下地幹郎の発言 (安全保障委員会)
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○下地委員 きょうは、また、この委員会の中でもキャラウェーという人がどういう人なのかというのがわからない方もいらっしゃると思うんですけれども、沖縄では、私どものように戦争を知らない世代でも、キャラウェーという言葉を言うと、何か親分みたいな、そういうふうなイメージを持っているんですけれども、このキャラウェーという高等弁務官は、強権発動政策を多くやった高等弁務官ということなんです。先ほど大臣がお話があったように、沖縄の自治は神話にすぎないということを公言して、米国民政府の法令である布令をたびたび発動して琉球政府の権限を制約してきた高等弁務官、人物がキャラウェーなんです。
そのため、その当時においても、親米路線をとっていた与党沖縄自由民主党が、党内抗争が激化して、キャラウェーさんに対する反発が強くなって、親米だと言われている方でさえも、このキャラウェー発言を聞いて激怒して、党内抗争が始まって、当時の西銘順治那覇市長ら党内の反主流派は、脱党して、民政クラブ、当時の沖縄自由民主党を結成して、沖縄自民党は分裂するに至ったというような、政治の分岐点みたいなものをつくったのもキャラウェーなんです。
また、キャラウェー高等弁務官は、沖縄における日本政府の影響力を排除するために、積極的にアメリカ資本の導入を行って、復帰運動への規制を強めていく。沖縄の方が復帰をしたいというようなことについても、アメリカの資本を入れることで、そこで働く人たちがふえて、復帰運動ではなくて、アメリカの施政権下のままがいいよというようなことを強く指導してきた人でもあるんですね。
そして、キャラウェー旋風というのが激しく吹き荒れたのは特に金融界で、普通銀行や相互銀行の検査を強制的に行って、不正を摘発して、沖縄の各銀行の首脳全員を退任に追い込むというようなことをやったわけです。
続いて、沖縄であの当時一番大きかった琉球銀行の株主総会にキャラウェー本人が筆頭株主として参加して、当時は米国民政府が五一%の株を所有していましたから、その上で、経営陣の責任を追及して、経営陣を総辞職させるというようなこともキャラウェーはやった。これは、今までの高等弁務官では考えられないようなことをやったわけなんです。
また、農林漁業の中央金庫や琉球農業協同組合の連合会など、協同組合組織金融機関や保険会社にも検査を行って、容赦ない摘発をして、退陣に追い込むというようなことをやりました。
そして、キャラウェーの政策は、住民の自治権を軽視する独裁的な政策だったんですよ。最後は、沖縄の住民の反発がキャラウェーに対して増大することになって、日本復帰を望んでいた住民はもとより、親米で、復帰にもそんなにまで積極的じゃなかった人たちに対しても、キャラウェーのやり方を見ていたらこれはもうだめだというようなことになって、キャラウェーに反発をして結局は反米主義に走ってしまって、キャラウェーの目算は全く壊れてしまって、逆の復帰運動が強くなって、復帰が成立した。
こういう歴史的な背景があるのがキャラウェーなんですよね。どうでしょうか、このキャラウェー。