細谷雄一の発言 (安全保障委員会)
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○細谷参考人 慶應大学の細谷と申します。
私は、大学ではヨーロッパの外交史を教えておりますが、同時に、イギリスの外交、安全保障政策、また日本の外交、安全保障政策を専門として研究していることからも、きょうこの問題につきまして、非常に重要な問題だと思いますが、私の立場から考えを申し上げさせていただきたいと思います。
まず冒頭に、私から申し上げたい第一点目でございますが、私は歴史家でございますので、歴史的な観点から見て、言うまでもなく、日本は、戦前に軍部が政治に介入し、そして、十分なシビリアンコントロールというものがなく、それによって大変な戦争の被害というものをもたらしたわけでございます。したがって、日本の安全保障政策、防衛政策というものが、戦前の反省の上に立って、きちんとしたシビリアンコントロールに基づき、また、平和国家としての理念というものを非常に大切にこれからも保持し続ける、このことは、恐らく多くの方々、国民が共有していらっしゃる意識であろう、認識であろうというふうに考えております。
また同時に、平和国家として日本が防衛政策、安全保障政策を考える上で、国民の生命、国民の安全というものを何よりも第一に重視していくことも、これもまた非常に重要なことであろうと思います。
冒頭、この二点、私の基本的な認識を申し上げまして、十五分程度のお時間をいただいて私のお話をさせていただければと思います。
今回の防衛省設置法等の一部を改正する法律案でございますが、そもそもこの問題を考える上で最も大きな争点となっている問題の一つが、新聞報道等でも多く報じられておりますように、シビリアンコントロールというものがこれによってどう変わっていくのか、これによって日本の従来のシビリアンコントロールというものにどういう影響を及ぼすのかということでございます。
しかしながら、さまざまな報道を見ています上では、このシビリアンコントロールというもの、これは言うまでもなく文民統制というふうに訳されているわけですが、これが、いわゆる文官統制、これは研究者の世界では広く用いられている用語であり、また認識されている言葉でございますが、このシビリアンコントロールという、いわゆる文民統制と、一方で文官統制というものが多くの場合に混乱され、これは大きく異なる、直接関係のない概念です。
さらには、もう一つ重要な民主的統制、これは英語ではデモクラティックコントロールですが、この三つの概念というものが十分に整理されずに、また、一体何が重要で、それぞれがどういう関連性を持つかということが十分に認識されずに報道がされ、また議論がされている。
そもそも日本にとって重要なことは何なのか。その前提となることは、言うまでもなく、文民統制であり、また民主的統制でございます。したがって、この民主的統制や文民統制というものがどれだけ実効的に機能するかということが重要であって、それに対して、文官統制というものは、今回、日本が民主主義国あるいは平和国家として考えていく上では、必ずしも優先順位が高いものではございません。
私の専門のイギリスを例に挙げて申し上げますと、イギリスでは、文官と軍人が、ヘッドオフィスと言われている、重要な政策を決定する部局の中で協働して、緊密な連携を持って行動をとっています。したがって、イギリスの国防省の建物の中で、基本的に軍人と文官の区別はありません。
重要なのは、それぞれが皆、基本的にはパブリックサーバント、公僕でありまして、それが政治家の指導のもとに入るということでございます。つまりは、政治家、あくまでも選挙によって、民意によって選ばれた政治家の、議員の方々がこのパブリックサーバントをコントロールし、そして、この議員を通じて、選挙を通じて国民の意向というものが防衛政策、安全保障政策、あるいは軍に、日本の場合は自衛隊でございますが、十分に意向が反映される、これこそが何より重要なことであって、もしもこの重要性というものを十分に認知せずに文官統制の議論をするとすれば、これはやはり本末転倒なことであろうと思っております。
そもそも、文官統制というものが一体どのようにできたのか、あるいは文官優位体制ということですが、資料にもお配りしてございますとおり、これは、一九五〇年に警察予備隊の創設がなされます。これはここにいらっしゃる方々は御承知のとおりかと思いますが、この警察予備隊というのは、あくまでも警察がもとになってできている。つまりは、戦前の内務省でございます。
戦前の日本においては、この内務省の警察官僚と軍との間、特に陸軍との間に大変激しいライバル関係がありました。そして、戦前においては、陸軍が優位であり、内務省の警察官僚というものがその下に位置するということで、警察の中には、軍に対する非常に強いアレルギー、嫌悪感、抵抗、対抗心というものがあったわけでございます。それを前提として、警察が軍の上に立つ、これがそもそも警察予備隊ができたときの大きなロジックでした。
しかも、それ以上に重要なのが、実は大きな誤解からこの文官統制というものができたということでございます。これにつきましては、防衛研究所の中島信吾先生が「戦後日本の防衛政策」の中で書かれている、引用されているものをそのまま挙げさせていただきますと、当時、警察予備隊の警務局警備課長でありました後藤田正晴氏が次のように回想しています。
シビリアンコントロールの行き方については林さんには不満がある、僕らにもそれは責任がある、要するにシビリアンコントロールというのは政治が軍に優先するということなんだよ、軍事は政治に従属するものであって、軍事が政治をコントロールすることだけを許さぬというのがシビリアンコントロール、ところが、これを履き違えちゃって、僕らにも責任があるんだけれども、背広を着るやつが優先するんだ、制服を着ているやつはその下だ、これがシビリアンコントロールという考えがあります、これは間違いなく。
つまりは、後藤田氏が述べているとおり、誤解から、そもそも、戦前日本はシビリアンコントロールがなかったわけですから、したがって、この片仮名のシビリアンコントロールが何なのかということがわからなかった。そして、警察官僚は、軍に対してあくまでも警察が上位に立つことをもってシビリアンコントロールと勘違いした。
これは後に間違いだと気づくわけですね。しかしながら、間違いと気づいても、あくまでも警察官僚が軍の上に立ち、権力を持ち、コントロールするということ、これを手放したくないということ。そして、戦前の経験から、やはり軍が大きな力を持つということが危険であるというアレルギー、抵抗感があったわけです。これは、戦前の軍の横暴に対しての警察官僚の非常に強い抵抗心があった。
しかも、それだけではありません。当時、警察予備隊で、多くの旧軍人が復帰しておりました。戦前の旧軍人は、シビリアンコントロールというものとは無縁で政治に介入していたわけですから、したがって、そういった人たちが戦後に後の自衛隊に復帰してきたときに、あくまでも警察官僚が軍をコントロールすることが重要だという認識があった。これがそもそもの文官統制の始まりであります。
ですから、このような、戦前から戦後に移る過渡期において、やむを得ぬ事情があった。戦後の、シビリアンコントロールというものをつくっていく上で、まずは誤解から始まった。しかしながら、同時に、いかにして、日本の戦後の平和国家の中で、国民の間にもある軍へのアレルギーというものを緩和していくか。そのときに、あくまでも背広組である警察官僚が中心となって自衛隊をコントロールするということが国民の信頼を得る上でも必要という認識がされていたわけでございます。
ところが、戦争が終わってもう七十年たっている、そして、もう旧軍人などというものがこの中にはいない。その中で、今、このような、戦後初期につくった、誤解から始まった文官統制というものを、果たしてそこまでこだわって維持する必要がどこまであるのかということでございます。
イギリスの例で申し上げますと、イギリスでは国防省があり、軍人と文官が緊密に連携しているわけですが、これはどちらも、あくまでも民主的な統制を得ないパブリックサーバントでございます。官僚なわけですね。したがって、官僚が防衛政策を握るということがどれだけ危険かという認識のもとに、イギリスでは、国防大臣あるいは副大臣に当たるミニスター・オブ・ステート、そしてさらにはその上に立つ総理大臣が全体の軍の機構をコントロールするということですから、あくまでも政治が軍をコントロールする。
これは、軍というときには、イギリスの国防省であれば、軍人と文官と含めて広い概念での国防軍ということになるかもしれませんが、これをあくまでも政治や民意がコントロールするということが民主主義の社会におけるシビリアンコントロールの本質であって、文官統制という、戦後できた、独特な政治的背景からできたものにこだわることで、我々が、本当に重要なもの、それが冒頭に申し上げましたような文民統制であり、また民主的統制、この重要性を間違っても相対化し、見失ってはいけない。あくまでも国民が、そして議員の皆様方が軍の機構あるいは自衛隊というものを全体としてコントロールすることの重要性というものを指摘したいと思います。
イギリスでは、先ほど申し上げたとおり、シビリアンコントロールの長い伝統があります。そして、軍人と文官というものが協力することによって、より迅速で実効的な政策決定ができるということでございます。
そして、では、なぜ今、日本で改正が必要なのか。それは、今まで以上に迅速に、実効的に、国民の生命の安全を脅かす事態に対応しなければいけない。
これは、東日本大震災もそうですが、自衛隊の運用というものを考えたときに、間違っても自衛隊は外国の土地で戦争する軍隊ではありません、自衛隊というものがあくまでも国民の生命を守るものである以上は、自衛隊の目的というのは、どんなときであっても、運用するときには国民の生命を守るためでなければならない、これは基本的な認識でございます。もちろん、自衛隊法を改正し、本来任務の中で自衛隊を国際平和協力活動に用いるという、従来にはない新しい活動というものは広がってはございますけれども、そもそものこの本来任務の重要な柱であるのは、国民の生命を守ることである。だとすれば、国民の生命を守るために、自衛隊が実効的に運用されなければいけない。
そのときに、戦後初期にできた文官統制という形式にこだわり、迅速な運用ができずに、それによって迅速に、実効的に国民の生命を守れないとすれば、それはそもそも、平和国家として、自衛隊が何のためにあるのか。国民の生命を守るためにある、それが東日本大震災で示されたことであり、また、阪神大震災のときには十分な形で迅速には対応できなかった反省でもあるわけでございます。
だとすれば、今、なぜこの改正が求められているのか。
言うまでもなく、もう既に御理解いただいていらっしゃると思いますが、迅速に、そして実効的に国民の生命を守るために運用するためにはどうしたらいいか、このような問題意識から、この法案というのは、私が察するに、防衛省の中の自衛官の方々とまた文官の方々が緊密に連携して、お互いにとって迅速に行動できるための改正が何なのかということで、これが、自衛官だけでつくって、そして背広の方々の意向を無視してつくるのであれば、これは言うまでもなく制服組の方々の影響力が拡大ということになると思いますが、私の認識、想定では、あくまでもこれは自衛官の方々、制服の方々、そして内局の背広の方々が緊密に連携をとって調整し、よりよく運用できるための方策としてつくられたものであると考えております。
したがって、そのように考えるのであれば、迅速な自衛隊の活動、運用というものを可能とし、そして、そもそも戦後初期のような、自衛隊の任務というものが極めて限られていた時代とは異なり、PKOのような国際平和協力任務、あるいは災害支援、復興支援、あるいはさまざまな自然災害における緊急の支援、さまざまな形で自衛隊が運用されるような今の新しい時代においては、やはり、迅速、実効的に行動するための運用の仕方を、従来とは違う形で変えていく必要があるんだろうというふうに考えております。
御清聴ありがとうございました。私からは以上でございます。(拍手)