伊達勝身の発言 (災害対策特別委員会)
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○伊達参考人 皆さん、おはようございます。
まずもって、八月三十日のあの台風十号の災害に際しましては、当委員会の委員長さん初め理事の皆さん方が、わざわざ岩泉町までお運びをいただきました。また、その前には、それぞれの省庁の大臣、副大臣、政務官の皆さん方、あるいは総理大臣までお越しをいただきました。現地の状況をつぶさに視察をしていただいたわけでございます。
皆さん方、異口同音に、見ると聞くでは大違いだという、そういった話をされておりまして、改めて、私どもはもちろんでありますけれども、先生方におかれましてもその被害の甚大さに驚かれたことだろう、そのように思っております。
さて、私は、本日は、今まで公の席では発言をしておらなかったことをまず最初に申し上げたいと存じます。
それはなぜかと申しますと、いわゆる私自身の避難勧告指示、そういったものがおくれたことが大きな被害をもたらしたという、そういったことであったわけでありますが、実は、本日の資料として、時系列的にちょっと書いてありますけれども、まずその前に、かいつまんで岩泉町の状況を説明申し上げます。
西は盛岡市から東は太平洋までが岩泉町でありまして、面積は、ちょうど東京二十三区と横浜市を足したぐらいの面積でありまして、今回大きな被害をもたらした小本川は、約百キロの大きな川であります。それぞれの支流がたくさんございまして、一番高いところでは千三百五十メーターぐらいから海抜ゼロメートルまでという、そういった大変厳しい自然条件の中にあるわけであります。その中で、人口は一万人を切っております。ちょうど六十年前に、今の岩泉町が誕生をいたしました。
実は、五年半前には、あの東日本大震災で海岸の方が大きな被害を受けたわけでありまして、いち早く、これこそ国の皆さん方の御支援をいただいて、復旧に努めてまいった結果、何とか復旧にめどがついたそのやさきの今回の大きな洪水であったわけであります。大変地元といたしましてはショックを受けているわけでありますが、そう言ってばかりもおれませんので、しっかりとこれから見据えてまいりたいと存じます。
まず、当日、つまり三十日のことでありますが、朝早く大雨暴風警報が発令をされまして、九時には、私ども、避難準備情報を町内全域に発令すると同時に、消防団、八分団ありますけれども、その皆さん方に警戒に当たるように指示し、さらには、避難所を開設したところであります。
十一時過ぎには、それぞれの分団から出動いたしまして、もちろん、役場の職員も、役場の職員内でも消防団がありますから、消防車に乗っていち早く警戒に出ていったわけであります。当日は、消防団員二百八十八名、そのほかに私どもでは六カ所に自主防災組織がありまして、この皆さん方が実際の地域の安全を担っているわけであります。そういった皆さん方が懸命に活動しておったわけでありまして、まさに午後二時の災害対策本部を設置した際に、北の方の安家地区には避難勧告を出したわけでありますが、そのほかについてはもう少し様子を見よう、そういったことであったわけであります。
その後、四時四十七分でありますが、盛岡の気象台から、五十年に一度に相当する記録的な大雨となりますよ、そういった情報が入ってまいったわけであります。
また、五時過ぎには、小本川、つまり、下流の方にありますけれども、この水位計が警戒水位から四センチほど超えている、そういった連絡もありました。
それらの内容については、県の方からは六時二十分に担当者の方にメールが来たわけでありますが、実際には四時前から上流部には集中的な豪雨が発生しておったようであります。したがいまして、私どもの町の上流の方では、四時過ぎには大変な大騒ぎになっていた。道路に水があふれてきた、橋に材木がひっかかって道路にあふれてきたり、そういったことがありまして、そういったものの対応に終始した結果、私どもの少ない総務課の職員では避難勧告指示等々の準備ができなかったというのが実態であります。
その前に、実は、私自身も、自分の目で川の状況を確かめようということで、九人の方が亡くなりました楽ん楽んの近くの川を見ておりまして、ちょっとした雨と同じぐらいなものだなという形で帰ってきたわけでありますが、そのときには既に約三十五キロの上流ではもう水があふれていた、そういったことであります。
ですから、それぞれの消防団の皆さん方も、もちろん消防車同士では連絡するわけでありますけれども、こういう状況だというのを、つぶさな報告が本部の方には届かなかったというのが実態であります。地域の住民を避難させること、それから自分たちも逃げること、そういったことに終始したということなのであります。
きょう、なぜそのことを申し上げたかといいますと、まず、私自身の問題ではなくて、懸命な活動を行ってきた消防団員の皆さん方、そして自主防災の皆さん方、そういった皆さん方が、岩泉町は津波の経験もありながらなぜこういったことを繰り返すのかという大変な御批判をいただいたわけであります。私自身も悔しいわけでありますが、町民はもっと悔しい、消防団員ももっと悔しい、そういったことでありますので、あえてこのことを冒頭に申し上げる次第でありますので、御理解をいただきたいと思います。
また、発災直後には、それこそ、国土交通省のTEC—FORCEの皆さん方、あるいは自衛隊、宮城県の消防隊、青森県の消防隊、それから東京の消防庁からもたくさんの応援をいただきました。おかげさまで、ああいう状況で何とか乗り切った、そういったところであります。
私どもの被害の状況でありますけれども、発災当日は大体八百人ぐらいが避難をしていたわけであります。町の方で指定した避難所のほかには、それぞれの地区に学校それから小さい公民館がありますので、そういったところに皆さん方で避難をしたわけであります。
その誘導につきましては、自主防災組織並びに消防団、それから役場の職員がもちろん当たったわけであります。ですから、消防車も実は三台流されておりますし、役場の職員も次の日の夕方まで全く連絡がとれなかった、そういったこともあります。消防団員並びに役場の職員が犠牲にならなかったということが大変助かったわけであります。
しかしながら、その後のマスコミの皆さん方からの大変な厳しい取材を受けまして、当役場の防災担当の課長補佐クラスの職員が二日後に壊れてしまいました。まだ入院中であります。また、楽ん楽んで、グループホームでおじいさんを抱きかかえて朝まで泥水につかっていた看護師さんも今入院中であります。
そういったことで、こういった災害が起きますと、必ず集中的に担当者、職員が責められること、それは、必ずその職員が壊れる、そういったことから、これは全て町長の責任であるということを私は明言してきたわけでありまして、改めて、この私の当初の判断でもっと早く避難させていればよかったというのは、そういう思いはひとしおであります。
人的被害についてはマスコミ等々で報道されているとおりでありますが、実は、東日本大震災の折の私どもの町の被害は、漁業関係が多かったわけでありますが、約五十億円弱、今回はその十倍に匹敵する被害であります。道路、水道等あらゆる分野で被害が出ておりまして、そういった状況が現実でございます。
写真も少し、被害状況を添えてありますが、一番衝撃的な写真が一枚ございます。乙茂地区という、老人保健施設、岩泉乳業株式会社の写真がありますが、これは翌日の朝と午後の写真であります。翌日九時の写真、これは岩泉乳業のヨーグルト工場の写真でありますが、水が一メーターぐらい引けた後の写真だそうであります。楽ん楽んはこの右側の方にあったわけでありますが、こういった大きな水害というのは史上始まって以来であろうと。東日本大震災は千年に一回の地震、津波でありましたけれども、今回はこういう形で、経験をしたことがない、そういったことでありまして、その意味からいいますと、気象台の皆さん方の予報は当たっていたんだろうな、そのように思っております。
これが今までの経過でありますが、では、これから我々はどうするかということを申し上げたいと存じます。
それぞれの対策はとってはございますけれども、まず一つには、生活の再建ということでいろいろ考えてございますが、とにかく六十年間かかってつくったインフラがみんな壊れてしまったわけであります。道路、水道、電気、もちろん通信施設等も全部壊れてしまいましたので、それらをどのように復活させていくかというのが一番の課題であります。
急いでやらなくちゃいけないということにつきましては、まず、かなりな家屋が壊れておりますので、いわゆる半壊以下、あるいはそのほかの倉庫等についての解体撤去、そういったもの。
また、そこから発生しますいわゆる災害廃棄物につきまして、これは環境省の方ともいろいろ相談を進めてはいるわけでありますが、かなりな率で補助金は受けられるわけでありますが、どうやら東日本大震災の際の量に比べまして今回は大体二十倍ぐらいの量になるだろう、そのように思われております。ですから、仮に負担額が五%といたしましても、町の負担というのはとんでもない額になる、そういったことであります。
また、東日本大震災から五年半しかたっていないときの災害でありますので、いわゆる二重ローンの問題がまた発生をしております。そういったこと等。
あるいは、東日本大震災の減免がまだ続いているわけでありますが、そういったことから、国民健康保険等々の減免ということが出てまいります。
これらについて、何とか交付税措置でということでそれぞれお願いをしているわけであります。
また、住宅が、河川改修も出てまいりますので、集落の再編成等も出てまいります。そういった際の調査費あるいは住宅の整備、住宅地の整備、設計委託費等々、こういったものについてはなかなか予算的なものが厳しい状況にございますので、これらについての御配慮を賜りたいということであります。
また、災害復旧事業につきましては、まさに、町道、林道等、大体うちの町には六百三十キロありますが、これが大体四割から五割ぐらいまで壊れております、これらの復旧等々が上がってまいりますし、また、河川改修が出てまいるわけであります。
また、簡易水道施設あるいは下水道、それから地域の組合でつくっております飲料水の共同施設、こういったものは全部被災をしております。新聞でも皆さん方ごらんになったかもしれませんけれども、川の水をくんで料理をしたり洗濯する、そういった写真があったわけであります。
また、テレビの共同受信施設や情報通信網、携帯電話、これらも全部壊れておりますが、実は、情報関係につきましては災害復旧という制度がないんだそうでありまして、とても困惑しているのが実際であります。
また、消防車も三台流されましたし、それから、消防格納庫、屯所、そういったものもかなりな被害を受けておりますので、これらについて今後しっかりと取り組んでいかなくちゃいけないと思っております。
それぞれの省庁におかれましては、特にも、道路関係につきましては国土交通省の皆さん方、あるいは山の林道等については林野庁の皆さん方、また総務省の皆さん方からはテレビの方はどうなっているということでいち早く連絡を頂戴しておりますし、かなりなレベルで調査にも御協力をいただいております。感謝を申し上げながら、今後の御協力、御支援をお願い申し上げたいと存じます。
また、私どもの町は龍泉洞という洞窟がございます。これは三陸海岸でも有数の拠点となっておりまして、これが現在閉鎖されておりますので、岩泉町の龍泉洞のみならず、岩手県全体に対する観光客の入り込み数に大きな影響を与えております。それはやはり、陸中海岸の中での大きなポイントが現在開いていないという、そういったことからでありますので、これらにつきましては、文化庁の皆さん方に御相談をしながら、現在、その開始に向けて進んでいるところでもあります。
なお、産業再生というジャンルに行きますと、いわゆる第三セクターでもって当岩泉町は産業振興を図ってまいりました。牛乳の加工から始まってヨーグルトをつくってきたわけでありますが、その加工場あるいは情報発信基地であります道の駅、こういったものが壊滅的な被害を受けたわけでありますが、これらにつきましては、農林水産省の皆さん方あるいは総務省の皆さん方のいち早い支援をもちまして、どうやら乳製品については来年の八月ぐらいには出荷ができそうでありますし、道の駅につきましては来年の連休前にはオープンできるだろう、そのように思っているわけであります。
きょうは余りお金の話はするなという、いわゆるアングラ情報が実は入ってまいったわけでありますが、私の方のお願いといたしましては、どうしても人的な体制と最終的にはお金のことをお願いするしかないわけであります。
ちょうど、今回の災害復旧予算は大体四百五十億円ぐらいになりそうであります。そういった中で、その一割を出しなさい、一割は何とか頑張れるかもしませんが、そのほかの事前の調査費等々については算定外ということでありまして、なかなか厳しいものがあります。
人のことを申し上げてはなんでございますけれども、北の方の久慈市におきましては、財調もなかったものですから、本当にもう泣きながら、本当に市長は泣きながら今回の緊急的な予算を組んでいる、そういった状況であります。
岩泉町では、怒られはしましたけれども泣きはしませんで、何とか当初の予算は組んだわけでありますけれども、これらについて、どうしても三ないし五年間で片づけていかなくちゃいけない大きな事業でありますので、そういった中で、どうしても人口減少で大変呻吟している町でありますので、最終的にはお金の問題になってまいるわけであります。特別交付税のかさ上げ等々、特交、そういったものをぜひとも御配慮いただきますようにお願い申し上げたいと存じます。
東日本大震災の際には、これは一〇〇%国からの御支援をいただきまして、地元負担というのはほとんどなくて何とか復興ができたわけであります。それと比べて、今回は激甚指定を受けたとはいえ、かなりの開きがあります。被災を受けた家屋の皆さん方も、住宅を再建するに際しましてかなりな支援の差があります。たった二百メートルぐらいしか離れていないところで、そっちの方はこれくらい、こっちはもっと低いという、こういったことは一つの町の中でも大変差が生じるわけでありますので、同じ国民でありながらそういったことはあってはいけないことだと思います。
実は、私どもの岩泉町、六十年たつわけでありますけれども、七十年前のあの太平洋戦争の際には七百名もの戦死者を出しております。それこそ、まさに身命を賭して国のために戦って町を守ってきた、そういった町であります。
今回、自分たちが何も悪いことをしたわけではありませんけれども、こういった大きな災害を受けて苦しんでいるさなかでありますので、本委員会の皆さん方におかれましても、現地の方にも赴いていただきましたあの現状をしっかりと御認識の上、なお一層の、この日本の中の岩手県、岩手県の中の岩泉町、宮古市、久慈市がこれからもしっかりと頑張っていけるような手だてをどうぞ講じていただきますようにお願いを申し上げたいと存じます。
以上で終わります。ありがとうございました。(拍手)