憲法審査会

2014-06-04 参議院 全103発言

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会議録情報#0
平成二十六年六月四日(水曜日)
   午後一時開会
    ─────────────
   委員の異動
 六月二日
    辞任         補欠選任
     宮本 周司君     滝波 宏文君
     石橋 通宏君     広田  一君
 六月三日
    辞任         補欠選任
     中曽根弘文君     滝沢  求君
     魚住裕一郎君     新妻 秀規君
    佐々木さやか君     杉  久武君
     和田 政宗君     松沢 成文君
     荒井 広幸君     浜田 和幸君
    ─────────────
  出席者は左のとおり。
    会 長         小坂 憲次君
    幹 事
                赤池 誠章君
                佐藤 正久君
                中川 雅治君
                丸川 珠代君
                小西 洋之君
                白  眞勲君
                西田 実仁君
                清水 貴之君
                松田 公太君
                仁比 聡平君
    委 員
                石井 正弘君
                石田 昌宏君
                宇都 隆史君
                大家 敏志君
                大沼みずほ君
                木村 義雄君
                北村 経夫君
                熊谷  大君
                上月 良祐君
                滝沢  求君
                滝波 宏文君
                堂故  茂君
                豊田 俊郎君
                中西 祐介君
                柳本 卓治君
                山下 雄平君
                足立 信也君
                有田 芳生君
                石上 俊雄君
                小川 敏夫君
                櫻井  充君
                林 久美子君
                広田  一君
                藤末 健三君
                前川 清成君
                石川 博崇君
                杉  久武君
                新妻 秀規君
                東   徹君
                川田 龍平君
                松沢 成文君
                吉良よし子君
                福島みずほ君
                浜田 和幸君
   事務局側
       憲法審査会事務
       局長       情野 秀樹君
   参考人
       九州産業大学国
       際文化学部日本
       文化学科准教授  大西  斎君
       弁護士
       日本弁護士連合
       会憲法問題対策
       本部副本部長   伊藤  真君
       慶應義塾大学法
       学部教授     小林 良彰君
       名古屋大学大学
       院法学研究科教
       授        愛敬 浩二君
    ─────────────
  本日の会議に付した案件
○日本国憲法の改正手続に関する法律の一部を改
 正する法律案(衆議院提出)
    ─────────────
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小坂憲次#1
○会長(小坂憲次君) ただいまから憲法審査会を開会いたします。
 日本国憲法の改正手続に関する法律の一部を改正する法律案を議題といたします。
 本日は、本案審査のため、参考人の方々から意見を聴取いたします。
 御出席いただいております参考人は、九州産業大学国際文化学部日本文化学科准教授大西斎君、弁護士・日本弁護士連合会憲法問題対策本部副本部長伊藤真君、慶應義塾大学法学部教授小林良彰君及び名古屋大学大学院法学研究科教授愛敬浩二君の四名でございます。
 この際、参考人の皆様に一言御挨拶申し上げます。
 本日は、御多忙のところ本審査会に御出席をいただきまして、誠にありがとうございます。
 参考人の皆様から忌憚のない御意見を賜り、本案の審査の参考にいたしたいと存じますので、どうぞよろしくお願いを申し上げます。
 議事の進め方でございますが、大西参考人、伊藤参考人、小林参考人、愛敬参考人の順にお一人十五分程度で順次御意見をお述べいただいた後、委員からの質疑にお答えいただきたいと存じます。
 なお、御発言は、質疑、答弁とも着席のままで結構でございます。
 それでは、まず大西参考人にお願いをいたします。大西参考人。
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大西斎#2
○参考人(大西斎君) 九州産業大学の大西と申します。
 この度は、参議院憲法審査会での発言の機会をいただき、厚くお礼を申し上げます。
 時間の都合でレジュメの論点全てに触れることができないことを最初にお断りさせていただきます。また、日本国憲法の改正手続に関する法律を国民投票法と述べさせていただきます。
 元来、憲法改正権と国民主権は不可分な関係に私はあるというふうに思っております。芦部説でも、主権の権力性とは、具体的には憲法改正を決定する権能といいます。それだけに、国民主権を担保する意味からも、平常時から十分論議した、国民的コンセンサスが得られた国民投票法を的確に準備しておく必要があります。憲法改正に伴う議会の発議があれば、制度上いつでも国民投票が適切に実施される状況でなければならず、そうでなければ、国民主権が担保されないばかりか、憲法改正の必要性が生じた場合にデュープロセスにのっとった改正が行われないおそれも考えられなくはありません。
 現状の国民投票法は附則三条一項の期間を経過しており、今回の改正案が一日も早く成立することは急務と言えましょう。できることなら、日本国や日本国民の将来のためにも、議員の皆様方がお力を合わせて、検討課題の先送りを極力することなく、改正案がより完備されたものになることを望む次第でございます。
 次に、三つの検討課題に対する意見陳述を行いたいというふうに思っております。
 まず、投票年齢ですが、よく、十八歳以上に選挙権を認めているのは世界の九割近くの国がそうであるからと言います。私は、本来は、二十歳で成年とするという我が国の伝統文化が守られてしかるべきだと思います。それは、司法上の責任能力の問題や権利と義務との関係からも言えます。また、十八歳と二十歳は大学でいえば一年生と三年生に該当する年齢ですが、成熟度の面で見ると、私は相当違うように感じます。当然個人差はありますが、毎日若い方を見ていると、十八歳より二十歳の方の方が相対的に落ち着きや社会的視野の広まり、判断力においてより社会人としての適性が満たされているように思います。
 そのような点を加味すれば、我が国が培ってきた二十歳の参政権を簡単に変更していいものでしょうか。改正案では十八歳以上の投票権が現実味を帯びてきただけに考えさせられるものがあります。
 ただ、現行の国民投票法が成立する際に十八歳以上の国民に投票権を与えるということに政治的な判断があったとしたら、ここで十八歳の年齢にこだわり過ぎて国民投票法の完備がこれ以上遅れることの方が問題多いと思うだけに、ここでは、なぜ二十歳ではなく十八歳なのかという問題提起にとどめさせていただきたいと思います。
 次に、二点目といたしまして、公務員や教育者の国民投票運動についてでございます。
 八党合意の四では、公務員への規制が強まると、萎縮効果により憲法二十一条の表現の自由が阻害されるおそれがあるから配慮を求めるとあります。しかし、憲法二十一条の関連で公務員の国民投票運動の自由が必要以上に認められるとしたらいかがでしょうか。確かに、憲法二十一条を尊重したり、公務員の萎縮を最小限にするということは大事かもしれません。しかし、百地章教授も述べているように、選挙と国民投票、どちらがより高次の政治的公正性が求められるかといえば、私は明らかに国民投票ではないかと考えます。
 法治国家としての頂点にある憲法を改正する国民投票が公正に行われてこそ、主権者である国民の意思が立法、行政、司法を始めとした国家制度や国民の権利保障の在り方に反映されるからです。当然、選挙制度の在り方も憲法の規定に基づいて行われるものでもあります。それだけに、政治的に中立であるべき公務員が過度に憲法二十一条の表現の自由の主張を唱えて国民投票運動に参加することになれば、行政の中立性は損なわれ、行政の信頼が失墜いたします。
 また、国民投票法が目的とするところは、国民が投票する場合の自由意思の尊重と公正な国民投票の実施であります。公務員が、個人であれ組織であれ、投票の自由尊重に必要以上に影響を与えることは看過できないと言えましょう。憲法は国の最高法規であり、国の存立をも左右する特質を持つことを考えるならば、より公正な国民投票が必要であります。必然的に、公務員には政治的中立性の面からも一定の制約が必要になることは言うまでもございません。
 続きまして、公務員の勧誘行為、意見表明と地位利用について述べたいと思います。
 国民投票運動は公正であることが何より求められます。国民投票法第百三条は、公務員や教育者に対して地位利用の投票運動を禁止していますが、罰則規定がありません。この点、国家公務員法百二条一項、人事院規則では公務員の政治的行為は制約されており、違反した場合には罰則の対象となります。また、公職選挙法百三十六条の二においても、公務員の地位を利用した選挙活動などを禁止しており、違反した場合には罰則があります。
 八党合意の二において、百三条の公務員の地位利用の罰則規定が今後の検討課題になったことは大変遺憾であります。国民投票運動をできるだけ自由闊達に行うという趣旨から罰則が設けていられないようですが、これでは国民的なコンセンサスが得られないと思います。発議者の船田代議士のさきの五月二十八日の御答弁にありましたように、罰則を設ける方向で今後是非とも論議を深めていってくださるように切望するものです。
 また、改正案百条の二は、八党合意の四の点を重視する余り、非常におおらかな規定と言えます。中でも、国民投票法における勧誘において、公務員の国民投票運動の規制の在り方に関する見解でいうなら、切り分け論がどのような場合に成立するのか、疑念に思っております。憲法改正の国民投票における純粋な勧誘とそうでない場合の区分けが、選挙の場合のようには簡単にいかないのではないかと危惧するからです。場合によっては、司法を交えた政治的な混乱を来すことさえ予想されます。
 私は、公務員は権力の担い手であって、その特権的地位から生み出された権力が国民に与える影響力は多大なものがあると考えております。また、権力を有する者に対する国民の信頼感があるだけに、より公正と中立性が求められます。表現の自由があるからと公務員が殊更改正法案百条の二で認められた国民投票運動を行い、結果として国民投票に大きな影響を与え、国の政治を方向付けることになっていったとしたら、公務員の本質的性格である政治的中立性や、憲法十五条二項の公務員が全体の奉仕者であることの趣旨からも逸脱していると言わざるを得ません。
 それだけに、私は、適用除外不要説、制約可能性説の立場から、改正法案百条の二で勧誘行為を公務員に認めること自体が問題と捉えております。例えば、それは私はこう思うというふうな公務員の方の意思表示とは違い、勧誘行為の場合は、私はこう思うのだからあなたもこの考えに従ってくださいというように、第三者を自己の見解に誘う行為をいい、公務員の中立性から逸脱した行為と考えられます。憲法二十一条との関連で認められるのは、せいぜい意見表明までではないでしょうか。
 さらに、次に、(5)の改正案附則四の組織的勧誘運動についてお話をさせていただきたく思います。
 先日の本院での、五月二十六日の北村経夫議員、二十八日の熊谷大議員の質問にも関連してまいりますが、私はかつて県立の高等学校において教諭として教鞭を執っていたことがございます。当時その県では、教職員組合の組織率がほぼ一〇〇%で、選挙になると組織的な運動が展開していました。私の周りでは、自分たちの反対候補が当選したら自分たちの権利が奪われるを合い言葉に、支持候補者の演説会への動員、支持者カードの記入、ポスター貼りなどなど、かなり際どい選挙運動が組織立って行われておりました。選挙戦によっては、三万にも満たないその町で、空き家を借り上げ、電話機を十台ほど置き、そこに市内の小中高校の教員が勤務時間中に学校を抜け出し、交代で支持者カードや電話帳を用いて選挙運動の電話掛けを行っていました。
 生徒の前で人の道を説いている教員が、自分たちの権利保持や政治的信条から法令を無視した組織的選挙運動は、今思い出しても一種異様な光景でした。
 校長の中には、選挙を通じて自分たちの主義主張を実現するのは大切なことだと、朝の朝礼時に教職員を前にして公然と言う方も見えました。組織立った選挙戦を展開すればどれほどの威力を発揮するか、私自身目の当たりにしてまいりました。その結果、当時当選が厳しいと言われていた候補者が当選したりもしました。
 選挙戦と国民投票運動とを同列には扱えませんが、あれだけの組織力をもって、もし憲法改正国民投票運動を行い、自分たちの組織にとって都合の良いキャンペーンを全国規模で打ったとしたらいかがなものでしょうか。
 教育者の影響力は一般の方が考えている以上に大きなものがあります。君が代にこだわりのある教員が、式典で斉唱時に起立をしないように担任クラスの生徒を教化して、卒業式に見事にそのクラスだけ全員立たなかった事例も過去に見てきております。
 批判能力の乏しい純真な若者ほど教育者の教育に感化されやすいものです。まして、改正案では投票年齢も十八歳以上に引き下げられることが現実的になってまいりました。高校生にも投票権があるわけですし、同じ高校生、十五歳から十七歳の十八歳に近い生徒が控えております。私はこの点も含めて大変危惧いたしております。
 組織的勧誘運動などは附則四で検討課題になっておりますが、その影響力が国民投票運動に及ぼすことを考えていただき、国民投票運動の公正な実現のためにも組織的勧誘運動などに罰則の整備を是非ともお願いしたく思います。
 組織的勧誘運動は認められませんが、改正案百条の二として活動すれば合法であります。自由意思を持った教育者個人の集合体の組織として行動したにすぎないと言われたら、罰則規定があってもどこまで適用できるか疑問であります。その意味でも、前述したように、改正案百条の二の勧誘行為を公務員、教育者に認めることを再考していただければと願う次第でございます。
 以上、時間の都合で国政への国民投票については割愛させていただきます。
 本改正案の一日も早い成立を切望するものです。
 御清聴ありがとうございました。
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小坂憲次#3
○会長(小坂憲次君) ありがとうございました。
 次に、伊藤参考人にお願いをいたします。伊藤参考人。
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伊藤真#4
○参考人(伊藤真君) それでは、少しお話をさせていただきます。伊藤真といいます。
 今回、国民投票法の改正について三点ほどお題をいただきましたが、最初に確認をしておきたいことがあります。
 言わずもがなのことではあるのですが、そもそも憲法というのは、一人一人を個人として尊重する、そのために日本の社会で多様な価値観が公平に共存し合えるような、そのための方策を定めております。そして、その方法としては、国家権力の行使者たる公務員の皆さんたちの権力行使を制限をして、そして国民がその公務員に言わば命令をする、憲法の規定に従って政治を行ってくださいと命じるものだと考えています。まさに国民が憲法を制定し、そして国民が憲法に従った政治権力の行使を言わば公務員に指示をするものでありますから、国民がその制定の主体であります。
 したがって、国民が、憲法による歯止めの掛け方、またその命令の仕方というものに国民自身が不都合を感じたときには、その命令書の中身を自ら、憲法を作った国民自身が改定する、それは当然のことだと考えています。
 ただ、そのためには、国民が十分な議論をし、しかもできるだけ多くの国民がこの議論に参加し、意見表明ができること、そのための自由な討論をする、その空間をどうつくり出すのか、これがこの国民投票法というものを考えていく上で極めて重要なことだと思っています。
 理由は幾つもあるんですけれども、法律も憲法改正も多数決によって最終的には決まります。ですが、その多数決の結果の意味というのは全く違います。
 法律が多数決によって可決されましたという場合と、憲法改正が国民の多数によって通りましたといった場合、どちらも多数決による結果ですから、少数派はそれに従わなければならない、これはもう多数決の基本的なルールなんですが、法律が国会の多数決によって可決された場合、仮にその法律によって少数派の方が余りにも不利益を受ける、時に人権の侵害を受けてしまうというようなことがあった場合には、裁判所に訴えを提起して、裁判所の違憲立法審査権という手続によってその少数派は自己の権利を回復する手段を持っています。
 まさに多数派の横暴に対して裁判所が歯止めを掛けるという仕組みが憲法の中に組み込まれているわけです。ですから、もちろん、国会での御審議の過程で少数意見を尊重しながら、十分少数派への配慮を考慮した上で法律ができたとしても、仮にそこで少数派の方の人権が侵害されたときには裁判所を通じてそこを回復する手だてが残されています。
 ところが、憲法改正という場面においては、まさにその少数意見を十分に反映させるような形で、また、国民の多数派が少数派に対する十分な配慮というものを仮に怠った形で憲法改正の国民投票が実施されてしまいますと、もうそこで憲法自体が変わってしまいますから、その結果、仮に少数派の方の人権が侵害されたり、大きな不利益を課せられるようなことになった場合、その少数派はもう取るべき手だてがありません。言うまでもないことですが、この憲法改正は不当だといって裁判所に訴え出ることはできないわけです。あり得る方法は唯一、自分たち少数派が多数派の側に何とか回るように努力をしてもう一度憲法改正をし直すか、若しくはこの国の国民をやめて出ていくかしか方法はないということになります。
 ですから、憲法改正という場面における少数者への配慮、また、多様な意見を尊重するということは、立法の過程におけるそれとは比べ物にならないほど格段の重要性があるということ、それを是非前提にこの改正法の議論をしていかなければいけないんだろうと思っています。
 憲法改正の結果が国民の幸せにつながるかどうか、それは正直言って誰も客観的に証明はできないことなんだろうと思います。まあ、言わばやってみなければ分からないというところも多々あるかと思うんですね。ですが、だからこそ、その審議の過程、プロセスが適正であること。その手続の適正さというものによって、結果が正しいかどうか分からないときに、この憲法改正は正しいんだという国民の、少数派の方の思いも含めた国民の信頼というものが得られなければならないと思っております。
 ですから、国会における審議の過程において、この場もそうだと思いますが、少数意見、多様な意見が十分に出てきて議論を闘わせることができるその手続のプロセスがフェアであるということは、通常の立法過程においても重要なことなんですが、憲法改正の手続過程においてはより一層重要であると私は考えています。
 そうした前提の下で考えた場合、憲法制定権者である、主権者である国民と、実際に国民投票に参加できる投票権者、ここの差をできるだけ縮める、可能な限り一致させる方向でやはり考えていくのが基本であろうかと思います。
 ですから、今回十八歳への引下げという方向を打ち出されていますけれども、私はこれには賛成です。十八歳、四年後十八歳ということがもし実現することになれば、十四歳ぐらいから、現在の十四歳の子供たちも言わば憲法国民投票に参加する可能性が出てきます。ですから、中学、高校、そういった子供たちに対する憲法教育、立憲主義教育、これは本当に重要なことになるんだろうと思っています。
 特に、民主主義の本質はどこにあるのか。それは国民が主権者である、どういうことか。主体であるというのはどういうことか。国民が主人公ですよと、よくそんなことが言われます。主人公ってどういうこと。子供たちに聞いてもちょっとぴんとこない。国民が主人公ってどういうことなんですか。そういうことをしっかり自分の頭で考えて、自分の頭で考えて自分の価値観で意思決定をし自分で行動する。そういう言わば国民主権、民主主義の基本を十分理解し、実践し、そしてまた、民主主義の一つの本質は権力を監視すること、権力を監視し続けるということが民主主義のやはり重要なポイントなんだ。そういうことも子供のうちからきちっと教育をしていくということが必要ではないかと考えています。
 この憲法改正国民投票の年齢と選挙権の年齢、できるだけ一致させるべきだろうと思いますが、それがずれたとしても私は憲法に違反するとは考えません。また、成年、民法上の成年ですとか、様々な法律におけるその一定の基準が全てこの憲法改正の国民投票と一致すべき憲法上の要請があるとも考えていません。それぞれの法律の立法趣旨によって最も適切な年齢が決定されるのであろうとは思っています。
 二つ目のテーマであるところの公務員の政治的行為に関してですけれども、ここは先ほど申し上げたとおり、公務員も主権者国民であります。もちろん、仕事の場面では権力を行使する側、公務員の立場で、の側なんですが、同時に、国民という主権者であるという面が当然あるわけですし、そちらの方がむしろ重要であります。ですから、主権者たる国民であるところの公務員に、憲法制定権者である公務員に、この運動に参加し自由な意見を述べる機会を与えるということは極めて重要というか、言わば当然のことだと考えています。
 また、公務員は憲法尊重擁護義務を九十九条で課せられていますから、憲法によって拘束される側の立場です。言わば、一番の利害関係人と言ってもいいかもしれません。自分が憲法によってどういうことを命じられることになるのかということについて自由に意見が述べられないということになってしまったら、これはやはり民主的な空間ではないと思います。
 例えば、自衛官の方に、集団的自衛権を行使できるように憲法を改正するから海外に行って武力行使をしてきなさいと。国民の名によって、言葉はきついかもしれませんが、国民の名によって殺人を強要するということを求められる仕事になるわけですから、それは言わばその当事者であるところの公務員の皆さんがそれについての意見を述べる機会が封じられてしまうということがあってはならないだろうと。憲法尊重擁護義務を課されている側の人間が、警察官でもそうでしょう、ありとあらゆる公務員の皆さんたちは最も重要な当事者である。そこの意見を聞かずして憲法の改正の議論は前に進まないと思っています。
 政治的中立性という言葉がございます。多くの方は誤解しておられます。政治的中立性というのは職務において公正中立な職務を行うということであって、当たり前のことですが、公務員の方も一人一人政治的な信条を持っておられます。選挙になれば、当然自分の政治的な信条に基づいて投票行動をするわけであります。公務員も、外からは見えませんが、それぞれ思想、信条を持っている、当たり前のことです。そして、その思想、信条に基づいて言わば選挙権を行使するわけです。
 その個人の思想、信条が中立的であるなんてことはあり得ない話。あくまでも職務行為のその場において公正中立でなければならないということにほかなりません。裁判官に関してはまた別の考え方等あるかもしれませんけれども、公務員の職務の中立性、あくまでも職務の中立性、それが求められているということです。
 個人として投票運動をしたことが、じゃ、その職務の中立性に具体的に、観念的ではなく、現実的にそして実質的にどれだけその中立性を損ねるおそれがあるのか。これが近時の最高裁の判例の重要な言わば指針、基準でありますから、その公務員がこの投票運動に参加すること、それが果たして観念的な職務の中立性を損なうおそれにとどまらず、現実的で実質的なものなのかどうなのか。その点を考えると、あらかじめ様々な法的な規制をしておくという必要は全くないと考えています。
 特に今回、特定公務員、罰則付きで運動を禁止するということになっていますが、私は、裁判官であろうが警察官であろうが職務を公正に中立な立場で職務を行う、それさえきちっと守られるのであれば、その職務を離れて個人として投票運動に参加する、これは何ら問題ないと思っています。
 ドイツの裁判官などは原発反対と自分の部屋にポスターを掲げていたり、ミサイル配備反対というデモ行進に参加したり、むしろ目の前の裁判官がどういう政治的な信条を持っているかということを明らかにすることが裁判の公正さ、それにつながる、そういう考え方もあります。逆に言えば、個人としてどういう信条を持っているのかが一般の国民に明らかにされることによって、より厳しい目で、その職務行為が公正に中立に行われているかどうかという、より厳しい目でそれは監視されることになるからです。
 自分は政治的に中立だというふりをすることが国民の信頼につながるのではなく、情報を公開し、自分はこういう考え方だ、しかしこの事件やこの仕事において、私はこれだけ公正に、中立に仕事をしている。その職務内容によって、その公正さ、中立さを示す。それが公務員の仕事であろうと考えています。
 ですから、公正さに対する国民の信頼というこの点についても、私は多様な議論があってしかるべきであろうというふうに思っています。公正さのためにというだけで、抽象的な、観念的な議論で終わらせてはならないと、そう考えています。
 最後に、国民投票の対象の拡大という点についてですが、ここはもう少し慎重に検討しなければならない。現在の憲法の下では、代議制民主主義ということですから、少なくとも拘束力のあるような国民投票制度は取れないと私は考えています。この言わば国民投票制度を拡大するという議論をすることもとても重要かもしれませんが、それ以前に、この国会が民意を正しく反映している、そういう代表者で構成されているのかどうか、正当に選挙された国民の代表と言えるかどうか。一票の不平等の問題など、まだまだ先に議論をし、そして正していかなければいけない問題が山積みではないのかなと思っています。むしろ、代議制の健全化を今の制度の下で図っていくこと、それが先決ではないかと考えています。
 以上です。
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小坂憲次#5
○会長(小坂憲次君) ありがとうございました。
 次に、小林参考人にお願いをいたします。小林参考人。
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小林良彰#6
○参考人(小林良彰君) 慶應大学の小林良彰です。
 本日は発言の機会をいただきまして、ありがとうございます。
 私は、ほかの参考人の方々とは異なりまして、政治学を専門にしております。政治学は、現行法令から現実を見るという視点ではなくて、現実のどこに問題があり、その解決のためにどうすればいいのかという視点から研究をしておりますので、本日はそうした立場から意見を述べさせていただきたいと思います。
 まず、第一の選挙権年齢の十八歳への引下げ関係につきましては、国民投票の投票権が十八歳になるのだから、国民の権利と義務は同一なので、全てを十八歳に引き下げるべきとは考えておりません。国民の権利や義務といっても、内容によってその求められる能力は異なりますので、それぞれの法律の立法趣旨に即して決められるべきものであります。例えば、民法八百十七条の四の特別養子縁組の養親は二十六歳以上ですし、同じ民法でも九百六十一条によれば、遺言は十五歳以上ができるということになります。
 その上で、公職選挙法の選挙権年齢について見ますと、憲法九十六条の国民と十五条一項の国民が主権者として政治に参加する者という点では一致していると考えることができますので、国民投票への投票権が十八歳に引き下げられるのであれば、同じ立法趣旨に基づく選挙権も十八歳に引き下げるのが適当であると考えますし、また、主権者としての平等性、選挙権の平等性から出てくる当然の要請になると考えております。それ以外の民法等における年齢規定においては、各々の立法趣旨に基づいて決めるべきものであると考えます。
 恐らくここまでは、これまでも多くの方が議論されていると思いますので、私は更に一歩踏み込んで、投票権引下げに合わせて選挙権を引き下げることが望ましいということを申し上げたいと思います。なぜなら、言うまでもなく、ここは裁判所ではなくて立法府ですので、現実の課題をより良い方向に改善するための方策を御検討いただくことをお願いしたいためであります。
 まず、事前に送付させていただいたお手元の資料を御覧いただければと思います。資料の二ページ目を御覧いただきたいと思います。上が参議院選挙、下が衆議院選挙の年代別投票率です。例えば、昨年の参議院選挙では、二十代で投票した者は僅か三分の一しかおりません。三十代で四割、五十代でも半分余りという現状です。しかも、平成十年以降緩やかに下がってきております。衆議院では多少投票率が高いものの、平成十七年郵政解散・総選挙と平成二十一年政権交代の焦点となったその二回を除けば、やはり緩やかに下がってきております。
 これは、年代別投票率の違いが加齢効果、つまり年齢が上がれば自然に投票に行くようになるという要因だけではなくて、世代効果、つまり世代によって次第に投票に行かなくなる人が新たに有権者として参入してきているという効果の二つが組み合わさったことによるためであります。
 したがって、衆議院選挙で見ると、低い投票率から始まった世代は、その後、年齢を重ねても前の世代の同年齢のときほどは投票率が実は上がってはおりません。つまり、有権者のスタートである若年層の投票率を上げることがその世代の生涯の政治参加に大きな影響をもたらしているということになります。
 日本の参議院は、実は各国の上院と比べても最も民主主義的に議員を選出している制度を取っております。例えば、イギリスの貴族院はそもそも選挙しておりませんし、ドイツの連邦参議院は地方政府の代表者で議員が構成されており、フランスの元老院は間接選挙、一般の有権者は選挙権を持っておりません。アメリカの連邦上院は有権者による直接選挙ですが、各州の代表であることから定数不均衡は一対七十ぐらいまで開いております。つまり、日本の参議院議員は世界の上院の中で最も民主主義的な手続で選出をされております。
 しかしながら、それにもかかわらず有権者が投票になぜ来ないのか。それをほかの国と比較しながら見たのが三ページ目以降になります。これは、私が慶應大学でセンター長を務めていたときにアジアで行った調査を同様の質問で行ったEU諸国における調査データと比較したものです。
 まず、三ページ目の上は有権者が政治について日頃議論するかどうかを見たものですが、日本では半数以上が全くしない。三八%が時々する。頻繁にする有権者というのは実は五%しかおりません。政治参加の中で最も簡単な日頃政治について話すということすらしていないわけです。その下は、その国の民主主義に対する満足感で、十七か国中十五位と低く、オランダやデンマークで八割が満足しているのに比べて五割にとどまっております。
 その理由は、四ページの上にありますとおり、有権者に知識がないわけではなくて、むしろ欧米に比べて有権者の政治的知識のレベルは高いと言えます。また、下の図にあるように、政治や行政に対する信頼も相対的には低いとは言えません。しかし、それにもかかわらず参加しない。
 そこで、日本の有権者の政治意識で何が特徴的なのかを探しますと、五ページにありますとおり、政治的有効性感覚が低いことです。欧米や韓国に比べても低く、特に国政に対する有効性感覚が低くなっております。
 ここで、慶應大学のセンターと横浜市が、今回の論点となっております十八歳を含む高校生に対する調査、これは六千四百名から回答を得た大規模な調査ですが、これに基づく共分散構造分析を行った六ページの結果を御覧いただきますと、横浜市政や政治に対する関心を阻害している最大の要因が、自分自身が政治に働きかけることができるかどうかという内的有効性感覚の欠如にあることが分かります。
 十八歳という年齢が重要なのは、多くの十八歳が高校で、学年進行に従いまして政治・経済や公民を通して現代日本の政治や社会の諸課題を学び、それについての関心が芽生える機会を得る時期になります。しかし、そうした機会を得ながら、実際の選挙で投票する機会を得るのは早くても二年先、場合によっては四、五年先になり、自分は何も関与することができないという若者に内的有効性感覚を持てという方が無理ではないかと思います。つまり、十八歳の若者にとっては、待たされている間に関心が薄れていき、それが世代効果を通じてその後の政治関心にも影響しているということになります。
 このため、神奈川県では、平成十九年に四校の県立高校で模擬投票を実験的に行った上で、平成二十二年には全ての県立高校、百四十四校で模擬投票を行い、若者の内的有効性感覚を高める努力をしました。そのとき模擬投票を経験した若者に後から調査をすると、政治関心や政治についての議論をする機会が増え、様々な意味で参加意識あるいは憲法に対する関心、そういうものが高まるという効果が見られます。
 もちろん、選挙権年齢を十八歳に引き下げても選挙に来ないのではないかという意見もありますが、しかし、有権者は、自分が参加する機会を持つことで、内的有効性感覚のみならず、政党や政治家に対する外的有効性感覚も高くなり、それが民主主義に対する満足感や政治への積極性を育てることにつながるエンパワーメント効果を見ることができます。
 七ページを御覧いただきますと、これはEUの有権者三千六百人から得た意識調査の回答を基に、国民投票の頻度が有権者の政治的有効性感覚を通して民主主義への満足感や政治への積極性にどのように影響しているのかを共分散構造分析で見たもので、明らかにエンパワーメント効果を統計的に有意なレベルで見ることができます。
 これまで述べてきた分析結果は、国民投票の投票年齢を十八歳にすることに合わせて公職選挙法の選挙権年齢を十八歳に引き下げることで、国民投票や選挙を通じた若年層の政治関心や政治参加意識、ひいては民主主義に対する満足感に良い影響をもたらすことが期待できることを明らかにしております。
 ただし、選挙権年齢引下げを若年層の政治意識の向上に生かすためには、現行の政治・経済などにおける諸外国の制度や数字を覚える知識偏重な教育だけではなくて、問題解決型の教育を取り入れていくことが必要になります。なぜならば、あの国はああいう制度、あの国の選挙年齢は何歳、そういう数字だけ、知識だけでは生徒は疑うことができません。知識、事実そのとおりということになります。問題解決型にして、自分の解決策を相互に討論で議論を高めていくことで、例えば常識と思われるようなことも疑い、自分自身の考えで政治、経済、社会を捉えていく目を養うということが何よりも重要であると思います。
 なお、日本の有権者の政治意識を見ますと、投票率だけではなくて、お手元に参考人資料というのを、別途私が書いた論文の方を提出させていただいておりますが、選挙区選挙であれ比例代表選挙であれ、選挙に関して有権者が判断する基準に実は政策争点が大きな影響を与えておりません。つまり、各党の政策や、あるいは各候補者の選挙公約というものや、あるいは努力というものよりも、いわゆる風と言われるような全国的トレンドで選挙結果が決まっている割合が大きいことが分かります。これは、選挙を通して政策争点についての有権者の民意を負託するという代議制民主主義の本来の姿とは少し離れているように思います。
 さて、第二の公務員の政治的行為に係る法整備関係については、公務員といえども有権者であることから、自由に行い得る部分と、公務員の職務上求められる政治的中立性から制限される部分が当然出てきます。具体的には地位利用ということが問題になりますが、何をもって地位利用とするかについて一番分かりやすい考え方は、その地位にない一般市民としてでき得ることであったかどうかになります。つまり、公務員がその地位を離れて一般市民であったとしてもなし得た行為であったのかどうか。しかし、特定公務員についてはもちろんその限りではなくて、私は国民投票運動の主体となるべきではないと考えております。
 なお、公務員でなければ何をしてもいいというわけではなくて、例えば一人の会社のオーナーが取引先とかそういうところに対して明示的に取引増加と引換えに特定の考えを押し付けることは、当然公務員でなくても適切とは言えませんので、この点、組織的な多数人買収とか多数人利益誘導以外の国民投票に関わる買収や利益誘導に対する対応等々について、まだ国会で議論すべきことが残っているのではないかと思います。
 最後に、国民投票の対象拡大については、もちろん憲法の前文にありますとおり代議制民主主義ということになっております。先ほど国民投票機会の増加が有権者の有効性感覚を通じて民主主義に対する満足感や政治参加意識につながると申し上げましたが、あくまでも代議制民主主義を損なわない範囲で行われるべきものであると考えます。言い換えますと、直接民主主義は、有権者の政治意識に良い効果をもたらす一方で、時には危うい状況をもたらすこともあります。
 例えば、ドイツの独裁者であったヒットラーが首相と大統領の権限を一人が担う総統になったのは、もちろん軍事クーデターによるものではなくて、当時のヒンデンブルク大統領が病死した際に、首相であるヒットラーに大統領の権限を移行させることを国民投票に掛けて、九割の賛成で承認されたことによります。ナポレオンも国民投票で世襲の皇帝になったわけです。
 これを受けまして、戦後、イギリスのシュンペーターが議会重視の代議制民主主義を強調して現在に至っています。つまり、国会議員が熟慮することで最悪の事態が生じないようにすべきと考えているわけです。こうした考えに基づけば、国民投票の範囲を仮に拡大することを検討する場合であっても、あくまでも国会が国民投票に諮るべきと判断したことに限定して、拘束力を持たないものに限定して検討すべきであると思います。
 なお、私自身、九〇年代半ばにカリフォルニアに長く住んでおりましたが、一九九八年の中間選挙に際して、プロポジション187という不法移民に対する公共サービスを停止する州民投票が行われて六対四で可決され、その結果、マイノリティーは常に自分が合法的居住者であることの証明を求められました。その際、合法的居住者であるマイノリティーの小さなお子さんが事故で公立病院に運ばれて、証明する書類をお子さんですから持っておりませんので、結果的には追い返されて次の病院に行く間に亡くなるというようなことが多々起きまして、事実上のマイノリティー排斥につながったことがあります。
 つまり、こうした、投票によらずとも守られるべき人権などございますので、全てのことを国民投票で決めるべきとは考えられないと思います。
 時間を過ぎましたので、これ以上のことは質問に答える形で述べさせていただきたいと思います。
 ありがとうございました。
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小坂憲次#7
○会長(小坂憲次君) ありがとうございました。
 次に、愛敬参考人にお願いをいたします。愛敬参考人。
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愛敬浩二#8
○参考人(愛敬浩二君) こんにちは。名古屋大学の愛敬と申します。憲法学を専攻しております。
 本日は発言の機会を与えていただいて、ありがとうございます。
 改正法案の評価につきましては、五月二十六日の本審査会の小澤隆一参考人とかなり意見が一致するところが多いものですから、改正法案の内容を逐一検討すると、同じことをもう一回先生方がお聞きになることになってしまうので、今日はちょっと趣向を変えさせていただきまして、なぜ私がそのように考えるのかという理由をちょっとお話しさせていただけたらと思います。
 今回、意見陳述の機会を頂戴いたしまして、スティーブン・ティアニー教授のコンスティテューショナル・レファレンダムスという本を読みました。買ったまま読んでいなかったんですけれども。同書によれば、世界では過去三十年の間に憲法レファレンダムの活性化というのが生じているそうです。教授の定義によれば、憲法レファレンダムというのは単なるレファレンダムではなくて、憲法の変化や憲法の制定という特別の争点について市民が直接投票することだそうです。ただし、同書の巻末の一覧表を見ると、選挙制度改革の是非を問うようなレファレンダム、すなわち、日本だと憲法レファレンダムではないようなものも含めてこの言葉を使っているということはちょっと確認しておこうと思うんですけれども、この憲法レファレンダムの活性化というのは、これなかなか評価が難しいところもあるかなという気がいたします。
 今、小林先生もカリフォルニアの例についてお話がありましたけれども、例えば最近のウクライナの情勢を見ていると、憲法レファレンダムを利用することによって、結局、代表民主制を通じた妥協というのが難しくなっている感じがしないでもありません。
 私が親しくしていただいているイギリスのある憲法学者は、その方は国会改革を通じて国会の機能を強化するということが今の政治に対する解決策だとお考えなんですが、その方は、最近イギリスで結構レファレンダムが使われるようになってきているのを見て、ポピュリズムだと非常に消極的な評価をなさっていました。
 他方、二〇一一年の、御記憶かと思いますけれども、ギリシャの債務危機の際、当時の首相パパレンドウさん、名前が呼びにくいので間違っているかもしれませんが、たしかパパレンドウ首相という方が国民投票にかけるというふうに動いたところ、EUとかIMFとかの方々が政治的圧力を掛けて、要するに、EUの融資条件の中に例えば公務員の給料を下げるとか、そういう国民的に議論をすべき事柄が含まれていたものですから国民投票にかけたいと言ったんでしょうけれども、これ断念したという事件が御記憶かと思います。
 この事態を前にして、ドイツの有名な哲学者であるユルゲン・ハーバーマスという方は、これは民主主義の尊厳に対する冒涜だという言い方をしたんですね。要するに、国際的な組織であるEUやIMFがギリシャの国民が自らの事柄に関して判断する機会を奪ったという評価なんだと思いますけれども、それを「民主主義の尊厳を救え」という論文をお書きになっています。
 このように、憲法レファレンダムというのは評価はなかなか難しくて、消極的な評価というのもそれなりにあるものだなという印象を持っているのですが、御案内のとおり、スコットランドの独立の是非を問うレファレンダムが今年の九月に予定されております。
 ティアニー教授はエディンバラ大学の教授ですから、基本的には憲法レファレンダムに好意的な立場からこの書物をお書きになっていて、この憲法レファレンダムというものを批判論から弁護する一方、あるべき憲法レファレンダムの姿を示そうとなさっています。そのあるべき憲法レファレンダムの姿というのが、これ本書の副題にもなっているんですけれども、共和主義的な熟議と言っているんですね。
 リパブリカンデリバレーションというふうに彼は言っているんですけれども、それはどういう内容を持っているかというと、まず、政治的決定に対して市民が公民として参加すること、これ、シビックリパブリカニズムの思想だと何かおっしゃっています。それから、決定方法として、いわゆるマジョリタリアンデモクラシーというんでしょうか、単純多数決型のやり方ではなくて、なるべくデリバレーティブな、熟議がきちんと行われるような民主主義で決定する。この二つの要素がきちんと充足していれば憲法レファレンダムというのは擁護可能なものだみたいな、そういう御主張のようです。
 もちろん、熟議民主主義というのは最近政治学でも非常によく使われる言葉ですので様々な理解がございますが、ティアニー教授の熟議民主主義という理解は、こういう内容のようです。要するに、既存の選好がただ集積されるだけの、これアグリゲーティブモデルと彼は言っているんですけれども、そういう今現在ある選好ですね、いいか悪いかの判断、それがただ集積されるだけの決定であればそれは余り良くなくて、投票の前に市民がきちんと熟考と反省を行い、彼はリフレクションという言葉を使っていますけれども、それから討議を行う機会を確保することが大切ではないかということです。
 そして、更に彼が強調するのは、その熟考と討論を通じて今存在している選好ですね、例えば憲法改正に反対するかしないかというこのパーセンテージがきちんと変化する、そういう条件が確保されることが大切だというふうにおっしゃっていて、逆に言えば、こういう条件が確保されていると、憲法レファレンダムという形で人民投票に重要な政治的争点を委ねてもいいという考え方なのではないかと私は理解しました。
 そこで、レジュメの二に移らさせていただきますけれども、日本国憲法の憲法改正国民投票の問題を考える上でも、このティアニー教授の研究は参考になる点もあると思います。しかし、幾つかの留保も必要ではないかと考えました。
 第一に、いわゆる義務的国民投票と諮問的国民投票の区別というものがあります。日本国憲法九十六条の憲法改正手続における国民投票は、これは国民投票を実施しないと憲法改正が実現しないんですね。そういう意味ではこれ義務的な国民投票になります。
 実際問題として、せっかく両院で苦労して三分の二以上の賛成を獲得して改憲案を発議しておきながら、国民に十分な熟議をさせてそこで選好の変容が生ずるのをおおように眺めているというのは、これ、できないのが人情だと実は僕も思うんですね。ここは僕重要だと思うんですけど、それが当然の人情だからこそ、そこは無理しても義務的国民投票においては、国民の熟議を十分にさせたくなくなるインセンティブがあるからこそ、作為的に、自覚的に、わざと、投票の前の国民の熟議ですね、先ほど申し上げた、国民が反省と討論を通じて自らの選好の変容を行う可能性の確保、こういうことをきちんと確保できるように最大限の努力、工夫をするべきではないかと考えております。
 次に、第二に、憲法改正国民投票の効果は、諮問的一般的国民投票の効果よりも強力で長期的という問題があると思います。
 憲法改正は、環境権の新設のように、人権カタログの充実の方向だけで行われるとは限りません。例えば、立法や行政実務を通じて少しずつ発達してきた、発展してきた社会的マイノリティーの基本権を制約、剥奪するために行われる憲法改正もあり得るわけですね。これ、実際にカリフォルニア州の住民投票提案八号というのは、同性婚を認める州最高裁判所の判決を無効化するために住民投票で行われた憲法改正ですね。要するに、同性婚を憲法違反とするための州憲法の改正です。このタイプの憲法改正が行われると、社会的マイノリティーの権利保障のために立法的、行政的な措置、それがその後憲法違反とされる可能性が生ずるわけですね。
 アメリカは幸いにも連邦制なものですから、提案八号による州憲法改正は連邦裁判所で違憲無効とされています。二〇一三年六月にこのことは報道されていますので、御承知の方も多いと思いますけれども。連邦制を取らない日本ではこのような解決はないわけですから、そうしますと、日本でも例えば特別永住者の権利保障など類似の問題がございますので、拙速な改憲を抑止する制度設計というのは特に重要だと思います。
 時間の関係もありますので(3)の問題は割愛してレジュメの三に移りたいと思います。
 以上のとおり、憲法改正手続法の評価、そして改正案の評価は、義務的国民投票であることの特性を踏まえて熟議民主主義が十分に確保されているかという観点から行われるべきだと考えます。よって、今回の改正案には含まれてはいないのですが、熟議期間の設定というのはもう少し真剣に考えてもいい問題ではないかと思っています。そこでは長谷部恭男教授の見解を示しておきましたので、後、御覧いただければと思います。
 次に、私、このようになぜそう考えるかという理由ばかり述べてしまいましたので、お話しできることは公務員の国民投票活動だけになってしまうのですけれども、レジュメの三に入ります。
 事務局作成の資料の三十九ページで、適用除外説として枝野議員の見解が紹介されていますが、私もこの見解を支持します。第一の理由は、そもそも公務員法上の政治的行為の禁止それ自体の合憲性が非常に疑わしいと考えているからです。日本のように包括的、画一的な禁止は比較法的に珍しいと指摘されておりますし、日本の学説においても違憲説が有力だと思うんですね。
 事務局が作成した参考資料は四十八ページで、憲法学の通説的理解とされる芦部教授の見解を紹介していますが、実は、私がレジュメに書きましたけれども、行政法学で通説的理解というふうに言及されることの多い塩野宏教授も違憲説なんですね。最高裁判事であった田中二郎博士も違憲説だそうで、ある行政法学者の方は、慎重さをもって知られるこれらの行政法研究者、すなわち塩野教授と田中博士ですが、このお二人がそろって現行法令の違憲性を指摘する例はほかには見られないと述べていらっしゃるわけです。
 このように、そもそも違憲性が高いと考えられている事柄をベースラインにして国民投票運動の在り方を議論するというのは、私は疑問だと思っています。
 関連してですが、参考資料三十九ページで紹介されている切り分け論ですね。船田議員などが明快にこの立場をお取りのようなんですが。その御意見、五月二十一日の本審査会における船田議員の御発言を見ますと、純粋な国民投票運動とそうでないものの切り分けについて、現行法で禁止されているほかの政治的行為を伴っていれば今回の改正案でも許されない行為であるとの基準を示した上で、ほかの政治的行為というものを例示するとすれば、例えば特定の政党、特定の候補、そういった名前、あるいは内閣の支持、不支持、そういったものがこれに該当するものと考えておりますと述べていらっしゃいます。
 しかし、この切り分け論は疑問です。四月二十二日の衆議院憲法審査会で田中隆参考人が指摘していることですが、憲法改正の賛否の勧誘や意見表明は、前提となっている政治認識の表明を含まざるを得ないと考えるわけです。例えば、ある内閣、便宜上X内閣と呼びますが、X内閣が原発の安全基準の緩和を進める一方、環境権の新設のための憲法改正を行おうとしていると考えてみましょう。この場合、X内閣の政策やその内閣の中心であるX首相の政治手法を批判することなく環境権の新設に反対するというのは、これ非常にナンセンスな印象があります。すなわち、賛成、反対は本来理由を示して行うべき事柄ですから、理由を示さない賛成、反対は、先ほど来お話をしている熟議民主主義の理念に反するのではないかと考えます。
 時間の関係がありますのでかなりはしょらさせていただきますが、最後に、特定公務員の国民投票運動の禁止について、裁判官について一言だけ申し上げさせていただきます。
 先ほど伊藤参考人からドイツの裁判官についてお話がありましたが、私は比較研究の対象がイギリスなものですから、イギリスについてちょっと一言だけ述べさせていただきますけれども、イギリスでは一九九八年人権法という、国会主権に対して一定の制約を加えるという、その意味ではまさに憲法改革というか、そういうものが実現したわけですけれども、その際、一九九〇年代以降、名前そこに書きましたけれども、ロード・ビンガムとかサー・スティーブン・セドリーのように、上級裁判所の裁判官でありながら、権利章典の制定やヨーロッパ人権憲章の国内法化、あるいは国会主権原理の法的制約という、憲法の根本原理に関わる事柄に関して積極的に論文や講演で訴えた方々がいらっしゃいます。
 高い見識と実務経験に裏打ちされた彼らの見解は、賛否はいろいろありました。けれども、いずれも学者の間でシリアスに受け止められ、人権法の制定に向けて一定の理論的効果があったものと私は評価しています。ですので、裁判官や検察官がその見識と経験を踏まえて国民投票運動に参加することは、憲法改正国民投票におけるより良い熟議のために必要不可欠ではないかと考えております。
 ですので、特定公務員の範囲について再考を求めて、私のお話を終わりにさせていただきたいと思います。どうもありがとうございました。
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小坂憲次#9
○会長(小坂憲次君) ありがとうございました。
 以上で参考人からの意見の聴取は終わりました。
 これより参考人に対する質疑を行います。
 各質疑者の持ち時間はそれぞれ限られておりますので、質疑、答弁とも簡潔に願います。
 質疑のある方は順次御発言願います。
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山下雄平#10
○山下雄平君 自由民主党の山下雄平です。
 今日は、四人の参考人の先生方に貴重な御意見をいただき、ありがとうございます。
 今日は、持ち時間の関係もありますので、附則に盛り込まれた三つの課題についての一つ、国民投票を憲法改正以外にも広げるのかどうなのか、どこまで広げていくのかという話についてちょっとお伺いしたいなと思っておりますけれども、附則には、施行後速やかに、憲法改正を要する問題及び憲法改正の対象となり得る問題についての国民投票制度に関してその意義や必要性を検討しなさいというふうに書かれております。一方で、加えて、間接民主制との整合性の確保もというふうにも書かれております。
 現行の憲法では国会が唯一の立法機関というふうに定めてありまして、基本的には間接民主制を原則にしておって、その中でも例外的に憲法改正だったり、最高裁の判事の国民審査だったり、住民投票といった、本当に例外的に幾つか直接民主制の制度を明記されております。
 先ほどの参考人の先生方の意見の中には、伊藤先生と小林先生自体は国民投票の範囲を広げることに関しては極めて慎重に考えるべきだという意見だったと思うんですけれども、まず、愛敬先生にちょっとお伺いしたいのは、いわゆる今の憲法の国民投票に関しては義務的な国民投票なので熟議を前提にしていいことだという話だったと思うんですけれども、それ以外のところに範囲を広げていくこと、それは諮問的国民投票であったり、義務的国民投票の違いもいろいろあるとは思うんですけれども、広げていくことに関してはどのようにお考えなのか、お聞かせください。
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愛敬浩二#11
○参考人(愛敬浩二君) ありがとうございます。
 私は、国民投票を行うのであるならば熟議の条件が確保されるべきだという見解を持っておりまして、そして、一般的国民投票に関して現時点での意見を求められる場合には、比較的消極的だということになると思います。地方レベルであるならば住民投票で決定をしていくということも大変いいことだと思いますけれども、国レベルで決定をするということに関してはいろいろ考慮すべき事柄がたくさん、幾つかあるのではないかと考えております。
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山下雄平#12
○山下雄平君 大西先生は、レジュメには載せてありますけれども意見陳述の中にはなかったので、改めて説明いただけますでしょうか。
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大西斎#13
○参考人(大西斎君) ありがとうございました。ちょっと時間の関係で触れられなかったものですから、改めてお聞きいただいて非常に感謝いたしております。
 私は、どちらかというと、この問題は二つの側面で捉えることができるのではないかというふうに思っております。それは、結果について、国民投票の結果でございますけれども、これはもう拘束的国民投票制度は、これは憲法四十一条、五十九条の趣旨から認められないというふうに思います。
 これをいわゆる諮問的国民投票としてどう捉えるかというふうなことでございます。これは多くの憲法学者の方が、諮問的であればこれは憲法違反ではないというふうによく答えております。しかし、これ諮問的だからこの国民投票を行えばいいかといえば、これは先ほど愛敬参考人の方もおっしゃられたように、これは国政に、場合においては行政の長が間接的に国民から選ばれているというふうなことでございます。ですから、もしそれが国民投票によってその内容が否定されるようなことがあった場合に、そのことを行政の長が否定できるかというふうなものがございます。
 それから、現代政治が世論調査をある程度意識して行われているような点、そういうふうな中でその国民の意思というふうなものを無視できない。さらには、直接民主制の国民投票を実施して国民主権を無視するというふうなことは、国民主権の面からも当然疑問になってくるというふうに思っております。
 国民投票には非常に膨大な費用と労力も掛かっております。ですから、もし諮問的だからということで安易に導入して、それを受け入れないというふうなことになれば、議会の存在意義自体が問われかねないように思いますので、その点も含めて、やはり現在の憲法的に考えても、もしどうしてもするのであれば諮問的な国民投票を、その場合には、私はむしろもう憲法を改正してその上で行う、それが一番正しい方法じゃないかというふうに考えております。
 以上でございます。
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山下雄平#14
○山下雄平君 伊藤先生にお伺いしたいんですけれども、伊藤先生のお話をお伺いしたときに、国民の民主主義や立憲主義への理解が不十分だから国民投票の範囲を広げることには慎重であるべきだというふうな意見のようにお伺いしたんですけれども、これは代議制民主主義を前提としている憲法論として考えた場合、許容されるのかどうなのかということに関してはいかがでしょうか。
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伊藤真#15
○参考人(伊藤真君) 現在の憲法は、やはりどう考えても代議制民主主義、代表民主制を原則としております。それは直接国民が国民投票などに参加する能力や時間がないからという消極的な理由ではなく、むしろこの代議制民主主義の方が十分な議論が尽くせて、そこで少数者への配慮なども十分なされる、そして統一的な国家の意思を形成するにはそれがふさわしいという積極的な理由から、この間接民主制、代議制民主主義が憲法では採用されていると考えています。
 その例外を言わば三つだけ国政レベルでは規定しているんですが、それを安易に広げていくことは憲法上、私は難しいというふうに考えています。ですから、ここで民主主義リテラシーが成熟したものになればと書いておきましたが、これもあくまでも諮問的なものがその限りにおいてという趣旨であります。
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山下雄平#16
○山下雄平君 小林先生には、この点ではないことをちょっと時間的に少なくなってきたのでお伺いしたいなと思っておるんですけれども。
 今回の国民投票法が改正されたら、憲法改正に対する手続がいよいよ整備されるというわけですけれども、先ほどの先生の意見陳述の中にもありましたけれども、なかなか争点、いろんな政策的な争点がなかなか投票参加に結び付かないという話がありました。
 先生から事前にいただいております参考資料の中に、読ませていただきましたけれども、その論文によると、共分散構造分析では、有権者の争点態度というのは、ごく一部の例外を除いて投票参加への経路を形成しておりませんでした。つまり、争点態度というものが投票に行くかどうかということにはほとんど関係ないという分析だと思います。数量化理論Ⅱ類の方でも、憲法改正を始めとした争点態度の影響というのは余り高くなかったように思いました。
 憲法改正に限ったことではないですけれども、争点態度というのは投票する方向、誰に投票するかということに関しては一定程度の影響はあるのかもしれないという分析でしたけれども、投票に行くか行かないかと、そういうことに関しては影響はほとんどないと、そういう分析だったと思うんですけれども、憲法改正を実際発議した場合に、国民のほとんどの人がそのことに関して関心がなかったということになっては非常にまずいと思うんですけれども、憲法改正の国民投票を発議するに当たって、争点態度と投票参加を結び付けていくためにはどういうふうにしていけばいいのか。
 先ほど投票年齢を下げていくという話もありましたけれども、どういったことが考えられるのか、また、憲法のどういったテーマであれば有権者の投票行動に影響するというふうに分析されているんでしょうか、お聞かせください。
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小林良彰#17
○参考人(小林良彰君) そもそも憲法改正に関する国民投票をやるのであれば、国民の側に、そのことについての十分な国民の側の要請というのがまずあるということが前提になっていると思います。それを議員の方々が受けて熟議した結果、両院で発議をして国民投票にかかるということですから、そもそも国民が全く関心がないのに国民投票がかかるということはまず想定し得ないわけですが、ただ、非常に貴重な御質問ありがとうございます。
 やはり重要なことは、どれだけ国民の間での熟議を進行させられ得るかということになります。そうなりますと、一つにはやはり期間ということが重要になります。現行の公職選挙法におけるいわゆる公示期間、周知期間ということではなくて、やはりある程度の期間ですね。それが例えば六か月なのかどうかは別にして、そういうものが必要になると思います。
 それから、やはりメディアというものがかなり重要な役割を果たすと思います。既に昨年の参議院選挙からインターネット選挙は解禁をされておりますが、参議院の附則の方には付いておりますが、在外邦人に対する投票機会の確保をどうするかということも含めて、そこに対しては当然日本と同じ環境ではないわけですから、そういったインターネットを通じた世論の国民投票に関する議論の巻き起こり、ただ、それが一方的に賛成か反対かというのではなくて、熟議でお互いにどこまで議論で歩み寄れるのかということも含めて、そういった活動、運動が必要で、したがって、私がその二番目の論点について、余り厳しく制限をしてしまうとそれがやはりできないのではないかということになります。
 ただ、もちろんその二番目の関係でいえば、制限すべきものは当然出てくると思うんですが、そういう意味で、私はまず第一に、そもそも国民の間でそのことを国民投票にかけることについてのある程度の世論形成がまずあるということが恐らく前提になると思います。その上で、投票期間の一定の確保、それから在外邦人も含めた議論への参加の機会の確保、そういうものが恐らく必要になるというふうに思います。
 ただ、御指摘のとおり、なかなか今まで国民がそういう機会がなかったので、一挙に有効性感覚が高まるかということはなかなか難しい点もありますが、しかし、それを経ることで少しずつ上がっていくということが従来のデータからは出てくる、それがいわゆるエンパワーメント効果として期待をできるというふうに思っております。
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山下雄平#18
○山下雄平君 以上、終わります。ありがとうございます。
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藤末健三#19
○藤末健三君 民主党の藤末健三でございます。
 本日は、四人の参考人の先生方には本当にお話をいただきましてありがとうございました。
 私は、皆様に御説明いただきましたこの附則にあります三つの検討課題以外に、二つについて御質問を申し上げたいと思います。
 一つは、我々が今この憲法審査会におきまして国民投票法、日本国憲法の改正手続に関する法律の改正を議論しているわけでございますが、そのような状況の中におきまして、政府による憲法解釈の変更ということが議論されていると、この点について一つ。そしてもう一つございますのは、今日御説明いただきませんでした最低投票率についてどう考えるかということの二つでございます。
 まず、一つ目の政府による憲法解釈の変更でございますが、政府が今、憲法の解釈変更による集団的自衛権の行使容認に向けた検討を進めているわけでございますが、一方、我々はこの日本国憲法の改正をするためには、第九十六条に定められましたように、最終的に国民が判断をするという国民投票が必要条件とされていますので、その法的な整備を行っているわけでございます。
 特に私が思いますのは、憲法の基本原則たる平和主義というものの在り方につきまして、政府自身が長い間解釈でつくってきたもの、そして、かつ、その解釈は国民や国際社会に受け入れたもの、このような憲法の基本原則に対して政府が解釈変更により集団的自衛権の行使を容認しようとすることにつきましては、我々国民の意思確認を軽視する非民主的な政治プロセスじゃないかということ、そして特に大事なことは、近代国家の大原則である立憲主義を否定するものではないかというふうに考えております。
 そこで、私がお聞きしたいのは、まず、真の立憲主義の実現を目指すとおっしゃっておられます伊藤真参考人にこの点をお聞きしたいということと、もう一人ございますのは、「立憲主義の復権と憲法理論」という著作を二年前にお書きになられました愛敬参考人にこの点につきまして御意見をいただきたいと思います。お願いいたします。
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伊藤真#20
○参考人(伊藤真君) お答えします。
 今御指摘の、一点目の解釈の変更というところについてお答え申し上げればよろしいですね。
 政府も憲法の解釈の権限はあると考えています。やはり、憲法は非常にある意味では幅が広い法でありますから、それを具体的に執行する場面のところで、その憲法の枠の中でその解釈によって憲法の規定をより具体的なものにしていく、また、これまで不明確だったところを明確にしていく、また当てはめなどを適宜具体化していく、そういう形での解釈というものは、また従来の解釈をより深める、進めるという意味の解釈の変更ということは、それはあり得ることだと考えています。
 ですから、例えば文民の規定の意味、当てはめを考えていく。それから、この国は独立国家として自衛権を持っているけれども、その自衛権というもの、それが、例えば自衛権に基づく戦争、それもしませんと。ですが、その自衛権というものが具体的にどういうものなのか、その中身をより明確にし深めていく、そういう形で一見変更に見えるようなことは行われていく、それは当然のことだろうと思っています。
 ですが、憲法の枠を飛び出して、元々憲法が想定しているその枠を飛び出して変更をするということは当然許されることではありませんし、そしてまた、これまで蓄積されてきた憲法の解釈、それに基づいてこの国が運営されてきたというある意味で安定したその憲法の解釈というものを大きく変えてしまう、百八十度その意味を変えてしまうということは一内閣の決定でできることではないと考えています。元々憲法は国家権力を拘束するものですから、拘束される側の言わば恣意的な判断によってそれを緩める方向で変更を認めてしまうということはあってはならない、これは立憲主義に反すると考えます。
 もう一点、やはり、今回、特に平和主義に関わる、この国の根本原理、規範に関わる部分のところでございますから、そして、それはイコール国民の言わば人権、国民の生活に直結する極めて重要な部分であります。時に国民自身の生死に関わるような極めて重大な問題ということは、その当事者である国民が参加して、今まで議論がなされたように、十分国民のレベルでの熟議が尽くされること、これは国民主権という観点からも不可欠のことではないかと思っています。
 それが、国民が参加して十分な熟議がなされないまま政府の解釈によってこれまでの方向が全く逆になってしまい、この国の形が変わってしまうような変更は、立憲主義の観点から及び国民主権という観点から、これは許されることではないと考えています。
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愛敬浩二#21
○参考人(愛敬浩二君) ありがとうございます。
 まず第一点に関してなのですが、立憲主義の考え方によると、憲法解釈の方法というのは、統治機構と人権規定では異なるのではないかと考えています。要するに、統治機構に関しましてはなるべく拡大解釈は行わない、人権規定に関しては広く拡大解釈をしていくというのは、権力を制約して各人の人権を保障するという立憲主義の考え方からすれば素直に出てくる考え方だと思うんですね。
 とりわけ、統治機構の中でも立憲主義が歴史的に見て統制の対象と考えてきたのは行政権、とりわけ警察力とか軍事力だったと私は理解しています。そうすると、集団的自衛権行使の解禁というものが重大な政策転換であるとするならば、やはりそれを解釈で行うというのは立憲主義の観点から非常に問題なのだろうと思うわけです。このような重大な変更を加えるために憲法改正の規定があるわけですので、憲法改正の手続を行えば国民の意見を聞く機会もあるわけですから、やはりそういう手法を取るべきであったのではないかと思っています。
 あと、二点目の最低投票率の件ですが、最低投票率に関して、よくパラドックスだパラドックスだとおっしゃる意見を聞くのですが、その場合、見ると、五〇%の最低投票率とかかなり高めのものを設定して、それで四九%が賛成しても憲法改正は実現しないではないかとおっしゃるのですが、これは最低投票率をどの辺に設定するかということを十分考えた上で、例えば三〇%ぐらいとか、設定する意味は大きいんだと思います。
 先ほど小林先生からお話がありましたけれども、国民が十分な関心を持っていない問題に関して憲法改正が発議されてしまって、国民が十分関心を持たないまま低い投票率で改正が実現してしまうというのは、その後、立法府をも拘束する規定に憲法はなるわけですから、やはりその点に関しましては慎重に検討すべきではないかと私は考えております。
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藤末健三#22
○藤末健三君 どうもありがとうございました。
 それで、先ほど申し上げました最低投票率についての御意見を伺いたいと思っておりまして、それはイギリスの国民投票法などを研究されておられます、外国の国民投票法を研究されている大西参考人と、あと、また選挙制度を研究なされています小林参考人にお聞きしたいんですけれども、私自身、この最低投票率の議論、実際にこの国民投票法が議論されるときに、最低投票率を入れるべきではないかと、何らかの概念でということを主張させていただいておりまして、私はやはり今でもその思いは変わりません。
 実際に海外の事例を見ますと、例えば、全体の投票者、有権者のうち三割程度の賛成で憲法が改正された事例はございます、実際に。それがよしか悪いかということは議論はなかなか難しいところはございますが、我が国においてこの憲法を変えるという非常に大きな課題を迎えたときに、やはりある程度の有権者が支持をしたという事実がなければ、大きな議論があるような憲法の改正というのは難しいんじゃないかと考えておりますけれども、その点につきまして、大西参考人、また小林参考人、御意見をいただければと思います。お願いします。
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大西斎#23
○参考人(大西斎君) 私は、最低投票率については個人的見解としては付ける必要はないんじゃないかというふうに思っております。仮に三〇%の投票しかなかっても、当然そのときに投票する機会というのは国民皆に与えられているわけでございまして、それで、その三〇%を投票した人の意向が仮に多数だった場合に、そういった人たちの意向が結局無視されてしまう、そういう結果になりかねないというふうに思いますので、個人的には付ける必要はないというふうに思っております。
 以上です。
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小林良彰#24
○参考人(小林良彰君) 一つの事例で申し上げますと、デンマークの場合は投票者の過半数かつ全有権者の四〇%以上の賛成を必要とすると。これは投票率が何%ということではなくて、国民の投票の結果の相対的な得票率、いわゆる賛成率だけではなくて絶対的な得票率を求めるということになりますが、私はこれはややハードルが高いのかなという気がいたします。
 いろいろな国の、国民投票ということではなくて、一般の選挙制度でも絶対的なものを求めるところもありますが、例えば、一つの考えとしては、有効投票の二分の一以上、加えて有権者数の四分の一以上と。これに達しない場合は、なしというのではなくて、一定期間を置いて再投票すると、一回目は。二回目はもう相対的な賛成率だけでやると。つまり、相対的賛成率二分の一以上なんだけれども絶対的なのが四分の一を超えないということは、これは相当に投票率が低いということですね。ですから、三割の賛成で、だけど残りの七割が反対というわけではないということは、まだ国民の間での議論が十分ではないとしたら、例えば二か月後にもう一回やるとか、そういうふうな、もう一回国民に機会を与えるという考えもあるのではないかというふうに思います。
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藤末健三#25
○藤末健三君 どうもありがとうございました。これで質問を終わらさせていただきます。
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石川博崇#26
○石川博崇君 公明党の石川博崇でございます。
 本日は、四人の先生方、大変傾聴に値する御意見をお述べいただきまして、心より感謝申し上げたいと思います。
 私から、まず、伊藤参考人と小林参考人に対しまして、選挙権年齢の十八歳への引下げに関して、教育現場で子供たちに対する憲法意識、憲法への理解というものをどのように深めていくかという観点をお聞きしたいと思います。
 伊藤参考人もレジュメの中で、中学生から憲法教育をしっかり行うと、日本の小中学校では法教育が弱いということをお述べになっておられます。また、小林参考人も高校生の社会意識を高めることをお述べになっておられますけれども、現段階で公教育におきまして憲法に関する教育というものが全くないわけではない、こういう中でその理解が残念ながら進んでいないという御指摘かと思いますが、そういった教育現場において具体的にどういう点が欠けているのか。
 それは、教員の例えば養成課程において、更なる教員の憲法に関する理解と、それから教育に対する姿勢というものを向上させていく必要があるのか、それは教員の養成課程のみならず研修という観点もあるのかもしれませんが。どういったときに、その教育を行う教員の面から必要なのかという点と、それから、憲法といっても様々な論点がございますが、憲法の掲げている内容の中でどういう点を特に教育の現場で重視していく必要があるか。特にこれから、今の十四歳の人は早ければ十八歳の段階で憲法改正に臨むかもしれないという、実際に直面している中でどのようなことが必要かということを、伊藤参考人それから小林参考人からお聞きできればと思います。よろしくお願いいたします。
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伊藤真#27
○参考人(伊藤真君) それでは、お答えします。
 その教育の現場で幾つかあるかと思うんですが、まず前提として、教育現場で憲法を議論するということがそもそもタブー視されない、自由闊達な議論ができるというその場の雰囲気、これをつくることも大切だと考えています。
 昨今、学校の中で憲法を論じたり、人権や平和というものをテーマにした講演ですとかまたディスカッションなどをしようとすると、いかにも政治的だというようなことで、また偏向という名の下で憲法自体を話題にすることがちゅうちょされてしまうような雰囲気が少なからずあるように思います。まず、そういった雰囲気を払拭すること。憲法を議論することは明日の主権者を育成するという意味で教育の根本に関わる極めて重要なことなんだ、そしてそれは、当たり前ですが、政治的ではあるかもしれませんけれども、偏った内容を押し付けるということでないのならば、自由闊達に教育の現場でもやはり議論がなされるべきなんだという、まずその雰囲気づくりが大切かというふうに思っています。
 その上で、やはり教員の養成の中で、先生方がこの憲法についての理解を深めるということは極めて重要な大前提になると思っていますので、そこは教員の皆さんたちに対する憲法教育、立憲主義教育、特にその内容という点、これは教育の現場における内容という三つ目の点にも関わるのですが、私は、教育内容としては、まずは立憲主義、憲法とは何のために存在する法なのか、そして今の私たちの憲法がどういう価値を大切にしているのか。私は個人の尊重と考えていますが、一人一人の個を個人として、かけがえのない個人として尊重するというその根本の考え方の意味というものを、それをしっかりと教育の現場で伝えていく。改憲、護憲という前に知っておかなければいけない大前提としてのその知識や理解というものがあろうかと思います。
 その際に、単に知識として単語を覚えるというのではなく、なぜそうなのか、なぜそれが大切なのか、またどういう関係にあるのかというようなことを子供たちと一緒に考えてみる、ディスカッションしてみる。また、例えばクラスの憲法を作ってみようよとか、学校の憲法を作ってみようとか、何かそうやって子供たちが参加していって、自分のこととしてこの憲法や人権や法というものを体験できるような、そういう体験学習のようなものも含めてやはり進めていく必要があるのではないかというふうに考えています。
 以上です。
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小林良彰#28
○参考人(小林良彰君) 私は高校の政治・経済の教科書というのを作成したことがございますけれども、やはり内容としては余りにも知識偏重。アメリカの選挙制度はこれです、ドイツはこれです、イギリスはこうです、ああです。これ疑えないんですね。そのとおりでしかないので、ああそうですかといって、ただそれを覚え込むしかない。期末試験もそれが出るし、入試もそれが出るという形になります。
 そうすると、何も自分で物を考えないでいくわけですね。それではやはり政治とか、あるいはもっと消費者問題も含めた経済とか、社会に対して自分で興味を持ったり考えたりしていくということができないと思います。やはり必要なのは、どうやって憲法のリテラシーを高めていくのか、これはやはり教員養成課程も少し検討した方が私はいいと思います。
 社会科のところで、法学か政治学かどちらかという選択ではなくて、私はどちらもやはり取る必要があるんだろうと思います。同じようなことは、例えばセンター試験でも、その科目選択において、例えば地歴公民全体の中からもし選ぶという形になりますと、はっきり言えば全くやらなくても済んでしまうわけですね。授業としてはやるけれども受験としては全くやらなくて済むというと、どうしても生徒さんの力の入れ方も違ってくるということになってくると思います。ですから、先ほどの意見陳述と少し重なって恐縮なんですが、自分で疑問に思うような、やはり討論でやっていくというような授業を私は入れる必要があるというふうに思います。
 やはり決定的なのは、諸外国はもっと子供のときから選挙の重要性というのを教えています。例えばアメリカの小学校であれば、今日のランチを選挙で決めましょうと、アイスクリームとポテトチップとどっちがいいですかと。みんながアイスクリームに投票したとする。でも出てくるのはガーリックのアイスクリーム、それとてもまずいわけですね。先生は一言言うんですね。何でよく調べて投票しなかったんですかということを通じて教えるわけですね。そんなことは日本は、小学校はおろか高校だってやらないわけですよね。
 ですから、私はやっぱりシチズンシップ教育が本当に日本は立ち遅れていると思います。これは恐らく戦前の問題に対する反動ということなんでしょうが、特定の政党に入れなさい、特定の何かを支持しなさいという、そういう教育ではもちろん良くないのは言うまでもないんですが、選挙に行きなさい、あるいは、政治で決めることは皆さんの身にも降りかかってくることです、当たり前のことを何で教えていないのかということですよね。
 結果的には、それで育った子供たちが選挙で三分の一しか投票に行かないということは当然出てくる結果なんです。そのこと自身が私は、やはり政治に対する正当性というものが薄れていくことになると。私は、これは今は確かに憲法改正の問題ですけれども、それを機会に、伊藤先生もおっしゃられているとおり、やっぱり法律のリテラシー、もっと政治学のリテラシーということを私は教えるべきだと思います。
 特に、政経の教科書を作った経緯でいえば、憲法についていえば、余りにも統治の方ばっかりなんですね。人権が物すごく薄いんですね、単元としては。私は、人権についてももう少しきちんと教えていくということが、やっぱり学校におけるいじめとかいろんなものの解決にも私はつながっていくというふうに考えております。
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石川博崇#29
○石川博崇君 大変ありがとうございます。
 もう一点、これは四人の先生方全員にお伺いをしたいんですけれども、この国民投票法改正案が成立いたしますれば、国民全体の問題として憲法改正というものが手続的に整うということで、国民全体の憲法理解をいかに進めていくかということが非常に重要でございます。最近は、この憲法改正あるいは憲法そのものについての著作なども本屋で随分と書棚に上るようになってきてはおりますけれども、先生方の中には、幾つかの著作の中で、憲法に対する国民の理解についてまだまだ十分ではないのではないかというようなことをおっしゃられておられます。
 この国民の憲法理解、国民の憲法に対する理解をどのように向上させていくのかという観点で、例えば憲法の趣旨をより分かりやすくするような改正ということも一つは案としてあり得るのではないかというふうにも考えられます。例えば、憲法九条、戦争の放棄は強調されておりますけれども、自衛権というものが明記されていない、ここの分かりやすさというものがなかなかないこと、あるいは国会に関する規定の中で、間接民主制がなぜ国政の原則とされたのか、二院制を採用した理由というのが明記されていないわけでございます。
 国民誰しもが、なかなか憲法に対する、日頃から基本書を所有して十分に勉強しているというわけではない中で、どうやってこの国民理解を進めていくかについて先生方の御所見を教えていただければというふうに思います。
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