小坂憲次の発言 (本会議)
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○小坂憲次君 本日、院議をもって永年在職議員の表彰の栄誉を賜りました。身に余る光栄であり、心より厚く御礼申し上げます。
また、ただいまは、議員皆様を代表し、溝手顕正先生より御丁重なる御祝辞を頂戴いたしました。議長を始め、皆様に心より御礼申し上げます。
私が衆議院議員として初当選いたしましたのは、平成二年二月十八日でありました。当時は、リクルート事件による政治と金の問題で政治不信が深まり、また、前年十一月九日にベルリンの壁が崩壊し、翌十二月には冷戦の終結が宣言され、東西ドイツ統一へと世界が大変革の時代に入ったのでありました。
選挙では、我が国自身の変革と政治の改革、国際貢献を街頭で訴えた戦いでありました。そして、当選した年の八月に湾岸戦争が勃発し、世界が戦っている中で、日本は何をすべきなのか、何ができるのかが問われ、また政治改革では、政権交代可能な選挙制度、議会制度、政治資金など、どこを改革し、どのようなゴールを目指すのか、若い議員として党派を超えて熱心に議論し合ったのを覚えております。
しかし、今日振り返れば、実現した選挙制度や国会改革は、法案成立のために妥協せざるを得なかった現実の前で、当時議論していた形とは若干異なったものであり、更に身を切る改革が必要であります。また、政治と金の問題も繰り返し国会で議論されており、世界の中で果たすべき日本の役割についても、更に与野党の議論と国民の理解を得る努力が求められております。これらの問題への取組を考えるとき、じくじたる思いであり、議員として至らなさを恥じるばかりであります。
しかし、一方、総務副大臣として、コンピュータープログラムの年号が下二桁表示であったために生じた二〇〇〇年問題始め、IT時代やデジタル化の基礎となる問題処理に当たったこと、文部科学大臣として、戦後六十年目にして初めて教育基本法の改正案を国会に提出し、微力ながら教育改革に足跡を残させていただいたこと、一年生議員仲間でカンボジアの地雷除去を視察し、後に犠牲となられた中田厚仁君に会い、彼らの思いを受けて、非人道的兵器と言われた対人地雷廃絶のために超党派の議員連盟を立ち上げ、会長として条約の批准に成果を得、長野オリンピックのテーマにもなったこと、代表提案者となった食育基本法などを始め数多くの議員立法を世に出せたこと、ポリオ根絶を目指す議員連盟会長、ダンス文化推進議員連盟会長など幾多の議員連盟活動で党派を超えた同志議員の皆様と実績を上げることができたこと、また、日米、日欧、日中始め、多くの国々との議員外交に取り組んでまいりました。
参議院議員となってからも、憲法改正案の発議を審査する憲法審査会の初代会長をお預かりし、三年間御協力をいただいたこと等々、私の議員生活の大きな思い出となっております。
顧みれば短くも感じられる激動の二十五年間でありました。
これもひとえに、長きにわたって私をお育ていただき、御支援、御指導を賜った諸先輩、地元長野の皆様、全国の後援会の皆様、そして、私を理解し支えてくれた妻と家族や親戚、事務所スタッフの皆さんのおかげであると感謝し、壇上より心を込めてありがとうございましたと言わせていただきます。
両院を経験し、良識の府参議院の議場において表彰を賜りましたことを誇りに思い、同志議員各位の御健勝、御活躍と健全なる議会の発展を祈念し、御礼の御挨拶とさせていただきます。
誠にありがとうございました。(拍手)
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