岩崎美紀子の発言 (国の統治機構に関する調査会)
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○参考人(岩崎美紀子君) 本日はこのような機会をいただき、ありがとうございます。
二院制議会における両院の在り方について、比較政治学の立場から、二院制議会の起源、諸国の二院制議会の比較、その中で見えてくる我が国の二院制議会の特徴について述べたいと思います。
議会は社会の代表機関であり、立法機関として民主主義体制の根幹を成す統治機構です。現在、世界のほとんどの国には議会があり、そのメンバーを選ぶための選挙が行われています。しかし、議会は初めから現在のような形であったわけではなく、歴史を振り返れば、議会の成立や変化には国により違いがあることが分かります。議会の在り方や議会の構造は体制の変化と連動して変わることも、時間軸を長く取れば明らかになります。
例えば、スペインはカディス憲法以降数多くの憲法を制定していますが、自由主義勢力が主導する体制では議会は一院制となり、保守勢力が優位であれば二院制となります。
フランスは一七八九年に全国三部会が百七十五年ぶりに召集されましたが、第三身分を中心に国民の概念をベースとした議会に転換しました。王により召集され立法権も持たない身分別三院制とも言える三部会が、一院制の国民議会に変貌し、この議会が人権憲章を採択、封建的特権の廃止などアンシャンレジームを否定する議決を次々に行います。一七九一年憲法で正式に発足したフランス初の議会は一院制でしたが、一七九五年憲法で二院制になりました。ナポレオン帝政期は人民投票が重視され議会は骨抜きになりましたが、復古王政では議会が復活、二院制でした。フランスは革命からの百年間、王政、共和制、帝政のサイクルを二回繰り返しました。体制変動ごとに憲法が制定、議会の在り方も変化しました。議会の在り方や議会の構造はこのように体制の変化と連動して変わります。
では、二院制議会は、歴史的に見ればどこにそのルーツを求めることができるのでしょうか。現在まで存続している議会であるという点から、二つのケースを挙げることができます。
まず、イングランドです。
議会の起源としては、十三世紀末、エドワード一世が戦費調達の協力を求めるため王国を構成する主要階層から代表を召集したことに求めることができます。議会のルーツは、社会の代表が参集する場であり王の求める財政負担を認める場でもありました。
議会が確かな機関として定着していくのはエドワード三世の治世で、百年戦争が絡んでいます。フランスへ外征する兵士や資金の調達のために、貴族だけではなく各地域の代表を招喚、それが頻繁に行われました。彼らは貴族とは別の部屋で会合しており、それが庶民院の形成に結び付き、十四世紀後半には貴族院と庶民院の二院制議会が成立しました。貴族とそれ以外という身分制の二院制というより、庶民院は地域の代表という明確な代表原理でした。
各地域の有力者が庶民院議員としてイングランド全体の議会に集まるのですから、中央、地方関係の要の役割も果たしていました。行政権は王の専管ですが、立法権は王と議会で共有、法案は、議会の二つの議院における審議と可決の後、王の裁可を得て法として成立、公布されるという現在の立法手続の基礎が十五世紀には成立しました。
イングランドは、清教徒革命により一六四九年から一六六〇年の十一年間共和国となります。王なき政体で、庶民院が最高機関となりました。しかし、護国卿体制に取って代わられました。一六六〇年の王政復古とともに貴族院も復活、以後、王と二院制議会が英国の統治機構の中枢機関となっています。
アメリカは、議会の起源としては、印紙法への反対を契機とした植民地代表者会議を挙げることができます。
植民地共通の課題への対応を話し合うために各植民地の代表が参集する場が大陸会議になり、一七七六年七月独立宣言を採択しました。
独立戦争を経て、一七八三年に独立が承認されたときのアメリカは、各邦が主権を持つ国家連合でした。共通機関として邦の代表で構成される連合会議がありましたが、独立という共通の目標を達成し終わった後は連合会議は共通機関としての求心力を失いました。十三の邦を一つの国として全体を統括するような政府をつくらなければ外交も通商もままならない。一七八七年にフィラデルフィア会議で開かれた会議では、緩やかな連合で邦の主権を維持するか、より堅固な結合を実現させるため一つの国家政府をつくるかという二つの相反する主張をすり合わせていきました。
当時の政治体制の選択肢としては、国としては権力が王の下に一元化されている専制的単一制かスイスのような小国家連合しかありませんでした。憲法会議の議論の底流にあったのは、全体機関の権力の強化は独立を懸けて戦った英国のような専制の再現とはならないことを明示することでした。専制ではなく共和制を、連合ではなく連邦を、この二つの組合せをいかに制度として設計するかについて議論が展開し、憲法がつくり上げたのは連邦共和国でした。
連合から連邦に移行することで、各邦の住民は連邦国家の国民となります。連邦共和国の議会が二院制とされたのは、邦を代表する議員と人民を代表する議員という代表制の異なる議院が必要とされたからです。国民代表の会議は人口比例の代表原則を取るため、人口の多い州では選出される議員の数も多くなります。州を代表する上院も、州の人口の多寡を反映すれば、人口の少ない州は連邦議会への代表度が相乗的に低くなります。
州を代表する議員として上院議員の数は各州同数とすることで決着しました。上院議員は州議会が選ぶとされ、連合時代の連合会議との類似性があります。新規であったのは連邦国家となることで創出されるアメリカ合衆国民の議院としての下院でした。
このように、イングランドは漸進的に議会が二院制となり、アメリカは第二段階の建国となった連邦憲法により議会二院制を設計しました。二院制議会が成立した背景にはこのような違いがありますが、両国には共通している点が二つあります。一つは、上院が元々の議会の系譜を引いており、下院に相当する議院がつくられたことで二院制となったこと。いま一つは、二つの議院の代表原則の違いです。
二院制議会では、下院は必ず国民の直接選挙による選出という共通性がありますが、上院については各国様々です。二院制が意味を持つかどうかは上院の在り方によるところが大きいと言えます。
議会二院制を取る諸国の上院を比較してみたいと思います。議院の規模、定数、議員任期などについてはお手元の資料にございますので、ここでは上院議員の選出方法に着目します。
主要国の中で上院議員を直接選挙で選出しているのは、アメリカ、イタリア、日本、オーストラリアです。下院は直接選挙なので、選出方法が上下両院で同じになります。そのような中で、上院は下院とどのような違いがあるのでしょうか。
アメリカの上院議員は、当初は州議会による選出でしたが、一九一三年に憲法修正第十七条により直接選挙になりました。選出方法は下院と同じ直接選挙ですが、建国当初から上院には下院にはない役割を持たせることを憲法で明記しており、上院と下院の違いは明白です。
イタリアは、第二次世界大戦敗戦後の国民投票により君主制を廃止して共和制へ移行、一九四八年の共和国憲法で上院議員は直接選挙による選出となりました。それまでは王が任命する議員により構成されていました。
イタリアの二院制議会は、合わせ鏡のように二つの議院は似ています。二院制の存在理由の一つに、どちらか一つの議院が機能することで議会という機関の継続性が確保できるというのがあり、上院にその機能が託されています。上院の方が下院よりも議員任期が長く、輪番的改選制を取ることが多いのも議会としての安定に寄与しています。
しかし、イタリアの議会はそのようになっていません。任期は共に五年で、上院も下院も解散があります。下院と同様に上院にも不信任権があり、それがイタリア政治の不安定の一因になっています。最近、上院の改革が本格化されました。直接選挙をやめて、地方議員や大都市の市長などで構成される地域代表の議院とし、議員数も三百十五名から百名に縮減するという案です。上院改革には憲法改正が必要ですが、改正案は上下両院で可決されましたので、あとは国民投票で承認されれば、この新たな上院が実現します。
直接選挙ではありませんが、上院議員となる者は選挙を経ているという観点からは、フランス上院のように地方政治家を選挙人団とする間接選挙のほか、ドイツのように、州議会選挙で勝利し、州の政権を掌握した州政府関係者がメンバーとなる上院もあります。
上院議員が選挙とは無縁なのが英国とカナダです。
英国貴族院は選挙で選出される庶民院に対してその権限が弱められましたが、カナダの上院は下院通過法案に対しての拒否権を持ち続けています。カナダとオーストラリアは、共に英国の政治原理である立憲君主制、議院内閣制を踏襲しながら連邦国家を成立させるという共通点を持ちながら、上院については、カナダは任命制の上院、オーストラリアは直接選挙による上院と対照的な設計をしています。国家建設に当たって、それまでの歴史や政治文化の違いが上院の在り方に映し出されたことが分かります。
二院制を法が成立するためには二つの議院の可決が必要な議会と定義すると、上院の可決がなくとも下院再可決で法が成立する下院再議決制度があること自体、上院の立法権限の制約、下院の優越が組み込まれていることになります。イタリア、カナダ、オーストラリアにはこの制度はなく、上院の可決を得られなければ法は成立しません。ドイツは、連邦参議院の可決がなければ法が成立しない同意法案と、下院の再議決により法が成立する一般法案の二つのカテゴリーがあります。議院内閣制諸国の上院を比較すると、強い方から順にイタリア、カナダ、オーストラリア、ドイツ、日本、イギリス、スペインと並べることができます。
議会は一院でも議会なのですから、二院制議会を選択するのは、第一院とは異なる第二院のイメージがあるからです。イメージは役割と言い換えることができます。役割というのは責任であり、責務でもあります。上院がその役割を果たすことができるようなメンバーを選ぶ、このロジックが明確なのがカナダです。
カナダは、建国時、二院制議会の設計において二つの議院の補完関係を基本としました。下院は選挙によるので、上院も選挙とすれば二つの議院は競合することになります。上院は冷静な第二の考えを持つ議院として下院を補完する。冷静な第二の考えとは熟慮です。政党の影響下にある下院とは距離を置き、中長期的視野で立法化が必要な案件を調査、審議したり、下院通過法案を国家的、国民的、大局的な観点から再検討する熟慮が上院の役割です。この役割を果たすには、メンバーの識見や専門性、中立性、独立性が不可欠です。このような上院メンバーを得るために、任期を定めない任命制としました。議院の役割がメンバーの選出方法を決めたと言えます。
カナダの上院は、一八六七年に誕生して以来、連邦を構成する州の増加に応じて議員定数が増えたこと、議員終身制が七十五歳定年制となったこと以外変わっていません。このような上院を非民主的として、前保守党政権は、上院議員の任期の設定、州民による選挙の実施などを柱とする上院改革を掲げました。しかし、上院の役割についてはビジョンがありませんでした。二院制議会第二院の存在意義を第一院との補完関係から規定する第二院の役割に求めるのか、議員の選出方法と任期だけで判断するのか。カナダ社会は、任命制、七十五歳定年制の議員で組織される上院は時代遅れとの認識はあります。しかし、だからといって州民による選挙で上院議員を選ぶべきと思っているわけでもありません。上院が政府・与党の過熱法案を冷静に審議するという役割を果たすことが重要なのです。
カナダの事例が示唆するのは、上院の役割がメンバーの選び方を規定するのであり、選び方の変更は役割に重大な影響を与えるということです。参議院が良識の府としての役割を持つのであれば、中立性、独立性が必要です。政権をめぐる権力闘争の主戦場である衆議院の党派政治からは距離を置ける、そのようなメンバーで構成されなければこの役割を果たすことは難しいと考えます。
諸国の二院制議会との比較から、我が国の二院制議会の特徴が見えてきます。
日本は、戦後憲法により参議院が創設、直接選挙により議員が選出される上院となりました。日本の問題は、上院と下院の違いが見えにくいことです。憲法第四十二条は「国会は、衆議院及び参議院の両議院でこれを構成する。」としていますが、第四十三条では「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。」と規定しています。二院制議会諸国の中で、二つの議院の代表原則も選出方法も同じであることを憲法で明記しているのは日本だけです。同じであるなら一院制でもいいではないかと思われるのは無理はありません。
二つの議院を憲法条項で探すならば、議員任期です。第四十五条で衆議院の議員の任期、第四十六条で参議院議員の任期とそれぞれ条項を立てていますが、憲法第四章の国会に関する多くの条項は、その主語が「両議院は、」となっています。これは、戦後、連合国最高司令部から示された憲法草案では議会は一院制であり、日本側が二院制に押し戻したという経緯を示唆するものでもあります。
一九四六年三月六日に公表された日本政府の憲法改正案では、両議院は国民により選挙され全国民を代表する議員をもってこれを組織するとなっておりますので、ほぼそのまま憲法規定になったことが分かります。憲法改正案は六月二十五日に帝国議会に上程され、衆議院での修正、貴族院での修正を経て十月七日に議会審議を終えましたが、この条項については変わっていません。
憲法でこのように決められた以上、二つの議院の違いをどのように出すのか。憲法は、両議院の議員定数、両議院の議員選挙人の資格、両議院の議員の選挙に関する事項については法律に委任しているので、二院制の議会の設計は立法に託されたことになります。
衆議院は、戦前戦後継続している議院ですので、廃止される貴族院に代わる上院としての参議院の設計が焦点になります。憲法が公布された後施行されるまでの間に、選挙で選出されることになった上院の具体的内容を決め、実際に選挙を行い、議員を選出しなければなりません。参議院議員選挙法案を審議した帝国議会の議事録から分かるのは、参議院を衆議院とは異なるものとするためにされたのは、被選挙人の年齢と選挙の構成でした。選挙の構成とは、都道府県の区域を選挙区とする選挙と、全国を一つの選挙区とする選挙の二本立てとすることです。衆議院との違いを出すため選挙法で設定した二種類の選挙区で、都道府県選挙区選出議員には地域代表、全国区選出議員には職能代表の性格を持たせました。政党から距離を置く議員で構成されることが衆議院との違いであるとの認識もありました。
二院制議会諸国では、下院は国民代表原則であることは共通していますが、上院はそれぞれです。普通選挙制度が定着した中では、国民代表原則の下院は代議士が代表する国民の数が同じであることが基本となり、一票の較差が問題となります。現実には地理的理由や歴史的経緯などで全く同じとなるわけではありませんが、この基本は尊重されています。しかし、上院については一票の較差の問題は生じません。
例えばアメリカは、下院については代表の公正さに対しては厳格に対応しますが、上院は各州二名で人口の多寡に左右されないことが基本です。しかし、日本では両議院とも一票の較差訴訟の対象になっています。しかも、最初の訴訟は参議院議員選挙に対してでした。一票の較差訴訟とは、憲法第十四条の観点から投票価値の較差を問題とする選挙無効訴訟です。憲法は選挙については法律に委任しているので裁判所は立法府の裁量を認めていますが、国会が較差是正に真剣に取り組まなければ違憲判決が出る確率は高くなると思います。
参議院については、較差が五倍程度であれば合憲と判断されてきました。参議院には地域代表的性格があるということからでした。しかし、二〇一二年以降、最高裁の姿勢は厳しくなり、違憲状態の判決が続いています。地域代表的性格の根拠は、参議院議員選挙法案の政府説明にしかありません。投票価値の平等をめぐる訴訟が憲法にその根拠を持つ以上、立法趣旨に依拠することはもうできなくなりました。
国会は国権の最高機関で唯一の立法機関です。その国会を構成するのが違憲状態で選出された議員では、法治国家の根幹が揺らぐことになります。
二院制議会における参議院の在り方を根本から考えるのであれば、一票の較差訴訟に翻弄されない落ち着きがまず必要です。衆議院は一票の較差問題から逃れることはできませんが、参議院は、諸国の上院がそうであるように、国民代表原則とは異なる代表原則であればこの問題の外に位置することができます。
最初に申し上げましたように、二院制議会の歴史的起源は代表原則の違いにあります。日本の二院制議会の問題は二つの議院の代表原則が同じであることです。参議院は衆議院とは異なる代表原則で組織できなければ、第二院としての存在意義が問われ続けることになります。第二院の代表原則として多くの国が採用しているのが地域代表原則です。国は領土とそこに住む人々によって形成され、領土は幾つかの地域から構成されます。国の議会への国民の参加と地域の参加は、国家と社会の関係を二重に保障します。
国民代表原則である下院は、一票の較差是正のために人口比例的に議席配分をしなければならず、人口の多い都市圏の議員が多くなります。自然が濃く残り、森林、田園が多い地方圏は、国土の観点からも水や食料といった生存基盤の観点からも重要であるのに、送れる議員の数は少なくなります。単一制は立法権が国の議会に一元化されている政治制度なので、国の議会で都市圏の議員が多くなればなるほど地方の利益は立法に反映されにくくなります。
第二院が地域代表原則を取れば、人口の多寡に左右されず議員を送れます。国土を形成する数千キロに及ぶ列島の全国津々浦々からの議員が第二院に集まることで、第一院と相互補完的な議院になります。国民代表原則と地域代表原則が国の議会においてセットになり、二院制議会を構成することが単一制においてこそ不可欠だと考えます。地方創生など施策レベルにとどめずに、地域の重要性を立法レベル、憲法レベルに昇華させることが日本の基礎体力の強化になるのではないでしょうか。
参議院の代表原則を地域代表とすることは、一票の較差問題、都市と地方の代表制の問題など、多くの問題への解となります。このためには、憲法四十三条の改正が必要です。第四十三条は、「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。」と規定しています。この両議院を衆議院に変え、これを組織するの前に、参議院は、地域を代表する議員でを入れます。これで、代表原則と選出方法が同じという二院制議会の否定とも言える根本が変わります。戦後、憲法制定プロセスにおいて第二院を設計し切れなかったことに原因があるのですから、ここに立ち返らなければならないと思います。
私からは以上です。