我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会

2015-09-08 参議院 全150発言

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会議録情報#0
平成二十七年九月八日(火曜日)
   午後一時五分開会
    ─────────────
   委員の異動
 九月四日
    辞任         補欠選任
     江田 五月君     小川 勝也君
     吉田 忠智君     福島みずほ君
 九月七日
    辞任         補欠選任
     愛知 治郎君     石田 昌宏君
     高野光二郎君     猪口 邦子君
     山本 順三君     長峯  誠君
     川田 龍平君     儀間 光男君
 九月八日
    辞任         補欠選任
     大沼みずほ君     島田 三郎君
     堀内 恒夫君     宮本 周司君
     白  眞勲君     相原久美子君
    ─────────────
  出席者は左のとおり。
    委員長         鴻池 祥肇君
    理 事
                石井 準一君
                佐藤 正久君
                塚田 一郎君
                馬場 成志君
                堀井  巌君
                北澤 俊美君
                福山 哲郎君
                荒木 清寛君
                清水 貴之君
    委 員
                石田 昌宏君
                猪口 邦子君
                大沼みずほ君
                北村 経夫君
                上月 良祐君
                島田 三郎君
                高橋 克法君
                豊田 俊郎君
                長峯  誠君
                堀内 恒夫君
                三木  亨君
                三宅 伸吾君
                宮本 周司君
                森 まさこ君
                山下 雄平君
                山本 一太君
                相原久美子君
                小川 勝也君
                小川 敏夫君
                大塚 耕平君
                大野 元裕君
                小西 洋之君
                那谷屋正義君
                白  眞勲君
                広田  一君
                蓮   舫君
                谷合 正明君
                平木 大作君
                矢倉 克夫君
                儀間 光男君
                井上 哲士君
                仁比 聡平君
                山田 太郎君
                和田 政宗君
                水野 賢一君
                福島みずほ君
                山本 太郎君
                荒井 広幸君
   委員以外の議員
       発議者      小野 次郎君
   国務大臣
       外務大臣     岸田 文雄君
       防衛大臣
       国務大臣     中谷  元君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        藤田 昌三君
       常任委員会専門
       員        宇佐美正行君
   参考人
       立命館大学客員
       教授       宮家 邦彦君
       元内閣法制局長
       官・弁護士    大森 政輔君
       慶應義塾大学総
       合政策学部准教
       授        神保  謙君
       日本弁護士連合
       会憲法問題対策
       本部副本部長・
       弁護士      伊藤  真君
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  本日の会議に付した案件
○我が国及び国際社会の平和及び安全の確保に資
 するための自衛隊法等の一部を改正する法律案
 (内閣提出、衆議院送付)
○国際平和共同対処事態に際して我が国が実施す
 る諸外国の軍隊等に対する協力支援活動等に関
 する法律案(内閣提出、衆議院送付)
○武力攻撃危機事態に対処するための自衛隊法等
 の一部を改正する法律案(小野次郎君発議)
○在外邦人の警護等を実施するための自衛隊法の
 一部を改正する法律案(小野次郎君外一名発議
 )
○合衆国軍隊に対する物品又は役務の提供の拡充
 等のための自衛隊法の一部を改正する法律案(
 小野次郎君外一名発議)
○国外犯の処罰規定を整備するための自衛隊法の
 一部を改正する法律案(小野次郎君外一名発議
 )
○国際平和共同対処事態に際して我が国が実施す
 る人道復興支援活動等に関する法律案(小野次
 郎君外一名発議)
○国際連合平和維持活動等に対する協力に関する
 法律の一部を改正する法律案(小野次郎君発議
 )
○周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保
 するための措置に関する法律及び周辺事態に際
 して実施する船舶検査活動に関する法律の一部
 を改正する法律案(小野次郎君発議)
○公聴会開会承認要求に関する件
    ─────────────
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鴻池祥肇#1
○委員長(鴻池祥肇君) ただいまから我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会を開会いたします。
 委員の異動について御報告いたします。
 昨日までに、吉田忠智君、江田五月君、愛知治郎君、高野光二郎君、山本順三君及び川田龍平君が委員を辞任され、その補欠として福島みずほ君、小川勝也君、石田昌宏君、猪口邦子君、長峯誠君及び儀間光男君が選任されました。
    ─────────────
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鴻池祥肇#2
○委員長(鴻池祥肇君) 我が国及び国際社会の平和及び安全の確保に資するための自衛隊法等の一部を改正する法律案、国際平和共同対処事態に際して我が国が実施する諸外国の軍隊等に対する協力支援活動等に関する法律案、武力攻撃危機事態に対処するための自衛隊法等の一部を改正する法律案、在外邦人の警護等を実施するための自衛隊法の一部を改正する法律案、合衆国軍隊に対する物品又は役務の提供の拡充等のための自衛隊法の一部を改正する法律案、国外犯の処罰規定を整備するための自衛隊法の一部を改正する法律案及び国際平和共同対処事態に際して我が国が実施する人道復興支援活動等に関する法律案、以上七案を一括して議題といたします。
 本日は、七案の審査のため、四名の参考人から御意見を伺います。
 御出席いただいております参考人の方々を御紹介いたします。
 まず、立命館大学客員教授宮家邦彦参考人でございます。
 次に、元内閣法制局長官・弁護士大森政輔参考人でございます。
 次に、慶應義塾大学総合政策学部准教授神保謙参考人でございます。
 次に、日本弁護士連合会憲法問題対策本部副本部長・弁護士伊藤真参考人でございます。
 この際、参考人の方々に委員会を代表して一言御挨拶を申し上げます。
 本日は、御多忙のところ本委員会に御出席をいただきまして、誠にありがとうございます。
 参考人の皆様から忌憚のない御意見を頂戴をいたしまして、今後の我々委員会の審査の参考にさせていただきたいと思いますので、よろしくお願いを申し上げます。
 議事の進め方について申し上げます。
 まず、お一人十五分以内で、宮家参考人、大森参考人、神保参考人、伊藤参考人の順に御意見をお述べいただき、その後、各委員からの質疑にお答えいただきたいと存じます。
 また、御発言の際は、挙手をしていただき、その都度、私の許可を得ることとなっておりますので、御承知おきをいただきたいと思います。
 それでは、まず宮家参考人にお願いをいたします。宮家参考人。
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宮家邦彦#3
○参考人(宮家邦彦君) 宮家邦彦でございます。
 本委員会で私が意見を申し述べる機会をいただきましたことを大変名誉に思っております。
 さて、ある著名な憲法学者は、外務省員はみんな自衛隊に入って危険地域を経験すべしと、こういうお話がありました。私は、もしかしたら、実戦はともかくといたしまして、外務省員とか自衛隊員よりもはるかに実地の戦争経験があるのかもしれません。
 私は、外務省でアラビア語が専門でした。クウェートで研修旅行中にイラン・イラク戦争が始まりました。初任地は戦時下のバグダッドでありました。そして、二年数か月在勤いたしました。湾岸戦争発生直後はサウジアラビアに出張いたしました。二〇〇四年にはイラク戦争後のバグダッドに再び派遣をされました。特に、二度目の勤務というのは、二人の当時の外務省の同僚を失った直後でございました。戦場に送られる兵士の気持ちを僅かながらも理解したつもりでございます。
 私は、もう政府の関係者ではありません。本日は、自由かつ率直に、自分が経験した、まあかぎ括弧付きですが、戦争ないし戦闘を含む世界の安全保障の常識と私が日頃思っていること、これを述べたいと存じます。
 まずは、結論から申し上げます。
 今回の平和安全法案に反対する方々の主張は、これまでの私の個人的な経験に照らせば、およそ安全保障の本質を理解せず、冷戦後の世界の大きな変化を考慮しない観念論と机上の空論でございます。人によっては、現実味を欠いていると言う方もいらっしゃいます。空想的平和主義、ガラパゴス平和主義とおっしゃる方もいます。このような議論がいかに世界の常識から懸け離れているか、本日は、時間の許す限り、委員の皆様を通じて国民の皆様に御説明をしたいと思っています。
 本日の議論のキーワードは抑止でございます。
 冷戦時代というのは実に安定した時代だったのかもしれません。一九五〇年に朝鮮半島で抑止が失敗いたしましたが、これを除けば東アジアでは基本的に抑止は効いた時代でございます。ところが、冷戦後二十五年たちまして、世界各地では現在、旧帝国による不健全な民族主義というものが次々と復活をしつつあるように思います。これに伴い、各地で物理的な脅威も発生し始めております。最大の問題は、この種の国家ないし勢力には抑止が効かない可能性があるということであります。
 イラク戦争後のバグダッドで私はイラクの内戦も見てまいりました。そして、これらの経験から学んだことは、戦争というのは悪意のある勢力が物理的力を持って現状を変更しようとするときに往々として起きるものだということでございます。これは私の安全保障の常識でございます。
 例えば、イラン革命直後、湾岸地域には力の空白が生まれました。その力の空白を埋めようとしたのがイラクのフセイン大統領でありました。当時のイラクを抑止する国はありませんでした。
 逆に、最近のシリアやイラクではイスラム国が台頭しておりますけれども、これも国際社会がシリア内戦に対して適切な措置をとらなかったことの結果でありましょうし、その国際社会の対応の中には、欧米諸国のシリアの現状を放置する動き、これもあったように思います。
 このように、軍事介入というのは、時に事態を悪化させることがありますが、同時に、非介入主義というものも同様に悪影響を及ぼし得るのでございます。危機に際して正しい措置をとるということは決して簡単なことではありません。人間は錯誤をいたします。予想を超えるような事態が起きるからこそ、まさに危機なのであります。戦争の抑止に失敗をすれば、悪意の勢力は一層勢い付きます。これが人間の歴史であります。いかに善意の勢力が平和を唱えても、いかに外交努力を重ねても、抑止は破れるときがあるのです。今のウクライナ、南シナ海、シリアというのはその一例にすぎないのであります。
 今、日本の国会で、特定の状況の下で危機的な状況は起こり得る、いや、起こり得ないんだと、こういう議論が繰り返されておりますが、誤解を恐れずに申し上げますけれども、私は、危機というのは実は何でも起こり得るんです、何でも起こり得る。だからこそ、あらゆる事態に対応できるような法的枠組みをあらかじめ準備しておかなければいけない、これが私の理解でございます。
 続いて、イラクでの経験を踏まえまして、私が感じている同盟の本質についてお話をいたします。
 二〇〇四年、サマーワに陸上自衛隊の本隊が到着いたしました。私は、当時、バクダッドのCPAという、連合国暫定当局でしたか、日本政府の代表兼連絡係で出向しておりました。本隊が到着する前と後でCPAにおける日本の待遇は大きく変わりました。到着後は、連合国の一員として日本が得られる危険に関する情報、出席できる会議、待遇、これ、全て格段に向上いたしました。なぜでしょう。もちろん、自衛隊は戦闘部隊ではありませんでした。しかし、我々は同盟国扱いになったのであります。
 信頼できる同盟国があるからこそ、力で現状を変えようとする勢力への抑止力が高まるのであります。信頼できない国の部隊には重要な情報も待遇も与えない、これが世界の常識であります。こうやって国家は相互を守り合い、そして平和を保っているのであります。逆に言えば、そのような関係を築けない国家との関係だけでは、いざというときに他国は頼りにならないのであります。役に立たないのです。このような現実を知れば知るほど、安全保障面での相互信頼を高める努力、これがいかに必要かということは御理解いただけると思います。
 現在審議されている法案など整備する必要はないんだと主張される方の多くは、この法案が戦争法案だとか、戦前の軍事大国化、軍国主義への道だなどという主張をされる方もおられるそうです。本当にそうなんですか。戦前の日本が失敗したのは軍隊があったからではないでしょう。民主主義の下で、その軍隊に対するシビリアンコントロールができなかったことが問題なんです。今の日本で当時のような軍国主義が再び起きると本気で考えておられるんでしょうか。それほど我々は今の日本の民主主義に自信がないんでしょうか。とんでもない。私はそうは思いません。それどころか、グローバルスタンダードから申し上げれば、日本の現在の法案では、平均的なNATOの加盟国と比べてもはるかにはるかに限定的な集団的自衛権しか行使いたしませんし、また行使できないのであります。これでどうやって日本を軍国主義化するんでしょう。私は理解ができません。
 もう一つ、今国会での議論を伺っていて疑問に思うことがございます。それは、審議中に具体的な法案の内容について余り詳しい議論がなかったことであります。議論をしないでおいて一方で説明不足だと言われても、これはなかなか理解できないのでありますが。
 今回の法案が確かに多数の法律の修正というものを伴う、分かりにくいという議論があることは承知しております。しかし、その理由はちゃんとあるんです。最大の理由は、ポジリストかネガリストかの違いであります。
 主要国の安全保障法制というのは基本的にネガリストであります。すなわち、禁止条項を列挙し、それ以外は実施可能とする構造です。だからこそ各国はシームレスな対応が可能になっています。ところが、日本では、ポジリスト、すなわち、実施可能なもののみを列挙して、それ以外はできない、このような虫食い状態ですから、臨機応変の対応をしようと思えばどうしても、いかなる危機的状況にも対応できるようにするためには、このポジリストを拡大していくしかないのであります。だからこそ既存の法令の修正が多くなってしまう、これはある程度仕方がないのかもしれません。
 もちろん、最も分かりやすい方法は、自衛隊法をネガリストにすればいいのかもしれません。しかし、そうすれば、一九五五年以降、五〇年代以降の国会の答弁の積み重ねというのは一体どうなるんだということを考えれば、やはりネガリストは採用しないと決めた今回の判断は正しかったと思っています。
 今回の法案では、自衛隊員のリスクが高まるからけしからぬ、反対だという議論もございました。私は、これは国民の生命と財産を守るために命を懸ける自衛隊員に対して極めて失礼な議論だと思っております。
 自衛隊員は、リスクを取るためのプロフェッショナルであります。だからこそ、そのために必要な訓練を行い、そして必要な装備と十分な情報を持って仕事をする専門家集団であります。例えば、巨大火災が発生して消防隊員に、いや、こんな危険な火事だから行くなと言うんですか。出動するなと言うんでしょうか。火事が拡大した今こそ消火が必要でありましょう。そのためにプロは日頃から実力を養っておくのであります。消防隊員と自衛隊員が一体どこが違うんですか。
 続いて、憲法問題、特に集団的自衛権に関する議論について幾つか申し上げたいと思います。
 過去五十五年間の日本における安全保障議論で強く感じますことは、安保を批判する、批判的に論じる人ほど軍事問題、安全保障の問題について余り知識が十分でないという実態、現実でございます。典型例が、武力行使との一体化論であります。
 この概念の是非、私はいつも言うんですが、分からなくなったら英訳してみなさいと。英語に訳せれば私はロジックが通る、分かりやすい概念だと思うんですが、残念ながら、護憲派のある憲法学者も、これは一体化は英訳できません、日本でしか通用しない、日本だけの概念でございますと、そうおっしゃっていました。それはそうでしょう。要するに日本以外では通用しない議論をしているということであります。
 そもそも、違憲、合憲の最終的判断を下すのは最高裁だというのが私の理解でございます。憲法学者、法制局長官にはその権限はありません。先日も、ある尊敬する元法制局長官とお会いしまして、自分は軍事問題は素人だと言われて、私は愕然といたしました。
 冒頭述べたとおり、著名な憲法学者が、外務官僚には全員自衛隊入隊を義務付けて危険地域を体験させよと、こうマスコミでおっしゃっているそうであります。こんな暴論が許されるのであれば、私も一言申し上げたい。憲法学者や内閣法制局長官こそ戦争地域を体験されたらいかがでしょうか。こういうことを申し上げるのは不謹慎かもしれません。
 冒頭申し上げたとおり、彼らは、日本国憲法の下で日本への武力行使の着手がない段階での武力行使は違憲だと、日本への武力行使の着手に至る前の武力行使は、たとえ国際法上集団的自衛権の行使として正当化されるとしても、日本国憲法に反するのだと、こういう御説明をされるそうです。
 しかし、このような、私に言わせれば、二十世紀の戦争概念に基づく解釈が今もまかり通っていること自体、若干不思議でございます。残念ながら、良きにつけ悪きにつけ、二十一世紀の戦争概念というのは、今までの伝統的な概念を超えて、宇宙にもサイバーにも広がっております。このようなことは最低限御理解をいただきたい、知っていてほしいことだと私は思いました。
 集団的自衛権、国連の集団的安全保障等々について、日本の中で、一部ですけれども、どこか否定的なイメージ、何か悪いことをしているようなイメージがあるのは実に不思議だと思っています。考えてみてください。日本が外国から武力攻撃を受けたときに、アメリカは日米安保条約によって日本を守るんですよ。この防衛する義務を負っているけど、その根拠というのは国連が各加盟国に認めている集団的自衛権なんです。いざというときに自国を守ってもらう根拠となる概念をそのように否定的に考えていること自体、私はどうしても違和感があります。そのような自己矛盾に近い議論が今も続いている国は、私の知る限り、日本しかございません。
 七月の衆議院の特別委員会で岡本行夫氏は、国際安全保障環境の変化を見れば、行政府の部局である法制局が直接的な国土防衛以外の行為は全て黒と判断してきたことが、果たして海外で日本人の生命と財産を守るために適切だったのか考え直す時期だとおっしゃっています。私は全く同感でございます。
 私は憲法学者じゃございません。どちらかというと現実主義的な元行政官にすぎません。しかし、私はこう信じています。憲法があるから国家があるのではありません。国家を守るために憲法があるのだと理解しています。
 戦争の形態が根本的に変化した二十一世紀、憲法学者はなおまだ古い憲法の解釈に固執をする。しかし、それでもし逆に国が守れなくなっているんだとすれば、それはいかがなものか。どうしてこの矛盾にお気付きにならないのか、私はどうしても理解ができません。
 さらに、ある憲法学者は、存立危機事態条項それ自体、憲法九条違反である前に、そもそも漠然として不明確で違憲であるという議論もあります。実に乱暴な議論だと思います。さきにも述べましたとおり、世界の主要国の安保法制というのはネガリストでできているんです。このような形で明確な定義をしていない場合は少なくありません。それでは、その定義がないことが違憲になるんでしょうか。私は、断じてそうではないと思っています。
 繰り返しになりますが、日本は三権分立の民主国家であります。立法府が作る法律を行政府は執行する、それが憲法や法律に反するか否かの判断は最高裁の仕事であります。
 アメリカの最高裁は、最近、同性婚を合憲と判断いたしました。日本では、従来の論理の延長にない議論だということで批判がありましたけれども、同性婚というのも、考えてみたら従来は男女婚なんですから、その論理の延長上にはない議論であります。なぜこんなことが民主国家で起きるか、それは、この種の判断変更というものが認められるのは最高裁だけだからであります。憲法学者や官僚にすぎない法制局長官にはそのような権限はないのは言うまでもありません。
 最後に、平和安全法制全体について一言申し上げます。
 この法案に反対される委員の方々、本当に現行法制だけで二十一世紀も国際安全保障環境の下にある日本を守れると思っていらっしゃるんでしょうか。もちろん、領域警備のように現行法の運用で、これを変えれば何とか対処できるものもあるかもしれません。しかし、現行法ではどうしても対応できない種類の危機が生まれつつあることも、これまた悲しい現実であります。
 今後、世界はますます不安定さを増す可能性がございます。このような時代に、将来政権を担うときがまた来るかもしれない責任政党のメンバーの方々、本当にこの法案は不要だとお考えなんですか。私には信じられません。そして、そう信じたくはないのです。責任ある立場にある方ほど、この種の法案が必要だということを内々理解しておられるのではないか、私はそう信じたい。もし、皆さんが将来政府の要職に戻って、そのときに、この種の法案がなかったときにどのようなことが起こり得るかを真剣に考えていただきたいのです。
 参議院は良識の府だと信じています。党利党略ではなく、机上の空論ではなく、現実の世界の実態に即した本音の政策議論を是非お願いしたいと思います。法律論も重要でしょう。しかし、法律論だけでは国家は統治できません。そこで必要となるのは、観念論だけではなくて、現実に即した高度の政治判断であるべきです。
 国民の生命と財産を守る安全保障には右も左もありません。保守もリベラルもありません。そこにありますのは、安全保障というのは、一億人を超える国民から成るこの国の安全を確保する手段であり、あらゆる事態に対応できる切れ目のない柔軟性を持つべきだと思います。
 国民の代表である国会議員の皆様がそのような政治判断をするために選ばれてきたんだと私は信じております。民主主義は、最大多数の最大幸福を実現する制度でございます。今こそ成熟した政治判断をお願い申し上げ、意見陳述を終えたいと思います。
 御清聴ありがとうございました。
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鴻池祥肇#4
○委員長(鴻池祥肇君) ありがとうございました。
 次に、大森参考人にお願いをいたします。大森参考人。
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大森政輔#5
○参考人(大森政輔君) 大森でございます。
 私は、先般行われました閣議決定の問題点を指摘することを通じて、その閣議決定が落とし込まれた法案についての意見とさせていただきたいと思います。しかも、時間の関係もございますので、今回は、集団的自衛権の行使は憲法九条の下で許容されるのかという問題と、他国の武力の行使との一体化に関する閣議決定による見解の変更は相当であるのかという二点に絞って意見を述べたいと思います。
 まず、集団的自衛権の行使は憲法九条の下で許容されるのかという問題につき申し上げたいと思いますが、日本国憲法が制定されまして、今日までの変遷を少したどってみたいと思いますが、昭和二十年代の前半、このときは、自衛権がそもそもあるのかないのかという議論で終始いたしました。ところが、昭和二十五年、朝鮮動乱が起こりまして、日本の治安を事実上担保しておりましたアメリカ軍が朝鮮半島に出兵いたしまして、日本国内は治安の真空状態が生じたと。そこで、警察予備隊が組織され、それが保安隊に組織改編されまして、昭和二十九年七月の一日、自衛隊が創設されました。
   〔委員長退席、理事佐藤正久君着席〕
 そこで、当時の内閣は、それまでの憲法九条の解釈を整理いたしまして、次のような内容にまとめたわけでございます。これは、当時の法制局の説明によりますと、決して憲法解釈の内容を変えたのではないんだと、いろいろ行われてきた解釈を整理したんだということになっております。
 これをどう評価するかはこれまた別の機会の問題でございまして、この昭和二十九年七月の一日、自衛隊の創設に際して整理された憲法九条の概要を申し上げますと、第一点は、憲法九条一項は、国際紛争を解決する手段としての戦争、武力による威嚇又は武力の行使を禁じているが、独立国家に固有の自衛権までも否定する趣旨のものとは解されないと。第二点は、同条二項は戦力の保持を禁止しているが、自衛権の行使を裏付ける自衛のための最小限度の実力を保持することまでも禁止する趣旨ではなく、この限度を超える実力を保持することを禁ずるものであると。そして第三点といたしまして、自衛隊は、我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つための不可欠の機関であって、右の限度内の実力機関であるから違憲ではないと。
 この三点に整理して、それ以来、憲法学の研究者の中には自衛隊自体の違憲性に関する議論も交わされてはいましたけれども、政府におきましては、上記整理された見解を今日まで堅持し、その保有は認容できるが、その行使、集団的自衛権の行使については、政府を含めて否定すべきものであることがその都度確認され、今日まで一貫して堅持されてきたわけでございます。
 それを象徴した言辞が、例えば、この事項は集団的自衛権の行使に当たるから憲法九条に抵触し認められないのではないかと、このように、あたかも集団的自衛権の行使が憲法九条に違反する典型行為であることを前提とするような形で議論がなされてきたわけでございます。
 したがいまして、本件閣議決定による集団的自衛権の行使認容は、超えることができない憲法則ともいうべき基本原則からの重大な逸脱であると言わなければなりません。
 次に、先般の閣議決定におきましては、論理的整合性、論理的帰結、基本的な論理の枠内、合理的な当てはめの結果などという、それを個々に考えてみますと、意味不分明な概念を設定し、集団的自衛権の行使認容を、その合理的な当てはめの結果として憲法九条が認める自衛のための措置に当たるんだと主張しているわけでございます。これは、多分、個別的自衛権と集団的自衛権を同質のものとして、同次元の存在における必要性の区分にとどまるとして、憲法九条の下で集団的自衛権の行使を容認する伏線にしているのではなかろうかと推測するものでございます。
 しかしながら、個別的自衛権と集団的自衛権は決して同質のものではなく、本質的な差異があるんだということを申し上げたいと思います。
 個別的自衛権の行使、すなわち、外国の武力攻撃によって我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が損なわれる場合には、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに必要最小限度で武力の行使を行うということは、独立主権国家ならば固有かつ先天的に有する自己保全のための自然的権能に基づくものであると解されまして、憲法九条の下でも当然に許されるものであると考えるわけでございます。
 他方、集団的自衛権の行使、すなわち、我が国が武力攻撃を受けなくとも、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生した場合において、それを阻止するため、当該他国の要請を受けて、武力攻撃を行う第三国に対して我が国が武力行使を行うことができるとされる国際上の権利につきましては、武力攻撃を受けた他国との密接な関係と申しますのは同盟条約などを根拠とするものでございまして、上記のような個別的自衛権とは異なり、その権利の根拠あるいはその内容というものは、他国との間の同盟その他の関係の密接性により後天的に発生し、付与される内容を持つものでございます。
 このように、集団的自衛権の行使につきましては、それが密接な関係にある当該他国の要請を受けて行われることが示すとおり、直接的には当該他国を防衛することを目的とするものであり、他国防衛権あるいは他衛権という用語を使った方がその本質を端的に表すと考えるわけでございますが、この他国防衛権の行使が間接的には自国の平和と安全の確保に寄与することがあり得るとしても、自国に対する武力攻撃を排除することを直接の目的とする個別的自衛権の行使とは本質的に異なるものでございます。
 このように、両者は別次元の事象であり、本件閣議決定に言うような基本的論理の枠内における合理的な当てはめの結果として、単に同次元における必要性の程度に応じて許否の区分の線引きを移動させることができ、また移動させようとしたにとどまるものではございません。したがって、我が国を取り巻く国際安全保障環境の変化を考慮しましても、憲法九条の下で、いずれの場合も我が国による武力の行使を許容できると判断することは、これは内閣の独断でございまして、肯定できるものではございません。
 以上のとおり、集団的自衛権の行使は今後とも憲法九条の下で許容できる余地はないのに、本件閣議決定において憲法解釈の変更と称してこれを憲法九条の下で許容できるとして、それを前提として各種の施策を講じようとすることは、内閣が閣議決定でなし得る範疇を超えた措置である、したがって、その権能を超えたものとして無効と解すべきだと思います。したがって、これを前提として自衛隊法の改正その他所要の措置を講ずることは到底認められないと考える次第でございます。
 そのほか、先般の閣議決定の内容には多々問題点がございますが、時間の関係もありますので、そのうちの数点を申し上げたいと思います。
 まず、集団的自衛権行使限定要件の不明確性というものがあるわけですが、これは話せば長い話になりますのでまた別の機会にいたしまして、新三要件の第一要件の後段、明白な危険という用語が使われております。これについて若干私の意見を申し上げたいんですが、自公間の与党協議において、根底から覆されるおそれという用語を入れようとしたことが新聞報道では言われております。しかし、根底から覆されるおそれでは判断の客観性を確保できないとして、明白な危険とすることによって与党協議は落着したようでございます。
 しかしながら、単なる危険に明白という用語を付加しても、本来、危険の概念には、国語辞典等をひもときますと、危害又は損失の生ずるおそれがあることという意味であるというふうに書かれております。このおそれという不確定概念が本質的に含まれている。したがって、明白なる用語をかぶせましても、発生の不確実性を除去することは用語の本質的意義から不可能であり、規定の運用者いかんによっては、その主観的判断の結果が大きな差が生ずるということを否定できないのではなかろうかと一言申し上げたいと思います。
 次に、この集団的自衛権の行使とその先制攻撃性という問題が次に存在するわけですが、これはまた別の機会に申し上げることにいたしまして、次に、先般、私などはマスコミを通じてでございますが、法的安定性という問題についてその議論が闘わされたことがございます。これも是非申し上げたいんですが、これも後ほどにいたしまして、その次が、最高裁砂川判決と集団的自衛権行使の関係でございます。これは是非私は申し上げたい、そして理解をいただきたいと思う次第でございます。すなわち、最高裁は砂川判決中で集団的自衛権行使を合憲と認めているかという問題でございます。
 この裁判の実務に関係する法曹、放送局の放送じゃなくて専門家という意味でございますが、法曹の間では、最高裁砂川判決が集団的自衛権行使の合憲性の有無まで射程範囲にしているものではないということにつきましては何ら異議はございません。
 砂川事件で問題となりましたのは、旧日米安保条約に基づく米軍駐留の合憲性、これが問題になりまして、同条約は日本の個別的自衛権とアメリカの集団的自衛権との組合せで日本を防衛しようとするもので、同判決において我が国が集団的自衛権を行使できるか否かという点は全く争点となっていないのでございます。
 ところが、この判決理由中の数行を引き出しまして、それに独自の考え方を入れて、最高裁も集団的自衛権の行使を認めているという説がかなり広まり、それがかなりの力を持って当面の論争を左右しようとしている、この点は非常に問題でございます。
 この最高裁判決の先例としての価値、つまり当該先例から引き出される一般法理が何かというのは、あくまでいかなる具体的争点に対してなされた判決かということに即して決まるものでございます。砂川判決から集団的自衛権の行使が合憲であるとの結論が導かれるとの主張は、こうした法律学の基本の理解に関係するものでございまして、到底そういうことができるものではございません。この判決に集団的自衛権の行使を許容する最高裁の意図を読み込むことは全くの暴論でございます。この暴論というのは、傍らの論じゃございませんで、バイオレンスの暴でございます。
 なぜこのように私が少ない時間を費やしたかと申しますと、最高裁は集団的自衛権行使を合憲と判断しているんだという、事実じゃない言葉を信じて本件閣議決定を支持している者が相当数に上ると推測されます。しかし、このように国民を誤って導くに至ったことは非常に遺憾でございまして、本来は内閣法制局がそれを是正しなかったというところに発端があるわけでございまして、私は内閣法制局に随分長い間いたわけでございますけれども、これは内閣法制局の任務の懈怠であると言わなければなりません。是非、後輩、現役の人たちはこれを耳に入れ、頭にたたき込んで、もう一度考えてもらいたいものであると思います。
 次に、この閣議決定をめぐる議論を聞いておりますと、文言、すなわち表示と表示者の意思というものがそごしていると言わざるを得ないと……
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佐藤正久#6
○理事(佐藤正久君) 大森参考人、時間が過ぎておりますので、御発言をおまとめください。よろしくお願いします。
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大森政輔#7
○参考人(大森政輔君) はい。これはもうそういうことで。
 最後に、これだけは是非お願いしたいと思いますが、国際紛争への積極的関与の端緒になるおそれがあるんだということでございます。
 また、我が国が集団的自衛権の行使として武力行使をしている第三国に武力攻撃の矛先を向けますと、その第三国は、反撃の正当な理由の有無にかかわらず、事実上、我が国に対し攻撃の矛先を向けてくることは必定でございまして、集団的自衛権の抑止力以上に紛争に巻き込まれる危険を覚悟しなければならず、バラ色の局面到来は到底期待できないことを自覚しなければならないのではなかろうかと。
 したがいまして、集団的自衛権の行使は、このような事態の発生可能性を伴うものでございますから、それを国策として採用することが我が国の平和と安定確保のために必要であるとすれば、憲法上明文をもって用意されている憲法改正手続にのせ、全国民的検討を経ることが求められると言わざるを得ません。
 本来はもう少し申し上げたい点があるんですが、最後に一言申し上げたいと思います。
 それは、冒頭に申し上げました他国の武力の行使との一体化の問題でございます。
 この問題、これは大体どういう考え方であるかというのは、もう既にこの当委員会で十分に議論されたと思いますが、今回の閣議決定、この一体化に関する閣議決定の問題点は二点ございます。その一点は、戦闘現場と非戦闘現場を一線で画することの非現実性という問題と、それから支援活動内容の拡大が武力の行使との一体化の縮小を来す見解になっているという点でございます。
 それぞれの、是非申し上げたいことが二点あるわけでございますが、また御関心のある方が質問をしていただきますれば、その際に自分の考えるところを申し述べたいと思います。
 もう随分時間が超過いたしまして、どうも失礼しました。
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佐藤正久#8
○理事(佐藤正久君) ありがとうございました。
 次に、神保参考人にお願いいたします。神保参考人。
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神保謙#9
○参考人(神保謙君) 慶應大学の神保でございます。
 本日は、平和安全法制特別委員会に参考人として意見を述べる機会をいただきましたことに、まず深く感謝申し上げます。
 まず初めに、今回提出されている平和安全保障法制整備法案及び国際平和支援法案は、日本の安全保障政策に必要不可欠な法案であるという私の基本的な考え方を述べた上で、現下の安全保障環境の変化を鑑み、現在提出されている法案でもなお不十分であり、仮に法案が成立したとしても不断の体制整備が必要であるという問題意識を私からは表明させていただきます。
 まず、基本認識を申し上げます。
 冷戦終結後の日本の防衛・安全保障政策は、安全保障政策の変化に応じて大きな進化を遂げてきたわけでございます。九二年のPKO法の成立以来、日本は延べ十四回の国連PKOミッションに一万人を超す自衛隊員を派遣し、既に二十数年間にわたるグローバルな展開をしてまいりました。また、九七年の日米防衛協力のガイドライン及び二年後に成立いたしました周辺事態法の成立以降は、我が国を取り巻く地域で生じ得る紛争に日米共同で対処する枠組みも整えてきたわけであります。また、二〇〇〇年代に入りますと国際テロリズムの時代に入るわけですが、その台頭と拡大に対しても、テロの温床となり得る地域に対する人道復興支援を中心とした国際協力に積極的に関与してきたわけでございます。
 こうした過去二十年にわたる日本の安全保障政策の展開は高く評価されるべきであると考えておりますが、今日、そこには二つの新しい、しかも深刻な問題が発生をしているということを指摘したいと思います。
 第一は、こうした数多くの自衛隊のミッションの拡大をこれまで既存の法律の改正や時限立法の中で乗り切るという、言わば増改築工事の繰り返しであったということでございます。
 今日、私、配付資料を準備しておりまして、配付資料の防衛計画の大綱と脅威認識・政策・制度の空間概念という格子図を御覧になっていただきたいと思います。これは最新の一三年十二月に発表された我が国の防衛計画の大綱に示されている文章を抽出したものなんですけれども、その文章に示されている脅威認識と我が国の政策、これに対応する制度を、グローバル、アジア太平洋、そして日米を中心とした二国間、そして国内という空間軸の中でまとめたものでございます。
 これはやや乱暴な分類ではございますけれども、ここで私が示したかったことは、御覧になっていただくと分かるとおり、脅威の性質自体はグローバルから国内に至るまで空間及び領域を横断する性格を持つようになってきているということでございます。そして、近年の政策も徐々に国内から二国間、アジア太平洋地域、グローバルへと横断する志向を持つようになってきているということでございます。
 しかしながら、制度について御覧になっていただくと、それは空間別の縦割りによってつくられているものが多いということでございます。ここに、安全保障環境は領域横断になっているにもかかわらず、制度自体は空間の縦割りにとどまっているというミスマッチが生じているということをまず指摘したいと思います。これが第一の問題でございます。
 第二の問題は、二十一世紀の我が国を取り巻く安全保障の最大の変化と言ってもよいと思います中国の台頭に関することでございます。それが我が国の安全保障に二つの新しい領域への対応を迫っているということを申し上げます。
 一つは、本委員会でも再三にわたり問題提起があったと了解しておりますグレーゾーンと呼ばれる事態でございます。まさに、私の図で申し上げますと、この二国間と国内の間、そして事態でいいますと平時と有事の間、そして法制度でいえば自衛権と警察権の間の切れ目に我が国の主権を侵害する重大な事態が生じているということは本委員会の皆様が共有するところであろうと考えております。
 もう一つは、先日の軍事パレード、皆さん御覧になったと思いますけれども、そこでも示された中国の軍事力の急速な拡大が、我が国ひいては周辺国、さらにこの地域に関与する米軍との軍事バランスを大きく変化させているということでございます。特にこの米軍の地域的関与に関する、これ拒否力と呼びますけれども、これが高まっていること、これを専門用語ではA2AD環境と呼んだりしますけれども、このこと自体が東アジアの紛争抑止、紛争対処への方程式を大きく変化させつつあるということでございます。
 以上申し上げた二つのミスマッチあるいは新しいドメインの拡大こそが、なぜ今日我が国が確固とした安全保障の法制度を策定しなければならないかという重要な根拠だと私は考えているわけでございます。そして、そこには日本の防衛政策にとって今日最も重要な三つの領域への対応が明確に意識されているわけでございます。
 第一は、グレーゾーン事態への対応。これは、平時と有事の中間領域、そして警察権と自衛権の隙間を埋める対応ということになります。
 第二は、これは九〇年代からの宿題であったわけでありますけれども、朝鮮半島や台湾海峡での有事を念頭に置いた周辺事態、今法律では重要影響事態における日米の共同対処能力の強化、そしてその延長線上にある集団的自衛権の限定的行使をめぐる問題でございます。
 そして第三は、国際平和協力における自衛隊の役割の国際標準化、そしてそれを通して日本が世界の平和維持、平和構築で積極的な役割を果たしていくことという、以上の三つでございます。
 そして、この法案自体を見てみると、現在提出されております平和安全保障法案自体は大変複雑に構成されておりまして、多くの国民の皆さんには大変分かりにくいものとなっております。そして、この複雑さを十分に単純化できず、国民の理解を得られていないという状況は、率直に言って政府・与党の皆さんの努力不足を指摘しないわけにはいきません。
 せっかくの機会ですので、外部の有識者という立場で招かれている私であればこのように整理するのになという形の視点を幾つか提示をしてみたいと思います。
 本法案は、私の理解するところ、先ほど申し上げた三つの領域に対して切れ目のない、シームレスな対応を目指す制度構築の試みというのが一言で申し上げる平和安全保障法案の最大の目的だと考えております。
 この切れ目のない対応がなぜ必要であるか。それは、既に述べたとおり、安全保障上の脅威が領域横断的であるにもかかわらず、我が国の法制度が十分に横断的ではないという問題認識から出ているわけでございます。ですから、このシームレスという概念に対する理解が極めて重要だと考えているわけですが、しかも、このシームレスという概念は、私の考えでは以下の四つの領域に及ぶと考えております。
 第一は、事態の段階をめぐる考え方でございます。
 これは防衛計画の大綱や日米防衛協力のガイドラインでも示されているわけなんですけれども、平時から緊急事態までのあらゆる段階で切れ目のない体制整備をすることが重要だという、こういう考え方でございます。しかしながら、実際にはグレーゾーンと有事の間、そして低強度紛争と高強度、ハイエンドな紛争との間には、制度的、能力的な隙間が厳然として存在しており、これを埋める方策が不可欠であるというのが一番目のシームレスの考え方でございます。
 第二番目のシームレスの考え方は、地理的空間に関する概念でございます。
 先ほど来申し上げた領域横断的な脅威に対応するためには、我が国はどこまでの地理空間を安全保障上の空間とみなすのか。これは、ここまで委員会でも議論されたとおりだと思いますが、事態の性質に応じて変化する概念でございます。
 かつて、これは周辺事態として想定された朝鮮半島周辺の地理的区分ということにとどまらず、二十一世紀の安全保障環境を考えると、特に海洋安全保障、東シナ海から南シナ海、インド洋、そして中東地域に広がる広域空間の戦略的重要性は間違いなく高まっており、さらに、そういった広域空間であるからこそ様々な形態の国際協力や共同行動に参画する必要性が増したというのが、これが空間的シームレスの必要性でございます。
 第三の概念は、アクターの連携でございます。
 従来の周辺事態法であれば、その協力相手はアメリカに限定をされておりました。しかし、今般提示されている重要影響事態法案では、後方支援の対象国はオーストラリア等の友好国を含めるという設計になっております。これは、仮に朝鮮半島有事で、そうした有事が発生した場合ですけれども、その対応に従事する部隊はアメリカ以外の多国籍の軍になるということはほぼ確実であります。その場合、日本が柔軟に後方支援ができる枠組みを整備できるかどうかということは、これから起こり得る朝鮮半島の危機管理や紛争対処においても、私自身は必要不可欠と考えているわけでございます。これが第三番目です、アクターの連携。
 そして最後は、領域横断ということでございます。
 特に、先ほど申し上げた中国の拒否力の拡大、A2AD環境。様々なミサイルや戦闘機、潜水艦などを持っているわけですけれども、こうした環境において、アメリカ軍そして日米同盟が中国に対して相対的な優位を確保し続けるためには、実は様々な領域に対する、これは宇宙やサイバー空間を含むわけですけれども、これはアメリカの用語でクロスドメインと言っておりますけれども、クロスドメインの領域で協力を深めなければいけない、様々な領域をシームレスに担保するということが必要だということでございます。
 これが切れ目のないということを言っている四つの領域でございまして、これを正確に使い分けて法案の中にどのように反映させるかということが大変重要だと私自身は考えているわけですけれども、現在提出されている平和安全保障法案は、私のレジュメの(2)に示したとおりなんですけれども、例えば自衛隊法の改正は①と③に対して、そして重要影響事態確保法案は②に対してといった形で整理することによって、シームレスという切り口から、なぜ現在この法案が重要なのかということが国民の皆様に対してより分かりやすく説明できるのではないかと考えております。
 与党及び政府関係者の皆さんにおかれましては、極端な単純化や便宜的な事例紹介にとどまらず、国民に分かりやすく説明する努力を引き続き継続していただきたいと思っております。
 そして最後に、私は現在提出されている法案に強く賛同する立場ではありますが、幾つかの苦言を申し上げたいと存じます。
 最大の苦言は、本国会における議論が日本国憲法に対して合憲か違憲かという議論に相当多くの時間が割かれ、日本の安全保障政策の在り方を問う議論自体は十分に展開されてこなかったということでございます。
 僣越ながら、私見では、平和安全保障法をめぐる最大の論点は、この法案がシームレスな安全保障体制を確保できているかどうかということにあると考えております。しかも、その点に関して、私は研究者という立場から、現行の提出された法案では十分ではないと考えております。これが、仮に本法案が成立したとしても不断の体制整備が必要だと冒頭に申し上げたゆえんでございます。
 絞って三つの論点のみ申し上げます。
 第一の論点は、先ほど来申し上げておりますグレーゾーン事態への対応でございます。
 これは警察権と自衛権の切れ目を埋める方策ということが焦点となっているわけですけれども、この方法に関しましては、海上保安庁及び警察の能力と権限拡大と、自衛隊による警察権の行使の適用拡大という、言わば下から上へのアプローチと上から下への双方のアプローチがございます。今回の安保法制では、グレーゾーンに対して、上から下、つまり自衛隊の海上警備行動や治安出動の迅速な閣議決定の手続や、平時に活動する米国に対する武器等防護というものを当てはめようとしているわけでございます。
 当然、私自身も海上保安庁のみで対応できない事態に自衛隊の出動を柔軟に担保することは重要だと考えておりますが、他方で、もう一方の下から上への作用、つまり海上保安庁の権限拡大については、特に海上保安庁法第二十条、これは警察官職務執行法第七条の規定の準用になっておりますけれども、これに事実上がんじがらめになっている武器使用権限をどうするかということの議論については依然として本国会では欠落したままになっていると考えております。
 当該事態に対して、海上保安庁の権限と能力を拡大して、警察権、言わば英語で言いますとホワイトホールを拡大するのか、それとも軍事組織を早期に投入する方がいいのかということを考えるのは、これは日本が国家としてエスカレーション管理をどうするのかということの戦略に関わる問題でございまして、この戦略論こそが法制度に反映されなければいけないと考えているわけでございます。これが第一点です。
 第二の論点は、武力行使の新三要件として提示された存立危機事態をめぐる問題でございます。
 私は、かねてより日本が集団的自衛権の行使を認めることは当然という立場で議論をしてきました。この観点から、昨年の七月の閣議決定において、武力行使に関する新三要件として、我が国と密接な関係にある他国を含めたことは画期的であると考えております。しかしながら、その後段であります、我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があるという定義が付加された結果、その行使できる範囲が限定され過ぎた、限定することは反対しておりませんが、それが限定され過ぎたのではないかという懸念を持っているわけでございます。
 例えば、これまでの事例研究でもございましたように、日本以外の他国に向かうミサイルを日本のイージス艦が迎撃できるかどうかは、この解釈によれば甚だ疑わしいところだと言わざるを得ません。このままの状況では日米のミサイル防衛に関する共同行動には重大な支障が生じるという可能性を危惧いたします。
 時間が参りましたので、最後、簡単に述べたいと思います。
 第三は、国際平和協力の改正をめぐる問題でございます。
 今回の改正案の焦点となっているのは、PKOの参加五原則に関して、受入れ同意が安定的に維持されていることが確認されている場合、駆け付け警護を含む任務遂行型の武器の使用としたということでございます。この方向性自体は日本のPKO参加を国際標準に合わせていく上で必要不可欠であり、歓迎すべき改正であるというふうに考えております。
 しかしながら、問題となるのは、その前提となる受入れ同意が安定的に維持されているという状況認識そのものでございます。
 現代の中東、北アフリカ、西アフリカにおける秩序の不安定化は、しばしば広域に偏在する越境型の武装組織、これが特に組織化されているわけですけれども、こうした組織による破壊活動によってもたらされております。これは、国家の分裂等によって紛争当事者が固定的に存在していた九〇年代のPKOの状況とは大きく異なるわけでございます。これらの地域に展開される現代のPKOは、越境型の過激組織のテロ活動や急速な治安の悪化等のこうした事態の変化にも対応することが求められます。より現代の実態に即したPKO参画の法的基盤が今後形成されるということを望みたいと思います。
 以上で、二分ほど超過して大変失礼いたしましたけれども、私の冒頭の発言を終わらせていただきます。どうもありがとうございました。
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佐藤正久#10
○理事(佐藤正久君) ありがとうございました。
 次に、伊藤参考人にお願いいたします。伊藤参考人。
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伊藤真#11
○参考人(伊藤真君) 伊藤真でございます。
 今回の安保法案が今の日本の安全保障にとって適切か、必要か、そうした議論はとても重要だと思います。しかし、それ以上に、そもそも憲法上許されているのか否か、この議論がいまだ十分になされているとは思いません。どんな安全保障政策であろうが外交政策であろうが、憲法の枠の中で実行すること、これが立憲主義の本質的要請であります。憲法があってこその国家であり、権力の行使である。
 憲法を語る者に対して、往々に、軍事の現場を知らない、憲法論は観念的でというふうによく批判されます。しかし、不完全な人間が言わば実行する現場、そして現実、これを人間の英知であるところの、言わば観念の所産であるところの憲法によってコントロールする、まさにそれが人類の英知であり立憲主義であります。憲法論がある意味では観念的で抽象的なのは当然のことであります。現場の感情や勢いに任せて人間が過ちを犯してしまう、それをいかに冷静に知性と理性で縛りを掛けるか、事前にコントロールするか、それがまさに憲法論の本質と考えています。
 憲法を無視して今回のような立法を進めることは、立憲民主主義国家としては到底あり得ないことです。国民の理解が得られないまま採決を強行して法律を成立させることなどあってはならないと考えます。本案は、国民主権、民主主義、そして憲法九条、憲法前文の平和主義、ひいては立憲主義に反するものでありますから、直ちに廃案にすべきと考えます。
 国防や安全保障は国民にとって極めて重要な政策課題であります。ですから、その決定事項に従うためには、それを決定する国会に民主的正統性、これは統治の統でありますが、正統性、これがなければなりません。憲法は、その冒頭で「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、」と規定しております。なぜ正当な選挙が必要なのか。それは、そこでの多数決の結果に賛成できない国民であってもこの権力の行使を受けざるを得ません。それに納得できる手続が保障されなければならないからです。仮に結論に反対であったとしても、主権者、国民の多数から選出された代表者が十分に審議、討論してその問題点を明確にした上で成立した法律なので、仮に結論に対して反対の立場であったとしても取りあえずは従うということであります。
 国会における法律制定という国家権力の行使を正当化するためには、どうしても二つのことが必要であります。一つは、正当に選挙された代表者であること、もう一つ、十分な審議によって問題点を明確にしたこと、残念ながら共に満たされていないと考えます。
 現在の国会は、衆議院については二〇一一年、二〇一三年、参議院については二〇一二年、二〇一四年と、それぞれ二度も、毎年最高裁判所によって違憲状態と指摘された選挙によって選ばれた議員によって構成されております。言わば国民の少数の代表でしかありません。これは異常であり、違憲状態国会とも言えるようなものです。この瞬間、全ての皆さんを敵に回してしまったような気がするんですが、そこで安保法制というもの、国民の生活の根幹に関わるような法律を制定しようというわけですから、憲法判断において最高裁を尊重するというのであれば、まずは、最高裁が指摘するように、議員定数、これを憲法の投票価値の平等の要請に合わせて正す、民主主義が機能するようにしてからこうした議論をするのが筋ではないかと考えます。
 このように、代表民主制としての正統性を欠く国会である場合、主権者国民の声を直接聞くことが不可欠と考えます。連日の国会前の抗議行動、全国の反対集会、デモなどを始め、各種の世論調査の結果で、国民がこの法制に反対であることは周知の事実となっております。国民の声は決して雑音ではありません。自分たちの生活が根底から覆されるのではないかと危機感を抱いている生活者であり、また主権者であり、憲法制定権者の声であります。国会議員にとっては、自分たちを選出し、権力行使を、権限を授権してくれた主人の声。実際に声を上げている人々の背後に思いを共有する人々がどれほどいるであろうか、民意を尊重する政治家ならば想像力を発揮すべきだと考えます。違憲状態という異常の国会であるからこそ、国民の直接の声に謙虚に耳を傾けなければならない、そうでなければ民主主義国家とは到底言えないでしょう。
 もちろん、参議院で審議を継続しているにもかかわらず六十日ルールを使われてしまうようなことは、二院制の議会制民主主義の否定であり、あってはならないことと考えます。
 民主主義の下では多数決によって物事が決定します。しかし、少数意見、反対意見を十分に聞き、審議を尽くしたと言える審議、討論の過程こそが多数決の結果の正統性を担保するものであります。十分に審議を尽くすことで問題点を明確にし、それを国民に示すことで次の選挙の際の国民の判断材料を提供するわけであります。十分な議論も尽くさずに次の選挙で審判を受ければよいなどという考えは、民主主義を全く理解していないものと考えます。国民は、国会で十分に議論がなされたからこそ、そこでの結論が自分の考えと違っていたとしても、一旦は納得し、従います。この国民の納得感こそが民主主義を支える重要な要素であります。
 国民の納得と支持に支えられて自衛隊は活動します。国民の納得と支持が不十分なままで他国民の殺傷行為を国の名で行う、若しくは自衛官個人の判断で行うということになると、それは国民にとっても、また現場の自衛官にとっても、悲劇としか言いようがありません。
 では、不安を感じている国民も理解できるような十分な審議が尽くされたと言えるでしょうか。各種世論調査によっても、国民の理解が進んではいないと指摘されております。何事にもメリット、デメリットがあるはずなんですが、政府の側からはこの法案についてのメリットの説明しかないように思われます。デメリットをどのように克服するかの議論が全くなされていないと感じるからこそ、国民は不安になり、反対するのではないでしょうか。
 例えば、政府は、戦争に巻き込まれることはないと言う、また戦争法という呼び方を批判されます。しかし、例えば集団的自衛権を考えた場合、たとえ要件を解釈で厳格に限定したとしても、その効果は、日本が武力攻撃されていない段階で日本から先に相手国に武力攻撃をすることを認めるものです。敵国兵士の殺傷を伴い、日本が攻撃の標的となるでありましょう。これは、日常用語ではこれを戦争といいます。こうして戦争に巻き込まれるというデメリットを超えるメリットがあるということを何ら説明されていません。
 徴兵制は、憲法十八条に反するから全くあり得ないと言います。憲法十八条で「意に反する苦役に服させられない。」とありますが、しかし、これは公共の福祉で制限できると解釈されているものです。ということは、必要性、合理性が生じたならば徴兵制も可能ということを意味します。サイバー対策のためのIT技術者、輸送、医療、法務など必要な人材の確保に窮したときでも、限定的な徴兵制すらあり得ないと言い切れるのでしょうか。集団的自衛権の解釈でやってみせたように、これまでの政府解釈を、状況が変化したということで、ある日突然変更してしまうという可能性を否定できません。
 抑止力を高めることが国民の命と幸せな暮らしを守ると言います。しかし、軍事的抑止力を高めることでより緊張が高まり、危険になる可能性もあるはずなのですが、その説明はありません。ほかにも、立法事実が本当にあるのか、自衛隊員と国民のリスクはどうなるのか、後方支援がなぜ他国の武力行使と一体化しないのか、海外で自己保存以外の武力行使が許される根拠はどこにあるか、他国軍の武器防御が許される法的な根拠は、自衛官が海外で民間人を誤射してしまった際の処理など、ほかにも不明な点が山積みであります。多くの国民の疑問を残したまま強引に採決を強行してはなりません。
 憲法は、国民が自らの意思で国家に一定の権限を与えて、国家権力を制御するための道具であります。憲法は、その前文で、日本国民はこの憲法を確定したと言っています。何のためか。我が国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保するため、そして、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意しとあります。つまり、二度と政府に戦争をさせない、そのためにこの憲法を作ったわけであります。そして、そのことを具体的に明確にするために憲法九条を置きました。
 憲法は、初めから政府に戦争する権限などは与えていません。そこでの戦争は、武力の行使、武力の威嚇を含む概念であります。すなわち、憲法は、政府の裁量で武力行使、つまり戦争を始めることを許してはいないのです。そこで、憲法の外にある国家固有の自衛権という概念によって、自国が武力攻撃を受けたときに限りの個別的自衛権だけを認めることにしてきました。
 この個別的自衛権は、日本への武力攻撃が行われたときに行使されますから、これは客観的に判断できる基準であります。しかし、集団的自衛権は、他国への武力攻撃を契機とし、政府の判断で行使されるものであり、限定的な要件を立てたとしても、その判断を政府の総合的な判断に委ねてしまう以上、政府に戦争開始の判断を与えることにほかなりません。これは、日本が武力攻撃を受けていないにもかかわらず政府の行為によって日本から戦争を仕掛けていることになります。
 日本が攻撃されていないのですから、攻撃する場所は日本の領土外、つまり外国であります。この結果、外国で敵国兵士が殺傷され、施設が破壊される。これは自衛という名目の海外での武力行使そのものであり、交戦権の行使にほかなりません。憲法九条一項に違反し、交戦権を否定している二項に違反します。
 たとえ自衛の名目であっても、その武力行使によって深刻な被害を受け、また加害者となるのは国民自身なのであります。ですから、国民自らの意思で、こうした海外での他国民の殺傷や施設の破壊をする権限を政府に与えるかどうか、これを自ら決定しなければなりません。それが憲法制定権が国民にあるということであり、主権が国民に存するということの意味であります。
 国民からすれば、自らを危険にさらす覚悟があるのか、自ら殺人の加害者の側になる覚悟があるのか、これを自ら決定する究極の自己決定権の行使であります。それが、憲法制定権を持つ国民が憲法改正の手続を取り集団的自衛権を行使できる国になると選択することにほかなりません。
 本法案は、その国民の選択の機会をまさに国民から奪うものであり、国民主権に反し、許されないと考えます。これだけ重大なことを、憲法改正手続も取らずに、憲法で縛られて戦争する権限など与えられていない政府の側で一方的に憲法の解釈を変更することで可能にしてしまうことなどできようもなく、明確に立憲主義に反すると言わざるを得ません。
 政府が憲法上許されるとする根拠が昭和四十七年の政府意見書と砂川判決であります。共に根拠となるという論証がなされていません。
 四十七年意見書の当時から限定された集団的自衛権は認められていたというようなことは、元内閣法制局長官であった宮崎礼壹参考人が言うように白を黒と言いくるめるようなもので、あり得ません。当時の吉國長官答弁及び防衛庁政府見解によって完全に否定されているものであります。
 さらに、時代が変わったのだから自衛の措置として限定的な集団的自衛権までは認められるようになったのだと解釈することは、時代の変化による必要性が生じたから、これまで認めてこなかった武力行使を必要性だけで認めてしまうということを意味します。法的安定性が根底から覆されるものであります。
 しかも、昨年の七月一日閣議決定では、四十七年見解の中核部分であるところの、しかしながら、だからといって、平和主義を基本原則とする憲法が自衛の措置を無制限に認めているとは解されないのであってという重要な記述をあえて脱落させています。
 必要があれば自衛の措置として何でも容認してしまうというこの解釈を許してしまうことは、武力の行使と交戦権を否定した憲法九条をなきものとし、政府に戦争の惨禍を起こさせないようにするために憲法で軍事力を統制した立憲主義に真っ向から反しています。この四十七年意見書は、合憲性の根拠にはなり得ないものであります。
 砂川事件最高裁判決は、集団的自衛権行使容認の憲法上の根拠にはなり得ません。これまで指摘されてきたように、砂川判決は、集団的自衛権の可否を扱った判例ではありません。憲法判例が一定の規範的な意味を持つためには、公開の法廷で当事者の弁論によって争われた争点について判断することが必要であります。
 持ち込まれた争点に対して法律専門家同士が議論を尽くし、裁判所が理性と知性によって法原理を探った結果だからこそ、その判決の内容を国民は信頼し、一定の規範としての意味を持つに至るのです。全く当事者が争点にもせず、専門家によって議論もされていない点について判例としての意味を持たせてしまうと、部外者による恣意的な解釈を認めることになり、裁判所の法原理機関としての正統性を失わせ、裁判所の権威をも失墜させてしまうでしょう。
 このように、当時争点になっていなかったのであるから集団的自衛権を認める規範としての意味がないという指摘に対して、それでも合憲の根拠というのであるならば、一、争点になっていなくても規範としての意味がある、又は、二、当時争点となっていた、このいずれかを論証しなければなりません。しかし、どちらの論証も政府側からなされていません。よって、法的にこの砂川事件最高裁判決を集団的自衛権の根拠に使うことは許されません。
 最後に申し添えたいことがあります。
 そもそも国会議員には憲法尊重擁護義務がございます。どんな安全保障政策であっても憲法の枠の中で実現すること、これが国会議員の使命であり、責任であります。昨年七月一日の閣議決定が違憲であることがそもそもの問題の原因なのですから、そこにしっかりと立ち戻って憲法上の議論をしなければなりません。良識の府である参議院の存在意義は、衆議院に対する抑止であり、数の力の暴走に歯止めを掛けることにあります。参議院の存在意義を今こそ示すことが必要と考えます。
 国民は、ここでの議論、そしてこの法案に賛成する議員のことをしっかりと記憶します。十八歳で選挙権を与えられた若者も含めて、選挙権という国民の権利を最大限に行使するでありましょう。昨年七月一日閣議決定以来、国民は、立憲主義、平和主義、民主主義、国民主権の意味をより深く理解し、主体的に行動するようになりました。これは、この国の立憲主義、民主主義、そして国民主権の実現にとって大きな財産になるものと考えます。
 国民は、これからも理不尽にあらがい続けるでしょう。戦争は嫌だという心からの本能の叫びから、また、今を生きる者として次の世代への責任があるから、あらがい続けることでしょう。それが一人一人の国民の主権者としての責任だと自覚しているからであります。そのことをここにいらっしゃる全ての議員の方が深く心に刻むことを期待して、私の意見陳述を終わります。
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佐藤正久#12
○理事(佐藤正久君) ありがとうございました。
 以上で参考人の方々の意見陳述は終わりました。
 これより参考人に対する質疑を行います。
 なお、質疑の時間が限られておりますので、御答弁は簡潔に行っていただくよう御協力をお願いいたします。
 質疑のある方は順次御発言願います。
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堀井巌#13
○堀井巌君 自由民主党の堀井巌でございます。
 本日は、質問の機会をいただきまして、同僚、先輩諸氏の皆様に感謝を申し上げます。
 私は、特に、今我が国が置かれている国際環境、安全保障環境の変化についての関心を有しておりまして、その観点から、まずは宮家参考人に幾つかお伺いをいたしたいと思います。
 その前に、まず、今日は、四人の参考人の皆様には本当に貴重な意見を御陳述いただきましたことを、まずもって私からも感謝と敬意を表させていただきたいと思います。
 それでは、質問に入らせていただきます。
 まず、宮家参考人に中国について伺いたいと思います。
 先週の三日にも、さっき話にも出ておりましたが、中国の軍事パレードがございました。それによっても示されていましたように、中国の急速な軍備増強、また海洋進出、力による現状変更の試みというのは、やはり我が国の安全保障、この地域の安全保障を考える上でも大変憂慮すべき問題であると私は考えております。
 こういった中で、我が国がどのような安全保障法制でもってこの問題に対応していけばいいのか、従来の個別的自衛権というだけで安定した関係が保てるのか、あるいは、やはり今回の法案のように限定的な集団的な自衛権行使ということも踏まえながらそれに対応する必要があるのか、これについてどのようにお考えか、お伺いしたいと存じます。
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宮家邦彦#14
○参考人(宮家邦彦君) 中国という国は非常に慎重な国だと思っています。戦わずして勝つことを恐らく理想としているでしょう。しかしながら、もし自己実現をしたいという意図があり、そしてその能力がある場合に、一番大事なのは、彼らがそのような自己実現を新たにすることがペイしない、むしろ不利になる、これを抑止と呼ぶわけであります。
 私は、今の法制の下だけであれば、中国は恐らく今までと同様に自己実現を続けていくと思います、残念ですが。それは恐らく、日米の連携、このままもしこの法案ができなくて、そして日米の連携というものにひびが入りそうだと見れば、彼らは必ず自己実現を進めてまいります。逆に言いますと、このような国々に対しては抑止力を強めること、これが最も効果的な方法である、宥和主義を取ることはむしろ相手に対して自己実現への誘惑を高めることになるというふうに考えております。
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堀井巌#15
○堀井巌君 ありがとうございます。
 今のお話の中で、一つ、日米連携ということが出てまいりましたので、同じく宮家参考人にアメリカとの関係についてお伺いをしたいと思います。
 この国会の質疑の中でも度々出てきておりますけれども、今回の法案への例えば反対論の中に、アメリカの戦争に巻き込まれるという、こういった巻き込まれ論というのがございます。私は、これは私の個人的な意見ですけれども、自分なりに考えてみると、アメリカとの関係において憂慮すべきなのは、この巻き込まれ論ではなくて、むしろアメリカ社会の中で日本との同盟をしっかりと維持し強化をしていくことが重要なんだという認識が低くなっていくことなんじゃないかというふうに私は思っております。
 すなわち、日米関係、日本の安全保障にとっての日米関係ということを考えたときに、憂慮すべきなのはこの巻き込まれ論ということではなくて、やっぱりいかにアメリカの関与を維持強化していくかということではないかというふうに私は思っております。
 そういった観点からも、今回の法案というのは日米関係の連携の強化にもつながっていく、同盟の強化につながっていくというふうに私は思っておりますが、この辺について参考人はどのようにお考えか、お伺いしたいと思います。
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宮家邦彦#16
○参考人(宮家邦彦君) アメリカの一部には、日中の紛争に巻き込まれたくない、日本との関係で巻き込まれたくないという人すらいるんですね。むしろ日本の巻き込まれ論というのは、集団的自衛権が権利であるということを理解しない議論だと思っています。
 私は、当然、米国は条約上の義務を守っていくと思います。問題はその守り方でございます。先ほど申し上げたように、抑止力を高めるという観点からは、やはりそれを効果的なものにしなければいけない。そして、相互安全保障条約でございますから、その相互性といいますか双務性というものを、もちろん憲法の範囲の中で、しかしできるだけNATO並みの双務性を増やしていく努力、これが日米の同盟の効果というものをより強固なものにしていくというふうに考えます。
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堀井巌#17
○堀井巌君 ありがとうございます。
 先ほどのお話の中でも、日米同盟の強化と併せて抑止力という言葉も出てまいりました。ちょっと私も、もう一度、恐縮ですが、宮家参考人にこの抑止力強化をどうしていくかということについてお伺いをいたしたいと思います。
 今の現行法制の下では、例えばアメリカなどの外国艦艇が我が国を防衛するために行動しているときに仮に攻撃されたとしても、我が国の海上自衛隊あるいは自衛隊は反撃ができないわけであります。
 今回の法案では、もちろん日本人の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があるという場合に限ってという限定はありますけれども、そういった場合には、自衛隊の艦船が米艦防護のために公海上で反撃し得る、これが今回の限定的な集団的自衛権の行使だろうと、このように思うわけでございます。
 これは、相手から見ると、例えば日本に対して、アメリカの艦船を攻撃しようとする相手から見たときには、今までの法制では、日本の艦船、自衛隊は全く攻撃してこない、反撃はしてこないんだという認識にあるわけでありますが、今後、この法案が仮に成立したときには、もちろん、いつもいつも反撃するわけではない、日本人の幸福追求の権利等が根底から覆される明白な危険がある場合という限定はあるけれども、反撃し得るんだというふうに相手が認識をする、そのことが、相手の国が米艦に対する攻撃や何かをやろうということを思いとどまらせる、むしろ戦争を防止する、抑止するということにつながるんではないかというふうに私は考えているんですけれども、ここにこの抑止力強化の本質が私はあるように思っておりますが、その点についての宮家参考人のお考えをお聞かせいただきたいと思います。
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宮家邦彦#18
○参考人(宮家邦彦君) 抑止力というのは非常に簡単なことでございまして、仮に私と女房が二人で歩いておりまして、そして誰かが彼女の手を触ろうとすれば、ぴしゃっとたたくのが抑止力でございます。もちろん、がつんと殴るのではありません。こら、そんなことをしたらとんでもないことになるぞと相手に思わせることが抑止力の本質でございます。
 今の議論を伺っていて私が一つ気になっておりますのは、日本がそういう権利を使うことによって、相手国は日本に対してどんどん攻めてくるんじゃないか、そういう議論もありますが、私はまず理解していただきたいのは、そのような状況では、相手は国際法違反をしているんですよ、そして、国際法違反で侵略行為なり不法行為を行っているんですよ。それに対して反撃するのはまず当然なんです。しかし、それが日本に仮に行われていないとしても、それが仮に日本に来たとしても、それは更なる攻撃が更なる国際法違反を重ねているだけの話でございます。そこのところの理解を、どうも誤解があるようでございます。
 私は、そのような形で、日本が限定的ではあるにせよ集団的自衛権の一部を活用することによって、日米の相互信頼、そして相互の義務の、何というか、確認というものをすることが、長い目で見たときには日本の安全にとって最も重要な効果があると思っております。
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堀井巌#19
○堀井巌君 ありがとうございます。
 続いて、またもう一度、宮家参考人で恐縮でございますが、中東についてお伺いをしたいと存じます。
 もちろん、国際情勢、なかんずく中東での御経験、御見識深い宮家参考人にお伺いしたいんですけれども、これまでの国会議論において、もちろん与党、それからまた野党の皆様の間においても、我が国の周辺地域において有事が発生した場合に、個別的自衛権を超えた何らかの対応を行わなければならないんではないかという見解について、ああ、これは一致しているなというふうに私も感じるときがございました。
 そんな中で、ホルムズ海峡での機雷掃海、これは、私自身は、大変重要な存立危機事態のときに、自衛隊が行くことが本当に我が国の国民の生命、自由、幸福追求の権利、これをしっかりと守るために必要な場合、これは必ず出てくるというふうに私は思っているわけですけれども、この辺について、中東の専門家でもあられます宮家参考人、どのように認識しておられるか、お伺いをしたいと存じます。
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宮家邦彦#20
○参考人(宮家邦彦君) 中東の専門家という点では、この部屋にも立派な中東専門家おられますが、そこは私、一言言わせていただきます。
 中東の地域というのはこれからどのように動いていくか考えますと、私は決して楽観的にはなれません。確かに、イランの問題を言えば、核の合意ができたやに聞きます。しかし、これは恐らくうまく機能しない可能性すらある、まだまだ先はどうなるか分からないような状態でございます。
 私は、今の中東地域というのは、オスマントルコ、オスマン帝国、オスマン朝の崩壊過程がまだ終わっていない段階だと思っておりまして、残念ながら今後もこのような形の旧オスマン帝国の崩壊過程が形を変えていろんなところに出ていくと思っております。
 したがいまして、中東湾岸地域もその例外ではないと思っております。もう既にイラク、シリアでは統治機構が壊れておるわけでありますが、これが湾岸に及ばないとも限りません。そのような状況で、機雷掃海も一つの例なのかもしれませんが、私は、機雷に限らず、先ほども申し上げたように、ありとあらゆる事態というものを想定しなければいけない。そして、その下で、もしこの法案が通った場合には、新三要件があるわけですから、その要件に照らしてできることをやればいいというのが基本的な考え方でございます。その意味では、中東もそして東アジアも一つの海でつながっているところでございますから、これこそシームレスに対応していく必要があると思っております。
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堀井巌#21
○堀井巌君 これが宮家参考人への最後の質問になりますけれども、今回法案、あるいはこの今回法案を含む我が国の積極的平和外交、これの世界各国の受け止めについてお伺いをしたいと思います。
 これまでの国会質疑においても、幾つか質疑者からその質問がございました。そして、我が国は、安倍総理を先頭に各国にこの今回法案あるいは我が国の外交方針を説明をして、多くの国々から賛意を得ていると、このような回答も政府側から答弁ございました。
 宮家参考人におかれては、今回のこの平和安全法制、様々な形で国際社会の様々な要人と恐らく意見交換等をされておられると思いますけれども、そういった中でどのように受け止められていると認識しておられるか、お伺いしたいと存じます。
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宮家邦彦#22
○参考人(宮家邦彦君) 過去数年間の日本の政策というものに対する各国の反応は極めて良好だと、一般論としては申し上げられると思います。欧米諸国は、ほとんど異口同音にこれを高く評価し歓迎しております。東南アジアにおいても同じような状況でありますが、一九六〇年代、七〇年代の東南アジアとの関係を考えれば隔世の感があると思います。
 恐らく、否定的なコメントにもならないけれども、一味違うことを言っている国が二つほどございます、若しくは三つかもしれませんが。その国々においてすら、言い方は非常に微妙ながらも、全く拒否をできないところまで日本の説明というものは進んできているんだろうなと思います。
 では、あの二つの国が若しくは三つの国が、なぜそういうことが起きるか。それはやはり、ある国についていえばそれは戦略的な理由から、ある国においては国内政治上の理由から、国の名前は言いませんけれども、そのような対応にならざるを得ないのだろうと思います。
 これはある程度仕方がないし、これらの国々との和解というものは別途、慎重に、しかし時間を掛けて丁寧にやっていかなければいけないと思いますが、少なくともこの法案、若しくは最近のいわゆる積極的平和主義と言われる日本の政策についての各国の反応というものは極めて良好であるというふうに申し上げられると思います。
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堀井巌#23
○堀井巌君 ほかの参考人の方にも聞きたかったんですが、時間が参りましたので、恐縮ですが終わらせていただきます。
 ありがとうございました。
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広田一#24
○広田一君 民主党・新緑風会の広田一でございます。
 本日は、四名の参考人の皆さん、大変貴重な、また示唆に富むお話を頂戴しまして、心から感謝を申し上げます。
 私は主に大森参考人に御質問をいたします。
 まず、武力行使の一体化と、いわゆる大森四要素についてお伺いをいたします。
 今回の法案では、重要影響事態法などにおける後方支援のメニューから、これまで別表の備考でわざわざできないと明記をされておりました、例えば戦闘作戦行動のための発進準備中の航空機に対する給油及び整備が可能となります。
 その理由としまして安倍総理は、大森四要件に照らして、武力行使と一体化しないと判断をしている旨の答弁をいたしております。また、中谷防衛大臣も、ニーズがなかったためである、憲法との関係で除いたものではない旨の答弁をしております。さらに、今回除外するとした武器の提供につきましても、武器の提供を行ったとしても武力の行使と一体化するものではない旨の答弁をしているわけであります。
 先ほど宮家参考人の方からは、この武力行使の一体化について、これは世界にはなかなか通用しない議論である旨の御発言があったというふうに思いますが、この安倍政権でさえも、これは維持をしているところでございます。
 これらの答弁に対して、周辺事態法制定時の法制局長官であり、また大森四要素を作った大森参考人は、雑誌などの対談でこの戦闘機の給油などについて、武力行使との一体化が生ずる典型的事例であると内閣法制局として指摘をしていた旨の発言をされております。これは大変重要な発言だというふうに思います。
 そこで、この度のこの安保法制の核心論点の一つでございます武力行使の一体化に対する当時のやり取り、経緯、本当の事実はどうだったのか、大森参考人にお伺いをいたします。
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大森政輔#25
○参考人(大森政輔君) まず、私の時間配分がまずかったために、肝腎の一体化の部分はほとんど触れられなかったわけでございます。
 当時、前回のガイドライン改定、これは橋本・クリントン会談を踏まえてのものでございましたが、結局は、アメリカで2プラス2の協議が片やなされています。同時に、法制局の中で、最初は一部でございますが、一部のテーブルで、同じ問題について、参事官と2プラス2の少しポストが低い段階での人たちと今度は憲法問題を議論したわけでございますね。
 今話題に上がりました戦闘作戦行動のための発進準備中の航空機に対する給油、整備、これは、私が、当時もう長官でございましたけれども、参事官から報告を聞いたところでは、参事官の方は、もう典型的な一体化事例であると、だから認められないよということをもう何度も何度も言い続けたようでございます。それで、最終的には、今御指摘になりました、ニーズがないから別表の備考に書いて、書くことによって収めたいと思いますといったこと、これはもう確かでございますが、それは表面上ニーズがないということにして収めたということのようでございます。
 したがって、実は、内実はと、こういう言葉がその後に続くわけでございますけれども、当時強く主張したのは、予想されますとおり、防衛庁、防衛省よりも外務省の方が声が強かったようでございますけれども、そのまま主張を通せば、結局のところ、一体化の典型的な事例だから憲法上認められないよということで議論が打ち切られたはずでございます。しかし、実は、そういうことにされてしまうと末永くその判断は尾を引くものですから、したがって、表面上はニーズがないからということで、しかもそれを、痕跡を残すために別表の備考欄にわざわざ書き込んだというのが真相だったと思います。
 大体、以上、そういうことでございます。
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広田一#26
○広田一君 ただいま大森参考人の方から非常に貴重な御発言があったというふうに思います。まさしく内実、事実についてのやり取りの一端について御紹介があったわけでございますが。
 そうすると、確認でございますが、今の政府の、単にニーズがなかったとか、憲法との関係、武力行使との一体化の関係から除いたものではないという旨の答弁は、先ほどのお話に照らして考えれば、事実に反する答弁というふうに理解してよろしいのでしょうか。また、これは確認でございますけれども、武力行使との一体化が認められる場合には当然違憲となる、このような理解でよろしいのでしょうか。大森参考人にお伺いします。
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大森政輔#27
○参考人(大森政輔君) 簡単に結論を申しますと、委員お尋ねのとおりでございます。
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広田一#28
○広田一君 ただいまの大森参考人の証言も本当に極めて重要だというふうに思います。
 今回の戦闘発進準備中の戦闘機に対する給油、これは武力行使の一体化となり、そして違憲である、このように証言、発言をされたわけでございまして、このことが何を意味をするのか。これすなわち、これまでるる武力行使の一体化で安倍総理始め答弁をされていた政府の根拠が完璧に崩れたということだろうというふうに思います。この点は今後の委員会審議でも是非活用していかなければならないことだろうというふうに思うところでございます。
 次に、専守防衛と集団的自衛権との関係について大森参考人にお伺いをいたします。
 我が国の安全保障の根幹、基本理念として大事にしております専守防衛、これに関し安倍政権は、限定的な集団的自衛権を行使できるようになっても専守防衛の考えはいささかも変わらない旨の答弁を連発をしているところでございます。政府は、これまでの質疑の中で、集団的自衛権によって武力行使ができる存立危機事態と、個別的自衛権では武力行使できないいわゆる予測事態や切迫事態とが併存する旨の答弁をしているところであります。
   〔理事佐藤正久君退席、委員長着席〕
 このことは一体何を意味するのか。これは明らかに個別的自衛権と比較して集団的自衛権の方が武力行使のハードルが下がることを意味するものであります。これのどこが一体受動的なのか。この守ることに専念をするというふうに書いております専守防衛と、我が国に対して攻撃をする意思すらない第三国に対する武力行使を排除しない、つまり実質的な先制攻撃を容認する限定的な集団的自衛権とは相入れないと思います。
 先ほど大森参考人の方から、個別的自衛権と集団的自衛権は本質的に異なるものであるというふうな意見陳述があったところでございます。そこで、この専守防衛の考え方はいささかも変わらないとする安倍政権の見解について、大森参考人の御所見をお伺いをいたします。
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大森政輔#29
○参考人(大森政輔君) 先ほども若干それに関係したことの議論がなされたように思います。
 個別的自衛権を発動している間は、そういう専守防衛に反するような事態は、これは生ずることはないんだろうと思います。専守防衛と抵触するような事態が生ずるのは、集団的自衛権の行使のある一局面がそうではなかろうかと。
 すなわち、第三国が我が国と密接な関係を有する他国を攻撃したと、それに対して、それを防ぐために、第三国に対して武力の行使をしてほしいというのが集団的自衛権の行使の一般的な形でございますから、その場合にどこでそういう反撃をするのかということになりますと、大抵の場合は、我が国の領域じゃなくて、第三国の領域あるいはその周辺の海域、空域じゃなかろうかと。そうなりますと、当然、我が国の武装した兵員が領域外に、我が国の領域外に出かけていくという事態が生ずるわけです。
 集団的自衛権の行使を認めることによって、反面、専守防衛が崩れることがあり得るということが言えようかと思います。
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