荒井広幸の発言 (政府開発援助等に関する特別委員会)
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○荒井広幸君 大臣、最後までお疲れさまです。五十か国回るのとこの委員会に来るの、どっちが疲れるかなと思って聞いておりましたけれども、どちらも全力でされていると思います。敬意を表します。
大臣が当選されて、私も一緒でしたが、野党でございました。野党になりまして、自社さ政権ができました。自社さ政権ができたときに、村山内閣において、女性のためのアジア平和国民基金、いわゆるアジア女性基金というのができたんです。あのときは、自民党は虎島和夫先生でした。長崎でございました。先輩議員でございます。それから、社会党が又市先生のところから上原康助先生、沖縄でございました。上原先生ですね。それから、さきがけからは、今、民主党に行っておられる荒井聰先生なんですね。ここが母体になっていわゆるアジア平和基金をつくったんです。
自民党というのはやっぱりすばらしいところがあるわけで、あったと言うと問題がありますが、あるわけで、私みたいな、当選したてでしたけど、よくよく戦後を勉強しろと、問題があることを勉強しろと、私、三席に席をいただきまして、戦後五十年問題プロジェクトというのをつくったんです。そこが今言いましたアジア女性基金の大本をつくっていくんですね。ですから、私もそのときにおりましたので、非常にいろいろな意味で複雑な思いで今現在見ているんです。
その中で、余り言われていませんが、非常に進んだことがあるんです。これはどういうことかというと、韓国と台湾を日韓併合していた時代、韓国を日韓併合していた当時ですね、小鹿島というところに強制収容したのがいわゆるハンセン病の問題なんです。これは、意外なんですけれども、裁判があった都合もありましたが、小泉総理のときに、韓国の強制収容された皆さんに償いをしようと、これ日本国民と同じようにしようというふうに、これは議員立法でした。それをやってまいりました。
そこで、厚生省にお尋ねをいたしますけれども、このハンセン病、随分大勢の方が韓国で申し込まれました。努力をしていただきました。現在どれぐらいの方が残っているか、分かりますかね。その前にハンセン病における韓国に対する補償のこれまでの取組を簡単に説明していただいて、今何人ぐらいになったか、説明してください。