牧山ひろえの発言 (憲法審査会)
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○牧山ひろえ君 民主党の牧山ひろえです。
七月一日に行われました閣議決定に触れられた先生方が何人も今日はいらっしゃいました。それに関連して申し上げますと、以前、政府・与党におきまして憲法九十六条の改正論が議論の俎上に上がったことがあります。
日本国憲法は、通常の法律よりも厳格な改正手続を備えた硬性憲法の立場を取っています。この九十六条改正論に立たれる方は、これでは改正の要件が厳し過ぎ、時代の変化に沿った改正ができない、そのために戦後七十年近くたっても一度も改正が行われていないと主張される傾向があるようです。
確かに、改正は低いハードルとは言えません。しかし、諸外国の事例におきましても、日本と同様に加重された改正手続を課している国は複数ございます。それでも、それらの国は憲法改正は行われているわけです。
つまり、日本において戦後一回も憲法改正が行われなかったのは、最終的にはそれが国民の意思だったからだと判断すべきだと思います。そして、憲法九十六条がこのように改正に厳格な要件を課している以上、憲法の解釈の変更は極めて厳格に、抑制的に行われなければならないというのが憲法の立法趣旨のはずです。そうでなくては、全ての憲法条項の改正に国民の過半数の賛成を要件とした趣旨、つまり国民主権、民主主義の原則が失われてしまう、名ばかりになってしまうと思うんです。
閣議決定が行われた集団的自衛権の行使容認に関しましては、平和原則に関わる条項で、憲法規定の中でも重要性が高く、解釈の変更で方針を変更するのは日本国憲法が硬性憲法を取った立法趣旨からも問題があると思います。このような国の根幹に関わる方針の変更は、もし必要であるならば王道、すなわち憲法改正によって行われなければならないと思います。九十六条の改正につきまして反対論が強いことから憲法解釈の変更でというのでは、国民と議論を回避しているのではと思われても仕方がないと思います。
これは日本国内だけの問題ではなく、このような重要な変更を憲法解釈の変更で済ませるのは、国際的にもマイナスの影響があると思います。憲法という国の根本法規に書いてあることと運用が懸け離れていく、日本は原理原則を大事にしない国という見方がなされ、長期的に日本の信頼が失われるのではないかと心配しております。
私たちは、憲法という国の根本法規の重みを改めて真摯に受け止めなければならないと思います。
以上です。