2016-02-10
参議院
神野直彦
国民生活のためのデフレ脱却及び財政再建に関する調査会
神野直彦の発言 (国民生活のためのデフレ脱却及び財政再建に関する調査会)
⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。
詳細は利用規約をご確認ください。
○参考人(神野直彦君) 神野でございます。よろしくお願いいたします。
お呼びいただいたことに感謝申し上げるとともに、おわびを申し上げておかなければいけません。それは、私、四十代から網膜剥離を患っていて、目に光を入れることはできません。したがって、パソコンもやったことがなければメールもやったことがないし、ましてやパワーポイントで発表をするというようなことはできませんので、昔ながらの伝統的なレジュメでお話をさせていただくということをお許しいただければと思います。
私の網膜剥離は、二十歳ぐらいで普通の人は近視が止まるのですが、そのまま近視が進み続けていって、結局、網膜を剥離させ失明してしまうと。手術を繰り返してどうにか失明をもたせているわけでございますが、私の人生から皆さんにお伝えできる教訓は、近視眼的な物事の見方をしていて目先だけの利益を追っていると、待っているのは暗黒だけだということでございます。
それで、この考え方からいえば、道に迷った人に道案内をするのに重要なことは、まずあなたの目的地こっちの方向にありますと方向性をちゃんと教えて、その上で道順、右へ曲がって左へ曲がって行きなさいというふうにしないと分かりにくい。最初から道順を教えてしまうと、分かりにくいだけではなく、途中で想定外のいろんな事態が起きたときに混乱して迷ってしまうということが起こりますので、まず方向性を明確にする。
社会保障改革も同じことで、個別の問題が生じていることに対応するような改革をする場合であっても、この社会保障改革の全体の目指すべき目的地はこういうものだというビジョンを示して、現実には部分的な改革しかできませんので、部分的な改革を進めていくということをしないと、国民は改革の痛みに耐えられないというふうに思います。
私は、私がやっております財政学を手掛かりにしながら社会保障のビジョンを描いていきたいと思いますが、お手元のレジュメの一ページ目をお開きいただきたいと思います。
社会保障を財政学で考える。政治経済学、ホモエコノミクスを前提にした経済学の登場に対して、社会科学として批判が起こってくるのが十九世紀の後半です。フランスで社会学、ドイツで財政学が誕生いたしますが、これは人間観が違うんですね。人間というのは家族やコミュニティーを成して、ネットワーク、つまり社会に抱かれて存在していて、個別に砂のようにアトム状に存在していないという人間観に立っています。
(1)に書きました温かい手と手をつないで生きる人間というのは、サンゴールというセネガルの大統領の言葉です。そういう考え方に立っていて、財政学が十九世紀後半にドイツで産声を上げると、この財政学を背後理念にしてドイツで社会保障が成立する。つまり、社会保険三法というのは、ビスマルクがドイツの財政学、とりわけワーグナーの財政学を根拠にして作り上げたものです。
次をおめくりいただきますと、財政学では私たちの市場社会をどういうふうに考えるのかというと、この市場社会の特色というのは、生産の場と生活の場というのが完全に分離しているということです。江戸時代の農家を考えてもらえば分かりますが、生産と生活が一括しているわけですね。なぜ分離するのかというと、そこに書きましたように、それは、生産が行われる経済システムの場と共同体に抱かれて生活を営んでいる社会システムの場が分離しているということです。
それは、市場社会というのは生産物市場が存在する社会ではなく、要素市場、つまり土地、労働、資本という生産要素が生み出す要素サービスを取引する要素市場が存在することであり、要素市場の取引が行われるということはそれで生産が行われるということを意味しますので、生産、分配が経済システムで市場によって市場原理に基づいて行われ、しかし、社会システム、人間の生活の方は共同体的に、つまり温かい手とつなぎ合いながら生きているんだと。そう分離している社会を、政府が政治の責任において社会全体を統合していく、そのときに財政というルートを使って統合していくんだというふうに考えます。
お手元の(4)の方を見ていただきますと、したがって、生産が営まれる経済システムの方には、財政は経済活動ないしは要素市場が動いていくための前提条件を整備します。この前提条件を私たちはインフラストラクチャーというふうに言っておりますので、この経済システムの構造によって違ってきます。重化学工業の時代だったら、全国的な道路網とかエネルギー網とかというようなインフラストラクチャーを造っていくということですね。もう一つは、社会システムの方で、家族やコミュニティーを成して生活をしている人々の生活の前提条件あるいはサポートするような社会的安全のネット、セーフティーネットを提供しながら社会全体を統合していくというふうに考えます。
そう考えると、生活の方の場でどういうふうに生活が行われているのか、市場社会では行われているのかというのを見ていただきますと、次のページ、四ページ見ていただきますと、家計とここでは書いてありますが、家計は要素市場に労働サービスを正確には販売して、レンタルするというのが正確だと思いますが、そして賃金をもらってくる。この賃金で生産物市場から生産物を買うのですが、それだけで家族の生活は成り立っているのではなく、家族の中では様々な無償労働、お料理を作ったり子供の面倒を見たりする無償労働をやることによって財、サービスを生産し、家族の構成員に必要に応じて配っているんです、市場を通さずに。市場を通せば購買力に応じて配りますので、必要に応じて家族に配っている。
そうだとすると、二つのことを保障してあげれば市場社会での生活は成り立つわけですね。一つは賃金、つまり現金ですが、もう一つは無償労働。これ重要なわけですね。無償労働を保障する、無償労働が機能不全に陥っていればサポートするか代替をするサービスを出していく。賃金の方もそうですね。賃金を得ることが困難になったり十分な賃金が得られなくなった場合に提供していく。
そう考えていくと、社会保障というのは大きく現物給付と現金給付に分かれ、これをセットで充実させていけばいいということになります。
現金給付の方は二つありますね。一つは賃金代替の給付。これは、正当な理由で賃金を失ったときに現金をもらう、現金を給付されるということですね。社会保険と言われているのは全てそうです。失業したら失業保険、年を取って働けなくなれば年金、病気になって働けなくなったらば疾病保険というふうに、社会保険はそこを提供する。それに対して、最低生活費というふうに定義した方がいいのですが、賃金をそもそも稼得できないような人等々については生活保障の現金を給付する。これは公的扶助とか児童手当がこれに入ります。
それに対してサービス給付の方は何かというと、これは元々、家計の中で無償労働で、つまり相互扶助でやっていたり、あるいはコミュニティーを通じて、家族ができなければコミュニティーによって無償労働で提供していたサービスですので、一番上の相互扶助代替サービスというのは、これはコミュニティーが教会などをシンボルとしながら提供していたサービス給付ですね、教育、医療、福祉、それから家族内での相互扶助でやっていたサービスとして養老とか養育とかというサービスがあり、最後に付け加えれば共同体維持サービスとしての祭事がありますので、こうしたサービスを提供していくということがセットで行われるということが重要だということですね。
お手元、次のページを見ていただければと思います。
例えば、高齢者の生活であれば、年金だけで保障するというふうに考えずに、養老サービス、つまり高齢者サービスと高齢者福祉サービスとセットで生活を保障していく。ともすると年金で全て買ってよというふうなことになりますが、現金給付は私は少なくした方がいいと思っておりますので。それから、児童、子供たちの生活であれば児童手当。児童手当も年金も、口にするものと身にまとうもののお金だけがあればいいです、生計費ですね。あとは、育児サービスはサービスとして提供する。失業者も同じことです。失業保険によって身にまとうものと口にまとうものは保障するんだけれども、再訓練、再教育のサービスによって失業者の生活を保障していくということになる。
お手元、六ページ目、ちょっと時間がないので省かせていただきますが、いずれにしても、市場原理は競争原理で動くのに対して、共同体というのは元々協力原理で動いていましたから、そういう協力原理に基づいて社会保障が提供される。協力原理というのは人間が利他的だということを意味しません。利他的であろうと利己的であろうと、簡単に言ってしまえば利他的行為を相互遂行するという前提ですので、これはそうしたことを超越しているということだけ御認識いただければと思います。
こういう考え方で社会保障を張り替えていくとどういうことになるのかと申しますと、理念型としては、つまり目指すべきビジョンとしては、社会保障をどういう方向で張り替えていくのかというと、次の七ページ、四を見ていただければと思いますが、人間は必然的に協力し合いますから、地域では、ヨーロッパでいえば教会などを中心にしながらお互いに相互扶助サービスをやっているわけですけれども、そういう地域社会の協力、自発的な生活点における、生活の場における協力を基盤にしながら地方自治体というのは成り立っているはずです。
それからもう一つは、これちょっとあれかもしれませんが、生産点における協力、これは賃金を失ったときに病気になったらお互いに救済し合おうね、賃金を失ったらやりましょうねという共済活動をやっていたのをビスマルクは強制加入にして社会保険をつくっていきますので、そういう生産の場の自発的な協力を強制的な協力にして、ここでも自治が必要ですので、そうすると社会保障基金政府という政府を想定しておいていいのではないか。これは、ドイツやフランスでは実際に存在して、選挙で選ばれております。
そういう二つの政府に対するミニマム、あるいは生活保護とか児童手当とかというミニマムを保障する政府が中央政府であると、こういうふうに考えて社会保障を再編して、一つ一つやっていかざるを得ないんですよ、個別にやっていかざるを得ないんだけれども、こういう目的に基づいてやっていくんだという、ビジョンに基づいてやっていくんだという方向性をまず示しておくということが重要かなと。
これはスウェーデンの中学校、八ページを御覧いただければと。
イメージを具体的に持ってもらうために作り上げたものでございますが、スウェーデンでは三つの政府体系ということを次のように説明しています。
左側の写真のところを見てください。コーリンさんという人が言っているところですね。私は今、仕事の休暇を取っておばあさんのお世話をする権利を使っているところです、私の収入は社会保険事務所からこれまでの給料に見合った保障金、これをおばあさんのお金と言っていますと、こういうふうに言っていますね。これが社会保険ですね。つまり、正当な理由で賃金を失ったわけですから、自分の親や自分の祖父母の介護のために休暇を取って賃金を失ったわけですので、その賃金を保障する、これが社会保険。これが本来の介護保険だと私は思っていますが。
それに対してアクセルさんという右上の方。私は自分の家でいろんなものに囲まれて、思い出に囲まれて快適に暮らしています、自分でできることはもう多くありません、けれども、私の介護をしてくれる職員さんたちは親切で有能ですし、安全ベルもあるので、自宅に住み続けることができますと。これは、いいですね。この職員さんは地方自治体ですからサービス給付。サービス給付のうち、これは配達サービスですね。配達してくれるサービスについては、安全ベル、これはウオッチ型とペンダント型がありますが、ぴっと押すとすぐステーションとつながります。おばあさん、どうしました、胸が苦しくてちょっと動けないんだけど、じゃ待っていなさい、お医者さん連れていきますからというふうにちゃんとできるようになっているということですね。
そういう配達支援サービスと、それからもう一つ、これは立地点サービス、下の方ですね。ここで気持ちよく暮らしています、部屋は一つだけでも、キッチンも付いていますしと、こう書いてありますね。職員の皆さんはまるで最高のホテルのようにきちんとしてくださるのですよと書いてありますが、これは立地点サービスですね。
配達サービスと立地点サービスという二つのサービス給付、現物給付と、それから左側で見ていった現金給付とセットで生活を守っていくという発想の下に社会保障改革をしていくということが重要かなと思っています。
特に、ここに書きましたけれども、工業社会から脱工業化社会に行くようなときには、これまでの工業社会では現金給付による所得再分配しかやっていなかったわけですが、そうすることによる生活保障からサービス給付による参加保障の方にシフトさせる。七ページ目の(1)のところ。
つまり、これまでの社会的セーフティーネットを社会的トランポリンにして、ぱんと元に戻してやるぐらいのことをしないと、私たちはこの歴史の、工業化から脱工業化に向かう社会に対応できない。そうすると、いつも経済は停滞してしまって、産業構造を変えなければいけないときにストックに投資をすると、バブルを繰り返すだけなんですね。産業構造を変えないときにチューリップの球根を買いまくれば、チューリップ球根恐慌になるのは決まっているわけです。
さて、お手元の九ページ目を見ていただきますと、そういうふうなセーフティーネットの張り替えのときには、少なくとも租税負担というのはこれまでの福祉国家と言われているような時代から落とすわけにはいきません。見ていただきますと、右側、OECD諸国のこれは平均を取っていますが、平均を取ると、租税負担率は、高度成長期、一九七五年から一九八五年ぐらいまでずっと福祉国家で伸び続けているわけですが、この伸びはずっと維持されています。
ところが、日本は一九九〇年から急速に落としているんです、租税負担率を。なぜ落としたのかというと、ほかの先進国は、所得税、法人税を中心とする福祉国家を支えた税制を維持しながら、それだけじゃ不十分だし欠陥があるので、消費税を入れていって補強しようとするんですね。そうするから、当然、消費税が増えた分だけずっと増えていくという関係になるわけですが、日本はそれを落としてしまった。
落とせばとてもできませんので、お手元、十ページ目を見ていただければと思います。
十ページ、見ていただくと、先ほど言いましたように、インフラも変えなくちゃいけませんよと。つまり、工業社会から脱工業化社会になりますから、インフラが変わります。物的なインフラじゃなくて、今度は人的なインフラストラクチャーに変わるわけですね。それから、安全のネットも張り替えなくちゃいけない。
(2)のところで、世界的な公的な資本形成、見ていただくと、日本は公共事業をやり過ぎだと言われますが、一九八〇年代、七〇年代の中頃で石油ショックが起きちゃって、これで重化学工業の時代は終わりだというメッセージが来るわけですが、それまでは、日本も高いんですけど、ほかの先進国も高いんですね。日本の特色は、もう、ああ、これで重化学工業の時代は終わったとほかの国は認識すると、じゃ新しい経済構造をつくり出そうというふうに、これやめるんですけど、日本はやめない。
それから、十一ページを見ていただきますと、安全のネット、つまり社会的支出については、日本は、ヨーロッパ大陸モデルと言われているヨーロッパ大陸諸国に比べてアングロサクソン諸国並みに低い水準になっている。
十二ページ、見ていただければ、先ほどお話がありましたように、人的なインフラで重要な教育への支出は、日本は他の先進国に比べても圧倒的に低くなったまま推移しているということです。
それで、これで私の話は時間ですので終わらせていただきますが、最後に申し上げたいのは、ノーベル経済学賞に輝いたサローが「資本主義の未来」という本を書いています。これ一冊が日本の国民に対する警告書です。
何て警告しているかというと、ルールが変わったという事実に最後に気が付くのは前のルールでの勝利者だ、日本は確かに第二次世界大戦後の重化学工業化の過程で優等生だった、高度成長も成し遂げた、しかし、もう脱工業化の方にかじを切っていかなければならないとルールが変わったのにまだ依然として前のルールでやっているんだ、つまりルールが変わったという事実に最後に気が付くのは前のルールでの勝利者である日本だ、日本は例外でもないんだと、こういうふうに警告をしております。
この言葉をもって私の発表を終わらせていただきます。どうも済みません、ちょっとオーバーいたしました。おわびいたします。