秋月謙吾の発言 (国の統治機構に関する調査会)
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○参考人(秋月謙吾君) 京都大学の秋月でございます。よろしくお願いいたします。
と申しますけれども、私、水曜日に講義がないという単純な理由でお引受けをしたのですけれども、他の参考人のお名前を聞いて、もうちょっと頭がくらっときまして、湯崎知事のようにいろいろと実務にも精通しておられる、中央、地方にわたる実務に精通しておられる方、それから、神野参考人のように各種の審議会をリードされ、あるいは構想を具体的に提言されておられる先生でありますので、私のような一介の研究者は、正直言いまして、我が京大法学部が大リーグ、アメリカンリーグの東地区に無理やり編入されたようなそんな状態であるという感じで、何か大変戸惑っております。
ただ、そのような一介の研究者では何ができるかということでありますが、まず私、第一に、全く実務に関係がないかというと、そのようなことは必ずしもございませんで、自分でもちょっとびっくりした、振り返ってみると驚いたんですけれども、特に国と地方の役割であるとか地方分権とかということに関して言いますと、世界銀行で仕事をさせていただいたり、あるいはJICAのタイにおける地方分権、特に自治体間協力のプロジェクトに参画させていただいたり、それから、今独立しましたけど当時はユーゴスラビアの一部であったコソボ自治州における地方自治及び憲法体制についても、短期間でありますけど関与させていただいたと。先ほどの神野参考人のボーダーレス化、国際化というのが一介の研究者にも襲ってきたのかなというような思いをしております。
そのような私がこのような場に出させていただいて何ができるのかということですけれども、インフォメーション、情報をお出しするということに関して言うと、皆様方にはそれぞれ優秀なスタッフやら政党のスタッフあるいは官僚機構が控えておりますので、そのようなことは到底かなわないと。また、ノレッジ、知識というのも多分違うだろうと。じゃ、何ができるかというと、まあパースペクティブといいますか、幾何学の一見難しい問題に一本の補助線を引くと、ああ、こういうことなのかというようなことを、もしも多少でもお示しできたらというふうに考えているわけであります。
レジュメをちょっと見ていただきたいと思います。一枚だけの簡単なもので大変恐縮でございます。
まず第一に強調しておきたいのは、いわゆる記述的な論議、これこれこうですよと、例えば、私は今日京都から新幹線で来ましたというようなことと、それから規範的な論議、飛行機より新幹線の方がエコですから絶対新幹線で来なきゃいけませんよねという、このモデルというのは当然違うわけでありますが、しかしながら、実際はしばしばこれが混同、場合によっては意図的に混同されると。これは、少なくとも研究者としてはできるだけ峻別しなければいけないと。どうしても混じってしまう、例えば私ができるだけ規範的な論議はしてはいけないということを言うということはこれ自体が自己矛盾でありまして、一種の規範を自分で言っているわけですから、ということになってしまうわけですけれども、そういうふうな考え方というのを基本的には取っております。
これは大分昔のウエブの記事なんですけれども、簡単にお目通しをいただきたいと思います。改めて読み上げるようなことはいたしません。ロンドン市長選において、リビングストン、今はボリスという人がやっておりますけど、ケン・リビングストンという労働党左派の方がブレアの鼻を明かすような形で勝ったというときの毎日新聞の記事であります。これは淡々と事実を述べていて、誰が勝った、得票率は何%だったというだけの記事に見えるかもしれません。しかし、これはよく学生に私見せるんですが、この中に実は重大な一種の規範というようなものが隠れているんですね。
それは何かということをちょっとお考えいただきたいんですが、それは要するに、簡単に申し上げますと、普通、選挙の報道で、誰々が勝った、得票率は何%だった以外に投票率のデータというのが普通出るはずなんですね。ところが、この記事には投票率が何%であったかということが出ておりません。これ、たしか、日経と読売で調べましたけど、どの新聞記事にも実は載ってなかったんですね。
で、当時たまたまイギリスに住んでいた、留学していた同僚がいましたので聞いてみますと、うんとね、概数だけど三〇%ちょいというふうに言っていたんですね。これは実は、初めてこの新しい制度、第一回におけるグレーター・ロンドンの市長の選挙で、歴史的な選挙で重要な選挙だったわけです。話題もさらいました。しかし、実際ロンドン市民の三割しか投票に行かなかったということであります。
これが何で書かれていなかったのかということについて思いを致すと、当時、その頃例えば日本の投票率が五割を切りかけているからやばいぞとか、こんなの民主主義じゃねえとかいうような議論で、もっと上げようみたいなキャンペーンをマスコミを中心に張っておりました。彼らにとっては、民主主義の母国における首都の重要な選挙の投票率が三割であるということは誠に不都合な真実なわけです。ですから、もしも特派員が書いていたとしても多分デスクが落としたんだろうと。これは私の邪推かもしれませんけれども、そういうふうな規範意識が隠れているということを常々申し上げております。
それから、二の、制度としての面白さというのが設計の難しさにつながるという話でありますが、例として市制特例ということを挙げておきました。これも簡単に内容を御紹介します。下にありますので、御承知の方も多いと思いますけれども、簡単にお目通しを願いたいと思います。
それは何を言っているかといいますと、要するに、東京と大阪と京都は特別で重要だから、明治の地方自治という天皇の恩典である自治というものの例外として市長を選べない、その代わり知事が市長の役をやるんだと、そういう制度であります。私、昔の記録を見ておりますと、これは、京都の市民、町衆はもう激怒に次ぐ激怒でございまして、伏見村の連中が自治やっているのに俺たちに何でできねえんだみたいなことを真剣に怒りまくっているんですね。東京と大阪の方はそれほどでもなかったと思います。京都の人が一番怒ったような感じがいたします。
京都の市民は何をしたかというと、これを、何というんでしょうか、東京、大阪と連携をしながら、帝国議会に諮りながら、中央政府に諮りながら、内務省に、そして自治体に代役をしている知事に北垣国道という名知事がいましたけれども、その知事なんかを通じながら、この制度を何とかやめてくれと、そして九年間掛かって廃止というところに行ったということでございます。
この例を挙げましたのはどういうことかといいますと、京都の市民が、要するに、市役所ができる前に自分たちで自治をやっていた。逆に言うと、日本中の三都市以外の都市は天皇の文字どおりの恩典、ギフトとして自治をやっていたのに対して、京都の市民は文字どおりそれを勝ち取ったということになるわけであります。
要するに、これって、変な言い方ですけれども、悪い制度ほどいいのかという、もちろんそんなことはありません。京都市民にとってはとんでもない悪い制度で、それを変えただけなんです。しかし、それは京都の歴史にとってはある意味自治における輝かしい瞬間であったというふうにも言えるわけで、これが制度のある種の矛盾であると。研究者としては面白いんだけれども、実際に制度をつくられる皆様にとっては難しいということをちょっと申し上げておきました。
そうはいいながら、具体的な地方分権論議について幾つかの問題点をちょっと指摘して、私のお話を終えたいと思います。
まず第一に、過度な分権化ということでございますけれども、一つだけ例を挙げておきますけれども、よく分権の議論をするときに、国は外交、防衛だけに特化して、身近なものをという湯崎知事のお話がありましたけれども、その他は全部地方にやらしたらいいんだというような議論をする。これは、運動論としてのスローガンとしては説得力がある場合もありますが、具体的には、役割論議として、例えば今日の湯崎知事が具体的に出されました項目なんかを見ておりますと、そのような単純な議論をされていないので大変私も興味深くお聞きしたんですけれども。
例えば、現在の沖縄の状態というのは、各党の皆様のお立場の下で大変御苦労されているというふうに拝察するわけですけれども、例えば、あれは安全保障と外交の問題だから国がやるんだよね、沖縄県や地元自治体は黙っていろよという話になりかねないわけですが、もちろん現実はそうではありません。なぜかというと、当たり前ですが、基地というものは、安全保障、アメリカとの関係であるとか外交の関係のものだけではなくて、経済的な影響、労働問題、治安問題、その他もろもろの地方自治体にとっての緊喫の課題というものを投げかけるから沖縄県も地元自治体もそれなりにいろいろと御発言をなさる、運動もなさるということだろうと思います。このような単純化というのはいけないというふうに私は考えております。
最後に、具体的な変化の方向というのについて、私は補助線を引くので、矢印は、具体的な構想を持っているわけではありませんが、その中でも一つだけやはり今後の改革の方向性として必要なものとしては、制度の多様化というのを挙げておきたいと思います。
例えば、アメリカにおいては、シティーマネジャー制、もし御質問がありましたらお答えしますけれども、というなかなか面白い制度を持っていて、これをイギリスなんかも一部で採用し、イギリスなどでも自分たちの自治体の体制、制度、誰を選挙で選ぶのか、議会はどういう構想にするのか、役割分担はどうするのかということを自ら選択できるようになっております。
シティーマネジャー制度については、日本でも一部の自治体がそれに類似した制度を取ろうとしたんですけれども、憲法及び地方自治法の壁というので、なかなかそれは難しいということが言えます。
成熟された社会に突入している日本にとりましては、具体的なこういう権限を与えるということも非常に重要なんですけど、それだけではなくて、どのようなシステムで自治体を運営していくかということについて、今よりは少なくとももう少し柔軟に、そして住民がそれを自分たちの自治を考えるスターティングポイントとして多様性を許容するという方向性がやはり必要なのではないかというふうに私としては考えております。
以上でございます。ありがとうございました。