伊勢崎賢治の発言 (我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会)

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○伊勢崎参考人 本日は、お招きいただいてありがとうございます。大変光栄に思っております。よろしくお願いいたします。
 私の本日の意見陳述は、国連平和維持活動、いわゆるPKOについてだけ陳述したいと思います。
 PKOとは、国連安全保障理事会が承認し、国連が統合指揮をとるものであります。そもそもPKOというのは、武力介入という強制措置でありながら紛争当事者全ての合意がある、つまり国連憲章において第六章と第七章の中間にあるということで、六章半というふうに言われてきました。
 多くの場合、ある紛争国の政府と反政府勢力、これを日本流に言いますと国家と国家に準ずる組織、国準との間に内戦が起こって、やがて停戦となる、その双方が、中立な存在としてのPKOが割って入る、これを認めている状態であります。ですから、この時代のPKOの主要任務というのは、停戦監視が筆頭任務でありました。
 PKOの軍事部門である国連平和維持軍、PKFは、自動小銃などの軽武装、そしてできるだけ大世帯で行く、これで現場を確保して、停戦が破られないように抑止力として機能する、こういう考え方が一般的でありました。我が国のPKO参加五原則というのは、当時のこういう背景を前提に生まれたものだと承知しております。
 PKFを軽武装で大規模にするというのは、国連というのはあくまで中立性を保ちたい、もしくは、戦時国際法、国際人道法における紛争の当事者に国連はなりたくないという国連の意思のあらわれであります。国際人道法というのは、人道的な戦争を行うための流儀を示したものであります。つまり、攻撃していいものといけないものを区別する。もちろん、攻撃していけないものは一般住民であります。
 こういう戦争の人道面に関する立法化を人類は試行錯誤してまいりました。その大もととなるのが、皆さん御存じの、一九四九年のジュネーブ諸条約であります。このときでも、想定する戦争というのは、国家対国家というものでありました。
 その後、内戦の時代を迎えます。国際人道法が想定する戦争の定義が拡大いたします。内戦とは、ある一国の中だけで完結しないのであります。例えば、アフリカのそれのように、植民地時代に引かれた人工的な国境を反政府勢力がまたいで活動する、こういうことが一般的であります。つまり、周辺国同士の政治が複雑に絡んだ構造、これが内戦であります。ですから、こういう内戦というのは、今日では極めて国際化したものになっています。
 ですから、国際人道法が想定するいわゆるベリジェレント、交戦主体というのは、国家よりももっと小規模のもの、ある程度指揮命令系統があり、ある程度の地域を支配する武装勢力、日本で言う広域暴力団みたいなものですね、こういうものまで含むようになりました。これは、一九七七年のジュネーブ諸条約追加議定書によって決められております。
 さて、PKOに話を戻します。
 停戦の監視を任務としてPKOが送られたとして、もし、その目の前でその停戦が破られて戦闘が始まってしまったらどうするか。つまり、住民がPKFの目の前で殺される、殺され始めたらどうするか、その場合PKFはどうするのかということであります。この問題は、国連の法務局と国際法の研究者たちの中でずっと議論されてきました。
 まず、PKOの要員を、PKFの兵隊も含めて攻撃することは、国際法では違法化されております。これをPKO要員の保護特権と申します。
 でも、もしPKF自身が、武力行使されるのではなく武力行使をしたら、そのPKFの保護特権はどうなるのか、この議論であります。
 国際人道法は、御存じのように、相対する交戦主体同士が、お互いを合法的な攻撃目標とし、人道的な戦争をする流儀を定めたものであります。ですから、その一方だけが保護特権を持つということは概念上許されません。よって、PKFがみずから武力行使をしたら、その保護特権は失われる、そして交戦相手と同等になるという考え方が定着しております。
 でも、現実はどうでしょうか。
 PKOというのは、しょせん、基本的に、全く利害の関係のない国のもめごとに首を突っ込むことであります。どの国の部隊にとっても、国防以上のやる気は出ません、残念ながら。つまり、だらだらやるわけであります。
 しかし、一九九四年、後にPKOの行動指針を根底から激変させる事件が起こります。これが、アフリカのルワンダであります。
 ルワンダでは、人口の多数を占めるフツ族の政権と少数派のツチ族の反政府勢力の間で内戦がずっと行われていまして、そして国連の仲介で停戦が実現します。そして、PKOが発動され、PKFが派遣されます。
 このとき、この殺りくを首謀したのはフツ族側であります。つまり、政権側です。つまり、政権側の民兵組織、日本流に言いますと国家側の国家に準ずる組織であります。
 このとき、現場のPKF司令官は、僕の友達なんですけれども、住民を保護するための武力行使を進言いたします。しかし、安保理はこれを却下します。同時に、PKFに兵力を提供した国々も、一つ一つ離れていってしまう、帰っていってしまうわけです。そして、結果として、百日間で百万人です、百万人の住民が殺されてしまう。これが、ルワンダの大虐殺であります。このルワンダの大虐殺を契機として、保護する責任という概念が誕生します。
 保護する責任とは、ある国で重大な人権侵害が起こります、その住民を守るのは本来その政府の義務でありますが何もしない、もしくはそれに加担していたりする、そういう事態には、国連を主体とする国際社会は、その政府を差しおいてまで住民を保護する責任があるというものです。その際には、武力の行使もいとわないといいます。これは、保護する責任という考え方です。これはもちろん、内政不干渉の原則とバッティングをいたします。
 一方で、一九九九年、コフィ・アナンが国連事務総長だったときでありますが、国連事務総長官報として、ガゼットですね、あるおふれが出ます。全てのPKFに対してです。それは、PKFは国際人道法を遵守せよというおふれであります。
 つまり、これはどういうことかというと、PKFは国際人道法の紛争の当事者になる、そういう自覚を持てということです。覚悟を持てということであります。つまり、交戦主体として、敵対する交戦相手から見ればPKF自身が合法的な攻撃目標になる自覚を持て、こういう宣言になります。これが一九九九年に出されます。
 こうして、徐々に、住民の保護がPKFの主要任務になり始めます。南スーダン、コンゴ民主共和国、中央アフリカ共和国、こういう互いに隣接する三カ国で活動するPKOは、現在の話ですけれども、全て住民の保護が最重要任務になっております。つまり、今は、停戦の監視よりも住民の保護が優先される時代なんです。
 つまり、これはどういうことかというと、停戦が破れ戦闘状態になっても、PKOは撤退しません。住民の保護のために武力行使をします。ということは、停戦が破れたら活動停止そして撤退という我が国のPKO五原則は、ここで本当でしたら根本的に見直さなければなりません。
 こういうPKFの任務の激変に伴い、それに兵力を提供する国連加盟国のインセンティブも劇的に変化しております。
 昔でも消極的であったいわゆる先進国からの派兵は、現在さらに激減しております。今は旧宗主国でも出しません。これは本当です。それにかわって台頭しているのが、周辺国であります。昔であれば周辺国の参加はPKFの中立性を損なうという考え方でしたが、現在は、住民の保護のため、より既得利権感を持って真剣に戦ってくれる国の部隊の方が有効というふうに、前提が変わってきております。つまり、集団安全保障の典型である国連のPKOが極めて集団的自衛権の動機に支えられている、これが今の状況であります。
 こういう状況で、日本のような先進国はどうするか、先進国に何が期待されているのか。
 まず、資金です。周辺国の部隊は、基本的に装備が不十分です。これを補完するということです。でも、ただ金を出すばかりではありません。このようにPKF自身が好戦的になっていますので、PKF自身が国際人道法違反をしないように管制すべく司令部の主要ポストを狙います。または、国連軍事監視団、これは安保理の目と呼ばれていまして、PKFでさえその監視の対象になります。
 このように、PKOの中立性が失われる中で、国連で最後に残された中立の最後のとりでがこの軍事監視団であります。これは、非武装の軍人がやることが原則であります。そして、敵対勢力の中に非武装で懐に入り、PKFとの交戦を未然に防ぐための信頼醸成をします。そして、武装解除の説得などもいたします。
 以上、激動するPKOを取り巻く環境を説明いたしました。
 では、この中で日本の自衛隊はどうするのかということに進みたいと思います。
 繰り返しますが、昔と違って、停戦合意が破られたからといって撤退することはできません。そんなんだったら、最初から来るなということです。
 例えば、陸上自衛隊の施設部隊が兵たん活動の一環で道路建設をしている現場を考えてください。そこに武装グループに追われた住民が助けを求めて駆け込んでくる、これは当たり前です。そしてそのとき、住民に銃口が向けられているというふうに目撃したら、たとえその銃口が自衛隊員に向けられていなくても、自衛隊員はこれに対して応戦しなければいけません。
 自衛隊の駐屯地に住民が助けを求めて駆け込んでくる場合も同じであります。でもしかし、保護して中に入れた住民の中に武装グループが紛れていたらどうしますかということであります。
 そもそも、こういう武装グループというのは、住民の中の民族や宗教における敵対感情をあおって暴徒をつくって、その中に紛れて行動することが大変多いです。つまり、住民と戦闘員の区別はつきません。その結果、非戦闘員の住民を誤射してしまう場合があります。これは、PKOの現実としてしっかり想定すべきことであります。
 一方、日本では、そういう武装グループは国家もしくは国家に準ずる組織、いわゆる国準ではないのだから、そういう連中への武器の使用は国際法上の武力の行使には当たらないという議論があります。この日本独自のロジックは、現代の国際人道法の運用には全くありません。というか、国家もしくは国準でなければ、こういうふうに日本が勝手に想定して、国家もしくは国準でなければということで、国際人道法に関係なく殺せるというふうにこれはとれますので、もしこれを英語に訳して発信したら大変なことになります。ぜひしないでいただきたいと思います。
 自衛隊員が任務遂行の中で誤って現地の人々を傷つけてしまったら、これは過失です。非戦闘員、つまり住民を多く殺傷すれば、国際社会はそれを国際人道法違反とみなします。
 PKOでは、国連が一括して地位協定を現地政府と結ぶことで、現地法からの訴追免除の特権を国連PKF部隊全体に付託いたします。PKF部隊が過失を起こした場合、国連には軍事法廷はありません。各国の軍法で裁くことになります。
 つまり、PKF部隊が過失を起こした場合、現地社会の怒りをなだめる、当然ですが怒ります、これをなだめるには、ごめんなさいね、でも、あなたたちの法律よりももっと厳しいうちの軍法で裁くから許してねと言うしかないんです。日本はこの言いわけができません、軍法がありませんので。この言いわけができないとどうなるか。当然、現地社会の怒りは沸騰します。そして、国際人道法違反として、これは非常に重大な外交問題に発展します。
 そもそも、PKOの現場というのは、人心掌握が作戦の成功を左右する非対称戦であります。ということで、自衛隊はこういう作戦上の致命的な弱点を抱えていることになります。
 この問題を、自衛隊員の側から考えます。
 軍法がないなら、ありませんので、自衛隊による海外での過失がもし起こってしまったら、その過失はどう裁かれるか。これは、日本の刑法しかありません。すると、日本の刑法には国外犯規定というのがありまして、日本人が海外で犯す過失は裁けません。そうすると、自衛隊の過失は犯罪として裁くしかありません。
 そもそも、自衛隊の活動のような軍事行動は、個人の意思が極度に制限される国家の命令行動であります。しかし、その中で過失が起こった場合、日本の場合は、自衛隊員個人が犯罪として責任を負うのです。これは重大な矛盾であります。
 私は、防衛省の統合幕僚幹部学校で、もう五年以上教えております。僣越ではございますが、自衛隊の皆さんの立場に立って物を言える立場に私は少しはあると思います。自衛隊の皆さんは、国防に命をかけるのはやぶさかではないと思っているはずです。しかし、国防以外のことに命をかけるのは、それ相応の大義が必要です。
 国際平和に資する、こういう大義名分は簡単に言えます。しかし、そこで何が起こっても最終的に国家が全責任をとるという法の整備をして、我々は自衛隊を海外に送り出しているでしょうか。僕は、していないと思います。これなしに、命をかけられる大義は生まれません。これは、今回の安保法制だけの問題ではありません。一九九二年のカンボジアPKO派遣以来、これまでずっと現場に送られてきた自衛隊員だけが抱え込んできた矛盾であります。
 御列席の与野党の先生方におかれましては、ぜひ、安保法制以前のそもそも論をやっていただきたく、次の言葉で私の意見陳述を締めさせていただきます。自衛隊の根本的な法的地位を国民に問うことなしに、自衛隊を海外に送ってはなりません。
 ありがとうございました。(拍手)

発言情報

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発言者: 伊勢崎賢治

speaker_id: 28

日付: 2015-07-01

院: 衆議院

会議名: 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会