後藤正和の発言 (行政監視委員会)
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○参考人(後藤正和君) 良識の府でございます参議院の行政監視委員会へお呼びをいただきまして、本当にありがとうございます。
徳島県は神山町の町長の後藤と申します。よろしくお願いします。
まず、神山町がどういったところに存在するかということを資料に沿って概要を説明をさせていただきたいと思います。
まず、東京から飛行機で六十分、羽田から六十分、そして、徳島阿波おどり空港から神山町まで六十分という時間距離にございます。四国遍路十二番札所の焼山寺がございます。この焼山寺でございますけれども、十一番藤井寺から十二番焼山寺への道は、四国八十八か所の中でも最大の難所中の難所ということで、俗に遍路転がしというふうに言われております。
また、日本一のスダチの生産地でもございます。九月第一日曜日には目黒で、目黒のさんま祭りということで、長年、徳島県の神山産のスダチと岩手県宮古市のサンマのコラボレーションで、大変喜んでいただいております。
また、昭和三十年に五つの村が合併をいたしまして、その当時の人口は二万九百十六名ということでございました。ところが、平成十七年、五十年後でございますけれども、この年には七千三百九十五人、六五%の減というようなことになってございます。
そういう状態でございましたけれども、空き家のあっせんということをNPO法人に委託することによって、社会動態が平成二十三年度に初めて町制施行以来プラス十二人の増になったということで注目を浴びておるわけでございます。
続きまして、三ページ目をお願いしたいと思います。時系列で見る神山町の軌跡ということでございますけれども、昭和三十年には先ほど申し上げましたように人口も二万人を超えていたと。その昔、古く文化六年、一八〇九年のことでありますけれども、藩政時代にも一万三千五百八十三人の人口を擁していたわけでございますが、東京オリンピック、大阪万博と、バブルがはじけるまで人口はもう激減したという状況でございます。まさに、人口といいますか、労働力といいますかの供給基地的な役割を担っていたのかなという気さえいたします。
この間、過疎対策というようなことでいろいろと、町といたしましてもいろんな施策を打ってまいっておりました。しかし、なかなか、基盤整備であります道路網、神山町には国道が二線、県道八線、町道は三百五十線という非常に数多くの路線が存在する、しかも中山間地を縫って走っておるという道路でございますので、道路事情が非常に悪かったというようなこと、それから林業あるいは農業中心のいわゆる一次産業中心の町でございましたので、非常に産業構造等々も変わってまいりまして人口が激減したと。平成十一年には婦人会等々も消滅、あるいは平成十五年には青年会、青年団とも申しますけれども、これも消滅ということでございます。
いいことといいますか、ちょっと元気が出たなという事象には、平成元年に県立神山森林公園におきまして全国の植樹祭が開催されました。それから、現在の神山町が元気の一つの原点といいますか、の一つに観光協会、これはちょっと遡りますけれども、昭和六十二年に、徳島県下でも当時はちっちゃな自治体が観光協会を設立するというのは非常に珍しかったんでございますけれども、この昭和六十二年に観光協会が設立をいたしました。
なぜ観光協会設立かということでありますけれども、それを遡ること十二年、昭和五十年に学校問題、その当時、中学校七校ございましたけれども、当時の町長が神山町の中学校を一つに統合するというような運動が、政策展開ですね、が起こりました。でも、このときは神山町の人口は一万二千人を超えておったということから、なぜ統合だということの理解が得られなかったわけです。
大変な町を二分するような激論になりまして、現職が敗れたんでございますけれども、その当時の町長の人口推計というのはまさに的確でございまして、その方は、今日の神山町の人口がこのようになっていきますよというシミュレーションを持たれておりました。
その町を二分する選挙が終えてからの神山町は、まさに政争の町ということで、例えば県道あるいは町道の用地交渉をする際にでも、反対派、賛成派ということで足の引っ張り合いというような状況が長く続きまして、これでは良くないということから、町民の有志の一部から声が出まして、まず観光協会を立ち上げましょうよということになりました。神山町に存在するまず自然資源に光を当てていって、まず入り込み客を増やしていこうじゃないかという運動がなされたのが初めであったと、このように思います。
現在では神山町への入り込み客は百万人を超えるほどにやっとなってまいったわけでありますけれども、この間、いろいろ施策は打ったのでございますけれども、余り成果は見られなかったということであります。
イベントの一部は、皆様方のお手元に配付させていただいておりますが、神山町イベント情報、春バージョンと秋と二回出しておるわけでありますけれども、春に民間の町民の手によるイベントがこれほどございます。現在では、番号が振られておりますけれども、三番目の江田菜の花の里・菜の花まつり、ちょうどこの時期に差しかかっております。そして、四番目の明王寺のしだれ桜まつり、樹齢が百年を超える雌雄の二本がございますけれども、ちょうどこれが開花をしたところでございます。こういったことで、紙媒体で春と秋、二度ほど、入り込み客を増やしていこうということでイベント展開をしておりました。
ところが、平成十六年度の事業で光ファイバー網、これは行政体が実施するのは四国で初めてという事業でございましたけれども、神山のような田舎に光ファイバー網がなぜ要るのだということも町民の方からもあるいは県当局の方からもいろいろ言われましたけれども、現在になりますと、この敷設したことが非常に良かったのかなという気がいたしております。様々な神山町のやっておりましたことの情報発信力というのがもう飛躍的に伸びまして、神山町が注目をされる一つのきっかけにもなりました。ちょうどこの頃、道路網もやっと、一線でありますけれども、擦れ違いのできるような道路状況になったと。ですから、ロードである道路と光の道と、二つの道がやっと普通の状態になってきたのかなという感じがいたしております。
NPO法人グリーンバレーの発足が平成十六年。それから、もう一つのNPO法人神山さくら会、これは桜を、特に枝垂れ桜を植えて人を呼び込もうじゃないかという動きです。現在、五千三百本余り枝垂れ桜が植えられております。やがて大変なにぎわいになります。
もう一つは、これはできたばかりでございますけれども、NPO法人の里山みらいということです。これは、地域おこし協力隊という方々を、総務省の事業でありますけれども、現在五名ほど来ていただいて、神山町のスダチや梅や様々な農産品をPR、あるいは販売、あるいは加工と、こういう展開をしていただいております。
お手元にこのスダチのデザインのリーフレット、それからこの神山すだち住民課、これ、ふるさと納税の変化バージョンでありますけれども、ふるさと納税をしていただいた方に神山町の農産品を提供していきましょうということで、住民登録をしていただく、これは正式な住民登録ではございません。そういったことでいろいろ展開をしてございます。
このペースでいきますと時間内に収まりませんので、ちょっとはしょってまいりたいと思います。
光ファイバー網、四ページです。光ファイバー網の基盤整備ということにつきましては、目的はここに書いてございますように、都会との情報格差の是正、それから地デジ対応、これを両方解決すると。しかも、IP電話も無料で利用できるということでございます。特に契約の手法が、神山町の敷設しました施設を民間のケーブルテレビ会社に使用していただく、貸し出すわけですね。その使用料で維持管理費も全て賄っておるということでございまして、この利用料も二千五百円ということで、多分全国的に見てもかなり安い方なのではないのかなと、このように思っております。
次に、五ページをお開きください。移住交流支援センターの委託ということでございますけれども、これは、現在空き家率が神山町は一九%、空き家は六百戸余りに上ります。そういった中で、どうにかしてこの空き家を都会の方に活用していただこうじゃないかという動きが起こりまして、これを神山町が展開するのでなくNPO法人にお任せをしたということです。
なぜということでありますけれども、行政が実施しますと間違いなく公平性ということが問われます。そうするならば、神山町、高齢化率四七%の町でありますので、若者、これからの子育て世代が欲しいわけです。そういったことから、NPO法人に任せますと逆指名、選んでいただけるというような状況になりまして、若い御夫婦あるいはお子さんがいらっしゃる御家族というような方を逆指名するというような形で現在展開をさせていただいております。二十五年度までに六十五世帯、百十六人の方が移住されております。待機者も二百人以上に上るという状況で、なかなかお貸しいただける空き家が足りないという状況にあります。
続きまして、次のページ、六ページでありますけれども、神山町は、現在、このサテライトオフィスの事業が非常に熱心に進められております。これの元になりましたのは、第一号はSansanの株式会社、クラウド型の名刺管理の会社でございますけれども、この方が空き家あっせんの過程の中で初めてIT関連の方が来られたのが一つのヒントになりまして、ああこれだということで、仕事を持っておられると。特に地方創生の中ではまち・ひと・しごとと、こういう話になっていますけれども、田舎には仕事がございません。IT企業の方は光ファイバー網さえ敷設されておれば東京も田舎も変わらないと、条件はということから、この第一号でありますSansan株式会社が来られたことによってヒントを得たと。特にIT関連の企業さんに特化して、逆指名の形で次々と展開をしていく形を現在も取っております。現在は十二社が東京を中心とする都市部から神山町に入ってこられております。
彼らが、来られた会社の方が異口同音におっしゃいます。非常に自然環境も豊か、住民との距離も近いと。しかも、通勤に要する時間も非常に短いというようなことからリフレッシュもできると。すなわち、ワーク・ライフ・バランスも現実なものとなっておると。しかも、所を変えますと新たな発想が生まれてくるというようなことで、クリエーティブな事業をされる方々にとりまして地方というのは非常に魅力的な土地であるということを異口同音におっしゃっていただいておるところでございます。
七ページ目でございますけれども、地方創生でございますけれども、この事業については大変期待をいたしております。やっと地方にも国も目を向けていただくようになったのかなという気がいたしております。
そんな中で、神山町も地方版の総合戦略、かみやま総合戦略ということを今年十二月までに策定をいたしたいと、このように考えておるわけであります。この総合戦略を策定する際には、神山町に移住されておりますクリエーティブなIT企業関連の方々のアイデア等々もお借りしながら進めてまいりたいと、このようにも思っておるところでございます。
本日のどうも本題のようでございますけれども、PDCAサイクルということにつきましては、行政、特に小規模町村にとりましては非常に苦手な分野でありますし、また、人員を限りなく、これも総務省の指導で、人口規模に見合うような適正な職員数にしなさいということもありまして、ほとんどの担当は一名しかおりません。ですから、その一名が病気等々で倒れますとなかなかフォローが難しい状況の中で、このPDCAサイクル、評価、改善ということになりますと、困難性が非常に高いなという考えが正直なところでございます。
以上でございます。