豊田俊郎の発言 (東日本大震災復興特別委員会)

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○豊田俊郎君 ただいま委員長より御指名をいただきました自由民主党の豊田俊郎でございます。
 早いもので参議院初登院以来八か月が経過をいたしましたけれども、初めての質問の機会を与えていただきました。同僚の議員の皆さんには改めて感謝を申し上げたいというふうに思います。
 また、今日は、六十五分間、自由民主党に配分された質問時間でございますけれども、私が先発ということで、この後リリーフで何といっても堀内元巨人軍選手が登場いたしますので、先発、リリーフ、しっかり役目を果たしてまいりたいと考えておりますので、どうぞよろしくお願いを申し上げます。
 先週でございましたけれども、先週はお彼岸でございました。実は、私の義理の兄弟でございますけれども、石巻に住んでおりまして、今回の震災によりまして、住まいが石巻の蛇田という地区に住まいがございましたけれども、勤め先が石巻港の近くにございました飼料会社でございまして、避難をしている途中で津波にさらわれ、帰らぬ人となりました。お彼岸でございましたので、兄弟含めてお墓参りに行ってまいりました。大変つらい思いをいたしましたけれども、今は、残された家族、しっかりと地域で根を張って生活をしておりますので少しは安心して帰ってきましたけれども、今回、こういう機会もございましたので、被災地を何か所か視察をしてまいりました。
 特に、今回は女川の状況について視察をしてまいりました。訪れた場所は町民第二多目的運動場、ここは女川町の野球場でございますけれども、御案内のとおり、ここには仮設住宅が建っております。また、女川町の地域医療センターでございますけれども、御案内のとおり、ここも高台にあるわけでございますけれども、この医療センターの玄関の脇の柱に刻まれた津波の記録を見て、また新たに津波の悲惨さ、恐ろしさ、こういうものを目の当たりにしたわけでございます。
 その後でございましたけれども、実は大川小学校にも訪れました。と申しますのは、私は国会議員になる前は千葉県の八千代市の市長を務めておりまして、震災後でございました、たしか三か月ほど経過した時期だったというふうに思いますけれども、職員の希望者とともに、この大川小学校の対岸でございますけれども、この地域、住所は、北上川沿いでございますけれども、ここの北上町橋浦地区という地区がございますけれども、ここにボランティアとして参加をさせていただいたわけでございます。
 私どもに課せられたボランティアの仕事は、北上川の堤防が破壊し各地域に流れた塩水を含んだ土、泥を採取をするという、こんなボランティアでございました。辺り一帯がこの土に覆われておりまして、もちろん船やら車やら、まさに想像を絶する情景の中でボランティア活動をさせていただいたわけでございますけれども、この地域でございますけれども、今回本当に三年ぶりに訪れました。土を掃いた畑には白菜それからネギ等が植えられておりましたし、また、同じく土を掃いた牛舎でございましたけれども、そのときはもちろん牛が一頭もおりませんでした。しかし、今回訪れて、牛もしっかり飼育をされておりまして、ある意味では安堵をしたこともございました。
 ただ、一つ、地域がもう、こう離れますと、ここはまだまだもう本当に悲惨なところが多うございました。特に、防災集団移転地域は、本当に目に余る惨状、そのまま残っておったわけでございます。そのほか、今回は仙台空港の海岸線の堤防のかさ上げ事業等も見させていただきましたけれども、本当にまだまだ復興には程遠いというような感がいたしました。
 そこで、今日は防災大臣にお聞きをしたいというふうに思います。現在の状況を含め、この復興の進捗状況、富士山登山に例えれば何合目ぐらいに差しかかっているとお感じか、お答えをいただきたいというふうに思います。

発言情報

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発言者: 豊田俊郎

speaker_id: 5785

日付: 2014-03-26

院: 参議院

会議名: 東日本大震災復興特別委員会