水島朝穂の発言 (憲法審査会)

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○参考人(水島朝穂君) 国家論を前提にしながら憲法をという百地参考人のお立場というのは、憲法学界の中では常に存在してきた少数説でありますけれども、基本的に憲法学の観点から公共の福祉というものを考えたときに、初期の最高裁判例のように、むき出しの公共の福祉によって人権は当然制約されるという議論は卒業いたしまして、御承知のような宮沢教授の影響だけではなくて、最高裁の判例の中でも、先ほど公共の安寧秩序で最高裁も当然だというのはこれミスリーディングでありまして、新潟公安条例判決も東京都公安条例判決もそれぞれ論理違うんですけれども、明治憲法下のような、あるいは自民党改憲草案のような公共の秩序や安全というのをむき出しで、むき出しでデモ行進やわいせつやそういうものにするという時代はもうとっくに卒業しているはずでありまして、六〇年代以降の最高裁の判例を見ても、いろんな意味でもそれぞれの利益の調整についてはかなり工夫をされるようになっていますから、その意味で、公共の福祉による制限を絶対認めない的な議論で憲法学は近年やっておりません。
 分かりやすいあれを出せば、わいせつです。わいせつでチャタレー判決があったときのあの公共の福祉、かなり最高裁は大きく大上段に振りかぶってきたわけですけれども、近年、わいせつについては、例えばジェンダー論の観点なども含めて、女性に対するあれは差別なんだという観点からキャサリン・マッキノンの議論などが出てきたり、見たくもない子供に対して見せないという利益とか、これ正当な利益ですから、これも人権侵害だと言う憲法学者はおりませんので、近年、この詳しいことは省略いたしますけれども、このわいせつの合憲性、違憲性をめぐる議論におきましても、むき出しの公共の福祉論ではなくて、それぞれの権利の性質に応じた制約のありようというものを基本的に議論する方向と流れは学説、判例において出ておりまして、したがって、してはならないのは、公共の安寧秩序とか、自明の解釈不能な前提をつくることです。
 ですから、公共の安全、秩序と言っちゃった瞬間、安全というものの解釈権を持った政権側に自由になりますから、公共の福祉というこの曖昧な、今のあれでいえば、デモ行進等についてもいろんな利益の挙証の中で規制が必要かそうでないかを裁判所も工夫したり悩む。私に言わせますと、裁判所もみんな悩むことが、やる。悩まないようにすっきりと言葉を換えたらこれ守らなくなるし、裁判所もすぐ判決が出ちゃうんですよ。つまり、判決が時間が掛かり、こっちの裁判所とこっちが違うということに憲法というのは実は過剰でない、寡黙である。そこに実は社会が上手に生きていく意味があって、まさか私たちも児童ポルノ禁止法みたいな議論がなるとは、実は十年前、二十年前は、わいせつの議論で、授業では触れたことありませんでした。でも、近年ではこの議論必ず入れてきます。質が変わってきているんですよね。
 ですから、そういう意味でいうと、やっぱりもっと生産的な公共の福祉や人権制約も議論したいということで、やっぱりむき出しの公共の福祉論はもう卒業しなきゃいけないと思っております。
 よろしいでしょうか。

発言情報

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発言者: 水島朝穂

speaker_id: 18911

日付: 2015-03-04

院: 参議院

会議名: 憲法審査会