2015-09-17
参議院
広渡清吾
我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会
広渡清吾の発言 (我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会)
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○公述人(広渡清吾君) 広渡でございます。
意見を述べさせていただきます。
私は、安全保障関連法案に反対する学者の会の発起人の一人であり、国民の反対運動がどのように広がっているかの例として、まずこの会について簡単に御紹介します。
学者の会は、この六月十五日に六十一名の呼びかけ人によって最初の記者会見を行い、法案反対アピールを採択して、賛同を呼びかけました。現在、学者の賛同者は一万三千九百八十八名となっています。お手元の数字から八十名更に増えました。また、八月二十六日には、全国から八十七大学の有志が東京に集まり、法案反対の合同記者会見を行いましたが、現在、全国の百三十七大学において法案反対の有志の会が結成されています。お手元の資料を御参照ください。
ふだん政治的な活動になじみのない学者の運動がこのように広がっているのは、かつてないことです。しかし、このかつてないことは、学者だけではなく、高校生にも、大学生にも、ママさんたちにも、中年の世代にも、そして高齢者の間でも、また労働者、医師、宗教者、芸術家、弁護士など社会各分野にも生まれていて、法案反対の運動は、文字どおり国民の全階層に大きく広がっています。
その理由は言うまでもありません。今、日本の国民の多くが、戦後七十年の間、日本国憲法の下でつくられてきた日本の国家社会の柱である平和主義、民主主義、そして立憲主義が危機にあることを認識し、安保関連法案が成立するようなことがあれば日本の国の形が根本的に覆されてしまうと考えているからです。
平和主義とは、国際紛争を決して武力によって解決せず、交渉や協議を通じて解決するという原理です。日本国憲法九条はこのことを明確に規定しています。今回の安保法案は、安倍首相がこれからの日本の旗印であるとする積極的平和主義の名の下に、集団的自衛権の行使によって自ら進んで他国に対して戦争を仕掛けること、地理的限定を外した外国軍隊への後方支援の名目で限りなく武力行使と一体化する活動をすること、また、PKOにおいて任務遂行のために武器使用を拡大することを内容としています。安保法案は、これらを通じて自衛隊を武力行使する軍隊として世界に派兵し、自衛隊員が人を殺し自らが殺される事態をつくり出すものであり、そのゆえに多くの国民がこれを戦争法案と呼んでいます。安倍首相の積極的平和主義とは、まさに平和主義と正反対の、武力の積極的使用を意味しています。
安倍政権は、法案の合憲性を言い続け、集団的自衛権の根拠に最高裁の砂川判決を援用しています。しかし、こうした援用はまさに曲解であり、この問題に関わって発言しているほとんど全ての法律家が、すなわち憲法学者たち、弁護士の団体である日本弁護士連合会、歴代の内閣法制局長官、最高裁の元裁判官たち、そしてついには元最高裁判所長官まで法案の違憲性を断じるに至りました。
集団的自衛権は、ある国が他国に武力攻撃を行う場合に、日本が武力攻撃されていないにもかかわらず他国を助けて、そのある国に武力行使をすることを可能にします。つまり、日本がそのある国に戦争を仕掛けるのです。当然、反撃され、戦争に入ることになるでしょう。
安倍首相は、集団的自衛権を認めても、これまでの憲法九条解釈との論理的整合性と法的安定性は保たれていると言いました。これは国民を欺くものです。これまで政府と国会で言わば国是として承認されてきた憲法九条解釈によれば、九条の下では、我が国に対する武力攻撃が行われ、国民を守るためにほかに手段がないときに必要最小限の範囲でのみ武力の行使が許されるのであり、集団的自衛権は、これを超えるものであるから当然に認められないとされています。
安倍政権の新しい解釈は、集団的自衛権も、これまで認められた個別的自衛権と同じように、国民を守るためにほかに手段がなくやむを得ず必要最小限の範囲でのみ行使するのであるから論理的整合性と法的安定性は保たれていると説明しています。しかし、この説明は、一方で我が国が武力攻撃を受けて反撃する自衛権と、他方で他国が武力攻撃を受けたときにそれを助ける言わば他衛権の、二つの本質的に異なるものについて、その行使の要件を似たものにすることで両者があたかも同質のものであるかのような外観をつくり出したものにすぎません。
また、集団的自衛権は具体的にどのような必要性のために使われるのか、立法の必要性の根拠となるいわゆる立法事実も、またどのような要件の下に発動されるのかについても、国会審議を通じて極めて不透明であることが明らかになっています。政府の答弁は、集団的自衛権を認めてくれさえすればあとは政府が適切に行使しますということに帰着するもののように思われます。これは、法治主義の原則からも絶対に認められません。
法案の内容と並んで問題なのは、その進め方が民主主義と立憲主義に対する挑戦だということです。
安倍首相は、決めるべきときに決めるのが民主主義だと言い、この四月にアメリカに約束した手前もあり、今国会で安保法案をどうしても成立させるつもりのようです。しかし、現在の深刻な問題は、国会の多数派と国民の多数派のねじれです。国会の多数派は選挙の投票における国民の主権行使によって成立した多数派ですが、しかし、主権者国民は、その多数派に全くの白紙委任状を与えたわけではありません。ましてや、安保法案は憲法の平和主義を変えようとする重大な内容を持つものです。主権者国民を選挙のときだけの主権者に押し縮めることは民主主義を形骸化させます。
また、安保法案は審議が進むほど重大な問題点が続出し、国会が議論を尽くしたとは大多数の国民が考えていません。現在の民意に耳を傾けることこそ政治家の責務であり、安保法案の強行は、民意を無視し、民主主義、国民主権に背くものです。
安保法案が立憲主義に対する挑戦であるということは、憲法九条の解釈を変更して集団的自衛権を認めた二〇一四年七月の安倍政権の閣議決定に始まっています。日本国憲法の改正は、衆参各議院の総議員の三分の二以上の発議に基づき国民投票によってのみ決定されます。憲法改正は、主権者国民が直接に行使する権限です。このような保障によって、日本国憲法は国会の多数派とその上に成立する政府の権力行使を規範的にチェックする役割を持っています。
元々、安倍政権は日本国憲法の全面改正を目指しています。安倍首相は、憲法九十六条が規定する憲法改正手続のハードルを下げるために九十六条を先行して改正することをもくろみました。しかし、これに対する国民の反発は大きく、また憲法全面改正も当面困難だという状況の下で、集団的自衛権を認め、憲法九条を骨抜きにする解釈改憲を図ったというのが七月の閣議決定でした。政府の権力をチェックする憲法を、チェックされる政府が自分の政策に都合のよいように変更したというのが事態の本質です。
安保法案は、この七月閣議決定を受け、今年の四月、日米両政府が合意をした新たな日米協力のための指針、いわゆる新ガイドラインを経て国会に上程されたものです。新ガイドラインは、安倍政権が既に行政のレベルで憲法九条の骨抜きを既成事実化していることを示しています。これらの一連の事態は、日本国憲法の下での立憲主義の危機を示しています。
日本国憲法九条の下、日本は、戦後七十年の歩みの中で武力行使をしない国として世界から信頼を勝ち得てきました。日本国憲法の平和主義は、戦後日本の対外関係の土台であり、日本外交最大の資産と考えるべきでしょう。平和主義の基礎には、戦後、日本国憲法が確立した個人の尊厳の原理があります。武力行使は、人を殺傷することを目的とし、当の自分が殺傷されることを当然に含みます。このことが個人の尊厳と両立しないことは、誰が考えても明らかです。武力の行使が問題を解決するのではなく、問題を生み出すものであることは、現にヨーロッパに押し寄せる難民問題が示しています。違憲の安保法案の強行によってアメリカとの軍事同盟関係を強化する道は、個人の尊厳に基礎付けられた平和主義による日本国家の高い志と道義性を否定し去るものです。
最後に、参議院議員の皆様にお願いをいたします。
違憲の法案を国民の過半数の意思を無視して成立させることにいかなる道理もありません。二院制の下、参議院の独自性と良識に基づいて、全ての議員の皆様が国民の代表として、党議の拘束から離れて、国民の反対と不安を自分の目と耳でしっかりと認識し、法案の違憲性を判断して、法案を廃案にするために行動していただくことを心から希望いたします。
以上です。ありがとうございました。