宮家邦彦の発言 (我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会)

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○参考人(宮家邦彦君) 宮家邦彦でございます。
 本委員会で私が意見を申し述べる機会をいただきましたことを大変名誉に思っております。
 さて、ある著名な憲法学者は、外務省員はみんな自衛隊に入って危険地域を経験すべしと、こういうお話がありました。私は、もしかしたら、実戦はともかくといたしまして、外務省員とか自衛隊員よりもはるかに実地の戦争経験があるのかもしれません。
 私は、外務省でアラビア語が専門でした。クウェートで研修旅行中にイラン・イラク戦争が始まりました。初任地は戦時下のバグダッドでありました。そして、二年数か月在勤いたしました。湾岸戦争発生直後はサウジアラビアに出張いたしました。二〇〇四年にはイラク戦争後のバグダッドに再び派遣をされました。特に、二度目の勤務というのは、二人の当時の外務省の同僚を失った直後でございました。戦場に送られる兵士の気持ちを僅かながらも理解したつもりでございます。
 私は、もう政府の関係者ではありません。本日は、自由かつ率直に、自分が経験した、まあかぎ括弧付きですが、戦争ないし戦闘を含む世界の安全保障の常識と私が日頃思っていること、これを述べたいと存じます。
 まずは、結論から申し上げます。
 今回の平和安全法案に反対する方々の主張は、これまでの私の個人的な経験に照らせば、およそ安全保障の本質を理解せず、冷戦後の世界の大きな変化を考慮しない観念論と机上の空論でございます。人によっては、現実味を欠いていると言う方もいらっしゃいます。空想的平和主義、ガラパゴス平和主義とおっしゃる方もいます。このような議論がいかに世界の常識から懸け離れているか、本日は、時間の許す限り、委員の皆様を通じて国民の皆様に御説明をしたいと思っています。
 本日の議論のキーワードは抑止でございます。
 冷戦時代というのは実に安定した時代だったのかもしれません。一九五〇年に朝鮮半島で抑止が失敗いたしましたが、これを除けば東アジアでは基本的に抑止は効いた時代でございます。ところが、冷戦後二十五年たちまして、世界各地では現在、旧帝国による不健全な民族主義というものが次々と復活をしつつあるように思います。これに伴い、各地で物理的な脅威も発生し始めております。最大の問題は、この種の国家ないし勢力には抑止が効かない可能性があるということであります。
 イラク戦争後のバグダッドで私はイラクの内戦も見てまいりました。そして、これらの経験から学んだことは、戦争というのは悪意のある勢力が物理的力を持って現状を変更しようとするときに往々として起きるものだということでございます。これは私の安全保障の常識でございます。
 例えば、イラン革命直後、湾岸地域には力の空白が生まれました。その力の空白を埋めようとしたのがイラクのフセイン大統領でありました。当時のイラクを抑止する国はありませんでした。
 逆に、最近のシリアやイラクではイスラム国が台頭しておりますけれども、これも国際社会がシリア内戦に対して適切な措置をとらなかったことの結果でありましょうし、その国際社会の対応の中には、欧米諸国のシリアの現状を放置する動き、これもあったように思います。
 このように、軍事介入というのは、時に事態を悪化させることがありますが、同時に、非介入主義というものも同様に悪影響を及ぼし得るのでございます。危機に際して正しい措置をとるということは決して簡単なことではありません。人間は錯誤をいたします。予想を超えるような事態が起きるからこそ、まさに危機なのであります。戦争の抑止に失敗をすれば、悪意の勢力は一層勢い付きます。これが人間の歴史であります。いかに善意の勢力が平和を唱えても、いかに外交努力を重ねても、抑止は破れるときがあるのです。今のウクライナ、南シナ海、シリアというのはその一例にすぎないのであります。
 今、日本の国会で、特定の状況の下で危機的な状況は起こり得る、いや、起こり得ないんだと、こういう議論が繰り返されておりますが、誤解を恐れずに申し上げますけれども、私は、危機というのは実は何でも起こり得るんです、何でも起こり得る。だからこそ、あらゆる事態に対応できるような法的枠組みをあらかじめ準備しておかなければいけない、これが私の理解でございます。
 続いて、イラクでの経験を踏まえまして、私が感じている同盟の本質についてお話をいたします。
 二〇〇四年、サマーワに陸上自衛隊の本隊が到着いたしました。私は、当時、バクダッドのCPAという、連合国暫定当局でしたか、日本政府の代表兼連絡係で出向しておりました。本隊が到着する前と後でCPAにおける日本の待遇は大きく変わりました。到着後は、連合国の一員として日本が得られる危険に関する情報、出席できる会議、待遇、これ、全て格段に向上いたしました。なぜでしょう。もちろん、自衛隊は戦闘部隊ではありませんでした。しかし、我々は同盟国扱いになったのであります。
 信頼できる同盟国があるからこそ、力で現状を変えようとする勢力への抑止力が高まるのであります。信頼できない国の部隊には重要な情報も待遇も与えない、これが世界の常識であります。こうやって国家は相互を守り合い、そして平和を保っているのであります。逆に言えば、そのような関係を築けない国家との関係だけでは、いざというときに他国は頼りにならないのであります。役に立たないのです。このような現実を知れば知るほど、安全保障面での相互信頼を高める努力、これがいかに必要かということは御理解いただけると思います。
 現在審議されている法案など整備する必要はないんだと主張される方の多くは、この法案が戦争法案だとか、戦前の軍事大国化、軍国主義への道だなどという主張をされる方もおられるそうです。本当にそうなんですか。戦前の日本が失敗したのは軍隊があったからではないでしょう。民主主義の下で、その軍隊に対するシビリアンコントロールができなかったことが問題なんです。今の日本で当時のような軍国主義が再び起きると本気で考えておられるんでしょうか。それほど我々は今の日本の民主主義に自信がないんでしょうか。とんでもない。私はそうは思いません。それどころか、グローバルスタンダードから申し上げれば、日本の現在の法案では、平均的なNATOの加盟国と比べてもはるかにはるかに限定的な集団的自衛権しか行使いたしませんし、また行使できないのであります。これでどうやって日本を軍国主義化するんでしょう。私は理解ができません。
 もう一つ、今国会での議論を伺っていて疑問に思うことがございます。それは、審議中に具体的な法案の内容について余り詳しい議論がなかったことであります。議論をしないでおいて一方で説明不足だと言われても、これはなかなか理解できないのでありますが。
 今回の法案が確かに多数の法律の修正というものを伴う、分かりにくいという議論があることは承知しております。しかし、その理由はちゃんとあるんです。最大の理由は、ポジリストかネガリストかの違いであります。
 主要国の安全保障法制というのは基本的にネガリストであります。すなわち、禁止条項を列挙し、それ以外は実施可能とする構造です。だからこそ各国はシームレスな対応が可能になっています。ところが、日本では、ポジリスト、すなわち、実施可能なもののみを列挙して、それ以外はできない、このような虫食い状態ですから、臨機応変の対応をしようと思えばどうしても、いかなる危機的状況にも対応できるようにするためには、このポジリストを拡大していくしかないのであります。だからこそ既存の法令の修正が多くなってしまう、これはある程度仕方がないのかもしれません。
 もちろん、最も分かりやすい方法は、自衛隊法をネガリストにすればいいのかもしれません。しかし、そうすれば、一九五五年以降、五〇年代以降の国会の答弁の積み重ねというのは一体どうなるんだということを考えれば、やはりネガリストは採用しないと決めた今回の判断は正しかったと思っています。
 今回の法案では、自衛隊員のリスクが高まるからけしからぬ、反対だという議論もございました。私は、これは国民の生命と財産を守るために命を懸ける自衛隊員に対して極めて失礼な議論だと思っております。
 自衛隊員は、リスクを取るためのプロフェッショナルであります。だからこそ、そのために必要な訓練を行い、そして必要な装備と十分な情報を持って仕事をする専門家集団であります。例えば、巨大火災が発生して消防隊員に、いや、こんな危険な火事だから行くなと言うんですか。出動するなと言うんでしょうか。火事が拡大した今こそ消火が必要でありましょう。そのためにプロは日頃から実力を養っておくのであります。消防隊員と自衛隊員が一体どこが違うんですか。
 続いて、憲法問題、特に集団的自衛権に関する議論について幾つか申し上げたいと思います。
 過去五十五年間の日本における安全保障議論で強く感じますことは、安保を批判する、批判的に論じる人ほど軍事問題、安全保障の問題について余り知識が十分でないという実態、現実でございます。典型例が、武力行使との一体化論であります。
 この概念の是非、私はいつも言うんですが、分からなくなったら英訳してみなさいと。英語に訳せれば私はロジックが通る、分かりやすい概念だと思うんですが、残念ながら、護憲派のある憲法学者も、これは一体化は英訳できません、日本でしか通用しない、日本だけの概念でございますと、そうおっしゃっていました。それはそうでしょう。要するに日本以外では通用しない議論をしているということであります。
 そもそも、違憲、合憲の最終的判断を下すのは最高裁だというのが私の理解でございます。憲法学者、法制局長官にはその権限はありません。先日も、ある尊敬する元法制局長官とお会いしまして、自分は軍事問題は素人だと言われて、私は愕然といたしました。
 冒頭述べたとおり、著名な憲法学者が、外務官僚には全員自衛隊入隊を義務付けて危険地域を体験させよと、こうマスコミでおっしゃっているそうであります。こんな暴論が許されるのであれば、私も一言申し上げたい。憲法学者や内閣法制局長官こそ戦争地域を体験されたらいかがでしょうか。こういうことを申し上げるのは不謹慎かもしれません。
 冒頭申し上げたとおり、彼らは、日本国憲法の下で日本への武力行使の着手がない段階での武力行使は違憲だと、日本への武力行使の着手に至る前の武力行使は、たとえ国際法上集団的自衛権の行使として正当化されるとしても、日本国憲法に反するのだと、こういう御説明をされるそうです。
 しかし、このような、私に言わせれば、二十世紀の戦争概念に基づく解釈が今もまかり通っていること自体、若干不思議でございます。残念ながら、良きにつけ悪きにつけ、二十一世紀の戦争概念というのは、今までの伝統的な概念を超えて、宇宙にもサイバーにも広がっております。このようなことは最低限御理解をいただきたい、知っていてほしいことだと私は思いました。
 集団的自衛権、国連の集団的安全保障等々について、日本の中で、一部ですけれども、どこか否定的なイメージ、何か悪いことをしているようなイメージがあるのは実に不思議だと思っています。考えてみてください。日本が外国から武力攻撃を受けたときに、アメリカは日米安保条約によって日本を守るんですよ。この防衛する義務を負っているけど、その根拠というのは国連が各加盟国に認めている集団的自衛権なんです。いざというときに自国を守ってもらう根拠となる概念をそのように否定的に考えていること自体、私はどうしても違和感があります。そのような自己矛盾に近い議論が今も続いている国は、私の知る限り、日本しかございません。
 七月の衆議院の特別委員会で岡本行夫氏は、国際安全保障環境の変化を見れば、行政府の部局である法制局が直接的な国土防衛以外の行為は全て黒と判断してきたことが、果たして海外で日本人の生命と財産を守るために適切だったのか考え直す時期だとおっしゃっています。私は全く同感でございます。
 私は憲法学者じゃございません。どちらかというと現実主義的な元行政官にすぎません。しかし、私はこう信じています。憲法があるから国家があるのではありません。国家を守るために憲法があるのだと理解しています。
 戦争の形態が根本的に変化した二十一世紀、憲法学者はなおまだ古い憲法の解釈に固執をする。しかし、それでもし逆に国が守れなくなっているんだとすれば、それはいかがなものか。どうしてこの矛盾にお気付きにならないのか、私はどうしても理解ができません。
 さらに、ある憲法学者は、存立危機事態条項それ自体、憲法九条違反である前に、そもそも漠然として不明確で違憲であるという議論もあります。実に乱暴な議論だと思います。さきにも述べましたとおり、世界の主要国の安保法制というのはネガリストでできているんです。このような形で明確な定義をしていない場合は少なくありません。それでは、その定義がないことが違憲になるんでしょうか。私は、断じてそうではないと思っています。
 繰り返しになりますが、日本は三権分立の民主国家であります。立法府が作る法律を行政府は執行する、それが憲法や法律に反するか否かの判断は最高裁の仕事であります。
 アメリカの最高裁は、最近、同性婚を合憲と判断いたしました。日本では、従来の論理の延長にない議論だということで批判がありましたけれども、同性婚というのも、考えてみたら従来は男女婚なんですから、その論理の延長上にはない議論であります。なぜこんなことが民主国家で起きるか、それは、この種の判断変更というものが認められるのは最高裁だけだからであります。憲法学者や官僚にすぎない法制局長官にはそのような権限はないのは言うまでもありません。
 最後に、平和安全法制全体について一言申し上げます。
 この法案に反対される委員の方々、本当に現行法制だけで二十一世紀も国際安全保障環境の下にある日本を守れると思っていらっしゃるんでしょうか。もちろん、領域警備のように現行法の運用で、これを変えれば何とか対処できるものもあるかもしれません。しかし、現行法ではどうしても対応できない種類の危機が生まれつつあることも、これまた悲しい現実であります。
 今後、世界はますます不安定さを増す可能性がございます。このような時代に、将来政権を担うときがまた来るかもしれない責任政党のメンバーの方々、本当にこの法案は不要だとお考えなんですか。私には信じられません。そして、そう信じたくはないのです。責任ある立場にある方ほど、この種の法案が必要だということを内々理解しておられるのではないか、私はそう信じたい。もし、皆さんが将来政府の要職に戻って、そのときに、この種の法案がなかったときにどのようなことが起こり得るかを真剣に考えていただきたいのです。
 参議院は良識の府だと信じています。党利党略ではなく、机上の空論ではなく、現実の世界の実態に即した本音の政策議論を是非お願いしたいと思います。法律論も重要でしょう。しかし、法律論だけでは国家は統治できません。そこで必要となるのは、観念論だけではなくて、現実に即した高度の政治判断であるべきです。
 国民の生命と財産を守る安全保障には右も左もありません。保守もリベラルもありません。そこにありますのは、安全保障というのは、一億人を超える国民から成るこの国の安全を確保する手段であり、あらゆる事態に対応できる切れ目のない柔軟性を持つべきだと思います。
 国民の代表である国会議員の皆様がそのような政治判断をするために選ばれてきたんだと私は信じております。民主主義は、最大多数の最大幸福を実現する制度でございます。今こそ成熟した政治判断をお願い申し上げ、意見陳述を終えたいと思います。
 御清聴ありがとうございました。

発言情報

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発言者: 宮家邦彦

speaker_id: 19233

日付: 2015-09-08

院: 参議院

会議名: 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会