井出庸生の発言 (法務委員会)

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○井出委員 海外の事例を少し見ますと、アメリカでも合衆国憲法に恩赦の規定があって、ただ、日本は今、政令恩赦はずっとないやに聞いておりますけれども、個別の、本人が願い出て審査する恩赦は、常時、毎年数十件あるというように聞いておりますが、アメリカでは、恩赦が全くないような年もある。イギリス、カナダ、いろいろなところを見ても、日本ほどはその件数がないのかなというのがいろいろな文献を見てきた中での私の感想なんです。
 ただ、そうしますと、私は、個別の恩赦、社会復帰をするための復権というものは一つの意義があるかと思うんですけれども、天皇や王権の冠婚葬祭ですか、昭和天皇がお亡くなりになったときですとか、もっとさかのぼれば御成婚や御即位のときにも、そういう節目で恩赦があったやに聞いております。そういうものは、大昔の、王様、王権が裁判の誤りをなくしていくとか、そういうものともちょっと位置づけが変わってきているのかな、正直、その必要性があるのかなと思うんですよ。
 というのは、日本国憲法の前は、恩赦というのは恩赦令だったと聞いているんですけれども、完全に天皇陛下のおやりになることで、それが、日本国憲法になって、国事行為と一緒で、内閣の助言によってやる、行政が入ってくる。
 そのときのいきさつを見ますと、冒頭に少し議論をさせていただいたような、刑事司法の機能を一層完全な方向にするために運営をしなければいけないですとか、恩赦の審査が、従来の形式的なものより、より実質的なものに進まなければいけない、これは、恩赦法が制定されたときの恩赦制度審議会の最終意見書にそのようなことも書いてあるんです。
 そうすると、私の考えとしては、方向性としては、これからは、個別の恩赦は常時やっていただく。その件数が本当に適正かどうかというのはなかなか推しはかるところはないんですが、とにかく、個別の恩赦というものはやっていく意義があるだろうと。その一方で、政令恩赦というものを残している必要が一体どこまであるのかなという疑問がありまして、その点についての御見解をいただきたいと思います。

発言情報

speech_id: 119005206X00620160323_024

発言者: 井出庸生

speaker_id: 30597

日付: 2016-03-23

院: 衆議院

会議名: 法務委員会