長谷部恭男の発言 (憲法審査会)
⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。
詳細は利用規約をご確認ください。
○長谷部参考人 本日は、このような形で発言の機会を与えていただきまして、本当にありがとうございます。
本日は、主に立憲主義についてお話を申し上げようと思います。
立憲主義という言葉は、いろいろな意味で用いられますが、大きく広い意味と狭い意味を区別することができます。
広い意味の立憲主義、これは、政治権力を何らかの形で制限する考え方、これを広く指して用います。例えば、中世のヨーロッパにも立憲主義があった、そう言われるときには、この意味で立憲主義という言葉が使われております。
中世のヨーロッパでは、当時の支配的な宗教であり世界観であるキリスト教に基づきまして、何が正しい生き方かがあらゆる人にとって決まっておりました。為政者についても当然、政治権力の正しい行使の仕方が決まっています。そして、それに違反をすれば、教会を破門され、臣下の服従義務は解かれる、そうしたリスクにさらされておりました。
また、ローマ教皇についても、彼が異端の思想に染まったときは、全クリスチャンの代表から成る公会議によって、あるいはさらに公会議を代表する枢機卿会議によって教皇がその地位を追われる、それもあり得ると考えられておりましたし、実際、コンスタンツの公会議におきましては、教会を分裂させた三人の教皇を廃位いたしまして、新たな教皇を選出しております。
キリスト教という一元的な思想そして世界観に基づいて、政治権力も制限されていたわけです。
他方、現在、日本を含めた先進諸国で共通に立憲主義として理解されておりますのは、狭い意味の立憲主義です。これは近代立憲主義とも言われ、近代初めのヨーロッパで確立した考え方です。
当時のヨーロッパは、一方では、宗教改革後の激烈な宗派間の対立を経験し、他方では、大航海時代でもありましたために世界各地で多様な暮らしぶりや考え方に出会った経験から、人にとっての生き方や世界の意味づけ方、これはただ一つには決まっていない、多様な、相互に両立し得ない価値観、世界観があるのだ、そのことを事実として認めざるを得ない状況に置かれておりました。
宗派間の対立をとってみますと、プロテスタントにしろ、カトリックにしろ、それを信仰する人にとっては、自分にとっての正しい生き方、世界の正しい意味づけ方を教えてくれる大事な、かけがえのないものであります。そうである以上、自分だけではなく、ほかの人も全て信じてしかるべきだと考えるのが人としての自然の傾向でありますが、ただ、その自然の傾向のままに、各自にとっての正しい信仰をほかの人に押しつけよう、押しつけようとしますと、そうすると、ここに深刻な対立が起こります。現在でも、世界の各地におきまして、何が正しい信仰であるか、それがもとになって大変に激しい紛争が起こっていることは、御承知のとおりであります。
これに対しまして、近代立憲主義は、価値観や世界観は人によってさまざまである、これを正面から認めるべきだ、そういう認識から出発をいたします。多様な価値観、世界観について、いずれがより正しいかを議論しても意味がありません。客観的に比較する物差しがそもそもそこにはないからであります。むしろ、どのような世界観、人生観を持つ人であろうと人間らしい平和な社会生活を送ることができるようにするためには、どのような社会のあり方を基本とすべきか、それをまず考えるべきだということになります。ホッブズ、ロック、ルソー、カントといった近代立憲主義の基礎を築いた政治思想家たちは、いずれも、この問題に回答しようとした人たちであります。
近代立憲主義は、そうした社会生活の基本的な枠組みといたしまして、公と私とを区分することを提案します。
私の領域におきましては、各自がそれぞれ、自分が正しいと思う世界観に従って生きる自由が保障されます。志を同じくする仲間や家族と生きる自由も保障されます。
他方で、社会全体の共通の利益にかかわる公の領域におきましては、各人が抱いている世界観はひとまず脇に置いて、どのような世界観を抱いている人であっても人間らしい社会生活の便宜を享受するためには何が必要なのか、各自がどのようにコストを負担すれば公平な負担と言えるのか、それを落ちついて理性的に話し合い、決定をしていく必要がございます。
日本国憲法もそうですが、近代立憲主義に立脚する国々の憲法、これは、基本権、憲法上の権利を保障する条項を定めていることが普通です。それらは、一方では、私の領域におきまして、それぞれの人がみずからの信ずる宗教を奉じ、各自が正しいと考えることを表現し、プライバシーの守られる空間でみずからの財産を使いながら生きる自由を保障します。自由な私の領域を確保するためのさまざまな権利が保障されております。
他方で、報道の自由、取材の自由、結社の自由、参政権等、主に公の領域におきまして、社会全体の利益を効果的に実現するために何が必要か、それを理性的に審議し、決定するために保障されているさまざまな権利もあります。そうした権利に支えられた民主政治の具体のプロセスについて定める統治機構に関する規定ももちろん備えられております。
こうした近代立憲主義に立脚する憲法、これは、通常の法律に比べますと変更することが難しくなっていること、つまり硬性憲法であることがこれまた通常でございます。今述べました基本的人権を保障する諸条項、民主政治の根幹にかかわる規定、これは、政治の世界におきまして、選挙のたびに起こり得る多数派、少数派の変転や、たまたま政府のトップである政治家の方がどのような考え方をするか、そういったものとは切り離されるべきだから、つまり、その社会の全てのメンバーが中長期的に守っていくべき基本原則だからというのがその理由であります。
また、憲法の改正が難しくなっている背景には、人間の判断力に関するある種悲観的な見方があると言ってもよろしいでありましょう。人間というのは、とかく感情や短期的な利害にとらわれがちで、そのために、中長期的に見たときには合理的とは言いがたい、自分たちの利益に反する判断を下すことが間々あります。ですから、国の根本原理を変えようというときは、本当にそれが、将来生まれてくる世代も含めまして、我々の利益に本当につながるのか、国民全体を巻き込んで改めて議論し、考えるべきだということになります。それを可能とするために、憲法の改正は難しくなっております。さらに、改正を難しくするだけではなく、国政の実際においても憲法の内容が遵守され具体化されていくよう、多くの国々では違憲審査制度が定められております。
近代立憲主義の内容とされる基本的人権の保障、そして民主的な政治運営は、時に普遍的な理念、普遍的な価値だと言われることがあります。
ここで、普遍的というのが、世界の全ての国が大昔から現在に至るまで、全てこの近代立憲主義の理念に沿って運営されてきた、そういう意味であれば、これは正しい言い方ではございません。実際には、現在でさえ、こうした理念にのっとって国政が運営されているとは言いがたい国は少なからずございます。また、日本も、第二次世界大戦の終結に至るまでは、この近代立憲主義に基づく国家とは言いがたい国でありました。
さらに、民主主義について申しますと、十九世紀に至るまでは、民主主義はマイナスのシンボルではあっても、プラスのイメージで捉えられることはまずなかったと言ってよろしいでありましょう。それでも、現在では、基本的人権の保障や民主的な政治運営は普遍的に受け入れられるべきものとされております。
ただ、問題は、憲法典の中に基本的人権を保障する条項、民主的な政治制度を定める条項が含まれているか否か、それには限られておりません。これらの条項の前提となる認識、つまり、この世には、人としての正しい生き方、あるいは世界の意味や宇宙の意味について、相互に両立し得ない多様な立場があるということを認め、異なる立場に立つ人々を公平に扱う用意があるか、それこそが、実は普遍的な理念に忠実であるか否かを決していると言うことができます。
そして、近代立憲主義の理念に忠実であろうとする限り、たとえ憲法改正の手続を経たとしても、この理念に反する憲法の改正を行うことは許されない、つまり改正には限界があるということになります。
ただ、近代立憲主義の理念に立脚する国々も、各国固有の理念や制度を憲法によって保障していることがあります。日本の場合でいえば、天皇制や徹底した平和主義がこれに当たるでありましょう。こうしたそれぞれの国の固有の理念や制度も、その時々の政治的多数派、少数派の移り変わりによっては動かすべきではないからこそ、憲法に書き込まれているということになります。
もっとも、これら国によって異なる理念や制度は、普遍的な近代立憲主義の理念と両立し得る範囲内にとどまっている必要があります。つまり、特定の人生観や宇宙観を押しつけるようなことは、近代立憲主義のもとでは、憲法に基づいても認められないということになります。
憲法を保障するという言葉もいろいろな意味で使われることがございますが、現在の日本で申しますと、価値観や世界観、これは人によってさまざまである、しかし、そうした違いにもかかわらず、お互いの立場に寛容な、人間らしい暮らしのできる公平な社会生活を営もうとする、そうした近代立憲主義の理念を守るということ、そして憲法に書き込まれた日本固有の理念や制度を守り続ける、それが憲法を保障することのまずは出発点だということになるでありましょう。
まことに雑駁な話でございますが、以上で、立憲主義に関する私の説明を終わらせていただきます。
どうも御清聴ありがとうございました。(拍手)