玉木雄一郎の発言 (安全保障委員会)
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○玉木委員 おはようございます。民主党の玉木雄一郎です。
本日は、沖縄に米軍が上陸してから七十周年、七十年目という節目の日であります。我が国の平和と繁栄を願ってそのとうとい命をささげられた、民間人も含む全ての先人たちに心からの哀悼の誠をささげながらきょうは質問したいと思っております。
まず最初にお伺いするのは、先般、中谷大臣とも御一緒させていただきましたけれども、私、去年に引き続き、硫黄島に、日米合同の慰霊祭に参加をさせていただきました。ことしは、中谷大臣そして塩崎大臣、岸田大臣は来られませんでしたけれども中山副大臣と、二人の閣僚が参列をされて、その意味では節目の大変すばらしい式典だったと私は思っております。
わずか一カ月の戦闘の間に、我が方で二万一千人以上そして米軍でも七千人弱の、多くの命が失われた、人類史上、戦史史上の中でも最も苛烈な戦いが行われた場所が硫黄島だと改めて感じました。
その上で、遺骨の収集といったものをこれからもしっかりと進めていかなければならない。二万人以上の我が方の兵士が亡くなったわけでありますけれども、まだ半分弱の、半分にも満たない遺骨の御帰還しか今実現していないという状況であります。半分以上がまだあの孤島、本土から千二百キロ以上離れた島に残されたままになっておりますので、これは与野党挙げて、遺骨の収集そして御帰還を進めていく活動をしっかりとやっていかなければならないと思っております。
その上で、もう一つ、ことし戦後七十年ということで、そういった英霊の皆さんに報いる、あるいはその魂をお慰めするという観点からも一つ、私、提案と質問がございます。
お手元にお配りしている資料一をごらんいただきたいと思いますけれども、ことしは、国会議員の我々で行ったときに摺鉢山には登りませんでしたけれども、実は、昨年訪れたときに少し感じたことがありまして、それは、ここの摺鉢山の、有名な、硫黄島の星条旗を掲げるこの写真、あるいは像が有名でありますけれども、この左の下に英語で書いておりますけれども、一九四五年の二月二十三日、熾烈な戦いの中で米軍が、要は勝利をおさめた、ここに星条旗を立てたと。これは何度も、実は一回立てたんだけれども、さらに、また日本軍が取り返して立て直したりという、それこそ激しい戦闘が行われた場所であります。こうして、いわば米軍の勝利の碑が今なおここに残されているわけであります。
占領下であればひとつこれは理解できるんですけれども、我が国は今独立国として、独立国の領土の中に、今は日米同盟があって大変友好な関係を築いておりますけれども、米軍のこの勝利の碑が今もなおあり続けるということについては、私は個人的に、これは違和感を禁じ得ません。
ただ、今回、式に参列してみて感じたことは、我が方の戦った兵士もそうでありますけれども、米軍もそれは勇猛果敢に戦ったという中で、我々は彼らに対する心からの敬意ということもやはり忘れてはならないというふうに思います。
そういったものを、さまざまな恩讐を乗り越えて、現在合同で慰霊の式典が行われているということも踏まえて、ちょうど戦後七十年という節目であります。米軍が勝利をおさめた、こういう碑でありますけれども、日米のより深い友好関係と、まさに将来に向けたさらなる恒久的な平和と友好を確かなものにするためにも、こうした勝利の碑については、移設をするか、あるいは少し配慮したような展示のあり方、そういったことをアメリカ側に申し入れてはどうかなと思いますけれども、外務大臣、これはいかがでしょうか。