筒井敬二の発言 (憲法審査会)

⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。 詳細は利用規約をご確認ください。

筒井敬二君 高知自治体労働組合総連合の筒井でございます。どうぞよろしくお願いいたします。
 お手元に、当日配付の発言メモをお配りしているかと思います。それに沿って発言いたします。
 四つのパートに分けておりますが、冒頭、おわびです。右肩に、私の名前の横に所属を書いておりますが、自分でつくった資料であるにもかかわらず団体名を誤っておりまして、配付資料の私の肩書のとおりでございますので、御容赦願いたいと思います。
 まず一つ目でありますけれども、今般国会でも審議をされておりますが、安全保障関連法案にかかわって発言をしたいと思います。
 集団的自衛権の行使容認とその具体化としての安全保障関連法案ですけれども、私としては率直に、疑問と不安がございます。専守防衛についても、その定義づけといいますか、これは国会審議の答弁の中で新たな定義づけがされたのではないかというふうに受けとめています。
 これまでの専守防衛というのは、武力攻撃を受けたときに、自衛のために必要最低限度の防衛力を行使する、保持する防衛力も自衛のための必要最低限度のものに限られるということだったかと思います。
 これからの専守防衛というのは、集団的自衛権の行使を容認した上で、武力行使の新三要件への適合を条件というふうになっているかと思いますけれども、これは憲法九条との関係でいきますと、拡大変更というのは表現が適切ではないのかもしれませんが、解釈の見直しでとどまることができるのだろうか、転換、飛躍ではないかというふうに受けとめています。
 集団的自衛権というのは、基本的には日本の領土、領海、領空の外側で行使されるのではないかというふうに理解をしておりますけれども、憲法九条というのは、日本の外には出ていきませんよ、最低限の実力は持つにしても、外へは出ていきません、そこに線引きがあったのではないかというふうに理解をしています。
 そういう点で、安全保障関連法案は、海外での軍事活動というものを可能にする、しかも地理的制約も示されていないというふうに理解をしていますので、九条の容認する範囲を超えているのではないかというふうに受けとめています。
 例えば、日米同盟にかかわって発言すれば、アメリカ合衆国というのは我が国にとっては密接な関係にある他国ということになろうかと思います。例えば、アメリカ合衆国はイラク戦争のような先制攻撃の戦争も行ってきたわけですけれども、位置づけは自衛のための戦争であったかと思います。
 アメリカが自衛のためとして戦争を行い、そして日本政府がそれが武力行使の新三要件に適合すると判断すれば、地球上どこへでも自衛隊は派遣されるのかということに率直に懸念をしておりますし、日本が、憲法を変えることなく、自衛の名のもとに、九条を維持したままで海外での戦争に参加していく可能性を排除できないのではないかというふうに考えています。
 また、武力行使の新三要件も、その解釈を含めて都度変更される可能性があるのではないかというふうに思っています。
 したがって、安全保障関連法案が成立するようなことになってしまえば、これはもう憲法改正することなく憲法の枠を超えてどんなことでもできていってしまうのではないか。そういう意味では、立憲主義の根幹にかかわるというふうに受けとめていまして、大変危惧しているところです。
 抑止力というところでこういった議論がされてもいるかと思いますけれども、軍事力による抑止力というのは一方では軍拡にもつながるのではないかということもまた感じるところで、一国民としては大変不安なところです。
 我々、自治体の労働組合として、自治体を訪問して首長さんなりと懇談をする憲法キャラバン、こうしたことにも取り組みをしておりますけれども、そうした中でも、率直に、今回の憲法解釈や法整備について、不安や懸念の声が自治体の関係者からも出されているということもつけ加えておきたいと思います。
 二つ目です。
 憲法のハードル下げをやめてほしいという言い回しにしていますけれども、要するに、今の現実社会が憲法と合っていないんじゃないかというようなことにかかわって、日本も自衛隊を保有している、九条との関係でどうかというところであります。
 私は、九条にかかわって言えば、これは極めて規範性の高い条項だというふうに受けとめています。戦争はいけないものだ、なくすべきだというのは、今日、人類の普遍的な価値観だというふうに思っていまして、そこへ近づいていくためには、我々自身が、人類が意思を持ってそこに近づくよう努力をしていかなければ近づくことはできないんだろうというふうに思います。
 そういう点では、こういった規範性の高い条項については、安易に変えるということではなくて、今の目の前の現実から出発して、憲法の内容にどう近づけていくか、その努力をするのが我々の任務ではないかというふうに思っています。そういう点では、短期的な局面だけではなくて、やはり二十世紀の歴史、そうしたものにも学びながら人類の未来を展望したいというふうに感じているところです。
 そういう点では、私の立場は、九条の解釈変更や条文改正は望まない、そういうところです。
 三つ目です。
 憲法のPDCA、プラン・ドゥー・チェック・アクションという、仕事なんかでよく出てくるものですけれども、憲法の第九十九条、公務員に対して擁護遵守義務を課していますけれども、現実の世の中が憲法が書いているとおりになっていない場合は、なぜそうなっているのかということについての分析と対策が必要だろうというふうに思います。
 憲法の内容を豊かに実践して国民福祉の増進を図るということが、国会での議員の皆さんのお仕事、立法であろうし、国、地方公共団体の職員の仕事として行政がある、そんなふうに受けとめています。
 格差の問題や貧困の問題、非正規雇用の問題、こうした憲法の十三条、幸福追求権、十四条、法のもとの平等、二十五条、生存権、こうしたことにかかわっては実現がいまだできていると言い切れない課題がありますが、これは、国、県、市町村、各段階で考えなければならない問題だと思いますし、憲法は権力、公務員に義務を課すという点でいけば、その内容を充実させていくのが公務員の義務ではないか、そんなふうに思います。
 最後、憲法を国民の手にということで発言をして終わりたいと思います。
 憲法改正というのは、国の形を見直す、変えていくことだというふうに受けとめています。そういう点では、冷静で十分な国民的議論が必要だろうと思いますし、押しつけと言われることもございますけれども、一方で、主権在民、基本的人権の尊重、平和主義、こうしたことについては広く国民に受け入れられてきたということもまた事実ではないかというふうに思っています。
 また、国民投票の運動では、非常に重要度の高い運動になりますと、財政力が強い側の意見が有利になる可能性があるというふうに感じていまして、そういう点では、慎重な議論が必要だとは思いますけれども、量的規制等について検討も必要な場合があろうかというふうに思っています。
 それと最後に、何より、主権が国民にあって、権力に対して義務を課すという点では、憲法は国民のものだと思いますけれども、国民が憲法に触れる機会というのはこの間、非常に少なかったのではないかというふうに思っていまして、今般のこうした議論の中でいろいろと触れる機会が出てきたのかと思っていますけれども、同時に、こうした点では、学校教育や社会教育の果たす役割というものも、憲法をどう伝えていくのか、憲法をまず知ってもらうということが大事だと思いますけれども、そうしたことが求められてきているのではないかと思います。
 時間が来ましたので、終わります。

発言情報

speech_id: 118904183X00520150925_016

発言者: 筒井敬二

speaker_id: 11549

日付: 2015-09-25

院: 衆議院

会議名: 憲法審査会