松田学の発言 (内閣委員会)
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○松田委員 私は、憲法九条がそもそもノーベル平和賞の対象になるとすれば、これは日本が侵略戦争をしないようにした条文ですから、それがないと日本は侵略戦争をする国民なんだということを言っているような、論理的に言うと。これは、今、菅長官がお答えになったように、日本が戦後追求してきた、日本民族が平和を愛する民族であり、世界の平和に貢献してきた民族であるということの前提が、違う前提を置いた議論になってしまうんじゃないか。
逆に私は、九条がその受賞の対象になるというのは、もし受賞されるのであれば、日本が、九条がなければ戦争するような民族なんだ、危険な民族なんだと言っているに等しいような気がしまして、どうもおかしいな、この議論はと。こういうことを提起した方も、なぜそんな論理的におかしな、自分の国を卑下するような提起をしたのか、私は非常に理解に苦しむところがございます。
むしろ、表彰されるとすれば、憲法前文がすばらしいことをうたっているわけですね。自国のことのみ専念して他国を無視してはならない、あるいは、平和の維持で努力している国際社会で日本も名誉ある地位を占めたいという理想もうたっているわけでありまして、私は、安倍総理が積極的平和主義ということをおっしゃっているのは、多分この前文の精神に即しているんじゃないかなという気がしているんです。
憲法九条は、自分が加害者とならないための禁欲的自己規制、これは消極的平和主義ですけれども、憲法前文は、世界平和の貢献者となるための利他的自己犠牲、これが積極的平和主義だと。私は、この前文の精神に従って日本が積極的に平和貢献をすれば、いずれそれがノーベル平和賞の対象になるということは、菅長官が今御答弁されたような趣旨じゃないかというふうに整理すべきだと思っております。
最近の集団的自衛権、集団安全保障をめぐる議論というのは、そもそも、一九九〇年、湾岸戦争のときに、日本があれだけお金を出しても、金だけ出して人を出さないといってクウェートから感謝されなかったというところが私は非常に大きなトラウマになっているんじゃないかな、出発点はどうもあの辺にあるんじゃないかなという気がしております。その流れの中で、安倍総理が、積極的平和主義ということが、私は何となく、ああいう戦争に参加することはこの新三要件でもあり得ないということは、菅長官、この間お答えになった。ただしかし、本当は、そういうこともそろそろ日本も考えなきゃいけないんじゃないかという問題提起が積極的平和主義というところの中に含まれているような気もしないでもないんです。
そもそも、平和主義というのは、手段としての平和、つまり、平和を実現するために非暴力的手段によって平和を実現するというのと、目標としての平和というのは、これは、手段は場合によっては武力行使をすることがあっても、平和を実現する目標の方を大事にしているんだという考え方で、どうも国連というのは目標としての平和の方の立場に立っている。
安倍総理も、昨年九月の国連総会で、積極的平和主義の立場から、国連の集団的安全保障措置により、より積極的に参加できるよう図ってまいるということだから、国連の考え方に協力していくという流れから見ると、どうも本音は、将来的には、この間否定をされた、イラク戦争や湾岸戦争に参加するようなことはないということは、今の憲法ではそうだと。しかし、これは、未来永劫そうだということをおっしゃっているのか、あるいは、場合によっては、こういった意味での積極的平和主義を可能とするような憲法改正のアジェンダの中に、こういうことも考えるということは想定されているのかについて、伺いたいと思います。