浅野善治の発言 (法務委員会)

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○参考人(浅野善治君) 今いろいろ、今日の議論の中でも、例えば人間の尊厳ですとか、威圧ですとか、恐怖ですとか、死ね、殺せとか、いろんな表現が出てきているわけですけれども、じゃ仮に人種等を理由とする意見というものが全ていけないのかというと、やっぱりそうではないんだというのは大体皆さんお分かりになるんだろうと思います。
 そうすると、人種等を理由とする意見の中の差別的なものは駄目だよといって、そこまではいいのかどうなのか。差別的なものはいいとしても、不当な差別的なものなら駄目なんだとか、じゃどこで線を引くんだと、こういう話になるわけですよね。そこのところで、例えば死ね、殺せというようなことがあったとか、威圧的なものだったとかということがあったときに、じゃその中の何が人間の尊厳を害しているのかと、こういう話になるんだろうと思います。ですから、そういったことの中で、例えば、死ね、殺せといったものだけ規制すればいいんだよというのであればこれは簡単にある意味できるのかもしれませんが、それだけで十分かという問題がもちろん出てくるわけですよね。
 そうすると、じゃ何を規制しなきゃいけないのか、こういう話の中でそれがうまくすくい取れるかどうかというのが実は問題になるんだろうと思います。そういったことの中で表現の自由ということがあったり政治的な言論だったりという話があるんですが、じゃどこでどう区別していくかということになるとすれば、やっぱりそういう行為によって不適切だということが起きてくるわけですけれども、その不適切だということによって一体何が害されているのかということ、これを具体的に見ることだろうと思いますね。
 そこの中で具体的に害された権利の侵害というものがあるのであれば、これはそれを救わなきゃいけないねというようなことになるかもしれませんし、個人の権利ということではないにしても、例えば社会的に極めて解決しなければいけない具体的な不都合が生じているということがあるのであるとすれば、それはやっぱり何とか解決していかなきゃいけないねということがあるんだと思いますし、ですから、具体的に何が引き起こされているのか、それが許されるのか許されないのかということを検証して、それをどう図っていくのかということになるんだろうかというふうに思います。
 そこで、その具体的な範囲というもの、具体的な救わなきゃいけない害悪の範囲というものがきれいに書けるのであるとすればこれはきれいな法律になるのかなというふうに思うわけですけれども、なかなかそれは、あらゆるものを考えなきゃいけませんので、かなり時間も掛かるし慎重に検討しなければいけないんじゃないかなと、そんな感じがしているところでございます。
 以上でございます。

発言情報

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発言者: 浅野善治

speaker_id: 10928

日付: 2016-03-22

院: 参議院

会議名: 法務委員会