大串正樹の発言 (文部科学委員会)
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○大串(正)委員 ありがとうございます。
課題解決型の、基本的な、非常にわかりやすい定義だというふうに思っております。
恐らくそういう定義が普通に普及されるべきなんでしょうけれども、実は、教育学という学問の世界では、教育政策というのは非常に有名な定義がございまして、宗像誠也という人の定義で、教育政策とは権力に支持された教育理念という定義をほとんどの教育学研究者が引用するという、教育学の世界ではこれがクラシックな定義として定着をしている。
この権力に支持されたという概念そのものが、比較的シニカルといいますか批判的な定義ではないかなというふうに感じているわけなんですけれども、つまり、教育政策が権力に支持された教育理念であるという定義に基づくと、この宗像先生の定義では、教育行政というのは、権力の機関が教育政策を現実化することである、そういう定義である。ですから、逆に、権力に支持されない教育理念を実現しようとする、そういった行為のことを教育運動である、そういう定義がなされているわけでございます。
ここで少し私の疑問というか、これだけ権力批判的な定義を用いられて教育学という分野が形成されているにもかかわらず、これだけ長期にわたって教育現場の方向性が権力とは同じ方向を必ずしも向いていない、そういう状況がなぜこれだけ続くのかなというのが一つの疑問として考えられたわけでして、それについてきょうは、いろいろな視点があると思うんですけれども、構造的な問題とか、あるいは政策的な大きな流れの中で、なぜそういうことが起こってきたかについて少しお伺いしたいなというふうに思います。
一つは、まず、教育政策の大きな形として、アウトプットとして出てくるのが、やはり学習指導要領を中心とする教育課程改革、この歴史を振り返ってみたいと思うんです。
この教育課程改革というのは、長きにわたっていろいろな形で打ち出されてきたわけなんですけれども、有名な研究の分類によりますと、大体、戦後の流れというのは四つぐらい大きな流れがあります。
まず、一九四七年ぐらいの経験主義と呼ばれる時代。教育学を勉強される方は、大体最初に始まるのが、ジョン・デューイというアメリカのプラグマティズムの哲学者が提唱していた経験に基づく教育という、教育は経験の再構成である、そういう基本的な概念に基づいて教育政策というのは議論されてきたわけなんですけれども、経験を大変重視する、そういった流れが、経験主義という形で、最初の教育基本法、教育課程の中に生かされてきたという歴史があります。
そのほぼ十年後ですね、次の段階では、系統主義と呼ばれる時代が訪れます。この時代は、なぜそういう時代が来るかといいますと、デューイの経験主義、経験に基づく教育政策、これは学力低下を招いたということで、学力低下批判によって、系統化によって最低基準の基礎学力を重視する、そういう方向性が打ち出されたわけなんです。
その後、また時代が変わりまして、一九六〇年代の後半は、能力主義ということで、この当時は、皆様も御承知のように学生運動が盛んな時期で、我々も、高度経済成長の中、経済効率を高める教育政策、そしてその中で新しい価値観というものを生み出す、主体性に基づく人的能力の開発というところが主眼に置かれたわけであります。
そして、時代が一九八四年以降、きょうはこの辺の話からしたいと思うんですけれども、新保守主義と呼ばれる時代が訪れます。文化、伝統主義に基づく自由化、個性化、国際化、こういったことがテーマになるわけであります。
この一連の流れを見ましても、経験主義から学力低下批判が起こって、十年ごとぐらいに教育政策というのは大きく転換をしてきた。
ですから、冒頭にお話ししましたように、権力に支持されていながら、実は、教育政策というのは、社会のいろいろな要請に基づいて、あるいはいろいろな世論の動きに合わせて大きく変遷をしてきた。世論に左右されてきたというのが、一つの現実として、戦後の教育課程の歴史を見ると明らかなんです。ただ、教育政策といいますと、やはり長期的なスパンで物事を考えなければいけない政策の一つではないかなというふうに思っております。
教育政策あるいは教育課程そのものの、これがよかった、悪かったというのは、その教育を受けた子供たちが成人して社会でどんなふうに活躍をしてくれたか、そういったところで評価されるべきではないかなというふうに思うんです。そうすると、十年ぐらいでふらふらと政策が変化してきたということは、やはりこれはお互いに不幸なことではなかったのかなというふうに思うんですけれども、政策的なタイムスパンの問題として、これまでの教育課程改革を振り返りながら、今の教育課程のこれからのあり方についてお伺いしたいと思います。