加藤敏幸の発言 (経済産業委員会)
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○加藤敏幸君 なかなか実は議論が難しい、そしてそれは国民の皆さん方を含めた議論が難しいという局面だと思うんですよね。今委員長、いみじくも安全ということについて、何をもって安全とするのかも定かではないし、だから非常に、私なりに解釈をすれば、生活上におけるリスクという、これ生活におけるリスクマネジメントという学科もあるわけですけれども、この生活上のリスクというのを、例えば一人の国民が最終的にどういう形でお亡くなりになるのかという要因分析の中で、三分の一ががんで亡くなるとかいろいろ要素があるわけでして、交通事故で亡くなるということも多いんです、あるいは労働災害だとか、あるいは家の前で転んでとか、いろんなリスクはそれなりにこれはあって、その発生確率については大体十万分の一ぐらいのこれを指標にいろいろ比較をされています。
ただ、その数字が低ければいいんだという議論になると、原発の例えば事故が発生したとして、直接的な死者が発生するとかしないとか、そういうふうなことに置き換わるとまた議論が少しセンシティブな内容は持ってくるので、そこを単純にそういうふうなことを出すのがいいのか悪いのかということは、私はやや検討すべきところはあると思うんです。
しかし、やっぱり最後は、技術的にこの安全の問題を考えるといったときには、確率という問題と、その発生する確率と起こった損失、影響の度合いとの積で普通はリスクを表すということになっていますので、そういうふうなことを考えたときに、ここの仕組みを国民の皆さん方にどう理解していただくのか。
特にアメリカの場合は費用対効果を考えてやるといったのは、まさに経済性ということについて非常にやっぱり高いウエートがあって、またそのことも大事なことなんですよね。経済性抜きに安全だけを考えてみても意味がないという部分もあるわけですから。
だから、ある種安全神話の反作用的に、いや、絶対安全とかいう議論をしてみても政策的にはなかなか前に進みにくいという難しい状況もあるので、私は、最終的にはやっぱりこのリスクという問題について広く国民の皆さん方の理解を進めていくということが非常に大事だし、その上で政府の決断も当然できるし政策の前進も図れるという意味で、これはそういう私の考え方ですけれども、もしコメントがあれば、委員長。