている熟議民主主義の理念に反するのではないかと考えます。
 時間の関係がありますのでかなりはしょらさせていただきますが、最後に、特定公務員の国民投票運動の禁止について、裁判官について一言だけ申し上げさせていただきます。
 先ほど伊藤参考人からドイツの裁判官についてお話がありましたが、私は比較研究の対象がイギリスなものですから、イギリスについてちょっと一言だけ述べさせていただきますけれども、イギリスでは一九九八年人権法という、国会主権に対して一定の制約を加えるという、その意味ではまさに憲法改革というか、そういうものが実現したわけですけれども、その際、一九九〇年代以降、名前そこに書きましたけれども、ロード・ビンガムとかサー・スティーブン・セドリーのように、上級裁判所の裁判官でありながら、権利章典の制定やヨーロッパ人権憲章の国内法化、あるいは国会主権原理の法的制約という、憲法の根本原理に関わる事柄に関して積極的に論文や講演で訴えた方々がいらっしゃいます。
 高い見識と実務経験に裏打ちされた彼らの見解は、賛否はいろいろありました。けれども、いずれも学者の間でシリアスに受け止められ、人権法の制定に向けて一定の理論的効果があったものと私は評価しています。ですので、裁判官や検察官がその見識と経験を踏まえて国民投票運動に参加することは、憲法改正国民投票におけるより良い熟議のために必要不可欠ではないかと考えております。
 ですので、特定公務員の範囲について再考を求めて、私のお話を終わりにさせていただきたいと思います。どうもありがとうございました。

発言情報

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発言者: 愛敬浩二

speaker_id: 27090

日付: 2014-06-04

院: 参議院

会議名: 憲法審査会