下村博文の発言 (文教科学委員会)

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○国務大臣(下村博文君) 私の考える教育の本質の部分というのは、その調査が日本青少年研究所で出されているんですけれども、日本と中国と韓国とアメリカの意識調査ですね、この中で、日本の高校一年生の自分に対する評価、自分は駄目な人間だと思う、自分は駄目な人間だと時々思うことがあると、これにイエスと答える高校生、日本の高校生が八四%いるんですね。アメリカは五〇%台、中国、韓国は三〇%台。日本も元々この調査をし始めた一九九〇年頃は三〇%台ぐらいだったんですが、自己否定感がどんどん増えているんですね。
 この子供たち、つまり八四%の子供がそのまま大人になったとしたら、この子供たちは幸せな人生を送れるんだろうかということに対して私はすごい危惧を持っていまして、つまり教育は何のためにあるのかと考えると、それは子供たちのためにあると思うんですね。その子供たちというのは、そういう自己否定感とか自信のなさとかそういうのではなくて、自分がこの世に生きてきて存在するということによって、人生に対する喜びとか幸せとか、それを感じるような人生を送ってもらいたい。そのためには、教育が必要だと思います。
 ですから、教育というのは、一人一人の子供たちが持っている潜在能力、それを最大限引き伸ばすと。潜在能力というのは、これは人によって違います。夢とか志も人によって違うと思います。ですから、画一、均一ということではなく、元々子供たちが持っているような潜在能力を最大限伸ばして、そしてお互いに認め合いながら、また、社会に貢献しながら自己実現をしていくと。
 自分だけいいということでは、やっぱり幸せだという人生は送れない。社会に役に立つ、家族に対しても、人に対しても、地域に対しても、国に対しても、そういうような、仕事を通じて、あるいは自分のいろんな生き方を通じて自己実現を図り、そして一人一人がより幸せに、より良く生きていくことができるような手だてを教育の中でどう進めていくかが問われていると思います。
 ですから、今、安倍内閣が進めようという教育改革というのは、別に国家主義的な、あるいは右傾化とよく批判されますが、そういう視点ではなくて、つまり支配者が目指すべき教育を考えるというような、そういう視点ではなくて、一人一人の子供の視点に立ったときに、何が今問題なのかと。そのことを考えると、今の学校制度の中でドロップアウトしてしまって落ちこぼれで居場所がなくなっている、これ発達障害も含めてそうですし、一方で物足らない子供たちもいるんですね。それぞれの子供たちが自分が生きている実感を感じながら自分の能力を伸ばす、そのときそのときに伸ばしていくような、そういう教育環境づくりをつくっていくということが必要だと思いますし、そのためには、より多様化しながら、その子に合ったような教育、そういうことでいえば、やっぱり教員の数なんかも、よりきめ細かな教育をするということが一人一人の子供たちを伸ばすということにつながりますから、チーム学校という話もありましたが、教員含めた体制もより充実をさせると。
 そういう子供たちが一人一人の能力を育むような教育をして世の中に役に立つような人材になることが結果的には国の豊かさになるわけで、つまり、国家の豊かさを先につくるのではなくて、一人一人の豊かさをつくっていくことによって結果的に国が豊かになるような社会をつくっていくと、それが今目指す教育改革であります。

発言情報

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発言者: 下村博文

speaker_id: 34381

日付: 2015-06-09

院: 参議院

会議名: 文教科学委員会