麻生太郎の発言 (財務金融委員会)
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○麻生国務大臣 一九四五年にさきの戦争で負けてかれこれ七十年たつんですが、世界に今百九十三カ国ありますが、その中で、デフレーションによる不況を経験した国はありません。
戦争で負けた後の昭和二十年代、三十年代、数々の不況がありましたけれども、いずれもインフレーションのもとでの不況でした。初めてデフレーションのもとでの不況というのが始まったのが、多分、歴史家は、先ほど井上先生の言われた一九八九年の十二月二十九日、三万八千九百十五円、これは東証の株価の終値の指数なんですが、経済のわかっていない新聞というのはいっぱいありまして、次は四万円になるとみんな書いたんですけれども、四万円にはついになりませんでしたので、ああ、やはり新聞というのは読んじゃいかぬなと思って、すごい印象があるんです。
ずっとその後下がりっ放しで、七千円台、八千円台まで行った時代があった。野田内閣のときには最後で八千六百円だったと思うんですけれども、八千六百六十円ぐらいが多分あの時代だったと思いますが、とにかく安倍内閣に政権を奪還したときに我々のやることは何かといえば、これは、デフレ、正確には資産のデフレーション、資産と限定して言いましたけれども、株という動産が三万八千円がただの八千円だ六千円だになっていくわけですから、間違いなく三万円はみんな貧乏になったということです。土地も明らかに、一五%、六大市街化地域で六分の一ぐらいになっていますから、その意味では、間違いなく動産も不動産も、持っている人はということになっていったんです。
ただ、それを持っている人は、じっとしている分には別に何ということはないので、自分の土地の固定資産税が安くなったなぐらいに感じられた方も大勢いらっしゃるんですが、多くの企業はその資産を担保に金を借りておりますから、その担保が担保不足になって資金が回らなくなってくるという状態に追い込まれる。これが資産のデフレーションによって起きてくる最初の弊害で、企業はいずれも借金の返済に追われる。
すなわち、企業は、利益を出したその部分の最初にやるべきことは借金の返済です。それが企業にとりまして優先順位の一番にならざるを得ないという状況がずっと続いたというのが、間違いなく、このデフレーションと言われた時期の日本の企業のとった行動だったと、多分、後世、歴史家はそう書くんだと思いますけれども、私どもから見てその状態が、いわゆる貸方、借方でいえば間違いなく債務超過になっているわけですから、企業は金を貸してくれる人がいないという状況下で経営者をやっていくということになりますので、どうしたって債務超過を解消しない限りは貸し剥がし、貸し渋り、資金繰りがつかないということになりますので、それを補っていくためにはというのが企業経営の最先端を行くのはそれしかほかに方法がありませんから、嫌でも企業はどんどん借入金の返済に追われる。
その結果どうなったかといえば、借りた金を返すのは正しいですけれども、正しいことをすれば必ず世の中がよくなるかなというほど世の中は甘くありませんので、金を借りるというのを悪のごとく言われて、金をどんどんみんなで返したらどうなったかといえば、銀行が潰れたんだ、借りてくれる人がいないんですから。
それが九七年の通貨危機と重なって、金融機関というものは、一九九七年に都市銀行で最初に北海道拓殖銀行が倒産し、三洋証券、山一証券が倒れ、翌年には長銀が倒れ、債券信用銀行が倒れ、昔の名前で出ていますなんという銀行は東京三菱と三井住友ぐらいで、昔ありました富士銀行だ興銀だ、今は何銀行と言うんですと言われても、即答できる人の方が少ない。それほど銀行も、倒産もしくは併合、合併せざるを得なければ生きていけないというそういった時代というのが、多分、バブルという時代を収束していくその過程において起きた現象だと思っています。
それが、少なくとも二〇〇〇年代に入って、最初のうちに債務超過をほとんど解消できるところまで来たんですが、そこに来たのがリーマン・ショックです。これでリャンファンかかったみたいな話になって、もうちょっと品のいい表現がいいですな、ダブルにショックが来て、もう一回やり直さないかぬということになったのが政権を私がお預かりしたときだったんですが、これで一挙に予定が狂いましたものですから、このときには過去に例を見ないほど金融収縮が世界で起きましたので、日本としては、金融収縮が起きるということは、これは日本がいよいよおかしくなりますので、日本の持っている金を使って国際金融機関IMFにローンします。一千億ドル、十兆円でしたけれども、ローンしますということをやって、金融収縮を救うというところでは大いに成功したんですが、残念ながらその金融収縮を救うまでであって、日本の景気を立て直すというところにまでとても行きませんでした。
したがって、その間は、約三回にわたる補正予算というのをやらせていただいてどうにか後をつないだんですが、私どもがやれたのはそこまでです。
その後は民主党政権になっていく経緯になっていくんですが、ぜひ私どもとしては、この安倍内閣の中において、何としても資産のデフレーションによる不況、これからも脱却するためには、済みません、日本銀行さんもこれまでの政策は間違えました、もちろん政府も財務省もみんな間違えたんです、したがってやり直さないかぬということで、日銀との間に協定を結び、いろいろな形で政権もかわったので、日銀総裁も退官というようなことやら何やらいろいろ、あの年、二月から四月にかけていろいろ三年前はやらせていただいた結果、今のようなものを出してきたんだと思っています。
やっとどうにかデフレーションという状況から少しずつ今脱却しつつあると思ってはおりますけれども、何となく、景気の気の部分というのはなかなかいま一つそこまで達していませんので、さらにこの政権というものが安定しているのを背景に、経済政策というものを、引き続き景気というものを刺激しつつ、かつ、財政というものもバランスさせるということに配慮を置きながらやっていかねばならぬという、二兎を追うという形のものを、綱渡りのようなところをやり抜いていかなきゃならぬというのが我々に今与えられている状況だ、そう理解をしております。
長々しゃべりましたけれども、済みません。